1 00:00:02,002 --> 00:00:04,004 (私)<わたしは 押しも押されもせぬ➡ 2 00:00:04,004 --> 00:00:06,006 四畳半主義者である> 3 00:00:06,006 --> 00:00:08,008 <その空間的意義について 説明しようと思う> 4 00:00:08,008 --> 00:00:10,010 <わたしは 三畳の部屋に住んでいる人間を➡ 5 00:00:10,010 --> 00:00:12,012 1人だけ知っていたが 断固として 世に迎合しない性質が高じて➡ 6 00:00:12,012 --> 00:00:14,014 昨年 郷里から親が迎えに来た> 7 00:00:14,014 --> 00:00:16,016 <いささか 信じ難いことだが 浄土寺の近くには➡ 8 00:00:16,016 --> 00:00:20,020 畳を2枚 縦に並べた部屋 というものが 実在するらしい> 9 00:00:20,020 --> 00:00:23,023 <毎晩 寝ていたら 身長が伸びてしまうに違いない> 10 00:00:23,023 --> 00:00:26,026 <北白川バプテスト病院 かいわいの …荘には➡ 11 00:00:26,026 --> 00:00:27,694 一畳の部屋があったというが➡ 12 00:00:27,694 --> 00:00:29,363 それを知った学生は 謎めいた失踪を遂げ➡ 13 00:00:29,363 --> 00:00:33,066 その知人たちも 数々の悲運に見舞われたという> 14 00:00:35,035 --> 00:00:37,037 <そこで 四畳半である> 15 00:00:39,039 --> 00:00:41,041 <一畳や 二畳や 三畳に比べて 四畳半というものは➡ 16 00:00:41,041 --> 00:00:44,044 実に奇麗な正方形になっている> 17 00:00:47,047 --> 00:00:49,049 <美しいではないか> 18 00:00:49,049 --> 00:00:52,052 <二畳でも正方形になるけれども それでは手狭である> 19 00:00:52,052 --> 00:00:55,055 <かといって 四畳半より 広い面積で 正方形をつくると➡ 20 00:00:55,055 --> 00:00:58,058 今度は 武田 信玄の便所のように 広くて 下手をすれば遭難する> 21 00:00:58,058 --> 00:00:59,993 <大学入学以来 わたしは この四畳半を➡ 22 00:00:59,993 --> 00:01:01,995 断固として支持してきた> 23 00:01:01,995 --> 00:01:04,998 <七畳やら 八畳やら 十畳やらの 部屋に住む人間は➡ 24 00:01:04,998 --> 00:01:07,000 本当に それだけの空間を わが物として支配するに足る➡ 25 00:01:07,000 --> 00:01:10,003 人間としての器が あるのであろうか> 26 00:01:10,003 --> 00:01:13,006 <われわれ 人類に支配可能なのは 四畳半以下の空間であり➡ 27 00:01:13,006 --> 00:01:15,008 それ以上の広さを貪欲に求める 不届き者は➡ 28 00:01:15,008 --> 00:01:18,011 いずれ 部屋の隅から 恐るべき 反逆に遭うことであろう> 29 00:01:18,011 --> 00:01:20,013 <そう わたしは主張してきた> 30 00:01:20,013 --> 00:01:23,016 <四畳半こそ わたしの世界の全てである> 31 00:01:23,016 --> 00:01:25,018 <それは わたしの信念でもあり そして 今は➡ 32 00:01:25,018 --> 00:01:28,021 客観的事実でもあった> 33 00:01:28,021 --> 00:01:30,023 <責任者は どこか?> 34 00:01:30,023 --> 00:01:40,033 ♬~ 35 00:03:05,986 --> 00:03:07,988 <当時 大学1回生だった わたしの目の前には➡ 36 00:03:07,988 --> 00:03:10,657 様々なキャンパスライフへの扉が 無数に開かれていた> 37 00:03:10,657 --> 00:03:12,659 <しかし わたしは どのサークルも選ばなかった> 38 00:03:12,659 --> 00:03:14,995 <ばら色のキャンパスライフなど しょせん 夢 幻である> 39 00:03:14,995 --> 00:03:16,663 <わたしは 四畳半という 静謐な空間で➡ 40 00:03:16,663 --> 00:03:18,665 自らを鍛えることにした> 41 00:03:21,001 --> 00:03:24,004 <かつて 寺山 修司は言った。 