1 00:00:01,235 --> 00:00:06,106 伊藤若冲畢生の大作「動植綵絵」は➡ 2 00:00:06,106 --> 00:00:08,108 まさに圧巻であった。 3 00:00:08,108 --> 00:00:12,579 当の本人も 「1,000年後に 理解されればいい」と言うたが➡ 4 00:00:12,579 --> 00:00:17,451 それを見た当時の人々も 圧倒されたに違いない。 5 00:00:17,451 --> 00:00:19,920 あっ 失礼…。 6 00:00:19,920 --> 00:00:25,792 私は若冲の理解者の一人 売茶翁と申す しがない路上茶人。 7 00:00:25,792 --> 00:00:28,629 これは若冲が描いてくれた 私だが➡ 8 00:00:28,629 --> 00:00:32,399 若冲が人間を描くのは 大変珍しいことじゃった。 9 00:00:32,399 --> 00:00:36,603 これ 軽い自慢である。 その礼というては何だが➡ 10 00:00:36,603 --> 00:00:42,309 若冲のその後の人生を 皆さんにお伝えしよう。 11 00:00:46,280 --> 00:00:52,085 若冲が絵に専念し始めたのは 四十というから 遅咲きも遅咲きだが➡ 12 00:00:52,085 --> 00:00:58,792 その後 八十五歳で世を去る間際まで 絵を描き続けた体力と精神力は➡ 13 00:00:58,792 --> 00:01:02,763 驚異的と言うしかあるまい。 14 00:01:02,763 --> 00:01:08,235 大作「動植綵絵」は 京都を代表する臨済禅の寺➡ 15 00:01:08,235 --> 00:01:11,071 相国寺に奉納するために描かれた。 16 00:01:11,071 --> 00:01:15,742 つまり 若冲は 仏に捧げるために描いた と言うておるが➡ 17 00:01:15,742 --> 00:01:21,615 それだけではないだろう? というのは わしの見立て。 18 00:01:21,615 --> 00:01:25,752 若冲の最大の理解者である大典顕常は➡ 19 00:01:25,752 --> 00:01:31,925 後に相国寺第113世住持になるほどの 若き名僧。 20 00:01:31,925 --> 00:01:34,394 名プロデューサーと言っていい大典が➡ 21 00:01:34,394 --> 00:01:40,600 若冲の才能を世に知らしめるために 描くことを勧めた… と➡ 22 00:01:40,600 --> 00:01:44,605 2人をよく知る私などは思うのだが。 23 00:01:47,107 --> 00:01:53,981 着手から およそ10年 若冲は「動植綵絵」全三十幅と➡ 24 00:01:53,981 --> 00:02:01,355 釈迦三尊像 三幅を完成させ 相国寺に寄進した。 25 00:02:01,355 --> 00:02:09,096 その構図の大胆さ 描写の精密さ 色彩表現のこまやかさ➡ 26 00:02:09,096 --> 00:02:15,102 二百数十年後の今でも 見る人を引き付けてやまない。 27 00:02:19,573 --> 00:02:24,378 しかし明治に入り 廃仏毀釈の煽りを受けて➡ 28 00:02:24,378 --> 00:02:29,583 経済的に困窮した相国寺は 泣く泣く寺の宝であった➡ 29 00:02:29,583 --> 00:02:33,453 この「動植綵絵」を皇室に献上。 30 00:02:33,453 --> 00:02:36,356 その御下賜金で窮地を救われ➡ 31 00:02:36,356 --> 00:02:40,260 廃寺になるのを危うく免れたという。 32 00:02:40,260 --> 00:02:46,933 若冲がこの世に送り出した大作が 100年後に相国寺を救うことになるとは➡ 33 00:02:46,933 --> 00:02:49,770 芸術の力も捨てたものではない。 34 00:02:49,770 --> 00:02:58,278 今この絵は 皇居の三の丸尚蔵館で 静かな余生を送っておる。 35 00:02:58,278 --> 00:03:04,551 これは 昔描いた私の絵ですが…。 