1 00:00:00,934 --> 00:00:10,177 ♬~ 2 00:00:10,177 --> 00:00:18,986 1937年5月。 ドイツで 巨大客船の進水式が行われた。 3 00:00:30,998 --> 00:00:34,868 ナチ・ドイツが 労働者に 海外旅行を提供するため➡ 4 00:00:34,868 --> 00:00:38,572 特別に造らせた豪華客船である。 5 00:00:40,440 --> 00:00:50,150 定員1,500人 2つのレストランがあり コンサートホールまで用意されていた。 6 00:00:53,987 --> 00:00:59,893 しかし グストロフ号はこの8年後 悲劇に見舞われる。 7 00:01:01,662 --> 00:01:08,168 第二次世界大戦末期 ドイツ占領下の ポーランドから 本国に向かう途中➡ 8 00:01:08,168 --> 00:01:12,973 ソ連軍の魚雷攻撃によって沈没。 9 00:01:14,775 --> 00:01:21,481 9,000人以上が死亡したといわれる 史上最悪の海難事故となった。 10 00:01:26,219 --> 00:01:32,693 犠牲者の多くは ソ連軍が迫る中 東欧から脱出しようとしていた➡ 11 00:01:32,693 --> 00:01:36,296 民間のドイツ人だった。 12 00:01:42,102 --> 00:01:49,209 1930年代から 東欧を広く支配下に収めた ナチ・ドイツ。 13 00:01:49,209 --> 00:01:55,415 それとともに 多くのドイツ人が 東欧に移住した。 14 00:01:59,753 --> 00:02:04,458 しかし ドイツが降伏すると すべてが変わる。 15 00:02:05,993 --> 00:02:11,932 ポーランドやチェコスロバキアなどの人々が たまりにたまった恨みを晴らそうと➡ 16 00:02:11,932 --> 00:02:15,636 ドイツ人に報復を始めた。 17 00:02:15,636 --> 00:02:20,140 復讐の締めくくりは 追放だった。 18 00:02:21,808 --> 00:02:26,580 東欧には 12世紀以来 住み着いたドイツ人も 数多くいたが➡ 19 00:02:26,580 --> 00:02:29,950 もろとも強制移住させられた。 20 00:02:29,950 --> 00:02:36,156 追放されたドイツ人は 実に 1,500万人に上った。 21 00:02:37,691 --> 00:02:42,996 命からがら たどりついたドイツは がれきの街と化していた。 22 00:02:44,598 --> 00:02:51,304 東欧から追放されてきた人々の居場所など どこにもなかった。 23 00:02:54,141 --> 00:02:59,346 その中には 後にノーベル賞を受賞する作家➡ 24 00:02:59,346 --> 00:03:02,649 ギュンター・グラスもいた。 25 00:03:33,947 --> 00:03:36,950 追放された人々の苦難の歴史は➡ 26 00:03:36,950 --> 00:03:40,053 その後も長く続いていく。 27 00:03:41,721 --> 00:03:46,960 戦争の加害者としての責任を 重く受け止める西ドイツでは➡ 28 00:03:46,960 --> 00:03:51,665 被害者の声は かき消されていった。 29 00:03:54,701 --> 00:03:57,904 東ドイツでも同じだった。 30 00:03:57,904 --> 00:04:00,373 東欧で受けた暴力を語ることは➡ 31 00:04:00,373 --> 00:04:04,244 社会主義国の友好関係に 影響すると考えられ➡ 32 00:04:04,244 --> 00:04:07,447 許されなかった。 33 00:04:33,807 --> 00:04:42,983 今週から2回シリーズで ふたつの敗戦国 ドイツと日本の その後の悲劇を伝える。 34 00:04:42,983 --> 00:04:49,723 終戦時 国外に取り残された人々は どのような運命をたどったのか。 35 00:04:49,723 --> 00:04:53,193 前編は 語られることの少なかった➡ 36 00:04:53,193 --> 00:04:58,899 ドイツ人の 被害者としての側面に 光を当てる。 