「書を捨てて 町へ出ろ」と> 42 00:03:24,004 --> 00:03:27,007 <しかし 町に出て 何をしろというのだ> 43 00:03:27,007 --> 00:03:28,675 <以降 2年間 わたしは ほとんどの時間を➡ 44 00:03:28,675 --> 00:03:30,343 四畳半において過ごし➡ 45 00:03:30,343 --> 00:03:33,046 一部で 四畳半主義者と 呼ばれるまでになっていた> 46 00:03:46,026 --> 00:03:49,029 <ここが わたしの牙城である> 47 00:03:49,029 --> 00:03:52,032 <裏を叡山電車が走る 1周 わずか数秒の空間ではあるが➡ 48 00:03:52,032 --> 00:03:54,034 ここには わたしの 全てが詰まっている> 49 00:03:54,034 --> 00:03:56,036 <北側には 薄っぺらなドアがあり➡ 50 00:03:56,036 --> 00:03:59,039 先代から由緒正しい注意書きが 健在である> 51 00:03:59,039 --> 00:04:01,975 <ドアの脇には 汚れ放題の流し台があり➡ 52 00:04:01,975 --> 00:04:03,977 料理人のやる気を損なうこと 請け合いである> 53 00:04:03,977 --> 00:04:05,979 <わたしは 料理の腕を 振るうことを 断固 拒否し➡ 54 00:04:05,979 --> 00:04:08,982 「男子 厨房に入らず」を 実践してきた> 55 00:04:08,982 --> 00:04:11,985 <北側の壁の大半は 押し入れとなっており➡ 56 00:04:11,985 --> 00:04:14,988 華やかさの かけらもない衣類 読まなかった本などが➡ 57 00:04:14,988 --> 00:04:17,991 無造作に詰め込まれている。 わいせつ図書館も その中だ> 58 00:04:20,994 --> 00:04:22,996 <東の壁の隅には 強いて使う必要性を感じない➡ 59 00:04:22,996 --> 00:04:24,998 掃除機と炊飯器が置いてあり➡ 60 00:04:24,998 --> 00:04:28,001 壁の大半には 膨大な蔵書を取り揃えた➡ 61 00:04:28,001 --> 00:04:31,004 広大な活字スペースが広がる> 62 00:04:31,004 --> 00:04:33,006 <南東の本棚と机のはざまには➡ 63 00:04:33,006 --> 00:04:36,009 あらゆる がらくたが投げ込まれる 空間が広がっており➡ 64 00:04:36,009 --> 00:04:37,677 そこへ ひとたび迷い込んだが最後➡ 65 00:04:37,677 --> 00:04:40,080 生きて帰れる可能性は 極めて低いと思われた> 66 00:04:42,015 --> 00:04:44,017 <そして 南から南西へかけて 叡山電車が通ると➡ 67 00:04:44,017 --> 00:04:46,019 がたがたと震える窓があり➡ 68 00:04:46,019 --> 00:04:49,022 その手前に 高校時代から 苦楽を共にしてきた➡ 69 00:04:49,022 --> 00:04:51,024 机が置いてある> 70 00:04:51,024 --> 00:04:53,026 <西側には やもめの靴下が 相手を探しており➡ 71 00:04:53,026 --> 00:04:57,030 日々の生活を彩る衣装 古風な世界地図がある> 72 00:05:11,978 --> 00:05:15,982 (私)うわっ! あっ うっ…。 73 00:05:24,991 --> 00:05:28,995 んっ… ううっ! 74 00:05:41,007 --> 00:05:43,009 ふう…。 75 00:05:48,014 --> 00:05:50,016 ハァ…。 76 00:05:54,020 --> 00:05:56,022 <平凡な男が ある朝 毒虫になっていたというのは➡ 77 00:05:56,022 --> 00:05:58,024 有名な小説の冒頭である> 78 00:05:58,024 --> 00:06:00,961 <わたしの場合 そこまで劇的ではなかったが➡ 79 00:06:00,961 --> 00:06:02,963 これは 困ったことになった> 80 00:06:09,302 --> 00:06:11,304 <しかし これまで 熱心に 外へ出ようとしなかったものを➡ 81 00:06:11,304 --> 00:06:13,306 いまさら 慌てて 出ようとするのは➡ 82 00:06:13,306 --> 00:06:15,308 いかにも 人間の底が浅いではないか> 83 00:06:15,308 --> 00:06:17,310 <腰を据えて どっしり構えているうちに➡ 84 00:06:17,310 --> 00:06:19,980 事態は おのずから好転するであろう> 85 00:06:19,980 --> 00:06:49,009 ♬~ 86 00:06:49,009 --> 00:06:53,013 <わたしは 1つの仮説を立てた。 