36 00:03:04,551 --> 00:03:11,224 劇中冒頭 若冲と大典が出会う きっかけになった作品として登場する➡ 37 00:03:11,224 --> 00:03:13,160 「蕪に双鶏図」。 38 00:03:13,160 --> 00:03:18,965 実はこれ ごく最近発見された 珍しい若冲初期の作品。 39 00:03:18,965 --> 00:03:22,235 美術界を大いに沸かせた大発見だが➡ 40 00:03:22,235 --> 00:03:28,909 それをすぐさまドラマに使うなど NHKも目端の利くことよ。 41 00:03:28,909 --> 00:03:33,380 若冲30代半ば頃の作と見られる この絵。 42 00:03:33,380 --> 00:03:38,218 このころから鶏の美しさに 魅せられていることが分かるが➡ 43 00:03:38,218 --> 00:03:44,391 後年のように美しい花ではなく 枯れた蕪の葉と一緒に描いているのが➡ 44 00:03:44,391 --> 00:03:48,762 なんとも ほほ笑ましい。 45 00:03:48,762 --> 00:03:54,401 死ぬまで 私のそばにいてほしい。 46 00:03:54,401 --> 00:03:58,271 死が 2人を分かつまで。 47 00:03:58,271 --> 00:04:06,880 「動植綵絵」を相国寺に寄進した時 若冲は五十歳 大典は四十七歳。 48 00:04:06,880 --> 00:04:12,219 その後 若冲は 相国寺に生前墓を建立した。 49 00:04:12,219 --> 00:04:16,089 墓石には 大典の碑文が刻まれている。 50 00:04:16,089 --> 00:04:21,228 若冲の人柄や才能 「動植綵絵」三十幅の快挙を➡ 51 00:04:21,228 --> 00:04:23,730 熱くたたえている。 52 00:04:23,730 --> 00:04:25,665 これは友への賛辞か➡ 53 00:04:25,665 --> 00:04:28,068 はたまた 恋文か…。 54 00:04:28,068 --> 00:04:30,904 いやいやいや いらぬ詮索は やめておこう。 55 00:04:30,904 --> 00:04:34,908 諸氏のご想像に お任せする。 56 00:04:37,577 --> 00:04:40,914 その相国寺にある美術館には➡ 57 00:04:40,914 --> 00:04:45,252 いつでも見られる 若冲の作品があるのをご存じか? 58 00:04:45,252 --> 00:04:51,591 これは相国寺の塔頭でもある 金閣寺の書院に描かれた障壁画。 59 00:04:51,591 --> 00:04:56,263 この大仕事に まだ無名に近い若冲を抜擢したのも➡ 60 00:04:56,263 --> 00:04:59,065 大典だっただろう。 61 00:05:01,701 --> 00:05:05,338 当時 格式の高い寺の襖を飾るのは➡ 62 00:05:05,338 --> 00:05:09,543 豪華な花鳥画や山水画が 一般的じゃったが➡ 63 00:05:09,543 --> 00:05:12,879 若冲は 野生の山葡萄や実芭蕉➡ 64 00:05:12,879 --> 00:05:17,050 つまり バナナの木を 生き生きと描いてみせた。 65 00:05:17,050 --> 00:05:21,888 描いた若冲も若冲なら 任せた大典も大典。 66 00:05:21,888 --> 00:05:26,760 う~ん いいコンビじゃ。 67 00:05:26,760 --> 00:05:31,264 ええ川風やな。 ホンマに。 68 00:05:34,601 --> 00:05:36,736 大仕事を終え 舟旅で➡ 69 00:05:36,736 --> 00:05:42,242 更なる友情を深めた2人の その後はというと…。 70 00:05:42,242 --> 00:05:44,744 この舟旅で 2人の合作➡ 71 00:05:44,744 --> 00:05:49,249 まあ 今風に言えば コラボレーション作品を作った。 72 00:05:49,249 --> 00:05:53,119 極彩色の「動植綵絵」を完成させた後➡ 73 00:05:53,119 --> 00:05:58,959 若冲が挑戦したのは 白と黒の美 版画巻じゃった。 