37 00:05:03,703 --> 00:05:08,208 ♬~ 38 00:05:09,943 --> 00:05:13,647 第二次世界大戦末期➡ 39 00:05:13,647 --> 00:05:20,654 ソ連軍は破竹の勢いで ドイツ占領下の東欧に進出していた。 40 00:05:36,603 --> 00:05:41,308 1945年1月には ポーランドの首都 ワルシャワを➡ 41 00:05:41,308 --> 00:05:45,312 ナチ・ドイツの支配から解放した。 42 00:05:47,113 --> 00:05:50,016 歓喜するポーランド人。 43 00:05:50,016 --> 00:05:55,021 彼らが次に取った行動は ドイツ人への復讐だった。 44 00:05:57,324 --> 00:06:04,130 中でも ユダヤ人の ドイツ人への憎悪は苛烈だった。 45 00:06:04,130 --> 00:06:08,902 ポーランド各地には マイダネクやアウシュビッツなど➡ 46 00:06:08,902 --> 00:06:13,106 数多くの強制収容所があった。 47 00:06:16,076 --> 00:06:22,682 これは ポーランド南部にあった ズゴダ強制収容所。 48 00:06:25,752 --> 00:06:28,955 解放されたユダヤ人や ポーランド人に代わって➡ 49 00:06:28,955 --> 00:06:33,660 そこに入れられたのは ドイツ人だった。 50 00:06:33,660 --> 00:06:38,398 所長を務めたユダヤ人 サロモン・モレル。 51 00:06:38,398 --> 00:06:43,803 両親と兄を アウシュビッツで失ったと 語っていた。 52 00:06:47,007 --> 00:06:53,213 これは ドイツ人同士で 殴り合いをさせている写真。 53 00:06:58,118 --> 00:07:02,622 所長のモレルは 「アウシュビッツの仕返し」と称して➡ 54 00:07:02,622 --> 00:07:07,460 仲間同士で銃の撃ち合いまで強要した。 55 00:07:07,460 --> 00:07:13,266 ここでは そうした拷問により 数百人が命を落とした。 56 00:07:13,266 --> 00:07:15,268 (銃声) 57 00:07:19,973 --> 00:07:26,546 これは ポーランド南部の収容所付近で 撮影された映像。 58 00:07:26,546 --> 00:07:31,885 ポーランド民兵は ナチ・ドイツの残虐行為を思い知らせるため➡ 59 00:07:31,885 --> 00:07:37,991 ドイツ人女性たちに 犠牲者の墓を掘り返させた。 60 00:08:23,937 --> 00:08:29,743 ドイツ人への報復は 隣国チェコスロバキアでも起こっていた。 61 00:08:29,743 --> 00:08:33,380 ドイツ降伏後 この国に戻ってきたリーダーが➡ 62 00:08:33,380 --> 00:08:36,983 その流れを決定づけた。 63 00:08:53,700 --> 00:09:02,409 大統領エドヴァルド・ベネシュは 国内から ドイツ人を一掃するという布告を発した。 64 00:09:42,148 --> 00:09:44,717 首都プラハの街なかでは➡ 65 00:09:44,717 --> 00:09:52,926 ドイツ人は 額など目立つところに かぎ十字をつけることを強いられた。 66 00:09:52,926 --> 00:10:00,233 そして 破壊された街を立て直すための 強制労働にも駆り出された。 67 00:10:07,440 --> 00:10:13,179 これは プラハの市民が隠し撮りし 長らく非公開だった➡ 68 00:10:13,179 --> 00:10:17,684 ドイツ系住民の集団虐殺の映像。 69 00:10:24,390 --> 00:10:30,597 路肩に並べられた人々が 次々に射殺された。 70 00:10:36,002 --> 00:10:40,907 東欧各地で横行した ドイツ人への報復の犠牲者は➡ 71 00:10:40,907 --> 00:10:47,614 少なくとも 8万人を超えるといわれている。 72 00:10:47,614 --> 00:10:51,551 その苛烈さは 常軌を逸しているという声が➡ 73 00:10:51,551 --> 00:10:55,255 身内から上がるほどだった。 