占い婆の呪い仮説である> 87 00:06:53,013 --> 00:06:55,015 <先日 木屋町を通り掛かると➡ 88 00:06:55,015 --> 00:06:57,017 怪しい妖気を 無料で 垂れ流している老婆がいた> 89 00:06:57,017 --> 00:06:59,953 <老婆は 「学生さん そろそろ お困りであろう」➡ 90 00:06:59,953 --> 00:07:01,955 「人生を踏み誤ってしまった」と 問うてくる> 91 00:07:01,955 --> 00:07:03,957 <わたしは 「断じて そのようなことは ありません」➡ 92 00:07:03,957 --> 00:07:06,960 「今の暮らしで充足している」と 答えるが 老婆は 続けて➡ 93 00:07:06,960 --> 00:07:08,962 「意地を張らなくても いいのですよ」と言う> 94 00:07:08,962 --> 00:07:10,964 <「あなたは 才能がおありでしょうから➡ 95 00:07:10,964 --> 00:07:13,967 好機は 目の前に ぶら下がっております」と> 96 00:07:15,969 --> 00:07:17,971 <こんなもの 好機でも何でもない!> 97 00:07:17,971 --> 00:07:20,974 <最後に老婆は…> (老婆)《ヒヒヒヒ…》 98 00:07:20,974 --> 00:07:23,977 <とは 言わなかったかも しれないが 気色悪く笑っていた> 99 00:07:23,977 --> 00:07:59,012 ♬~ 100 00:07:59,012 --> 00:08:02,949 おーい! 誰か聞こえるか! 101 00:08:02,949 --> 00:08:05,952 <三文ドラマのような せりふを 吐いたものの 返事はなく➡ 102 00:08:05,952 --> 00:08:08,955 その恥ずかしさを 1人で 受け止めねばならなかった> 103 00:08:08,955 --> 00:08:12,959 うーん! うっ…。 104 00:08:12,959 --> 00:08:14,961 うっ…。 105 00:08:17,964 --> 00:08:19,966 <こうなると いよいよ SFである> 106 00:08:19,966 --> 00:08:21,968 <こんなふうに 部屋がつながった世界に➡ 107 00:08:21,968 --> 00:08:24,971 閉じ込められる映画も かつて あった気がする> 108 00:08:26,973 --> 00:08:28,641 <水が出てくるということは➡ 109 00:08:28,641 --> 00:08:30,643 外界へと つながっているはずである> 110 00:08:30,643 --> 00:08:32,979 <わたしが 蛇口を通り抜けられる 軟体人間であれば➡ 111 00:08:32,979 --> 00:08:36,983 ここから 難なく 京都の水道局へ出られるのだが> 112 00:08:36,983 --> 00:08:39,986 <約2日目にして 食料がなくなった> 113 00:08:47,994 --> 00:08:50,997 <まるで 無人の四畳半に 流れ着いた ロビンソン・クルーソーだが➡ 114 00:08:50,997 --> 00:08:54,000 わたしの場合 蛇口から水は出るし 家具一式も揃っており➡ 115 00:08:54,000 --> 00:08:58,004 サバイバルと呼ぶにも どうも煮えきらなかった> 116 00:08:58,004 --> 00:09:01,941 <僥倖であった。 隣の四畳半にも 魚肉ハンバーグと カステラがあった> 117 00:09:01,941 --> 00:09:03,943 <とはいえ これは 食べてもいいものだろうか> 118 00:09:03,943 --> 00:09:05,945 <わたしは SFは あまり読まないが➡ 119 00:09:05,945 --> 00:09:07,947 これが もし そういった現象だとしたら➡ 120 00:09:07,947 --> 00:09:09,949 このカステラを食べることで 何か 不都合は起きないのだろうか> 121 00:09:09,949 --> 00:09:11,951 <あるいは この全てが幻覚だとしたら➡ 122 00:09:11,951 --> 00:09:14,954 このカステラは 本当に実在するものだろうか> 123 00:09:17,957 --> 00:09:19,626 フッ。 124 00:09:19,626 --> 00:09:21,961 <カステラだ。 