74 00:05:58,959 --> 00:06:03,697 全長11メートルの 昼の気ままな淀川下り。 75 00:06:03,697 --> 00:06:08,335 京都・伏見を出発し 大坂・天満橋へ向かう道中➡ 76 00:06:08,335 --> 00:06:11,705 目の前に広がる のんびりした光景を➡ 77 00:06:11,705 --> 00:06:16,910 若冲が描いた絵に大典が漢詩を合わせた。 78 00:06:19,579 --> 00:06:23,884 巻末には 若冲と大典2人の落款が➡ 79 00:06:23,884 --> 00:06:27,220 仲よく並んでいる。 80 00:06:27,220 --> 00:06:32,726 人間 長く生きていれば つらい目にも遭う。 81 00:06:32,726 --> 00:06:40,600 1788年 天明の大火が京の都を焼き尽くした。 82 00:06:40,600 --> 00:06:44,237 実家が裕福な青物問屋だった若冲も➡ 83 00:06:44,237 --> 00:06:50,043 自宅や画材 多くの作品を失ってしまう。 84 00:06:50,043 --> 00:06:54,347 その後 若冲が描いたのは こんな絵だ。 85 00:06:59,085 --> 00:07:03,056 7人の布袋様が ニコニコ ほほ笑みながら➡ 86 00:07:03,056 --> 00:07:07,527 歩み寄ってくる。 87 00:07:07,527 --> 00:07:13,400 今は苦しく悲しいが 幸せは ついそこまで来ている。 88 00:07:13,400 --> 00:07:17,203 そのメッセージは自分を励ますものか➡ 89 00:07:17,203 --> 00:07:23,510 はたまた 罹災した 京の民衆に向けたものだったのか…。 90 00:07:27,547 --> 00:07:32,352 その後も精力的に創作し続けた若冲。 91 00:07:32,352 --> 00:07:36,556 しかし 最後の作品となるのが…。 92 00:07:38,558 --> 00:07:43,563 この荒々しい水墨画「鷲図」じゃ。 93 00:07:45,899 --> 00:07:52,672 落款には 数え年で 「若冲八十五歳」とある。 94 00:07:52,672 --> 00:07:57,978 不思議な波頭の上に 雪に覆われた岩壁。 95 00:08:00,313 --> 00:08:05,518 爪を立て 落ちないように佇む鷲が 向こう側へ➡ 96 00:08:05,518 --> 00:08:09,022 今にも飛び立とうとしておる。 97 00:08:14,861 --> 00:08:22,869 1800年 八十五歳の若冲は あの世へと飛び立った。 98 00:08:25,872 --> 00:08:30,543 その5か月後 亡き若冲の誕生日の日。 99 00:08:30,543 --> 00:08:38,852 生涯の盟友 大典顕常も 若冲のあとを追って飛び立った。 100 00:08:44,724 --> 00:08:48,561 若冲の死から今年で221年。 101 00:08:48,561 --> 00:08:51,464 彼が生まれ育った錦市場は➡ 102 00:08:51,464 --> 00:08:54,434 今なお にぎわいを 見せている。 103 00:08:54,434 --> 00:08:58,738 錦市場有数の青物問屋の主人から➡ 104 00:08:58,738 --> 00:09:03,510 天才絵師へと覚醒していった伊藤若冲。 105 00:09:03,510 --> 00:09:06,312 多くの人でにぎわう この雑踏が➡ 106 00:09:06,312 --> 00:09:12,619 案外 あの男の息吹を 一番感じられる場所かもしれん。 107 00:09:20,527 --> 00:09:24,030 閉店後 延々と続くシャッターには➡ 108 00:09:24,030 --> 00:09:29,335 若冲に思いを寄せる NPOや美術館の協力の下➡ 109 00:09:29,335 --> 00:09:34,040 若冲の作品が印刷されておる。 110 00:09:34,040 --> 00:09:39,712 さながら 入場無料のナイトミュージアムよ。 111 00:09:39,712 --> 00:09:43,516 一度 足を運んでみては いかがかな?