74 00:11:39,432 --> 00:11:47,173 1945年7月 ポツダム会談。 アメリカ イギリス ソ連が➡ 75 00:11:47,173 --> 00:11:51,377 ドイツや日本の戦後処理を協議した。 76 00:11:52,979 --> 00:11:56,983 会談では 東欧各国の国境の変更についても➡ 77 00:11:56,983 --> 00:12:00,720 暫定的に合意された。 78 00:12:00,720 --> 00:12:04,991 ソ連とポーランドの国境が西に移動。 79 00:12:04,991 --> 00:12:09,462 ポーランドとドイツの国境も 西へ移動した。 80 00:12:09,462 --> 00:12:14,467 これに伴い ドイツの領土は縮小した。 81 00:12:17,704 --> 00:12:21,674 ドイツから 新たにポーランド領となった地域などには➡ 82 00:12:21,674 --> 00:12:27,480 12世紀以来 入植していたドイツ人が 数多くいた。 83 00:12:30,917 --> 00:12:35,788 彼らも ナチ・ドイツの政策で移住した人たちともども➡ 84 00:12:35,788 --> 00:12:40,593 ドイツ本国へ 強制移住させることが決まった。 85 00:12:40,593 --> 00:12:47,500 会談では 人道的な方法で 移動させることが合意されていた。 86 00:12:49,402 --> 00:12:56,209 1946年1月 ドイツ人の強制移住が 本格的に始まった。 87 00:12:56,209 --> 00:13:06,085 その数は 最終的に1,500万人に上り 歴史上最大規模の人間の移動となった。 88 00:13:06,085 --> 00:13:09,055 古くから この地に住み着いた 人々にとって➡ 89 00:13:09,055 --> 00:13:11,791 もはや ここが故郷。 90 00:13:11,791 --> 00:13:16,095 それを 一夜にして失った。 91 00:13:48,895 --> 00:13:57,603 それは 人道的配慮などとは程遠く 暴力的とも言える追放だった。 92 00:14:01,507 --> 00:14:04,377 収容所に集められたドイツ人は➡ 93 00:14:04,377 --> 00:14:10,616 自らが移送される 鉄道の車両番号が記された紙をはられ➡ 94 00:14:10,616 --> 00:14:16,622 伝染病のまん延を防ぐための薬剤を 体にまかれた。 95 00:14:21,728 --> 00:14:28,434 そして いつになるかも分からない 出発の時を待った。 96 00:14:30,970 --> 00:14:32,939 移送に使われたのは➡ 97 00:14:32,939 --> 00:14:39,579 数年前ナチ・ドイツが ユダヤ人たちを 収容所に送り込んだ時と同じ手段➡ 98 00:14:39,579 --> 00:14:42,482 貨物列車だった。 99 00:14:42,482 --> 00:14:47,620 老若男女 問わず 貨車の中に隙間なく詰め込まれた。 100 00:14:47,620 --> 00:14:51,624 (汽笛の音) 101 00:15:31,998 --> 00:15:37,703 追放されたドイツ人の中には 徒歩で移動させられた者もいた。 102 00:15:39,405 --> 00:15:46,746 多くの子どもや老人が 飢えと疲労で命を落とした。 103 00:15:46,746 --> 00:15:52,852 途中では 略奪や暴行も受けた。 104 00:16:36,095 --> 00:16:40,032 1,500万人の大移動。 105 00:16:40,032 --> 00:16:43,703 ドイツにたどりつく前に 命を落とした人々は➡ 106 00:16:43,703 --> 00:16:49,108 数十万とも200万ともいわれる。 107 00:16:58,217 --> 00:17:05,224 命からがら たどりついたドイツは がれきの街と化していた。 108 00:17:13,366 --> 00:17:20,540 これは 終戦間もない頃に 首都ベルリンで撮影された映像。 109 00:17:20,540 --> 00:17:28,748 人々は 路上や廃虚となった建物で 必死に生き延びようとしていた。 