1 00:00:01,475 --> 00:00:07,481 ♪〜 2 00:01:24,308 --> 00:01:30,314 〜♪ 3 00:01:36,111 --> 00:01:39,365 (菊比古(きくひこ)) いやあ いたいた おっそろしい 赤くなって威張ってやがら 4 00:01:39,490 --> 00:01:41,700 威勢がいいねえ ホントに どこで飲んだんだ? 5 00:01:42,368 --> 00:01:43,911 酒を飲んだんじゃないよ 6 00:01:44,036 --> 00:01:45,037 じゃあ うでたのか 7 00:01:45,246 --> 00:01:48,040 手が付けられないね 赤いから赤ん坊だろ 8 00:01:48,207 --> 00:01:50,668 ああ なるほどね 赤けりゃ“赤ん坊”で 9 00:01:50,793 --> 00:01:53,712 青けりゃ“青ん坊”で 白けりゃ“白ん坊”だ 10 00:01:54,797 --> 00:01:56,423 (初太郎(はつたろう))ふあ〜あ 11 00:01:56,549 --> 00:01:59,051 よう 朝から熱心なこったな 12 00:01:59,176 --> 00:02:00,761 邪魔しないでくれるかい 13 00:02:01,095 --> 00:02:02,304 こちとら 信(しん)さんと違って 14 00:02:02,429 --> 00:02:05,057 なけなしの時間 切り盛りしてやってんだ 15 00:02:07,393 --> 00:02:10,187 (初太郎) けさは随分 調子が違うじゃねえか 16 00:02:10,312 --> 00:02:12,815 話の運び方も 声の出し方も らしくねえ 17 00:02:13,524 --> 00:02:16,402 小鳥が 出もしねえ声 振り絞ってるみてえだ 18 00:02:16,777 --> 00:02:17,695 (菊比古)ふん… 19 00:02:18,112 --> 00:02:19,321 あ? もしかして— 20 00:02:19,446 --> 00:02:21,448 師匠に 腹から声出せって言われたの— 21 00:02:21,574 --> 00:02:22,825 気にしてるのか? 22 00:02:23,742 --> 00:02:26,245 ヘヘヘ 23 00:02:28,873 --> 00:02:30,749 師匠は ああ言ってるけど 24 00:02:30,875 --> 00:02:31,792 俺は お前さんには— 25 00:02:31,917 --> 00:02:35,129 そういうのより もっと向いてる噺(はなし)があると思うんだ 26 00:02:35,421 --> 00:02:36,046 (菊比古)ん? 27 00:02:36,422 --> 00:02:38,257 声張れなくて つらいだろ 28 00:02:38,549 --> 00:02:40,593 だったら 張らない噺をやればいい 29 00:02:41,427 --> 00:02:45,598 廓(くるわ)噺とか 艶笑(えんしょう)噺とか いわゆる 色っぽい噺だな 30 00:02:46,307 --> 00:02:49,184 三味とか 踊りの所作を扱う噺も いっぱいあるし 31 00:02:50,436 --> 00:02:54,189 俺には逆立ちしてもできねえけど お前さんなら なあ? 32 00:02:55,399 --> 00:02:59,194 前座噺も おぼつかねえのに そんなの まだ早いよ 33 00:02:59,403 --> 00:03:02,781 だよな〜 できっこねえよな 34 00:03:06,201 --> 00:03:09,163 あ〜あ 女抱いてみてえな 35 00:03:09,288 --> 00:03:12,458 こんな生活してたら まず 無理だな 36 00:03:14,001 --> 00:03:14,877 (初太郎)な? 37 00:03:15,419 --> 00:03:17,796 寄席で ワリもらえるようになったらさ 38 00:03:18,047 --> 00:03:20,883 ちまちま 貯めて 一緒に吉原行こうな 39 00:03:21,759 --> 00:03:24,053 (菊比古)お… 俺 学校の時間だ 40 00:03:26,931 --> 00:03:29,016 あ そう… 41 00:03:31,185 --> 00:03:33,187 いってらっしゃ〜い 42 00:03:36,482 --> 00:03:38,776 (八雲(やくも)) どんどん 先に行ってしまう信さんに 43 00:03:39,193 --> 00:03:42,529 あたしは正直 焦りを感じ始めておりました 44 00:03:43,072 --> 00:03:46,992 その時は 教えられた前座噺を 覚えるのに 精いっぱいで 45 