合理的な説明は ともかく➡ 125 00:09:21,961 --> 00:09:23,630 まさしく それは カステラであった> 126 00:09:23,630 --> 00:09:25,965 <こうして 食糧問題は 根本的に解決した> 127 00:09:25,965 --> 00:09:27,967 <太陽の光が見られぬから➡ 128 00:09:27,967 --> 00:09:29,969 昼なのか 夜なのかも 判然としない> 129 00:09:29,969 --> 00:09:31,638 <1日1日と区切っていても➡ 130 00:09:31,638 --> 00:09:34,040 それが正確な区切りなのかどうか 定かではなかった> 131 00:09:41,981 --> 00:09:44,984 <カステラによって得られる 栄養分は 無視できない> 132 00:09:44,984 --> 00:09:46,986 <これは 先日 2階の住人の部屋に出入りする➡ 133 00:09:46,986 --> 00:09:49,989 小津という人間から もらったものである> 134 00:09:49,989 --> 00:09:51,991 <閉じ込められる数日前➡ 135 00:09:51,991 --> 00:09:54,994 わが 下鴨幽水荘に ゴキブリが大量発生した> 136 00:09:54,994 --> 00:09:56,996 うっ…。 137 00:10:20,019 --> 00:10:24,023 ああっ! うう…。 138 00:10:28,027 --> 00:10:30,029 うう…。 139 00:10:30,029 --> 00:10:32,031 ⚟(ノック) んっ? 140 00:10:36,035 --> 00:10:39,038 ⚟(離れていく足音) 141 00:10:53,052 --> 00:10:55,054 <そのときは 理不尽な怒りに駆られたが➡ 142 00:10:55,054 --> 00:10:57,056 今となっては 会ったことのない➡ 143 00:10:57,056 --> 00:10:59,058 小津という人間に 感謝すべきであろう> 144 00:10:59,058 --> 00:11:00,994 <絶望的ではあったが 考えようによっては➡ 145 00:11:00,994 --> 00:11:02,996 この状況は 幸運といえた> 146 00:11:02,996 --> 00:11:05,999 <隣の部屋に移れば またカステラと魚肉ハンバーグが手に入る> 147 00:11:05,999 --> 00:11:08,001 <栄養に偏りはあるが これで この先 ずっと➡ 148 00:11:08,001 --> 00:11:10,003 食うには困らないというわけだ> 149 00:11:10,003 --> 00:11:12,005 <こうなってくると この四畳半世界が➡ 150 00:11:12,005 --> 00:11:15,008 むしろ 住みよい世界に思えてくる> 151 00:11:15,008 --> 00:11:17,010 <四畳半は 一見 物理的に狭いようであるが➡ 152 00:11:17,010 --> 00:11:20,013 その拡張を インナーワールドに 求めることができる> 153 00:11:20,013 --> 00:11:22,015 <妄想世界を広げるのに 制限はない> 154 00:11:22,015 --> 00:11:23,683 <いうなれば ここ 四畳半において➡ 155 00:11:23,683 --> 00:11:27,020 わたしは 万物の創造主たり得るのだ> 156 00:11:27,020 --> 00:11:28,688 <生きぬいてやろう> 157 00:11:28,688 --> 00:11:31,024 <この 四畳半というパーフェクトワールドを 楽しみぬいてみせよう> 158 00:11:31,024 --> 00:11:33,026 <それが 運命の神への 仕返しであるように思え➡ 159 00:11:33,026 --> 00:11:35,028 わたしは 武者震いをした> 160 00:11:35,028 --> 00:11:47,040 ♬~ 161 00:11:47,040 --> 00:11:49,042 <これを機に 読めていなかった本を➡ 162 00:11:49,042 --> 00:11:52,045 読んでしまおうと思う。 時間は いくらでもある> 163 00:11:52,045 --> 00:11:56,049 楽しい 楽しい うっ 楽しい…。 164 00:12:01,988 --> 00:12:03,990 よぉ… くっ…。 