110 00:17:33,219 --> 00:17:38,724 路上に捨てられた馬の死骸には 人々が群がった。 111 00:17:40,493 --> 00:17:45,498 ナイフで肉を切り取り 飢えをしのいだ。 112 00:17:53,572 --> 00:18:02,048 一方 ユダヤ人には 連合国から 救済の手が差し伸べられていた。 113 00:18:02,048 --> 00:18:08,054 これは 解放されたユダヤ人が身を寄せる キャンプの映像。 114 00:18:13,659 --> 00:18:18,864 かりそめながらも 安息の場が提供された。 115 00:18:24,971 --> 00:18:31,477 これは 食糧配給所に並ぶドイツ人の映像。 116 00:18:34,680 --> 00:18:37,149 当初は連合国によって➡ 117 00:18:37,149 --> 00:18:42,655 一日 1,550キロカロリー分の食糧が 配給されるはずだったが➡ 118 00:18:42,655 --> 00:18:46,492 日を追うごとに その量は減っていく。 119 00:18:46,492 --> 00:18:51,197 戦前の水準の半分まで落ち込んだ。 120 00:18:54,066 --> 00:18:59,872 商店や倉庫では なりふり構わぬ略奪が横行していた。 121 00:19:01,507 --> 00:19:06,679 誰もが生き延びるために必死だった。 122 00:19:06,679 --> 00:19:13,586 追放されてきたドイツ人たちのことを 気にかける余裕などなかった。 123 00:19:16,956 --> 00:19:20,826 後にノーベル賞作家となる ギュンター・グラスは➡ 124 00:19:20,826 --> 00:19:25,331 東欧を追われたドイツ人の 一人だった。 125 00:19:29,368 --> 00:19:36,809 現在のポーランド グダニスクで生まれ 18歳の時に追放を経験したグラスは➡ 126 00:19:36,809 --> 00:19:43,215 自伝の中で その当時の ドイツでの暮らしぶりをつづっている。 127 00:20:18,184 --> 00:20:21,787 ♬~ 128 00:20:38,537 --> 00:20:43,375 敗戦国ドイツの中でも とりわけ厳しい暮らしを強いられたのが➡ 129 00:20:43,375 --> 00:20:47,213 東欧から追放された人々だった。 130 00:20:47,213 --> 00:20:54,520 冬のいてつく寒さの中 人々は 安住の地を求め 各地へ離散していった。 131 00:20:56,322 --> 00:21:01,527 ♬~ 132 00:21:12,505 --> 00:21:18,277 1949年 ドイツは東西に分断される。 133 00:21:18,277 --> 00:21:22,081 追放されたドイツ人も 東西に分かれた。 134 00:21:22,081 --> 00:21:28,888 彼らは 東ドイツで人口の4分の1 西では5分の1を占めた。 135 00:21:31,190 --> 00:21:36,095 西ドイツの急務は 経済の復興だった。 136 00:21:36,095 --> 00:21:43,602 貴重な労働力となったのは 800万の追放されたドイツ人だった。 137 00:22:05,958 --> 00:22:11,463 追放されてきたドイツ人の多くは 工場労働者として雇われた。 138 00:22:13,165 --> 00:22:16,969 慣れない仕事に就かされた 彼らの平均賃金は➡ 139 00:22:16,969 --> 00:22:21,574 ドイツ本国出身者に比べて低かった。 140 00:22:24,777 --> 00:22:28,414 これは 政府の宣伝映画。 141 00:22:28,414 --> 00:22:32,184 追放されてきたドイツ人を集めて 町をつくり➡ 142 00:22:32,184 --> 00:22:36,689 家や仕事を与えたと伝えている。 143 00:22:58,310 --> 00:23:03,882 追放されたドイツ人の中には 標準的なドイツ語を話すことができず➡ 144 00:23:03,882 --> 00:23:08,587 新しい環境になじめない者も多かった。 145 00:23:08,587 --> 00:23:14,860 西ドイツ政府は 彼らを国民として受け入れ 復興の力としたことを➡ 146 00:23:14,860 --> 00:23:18,364 積極的にアピールした。 