00:03:47,159 --> 00:03:50,788 向き 不向きなんてとこまで 見えていませんでしたし 46 00:03:50,996 --> 00:03:55,292 まして 女のことなど 考える余裕もございませんでした 47 00:03:55,876 --> 00:04:00,256 しかも その時の あたしは 昼は学校 夜は寄席という 48 00:04:00,381 --> 00:04:03,384 忙しい日々に 追われる身でもあったのです 49 00:04:03,759 --> 00:04:05,636 うちの親への手前— 50 00:04:05,761 --> 00:04:08,264 あたしを高等科までは 通わせたいという 51 00:04:08,389 --> 00:04:10,474 師匠の計らいだったのですが 52 00:04:16,563 --> 00:04:18,107 結果として 53 00:04:18,232 --> 00:04:22,987 一日中 落語漬けの信さんとの差は 歴然として ついていき 54 00:04:23,487 --> 00:04:27,992 あたしはその力量の差が どんどん つらくなっておりました 55 00:04:37,209 --> 00:04:40,129 けれども 芸事の世界に いられるということは 56 00:04:40,254 --> 00:04:42,131 素直にうれしかった 57 00:04:44,425 --> 00:04:47,845 やはり あたしは こういうものが 好きだったのでしょう 58 00:04:48,470 --> 00:04:51,348 寄席に来て 三味線の音色を 聞いていると 59 00:04:51,849 --> 00:04:55,144 心が すうっと穏やかになりました 60 00:04:56,103 --> 00:04:56,729 (お千代(ちよ))痛い… 61 00:04:58,397 --> 00:04:59,523 (菊比古)どうしたの? 62 00:04:59,940 --> 00:05:03,402 さっき 指がつれちゃって まだ痛くて… 63 00:05:03,861 --> 00:05:06,280 (菊比古) どれ? ちょいと貸してごらん 64 00:05:06,822 --> 00:05:07,448 あ… 65 00:05:11,076 --> 00:05:13,537 次の お師匠の出囃子(でばやし)は 何です? 66 00:05:13,704 --> 00:05:15,914 (女中) あれ? お前さん 弾けるんかい 67 00:05:16,540 --> 00:05:17,916 「梅は咲いたか」だよ 68 00:05:18,959 --> 00:05:20,919 少し やらせていただきます 69 00:05:21,378 --> 00:05:25,424 (師匠)おっ 八雲の所の坊(ぼん)が 弾くのかい こりゃいいや 70 00:05:26,633 --> 00:05:30,804 (寄席囃子の音) 71 00:05:44,318 --> 00:05:45,194 (お千代)あの… 72 00:05:45,736 --> 00:05:46,445 ん? 73 00:05:47,112 --> 00:05:48,822 さっきは ありがとう 74 00:05:48,947 --> 00:05:52,993 あの… 私まだ始めたばかりで 下手くそで… 75 00:05:53,869 --> 00:05:55,454 とっても お上手なのね 76 00:05:57,456 --> 00:05:59,500 えっ 何か? 77 00:06:00,375 --> 00:06:02,419 (菊比古)今度 教えてあげようか 78 00:06:02,544 --> 00:06:04,963 (お千代)へ? いいの? 本当に 79 00:06:05,339 --> 00:06:08,133 (八雲) この子は下座見習いのお千代ちゃん 80 00:06:08,467 --> 00:06:11,845 あたしが初めて お付き合いをさせてもらった子 81 00:06:27,236 --> 00:06:29,613 (八雲) 女というものが 何なのか 知ってみたくて 82 00:06:29,738 --> 00:06:32,116 付き合い始めたようなもんでしたが 83 00:06:32,282 --> 00:06:36,620 まあ とにかく純情で かわいらしい娘さんでした 84 00:06:40,958 --> 00:06:44,336 もちろん 前座の身ですから バレたら怒られますので 85 00:06:44,461 --> 00:06:47,714 隠れて こそこそ 逢瀬(おうせ)を重ねておりました 86 00:06:56,598 --> 00:07:02,146 けれども お千代ちゃんとは すぐにお別れすることになりました 87 00:07:05,190 --> 00:07:06,275 あ… 88 00:07:12,239 --> 00:07:15,159 (お千代) 私 田舎に帰ることになったの 89 00:07:15,492 --> 00:07:16,118 (菊比古)え? 90 00:07:17,911 --> 00:07:19,746 (お千代) 田舎のおばあちゃんのお世話 91 00:07:19,872 --> 00:07:23,792 今までしてくれてた兄が 兵隊に出ることになって… 92 00:07:24,251 --> 00:07:26,712 もうすぐ戦争が始まるからって 93 00:07:32,634 --> 00:07:35,012 (お千代) 菊比古さん お別れだけど… 94 00:07:37,264 --> 00:07:39,558 私のこと 忘れないで 95 00:07:42,728 --> 00:07:47,065 (お千代の泣き声) 96 00:07:47,232 --> 00:07:50,068 (セミの鳴き声) 97 00:07:50,694 --> 00:07:54,072 (八雲) 落語どころではないという 空気も満ちつつ 98 00:07:54,698 --> 00:07:58,952 昭和16年には 不道徳 不謹慎であるとして 99 00:07:59,661 --> 00:08:02,164 落語会が 自粛する形で— 100 00:08:02,331 --> 00:08:06,460 「明烏(あけがらす)」など花流物と 「宮戸川」など艶笑物 101 00:08:06,919 --> 00:08:12,925 全53題の名作古典が 禁演落語として 葬られました 102 00:08:13,509 --> 00:08:15,385 (七代目(しちだいめ))本当に参った 103 00:08:15,928 --> 00:08:17,721 手足もがれたみたいだよ 104 00:08:18,472 --> 00:08:22,309 自粛なんざ 蔓延すりゃ それが落語界の 常になっちまう 105 00:08:22,935 --> 00:08:25,854 冗談じゃねえやな バカバカしい 106 00:08:25,979 --> 00:08:27,314 へえ… 107 00:08:27,856 --> 00:08:31,860 (八雲) 信さんに言われたとおり 廓噺や艶笑噺なんかを— 108 00:08:31,985 --> 00:08:34,988 稽古し始めた矢先の 出来事でしたから 109 00:08:35,531 --> 00:08:39,284 自分の落語を見つけようと もがいていた私には 110 00:08:39,409 --> 00:08:42,371 道を 断たれたように思いました 111 00:08:45,123 --> 00:08:49,044 (高座の声) 112 00:08:49,878 --> 00:08:50,504 (初太郎)よ! 113 00:08:53,173 --> 00:08:54,341 信さん 114 00:08:55,384 --> 00:08:57,844 (菊比古) どうしたんだい 今日はこっち 非番だろ 115 00:09:01,181 --> 00:09:02,558 (初太郎)先(せん)の用事がよ 116 00:09:02,683 --> 00:09:05,644 浅く終わっちゃったから 手伝いに来てやったよ 117 00:09:05,894 --> 00:09:07,854 お前さん 最近クタクタだからな 118 00:09:08,522 --> 00:09:11,066 (菊比古) そんなに乱暴にしたら 壊しちまうよ 119 00:09:11,191 --> 00:09:12,359 知るかってんだ 120 00:09:14,069 --> 00:09:16,238 なんか 気に食わないことでも あるのかい 121 00:09:16,572 --> 00:09:17,364 (初太郎)別に… 122 00:09:17,698 --> 00:09:20,158 新しい奴が 全然入ってきやしねえ 123 00:09:20,284 --> 00:09:23,203 こんなんじゃ 俺達 いつまでも 下っ端だ 124 00:09:24,037 --> 00:09:26,415 この前座不足じゃ 二つ目なんか無理だ 125 00:09:26,623 --> 00:09:30,127 (菊比古) 仕方ねえさ このご時世に 落語やろうなんてバカはいねえ 126 00:09:30,294 --> 00:09:32,337 (初太郎) “ご時世”だ? 