165 00:12:09,996 --> 00:12:11,998 <たまに 暇に任せて 勉強でもしようと➡ 166 00:12:11,998 --> 00:12:13,100 殊勝な考えを 起こし シュレーディンガー方程式に➡ 167 00:12:13,100 --> 00:12:17,003 返り討ちにされたりした> 168 00:12:17,003 --> 00:12:19,005 <この四畳半世界の 開拓者として➡ 169 00:12:19,005 --> 00:12:22,008 1人 雄々しく 生き延びていく計画を練った> 170 00:12:22,008 --> 00:12:24,010 <カステラと 魚肉ハンバーグを使って もっと 多様な料理を工夫し➡ 171 00:12:24,010 --> 00:12:26,012 キノコの計画的 栽培事業にも着手> 172 00:12:26,012 --> 00:12:28,014 <いずれは 各部屋を改装して ボウリング場や 映画館➡ 173 00:12:28,014 --> 00:12:30,016 ゲームセンターなどの 各種 アミューズメント施設を造り➡ 174 00:12:30,016 --> 00:12:34,020 理想郷を 実現しよう。 考えるだけで わくわくする> 175 00:12:40,026 --> 00:12:42,028 (湯に浸かる音) 176 00:12:44,030 --> 00:12:46,032 <こんな まぬけなことを していても➡ 177 00:12:46,032 --> 00:12:48,034 世界中の誰も わたしのことを 気に掛けない> 178 00:12:48,034 --> 00:12:52,038 <他人に 煩わされることのない まさに わたしだけの世界> 179 00:12:56,042 --> 00:12:58,044 <『海底二万海里』を 読みふけり 安い ウイスキーで酔っぱらい➡ 180 00:12:58,044 --> 00:13:00,980 天井に向かって わめき続ける> 181 00:13:00,980 --> 00:13:02,982 <己を押し包む 無音の世界が 怖くなり➡ 182 00:13:02,982 --> 00:13:04,984 知っているかぎりの歌を 大声で歌うに 至り➡ 183 00:13:04,984 --> 00:13:06,986 わたしは この四畳半世界から➡ 184 00:13:06,986 --> 00:13:08,988 脱出したくなっている自分を 発見した> 185 00:13:08,988 --> 00:13:10,990 <認めたくないことではあったが➡ 186 00:13:10,990 --> 00:13:12,992 わたしは 四畳半に 心底 うんざりしていた> 187 00:13:12,992 --> 00:13:14,994 <ドアを開ければ 汚い廊下があり➡ 188 00:13:14,994 --> 00:13:16,996 汚い廊下を抜けていけば 汚い便所があって➡ 189 00:13:16,996 --> 00:13:19,999 汚い靴箱があり この下宿から 外へ出ることができる> 190 00:13:19,999 --> 00:13:22,001 <いつでも その気になれば 外へ出ることができるからこそ➡ 191 00:13:22,001 --> 00:13:25,004 四畳半に 籠城できたのである> 192 00:13:25,004 --> 00:13:28,007 <何より 現実的には もう一つの 生理的欲求が➡ 193 00:13:28,007 --> 00:13:30,009 わたしを じわじわと苦しめた> 194 00:13:30,009 --> 00:13:32,011 <平たく言えば 臭くて たまらなくなった> 195 00:13:32,011 --> 00:13:34,013 <ある日 とうとう 耐えられなくなり➡ 196 00:13:34,013 --> 00:13:36,015 わたしは その部屋から遠ざかり 勢い そのまま➡ 197 00:13:36,015 --> 00:13:38,017 旅に出ることにした> 198 00:13:38,017 --> 00:13:40,019 <この謎めいた世界に 閉じ込められて➡ 199 00:13:40,019 --> 00:13:42,021 およそ 1週間目のことである> 200 00:13:42,021 --> 00:13:45,024 <とにかく この四畳半の道を 行けるところまで 行ってみよう> 201 00:13:47,026 --> 00:13:52,031 ハァ ハァ ハァ…。 202 00:13:52,031 --> 00:13:55,034 <その日は 100余りの四畳半を 横切ったが➡ 203 00:13:55,034 --> 00:13:58,037 それでも 四畳半は続き さすがに アホらしくなってきた> 204 00:13:58,037 --> 00:14:00,039 うっ…。 205 00:14:03,976 --> 00:14:05,978 <シベリア流刑地といわれる➡ 206 00:14:05,978 --> 00:14:07,980 机と本棚のすき間を 調査していた際➡ 207 00:14:07,980 --> 00:14:09,982 貧相な財布を 発見した> 208 00:14:11,984 --> 00:14:13,986 <それぞれの四畳半に 千円 あるとすると➡ 209 00:14:13,986 --> 00:14:16,989 1部屋 動くごとに 千円 もうかることになる> 210 00:14:16,989 --> 00:14:19,992 <10部屋 動けば 100部屋 動けば 1,000部屋 動けば…> 211 00:14:21,994 --> 00:14:24,997 ♬(鼻歌) 212 00:14:29,001 --> 00:14:31,003 ふふーん。 