知らねえや 127 00:09:32,671 --> 00:09:34,881 俺は 雑用じゃなくて 落語が やりてえんだ 128 00:09:35,424 --> 00:09:37,259 いや こんなご時世だからこそ 129 00:09:37,384 --> 00:09:39,886 絶対に 落語を 残してやらなきゃならねえぞ 130 00:09:40,512 --> 00:09:42,347 寄席には 客が不入り続きだ 131 00:09:42,472 --> 00:09:44,600 噺家(はなしか)になる奴がいねえのもわかる 132 00:09:45,225 --> 00:09:47,311 明日のおまんまも 手に入らねえのに 133 00:09:47,561 --> 00:09:49,229 みんな生きるのに必死でよ 134 00:09:49,896 --> 00:09:55,110 でもよ 腹いっぱいになりゃ またみんな寄席に戻ってきてくれる 135 00:09:55,652 --> 00:09:57,904 俺は絶対 そうなるって信じてるよ 136 00:09:59,031 --> 00:10:00,198 そうかい 137 00:10:00,324 --> 00:10:05,912 (高座の声) 138 00:10:06,830 --> 00:10:09,666 (ベー助(すけ)) 今月と来月の月番は誰だい? え? 139 00:10:09,875 --> 00:10:11,918 ゲタの歯入れ屋と納豆屋かい 140 00:10:12,252 --> 00:10:15,047 (初太郎) あ! これ「黄金餅(こがねもち)」かかってら 141 00:10:15,672 --> 00:10:17,674 それじゃ ひとつ出掛けるよ〜 142 00:10:17,841 --> 00:10:19,926 (初太郎) 俺 今ちょうど稽古してんだ 143 00:10:21,011 --> 00:10:24,222 ベー助師匠か あんまし うまくねえんだよな 144 00:10:24,806 --> 00:10:27,517 ワーワー言いながら 下谷(したや)の山崎町(やまざきちょう)を出まして 145 00:10:27,643 --> 00:10:31,396 あれから上野の山下へ出て 三枚橋から上野広小路へ出まして 146 00:10:31,521 --> 00:10:32,981 御成街道から五軒町を出まして 147 00:10:33,106 --> 00:10:35,442 その頃 堀様と鳥居様のお屋敷を 真っすぐに… 148 00:10:36,401 --> 00:10:40,906 (八雲) 落語が嫌いになりかけていたのは 信さんがいたからですが 149 00:10:41,239 --> 00:10:45,577 落語をどんどん好きになったのも 信さんのおかげでした 150 00:10:46,244 --> 00:10:47,287 しかし… 151 00:10:48,038 --> 00:10:50,791 戦争が 本格的に始まったことで 152 00:10:50,916 --> 00:10:54,086 東京からは 人が離れていく一方でした 153 00:10:54,544 --> 00:10:57,923 その影響は 落語界にも 当然 及ぶこととなり 154 00:10:58,048 --> 00:11:02,469 兄弟子達は 次々と辞め 信さんの言葉とは裏腹に 155 00:11:02,844 --> 00:11:06,473 こちらの世界も どんどん寂しくなっていたのです 156 00:11:06,598 --> 00:11:10,560 ハア… 菊 初太(はつた) ひでえもんだな 157 00:11:10,727 --> 00:11:13,313 とうとう お前さん方だけに なっちまった 158 00:11:13,480 --> 00:11:16,858 師匠… 俺は… 159 00:11:17,359 --> 00:11:21,113 実はな お前さん方に 話があるんだ 160 00:11:21,655 --> 00:11:23,740 後で1人ずつ 来とくれよ 161 00:11:30,247 --> 00:11:31,498 (七代目)なあ 菊 162 00:11:33,333 --> 00:11:37,838 あたしはね 満州へ 皇軍慰問へ行こうと思ってね 163 00:11:38,839 --> 00:11:43,385 でな 東京も危ねえから かみさんは実家にやろうと思ってな 164 00:11:43,510 --> 00:11:46,263 松田(まつだ)君にも 暇を出すつもりだよ 165 00:11:46,513 --> 00:11:50,225 お前さんも かみさんについて 一緒に田舎に行ってほしいんだ 166 00:11:50,350 --> 00:11:51,268 (菊比古)は… 167 00:11:51,560 --> 00:11:55,230 (七代目) お前さんももう 18だから 余計なことかもしれないが 168 00:11:55,355 --> 00:11:58,775 何かあっちゃ お前さんの おっかさんに 面目ねえ 169 00:11:59,109 --> 00:12:00,277 信さんは? 170 00:12:00,444 --> 00:12:04,781 (七代目) あいつはな 一緒に 連れていこうと思うよ 171 00:12:05,198 --> 00:12:07,284 