おおっ。 213 00:14:31,003 --> 00:14:34,006 ヘヘ…。 アハハー! よいしょ。 214 00:14:34,006 --> 00:14:36,008 ふん。 よいしょ。 215 00:14:36,008 --> 00:14:37,677 ふっ よいしょ。 216 00:14:37,677 --> 00:14:39,345 エヘヘ。 よいしょ。 217 00:14:39,345 --> 00:14:42,014 おっ。 ああー。 218 00:14:42,014 --> 00:14:44,016 <奇妙なことを 発見した。 休憩がてら 以前➡ 219 00:14:44,016 --> 00:14:47,019 古本市で買った 『半七捕物帳』を 読もうと思ったら➡ 220 00:14:47,019 --> 00:14:50,022 その四畳半には 『半七捕物帳』が 存在しなかった> 221 00:14:50,022 --> 00:14:53,025 <かすかな変化だが 本棚の 品揃えが 変わっていたのだ> 222 00:14:53,025 --> 00:14:56,028 <どうやら 詳細に見ていくと まったく同じに見える四畳半にも➡ 223 00:14:56,028 --> 00:14:59,031 少しずつ 違いがあるらしいと 気付いた> 224 00:15:03,970 --> 00:15:05,972 んっ。 225 00:15:08,975 --> 00:15:11,978 何だ 夢だったのかあ。 226 00:15:11,978 --> 00:15:13,980 あああ…。 227 00:15:13,980 --> 00:15:16,983 <なぜ 壁を破ろうと しなかったのだろう> 228 00:15:16,983 --> 00:15:18,985 <何しろ この壁は 隣の部屋の会話に➡ 229 00:15:18,985 --> 00:15:21,988 相づちを 打ちたくなるほど 薄いのである> 230 00:15:21,988 --> 00:15:23,990 <隣人の 中国から来た留学生は➡ 231 00:15:23,990 --> 00:15:26,993 よく ガールフレンドを引っ張りこんで むつ言を 交わしていた> 232 00:15:26,993 --> 00:15:28,995 <わたしは 第二外国語として 中国語を学ばなかったことを➡ 233 00:15:28,995 --> 00:15:30,997 腹の底から後悔したものだ> 234 00:15:30,997 --> 00:15:33,100 <彼なら わたしが 壁を打ち破り 乱入してきたとしても➡ 235 00:15:33,100 --> 00:15:37,003 大陸出身の懐の深さで 笑って 済ませてくれることであろう> 236 00:15:37,003 --> 00:15:39,005 よっしゃー! 237 00:15:46,012 --> 00:15:49,015 (せき) 238 00:15:49,015 --> 00:15:51,017 ああ? 239 00:16:17,977 --> 00:16:20,980 <ひょっとすると わたしは 死んだのではないか?> 240 00:16:20,980 --> 00:16:22,648 <四畳半地獄というようなものに 落ちて➡ 241 00:16:22,648 --> 00:16:26,052 永遠に続く苦行を それと知らず 強いられているのではないか> 242 00:16:27,987 --> 00:16:30,990 <信じ難い。 外はもう 紅葉が 始まっているかもしれぬ> 243 00:16:30,990 --> 00:16:32,992 <1,200時間もの間 わたしは 外食をしていない➡ 244 00:16:32,992 --> 00:16:35,661 日光を浴びていない 新鮮な空気を吸っていない> 245 00:16:35,661 --> 00:16:37,330 <人間と言葉を交わしていない> 246 00:16:37,330 --> 00:16:38,998 ぬーっ! 247 00:16:38,998 --> 00:16:42,001 <その部屋には 見覚えのない物があった> 248 00:16:42,001 --> 00:16:44,003 <どうやら どこかの団体の 看板のようである> 249 00:16:44,003 --> 00:16:47,006 <このように 四畳半ごとに 違いがあるのは なぜか> 250 00:16:47,006 --> 00:16:49,008 <全て同じ わたしの 四畳半のはずなのに➡ 251 00:16:49,008 --> 00:16:52,011 なぜ こまごまとした違いが 生じるのか?