なら あたしも 連れてってください 172 00:12:07,576 --> 00:12:11,705 (七代目) あんな 危ねえ所に お前は 連れていかれねえんだ 173 00:12:12,539 --> 00:12:14,541 お前さんは 足が悪いしな 174 00:12:15,083 --> 00:12:19,546 人が増えれば その分動きづらいし 兵隊になるより マシだろ? 175 00:12:20,130 --> 00:12:23,049 何 数カ月すれば お役ご免だ 176 00:12:23,175 --> 00:12:26,553 今は ここにいたって どうせ落語はできねえしな 177 00:12:27,012 --> 00:12:29,055 時代が 悪過ぎるわ 178 00:12:29,181 --> 00:12:31,057 この猫ももう 飼いきれねえ 179 00:12:31,641 --> 00:12:33,560 放してやらなきゃな 180 00:12:38,023 --> 00:12:40,192 (菊比古)その猫と同じなんですか 181 00:12:40,942 --> 00:12:41,568 (七代目)ん? 182 00:12:42,110 --> 00:12:44,571 あたしは また捨てられるんですか 183 00:12:44,988 --> 00:12:48,033 信さんは 師匠のおそばで ずっと修業できる 184 00:12:48,325 --> 00:12:51,578 あたしだけ のんきに田舎で ぬくぬくと暮らしてられません 185 00:12:52,078 --> 00:12:54,623 あたしには そんなに 見込みがないんですかい? 186 00:12:54,748 --> 00:12:56,583 そうは言ってねえだろ 187 00:12:57,042 --> 00:12:59,377 これ以上 差がついちまうのは嫌だ 188 00:12:59,711 --> 00:13:01,922 せっかく好きになってきたってのに 189 00:13:02,255 --> 00:13:04,341 もっと落語を 稽古していたい 190 00:13:05,800 --> 00:13:07,093 (七代目)菊比古 191 00:13:07,844 --> 00:13:11,681 口答えするように 育てた覚えはありませんよ 192 00:13:13,225 --> 00:13:16,102 はい… ごめんなさい 193 00:13:22,192 --> 00:13:24,319 (初太郎)坊 起きてるのかい? 194 00:13:25,445 --> 00:13:26,112 (菊比古)うん… 195 00:13:26,696 --> 00:13:29,115 (初太郎) 俺ら ついに別れ別れだな 196 00:13:29,574 --> 00:13:32,619 でもな 俺 絶対 生きて帰ってくるからな 197 00:13:33,203 --> 00:13:35,622 まだ 坊と吉原行ってねえしな 198 00:13:38,750 --> 00:13:42,462 (初太郎) なんでえ 全然 信用ならねえって顔だな 199 00:13:43,838 --> 00:13:44,631 (菊比古)信さん 200 00:13:47,342 --> 00:13:48,385 指切り 201 00:13:50,303 --> 00:13:50,929 (初太郎)うん 202 00:13:55,225 --> 00:13:57,978 なあ あれやってくれよ 「あくび指南」 203 00:13:58,311 --> 00:14:00,897 お前さんの聞いてると 眠たくなってくるんだ 204 00:14:01,147 --> 00:14:04,067 “眠たくなる”とは 失礼 極まりねえな 205 00:14:04,192 --> 00:14:06,528 それ 褒めてんのか くさしてるのか? 206 00:14:06,653 --> 00:14:07,404 (菊比古)さあ? 207 00:14:10,323 --> 00:14:12,659 (初太郎) おい ちょっと 付き合ってくんねえか 208 00:14:12,951 --> 00:14:13,952 なんだい? 209 00:14:14,077 --> 00:14:16,621 いやあ お稽古なんだけどね 210 00:14:16,746 --> 00:14:20,709 よせやい お前 お稽古って 顔じゃねえじゃねえか… 211 00:14:21,042 --> 00:14:25,380 (菊比古の寝息) 212 00:14:25,505 --> 00:14:27,007 (初太郎)もう 寝やがった 213 00:14:30,051 --> 00:14:32,679 (八雲) 時は容赦なく 流れていき 214 00:14:32,888 --> 00:14:34,347 あたしは 田舎で 215 00:14:34,472 --> 00:14:38,685 落語とは まったく縁のない 工場勤めをしておりました 216 00:14:40,061 --> 00:14:43,356 お世辞にも 楽しい日々だったとは 言えませんが 217 00:14:43,523 --> 00:14:46,318 戦争とは無縁な 穏やかな暮らしは 218 00:14:46,443 --> 00:14:50,655 よそ様から見れば 十分 ぜいたくだったのかもしれません 219 00:14:53,700 --> 00:14:55,660 (女中)坊ちゃん (菊比古)ん? 220 00:14:55,994 --> 00:14:58,204 (女中)また こんな所で寝て 221 00:15:00,916 --> 00:15:02,375 体 壊すわよ 222 00:15:02,584 --> 00:15:03,543 (菊比古)よしとくれよ 223 00:15:03,835 --> 00:15:06,296 あたしだって そんなに やわじゃねえ 224 00:15:06,755 --> 00:15:08,798 そういうことじゃなくて… 225 00:15:09,758 --> 00:15:14,012 (八雲) こういう娘さんと 普通に結婚して 普通に働いて 226 00:15:14,137 --> 00:15:18,350 田舎で このまま添い遂げたら 自分は どうなるのだろう 227 00:15:18,683 --> 00:15:21,186 そんなことを 考えることもありました 228 00:15:29,986 --> 00:15:32,030 (菊比古)ただいま (女将)おかえり 229 00:15:32,238 --> 00:15:34,532 (女将)菊比古さん 郵便は? 230 00:15:34,866 --> 00:15:36,034 (菊比古)来てません 231 00:15:36,534 --> 00:15:40,956 やっぱりあの人は あっちで死んじまったんだ… 232 00:15:41,122 --> 00:15:42,624 (女将の泣き声) 233 00:15:43,291 --> 00:15:46,211 (八雲) 初めは小まめに届いた 師匠からの手紙も— 234 00:15:46,336 --> 00:15:47,796 次第に 来なくなり 235 00:15:48,588 --> 00:15:51,716 数カ月で戻ると言った 2人の行方は 236 00:15:51,841 --> 00:15:54,219 とんと 分からなくなっていました 237 00:15:54,844 --> 00:15:57,639 そうして半年 1年と 238 00:15:57,764 --> 00:16:00,850 時はただ 残酷に 過ぎていったのです 239 00:16:02,477 --> 00:16:05,313 東京では あくせく 働いていらした女将さんも 240 00:16:05,730 --> 00:16:07,816 すっかり 気が抜けたように 241 00:16:08,400 --> 00:16:11,319 毎日 師匠の帰りを 待っておりました 242 00:16:12,821 --> 00:16:15,073 あたしの方はというと— 243 00:16:15,532 --> 00:16:20,328 もう半ば 2人の帰りを 諦めかけていました 244 00:16:26,334 --> 00:16:27,544 (女中)そう思わない? 245 00:16:27,669 --> 00:16:29,879 (菊比古) フフ おかしなことを言うね 246 00:16:34,092 --> 00:16:35,468 (八雲)忘れること 247 00:16:35,969 --> 00:16:40,849 それが自分のためだと思い込もうと していたのかもしれません 248 00:16:46,104 --> 00:16:47,022 (女将)ハア… 249 00:16:48,648 --> 00:16:52,360 (菊比古) 女将さん しっかり食べないと また 寝込んじまいますよ 250 00:16:54,237 --> 00:16:55,530 いいんだよ 251 00:16:56,031 --> 00:16:59,200 あの人も いないってのに 元気でいたってしょうがない 252 00:16:59,325 --> 00:17:00,410 (菊比古)ダメです 253 00:17:01,453 --> 00:17:03,621 たとえ あの人たちが 戻らなくても— 254 00:17:03,747 --> 00:17:06,499 あたし達には あたし達の 生き方がある 255 00:17:07,125 --> 00:17:08,043 そうでしょ? 256 00:17:24,601 --> 00:17:25,435 うん… 257 00:17:30,398 --> 00:17:33,276 おい ちょいと 付き合ってくれねえかい? 