> 252 00:16:52,011 --> 00:16:55,014 <その瞬間 わたしは この 四畳半世界の仕組みを 把握した> 253 00:16:55,014 --> 00:16:57,016 <かつて 買いそびれた本が 並ぶ本棚> 254 00:16:57,016 --> 00:16:59,018 <わたしが 入っていないはずの サークル> 255 00:16:59,018 --> 00:17:01,954 <そうなのだ。 ここは わたしの パラレルワールドなのだ> 256 00:17:01,954 --> 00:17:03,956 <この何十日もの間 わたしは➡ 257 00:17:03,956 --> 00:17:05,958 これまでの 様々な選択の中であり得た➡ 258 00:17:05,958 --> 00:17:09,962 別の平行宇宙の四畳半を 横切ってきたのだ> 259 00:17:15,968 --> 00:17:17,970 はっ。 260 00:17:21,974 --> 00:17:23,976 (生つばを飲む音) 261 00:17:23,976 --> 00:17:25,978 はっ。 262 00:17:27,980 --> 00:17:29,982 <これは 歯科衛生士の 羽貫さんである> 263 00:17:29,982 --> 00:17:31,984 <昨年の秋に 美人歯科衛生士が➡ 264 00:17:31,984 --> 00:17:34,987 ねっとりと歯茎マッサージを してくれるとの噂を聞き付け➡ 265 00:17:34,987 --> 00:17:37,990 わたしは 近所の歯科医を訪れた> 266 00:17:37,990 --> 00:17:40,993 <最近 御蔭橋で酔っぱらって 欄干から叫ぶ➡ 267 00:17:40,993 --> 00:17:42,995 まったく違う姿の羽貫さんを 見掛けたが➡ 268 00:17:42,995 --> 00:17:44,997 あの凛として プロフェッショナルな 態度であった彼女に➡ 269 00:17:44,997 --> 00:17:48,000 何があったのか わたしのような 精神的無頼漢には➡ 270 00:17:48,000 --> 00:17:51,003 そうした機微を のみ込みようもなかった> 271 00:17:51,003 --> 00:17:54,006 <どういった選択をしたのか この世界で わたしは➡ 272 00:17:54,006 --> 00:17:56,008 羽貫さんと 親しくなり 美しいラブドールと 同棲し➡ 273 00:17:56,008 --> 00:17:59,011 清楚な 乙女との文通まで 果たしているらしい> 274 00:17:59,011 --> 00:18:00,947 <実に あやかりたい所業である> 275 00:18:00,947 --> 00:18:02,615 <どうやら ことさら➡ 276 00:18:02,615 --> 00:18:04,283 自堕落な 生活に陥ってしまった パターンである> 277 00:18:04,283 --> 00:18:06,953 <まるで わが下鴨幽水荘の 2階の住人に➡ 278 00:18:06,953 --> 00:18:08,955 弟子入りでもしたかのようだ> 279 00:18:08,955 --> 00:18:10,957 <わたしは 千円の詰まった リュックサックを➡ 280 00:18:10,957 --> 00:18:12,625 打ち捨てていくことにした> 281 00:18:12,625 --> 00:18:15,027 <どうせ もう わたしに使い道はないのだ> 282 00:18:21,968 --> 00:18:26,973 うっ。 これは 代理戦争の軍資金か。 283 00:18:28,975 --> 00:18:31,978 <この部屋の住人は やけに 上昇志向があるようだ> 284 00:18:31,978 --> 00:18:33,980 <わたしは やや 怒りを覚えた➡ 285 00:18:33,980 --> 00:18:36,983 これ以上の幸せを 望むというのか> 286 00:18:36,983 --> 00:18:39,986 <それでは まるで 太陽を目指した イカロスではないか> 287 00:18:41,988 --> 00:18:44,991 <そういえば そんなチラシも かつて 見たような気がする> 288 00:18:47,994 --> 00:18:51,998 <これは いつか 猫ラーメンで 見掛けた 人物ではないか> 289 00:18:51,998 --> 00:18:53,100 <猫ラーメンは 猫から だしを とっているという噂であるが➡ 290 00:18:53,100 --> 00:18:57,003 その味は 無類である> 291 00:18:57,003 --> 00:18:59,005 <それは ある青春の終わりを 思わせるような➡ 