258 00:17:33,401 --> 00:17:34,027 なんだい? 259 00:17:34,861 --> 00:17:36,821 いや お稽古なんだけどね 260 00:17:37,363 --> 00:17:39,032 よせやい お前… 261 00:17:44,621 --> 00:17:46,539 (菊比古) 四方(よも)の山々 雪解けて 262 00:17:46,664 --> 00:17:48,750 水かさ勝る 大川の 263 00:17:48,958 --> 00:17:51,920 上げ潮 南で ざぶり ざぶりと… 264 00:17:52,003 --> 00:17:53,880 (八雲) それからというもの 265 00:17:54,047 --> 00:17:55,673 気がめいることがあると 266 00:17:55,799 --> 00:17:59,886 いつの間にか口の中で 落語を 唱えるようになっておりました 267 00:18:00,011 --> 00:18:03,348 そうすると ふっと心が軽くなった 268 00:18:04,140 --> 00:18:07,936 忘れようともがいても こんなにも 心に染みていた 269 00:18:08,061 --> 00:18:11,314 自分に必要なものになっていたと 気づきました 270 00:18:13,483 --> 00:18:14,359 (爆音) 271 00:18:14,359 --> 00:18:17,821 (爆音) 272 00:18:14,359 --> 00:18:17,821 そんな中でした それは 唐突に起きたんです 273 00:18:17,821 --> 00:18:18,530 そんな中でした それは 唐突に起きたんです 274 00:18:18,947 --> 00:18:23,034 陛下の放送があり それだけで あっけなく終戦 275 00:18:23,201 --> 00:18:25,620 本当に 突然のことでした 276 00:18:27,330 --> 00:18:29,582 (汽笛の音) 277 00:18:29,916 --> 00:18:32,836 (八雲) 女将さんとあたしの願いは1つ 278 00:18:33,211 --> 00:18:37,340 一刻も早く もう空襲のない東京へ 279 00:18:41,386 --> 00:18:43,596 (汽笛の音) 280 00:18:44,764 --> 00:18:48,601 そして 師匠とあの人を 迎えてやりたかった 281 00:18:50,228 --> 00:18:54,107 神楽坂の師匠の家は 戦禍を免れておりました 282 00:18:54,649 --> 00:18:58,862 近場に暮らしていた松田さんが 家守(やもり)をしてくださったおかげで 283 00:18:58,987 --> 00:19:01,531 家の中も きれいなものでした 284 00:19:01,698 --> 00:19:02,657 あ… 285 00:19:03,575 --> 00:19:06,536 (松田) 私にも この家は特別ですから 286 00:19:07,620 --> 00:19:09,372 (女将)ありがとう… (松田)女将さん 287 00:19:10,290 --> 00:19:13,168 (松田) あとは 家主を待つばかりです 288 00:19:14,419 --> 00:19:15,253 ええ 289 00:19:15,628 --> 00:19:18,882 (八雲) けれども 吉報は なかなかやってまいりません 290 00:19:19,257 --> 00:19:23,636 引き揚げには かなりの時間が かかっているとの噂も聞きました 291 00:19:23,970 --> 00:19:26,306 それでも2人の生還を信じて 292 00:19:26,431 --> 00:19:30,727 あたしは仮の大黒柱として めっぽう働きづめました 293 00:19:30,894 --> 00:19:33,521 横町の魚屋に返しに行くんだよ 294 00:19:33,646 --> 00:19:34,564 (観客の笑い声) 295 00:19:34,564 --> 00:19:38,151 (八雲) 師匠達の計らいで 二つ目並の扱いにしてもらい 296 00:19:38,776 --> 00:19:44,407 座敷が毎日 3つか4つ とにかく忙しくて休まりません 297 00:19:45,992 --> 00:19:49,871 (八雲) けれども ただただ 落語ができることが 298 00:19:49,996 --> 00:19:52,165 なにしろうれしかったものでした 299 00:19:53,082 --> 00:19:54,417 (菊比古)縁あっていいや 300 00:19:54,834 --> 00:19:55,919 余計なことを 301 00:19:56,461 --> 00:20:01,466 (八雲) そして その日は やはり 前触れもなく やってきたのです 302 00:20:02,842 --> 00:20:04,093 (初太郎)お〜い! 303 00:20:05,178 --> 00:20:07,180 (初太郎・七代目)お〜い! 304 00:20:10,892 --> 00:20:13,478 (菊比古)女将さん! 松田さん! 305 00:20:14,062 --> 00:20:18,483 (女将と松田の泣き声) 306 00:20:19,067 --> 00:20:20,985 (女将)あんた〜 (七代目)とみ〜 307 00:20:22,820 --> 00:20:23,488 ヘッ 308 00:20:23,655 --> 00:20:29,661 (女将の泣き声) 309 00:20:38,962 --> 00:20:41,130 信さん… 臭い 310 00:20:41,589 --> 00:20:43,883 坊は ええ においじゃ ハハハハ 311 00:20:45,885 --> 00:20:47,971 (菊比古) 5銭やるから 湯行っといで 312 00:20:48,304 --> 00:20:49,264 (初太郎)え〜 313 00:20:50,765 --> 00:20:52,892 (八雲) それから 間もなくして 314 00:20:53,059 --> 00:20:56,396 ついに 寄席が 再開されることになりました 315 00:20:56,646 --> 00:21:00,400 (初太郎)ほら 緞帳(どんちょう)が上がるぜ なあ 坊 よく見てろ 316 00:21:01,442 --> 00:21:03,111 耳も目も かっぽじってな 317 00:21:03,236 --> 00:21:07,615 (寄席囃子の音) 318 00:21:12,870 --> 00:21:14,831 (初太郎) そら来たぜ 見ろよ この客 319 00:21:14,956 --> 00:21:17,333 俺の言ったとおりになったろ 320 00:21:17,583 --> 00:21:20,378 娯楽に飢えた連中が これから どんどん押し寄せる 321 00:21:21,379 --> 00:21:25,633 何もねえ時だからこそ 舌三寸の 落語の腕の見せどころよ 322 00:21:26,968 --> 00:21:29,262 俺達の時代が もう来てるんだよ 323 00:21:29,512 --> 00:21:30,138 (菊比古)フ… 324 00:21:31,264 --> 00:21:35,685 (八雲) この人の見つめる先は いつも明るい そして正しい 325 00:21:36,019 --> 00:21:39,105 あたしは この時 心底そう思いました 326 00:21:39,689 --> 00:21:42,483 そして あたしも 同じ方を見ていれば 327 00:21:42,608 --> 00:21:45,153 おのずと 自分の行く道も見える 328 00:21:45,278 --> 00:21:47,905 そう 確信したのでございます 329 00:21:50,158 --> 00:21:54,704 (八雲) この後 成人した私どもは とんとんと 二つ目へと上がり 330 00:21:54,912 --> 00:21:59,959 師匠の家を出て 貧乏どん底 2人暮らしと相成ります 331 00:22:00,209 --> 00:22:02,670 落語人気の追い風はすさまじく 332 00:22:02,795 --> 00:22:06,841 一挙若手のスターダムへと 押し上げられていくわけですが… 333 00:22:07,592 --> 00:22:08,968 (セミの鳴き声) 334 00:22:09,093 --> 00:22:09,844 (みよ吉(きち))こんにちは 335 00:22:10,970 --> 00:22:11,596 ん? 336 00:22:12,430 --> 00:22:14,307 八雲先生 いらっしゃる? 337 00:22:14,474 --> 00:22:15,099 (松田)え? 338 00:22:16,476 --> 00:22:18,936 みよ吉が来たって 伝えていただければ 339 00:22:19,062 --> 00:22:20,355 すぐ わかりますわ 340 00:22:22,607 --> 00:22:26,819 (八雲) あいにくのお時間で 続きはまた 明晩 341 00:22:27,153 --> 00:22:33,159 ♪〜 342 00:23:50,361 --> 00:23:56,367 〜♪ 343 00:24:16,596 --> 00:24:21,058 (菊比古) 次回 昭和元禄落語心中 第4話 344 00:24:21,684 --> 00:24:24,437 どうぞ ごひいき ご鞭撻(べんたつ)のほどを