292 00:18:59,005 --> 00:19:00,940 和やかな 会談であった> 293 00:19:00,940 --> 00:19:03,943 <2人は 何か 争いを続けていたらしく➡ 294 00:19:03,943 --> 00:19:05,945 跡目を 誰にするかなど 不穏な話も 聞こえたが➡ 295 00:19:05,945 --> 00:19:07,947 見ると 1人は 水も滴る いい男で➡ 296 00:19:07,947 --> 00:19:11,951 もう1人は ナスのような顔をした 下鴨幽水荘の住人である> 297 00:19:11,951 --> 00:19:14,954 <そっちの男は 普段から かかわりたくないと思っていた> 298 00:19:16,956 --> 00:19:20,960 <しかし あの色男に こんな趣味があったとは> 299 00:19:22,962 --> 00:19:24,964 <何だか よくも知らない人たちのことが➡ 300 00:19:24,964 --> 00:19:26,966 妙に いとおしくなった> 301 00:19:26,966 --> 00:19:28,968 <昔から 知っていたような気がして➡ 302 00:19:28,968 --> 00:19:30,970 なぜか 懐かしささえ覚えた> 303 00:19:33,973 --> 00:19:37,977 「ギャラは ちゃんともらえた?」 「カメラマンから 口説かれてない?」 304 00:19:37,977 --> 00:19:39,979 <こんなことをしていても➡ 305 00:19:39,979 --> 00:19:42,982 誰一人 バカにしてさえくれない ことが つらかった> 306 00:19:42,982 --> 00:19:44,984 <もし ここに ぬらりひょんのような➡ 307 00:19:44,984 --> 00:19:46,986 悪友の1人でもいれば 「何を やってるんですか?」➡ 308 00:19:46,986 --> 00:19:49,989 「大脳新皮質に うじ虫でも 湧きましたか?」➡ 309 00:19:49,989 --> 00:19:52,992 そう わたしを 完膚なきまでに バカにしてくれたことであろう> 310 00:19:52,992 --> 00:19:59,999 (泣き声) 311 00:20:04,003 --> 00:20:06,005 <それにしても どの部屋の住人も いかにも 楽しげに見える> 312 00:20:06,005 --> 00:20:08,007 <決して ばら色とまでは いかないまでも➡ 313 00:20:08,007 --> 00:20:10,009 それぞれの四畳半が それぞれに彩りに➡ 314 00:20:10,009 --> 00:20:12,011 あふれているように見える> 315 00:20:12,011 --> 00:20:15,014 <わたしにも こんな選択が 可能であったのだろうか?> 316 00:20:18,017 --> 00:20:20,019 ああ。 317 00:20:24,023 --> 00:20:27,026 ああ お… 俺だ。 318 00:20:27,026 --> 00:20:29,028 わああ! 319 00:20:39,038 --> 00:20:41,040 んん? 320 00:20:41,040 --> 00:20:46,045 ああ! おい お前 助けてくれ! 321 00:20:49,048 --> 00:20:51,050 <しかし わたしは すでに 気付いていた➡ 322 00:20:51,050 --> 00:20:54,053 ほんの ささいな決断の違いで わたしの運命は変わる> 323 00:20:54,053 --> 00:20:56,055 <無数のわたしが 生まれる> 324 00:20:56,055 --> 00:20:57,723 <無数の四畳半が 生まれる> 325 00:20:57,723 --> 00:21:01,127 <従って この四畳半世界は 原理的に 果てはないのだ> 326 00:21:08,000 --> 00:21:10,002 <どうやら 彼らは 平行世界を 超えて➡ 327 00:21:10,002 --> 00:21:12,004 次々と 集まってこられるらしい> 328 00:21:12,004 --> 00:21:14,006 <恋に うつつを抜かすことも できるし➡ 329 00:21:14,006 --> 00:21:16,008 わい談で 盛り上がることもできる> 330 00:21:16,008 --> 00:21:18,010 <それに 引き換え わたしは 1人で わい談し➡ 331 00:21:18,010 --> 00:21:20,012 1人で 妄想を膨らますばかりだ> 332 00:21:20,012 --> 00:21:22,014 <しかし それも 今や 続かない> 333 00:21:25,017 --> 00:21:35,027 ♬~