147 00:23:40,819 --> 00:23:46,525 ドイツ社会に溶け込むために 追放されてきたドイツ人たちは➡ 148 00:23:46,525 --> 00:23:51,430 自らの過去を語れなくなっていった。 149 00:24:20,826 --> 00:24:29,234 東ドイツでも 追放されたドイツ人が 自らの経験を語ることはなかった。 150 00:24:31,170 --> 00:24:37,376 これは 東ドイツとポーランドとの 国境で行われた パレードの様子。 151 00:24:38,911 --> 00:24:45,317 ソ連の衛星国家として共に歩む中 ポーランドなどで受けた暴力を語ることは➡ 152 00:24:45,317 --> 00:24:50,723 友好関係を壊すものとして 許されなかった。 153 00:25:22,087 --> 00:25:28,093 これは 東ドイツの中学校で使われた 歴史の教科書。 154 00:25:29,828 --> 00:25:33,832 追放されたドイツ人は「移住者」と呼ばれ➡ 155 00:25:33,832 --> 00:25:40,239 自らの意志でやって来た者として その歴史を隠された。 156 00:25:43,442 --> 00:25:48,947 東ドイツ政府は 400万人の追放された人々を➡ 157 00:25:48,947 --> 00:25:54,053 農業や鉱山の労働力として利用した。 158 00:26:07,666 --> 00:26:14,973 「新農民」と呼ばれた彼らには 政府から土地も与えられた。 159 00:26:14,973 --> 00:26:22,781 しかし そのほとんどは 痩せ細った 農地に向かない土地ばかりだった。 160 00:26:31,757 --> 00:26:35,661 やがて 東と西の格差が広がるにつれ➡ 161 00:26:35,661 --> 00:26:42,167 東ドイツ国民 200万人が 次々と西ドイツへ渡っていく。 162 00:26:46,371 --> 00:26:54,480 そのうちの3分の1が 東ドイツに住む 追放されたドイツ人だった。 163 00:27:06,525 --> 00:27:13,232 1963年 西ドイツで 国家全体を揺るがす裁判が始まった。 164 00:27:14,933 --> 00:27:17,836 アウシュビッツ裁判である。 165 00:27:17,836 --> 00:27:24,943 ホロコーストに関わったとされる収容所関係者 21人が裁かれた。 166 00:27:36,221 --> 00:27:38,924 順調な経済復興が進み➡ 167 00:27:38,924 --> 00:27:43,362 ナチ・ドイツの記憶は 過去のこととして 忘れようという空気の中➡ 168 00:27:43,362 --> 00:27:47,065 行われた裁判だった。 169 00:28:12,391 --> 00:28:17,062 この裁判によって初めて 多くの国民が➡ 170 00:28:17,062 --> 00:28:23,869 自国がユダヤ人に行った ホロコーストの実態を知るところとなった。 171 00:28:38,283 --> 00:28:44,122 裁判を機に 西ドイツの空気は大きく変わり始める。 172 00:28:44,122 --> 00:28:52,631 ホロコーストの記憶は 国民全体で共有し 受け継いでいくものと位置づけられた。 173 00:28:55,067 --> 00:28:58,937 1970年12月 ブラント首相は➡ 174 00:28:58,937 --> 00:29:02,741 ポーランドのワルシャワを訪問。 175 00:29:04,876 --> 00:29:12,284 多くのユダヤ人を集め 閉じ込めた ゲットーの跡地にひざまずいた。 176 00:29:46,418 --> 00:29:51,690 国際社会で信頼を取り戻すために その後も西ドイツの首脳は➡ 177 00:29:51,690 --> 00:29:55,494 ドイツの加害責任を語り続けた。 178 00:29:57,095 --> 00:30:01,867 1985年 終戦40周年記念日に➡ 179 00:30:01,867 --> 00:30:03,802 連邦議会で行われた➡ 180 00:30:03,802 --> 00:30:10,108 大統領 ヴァイツゼッカーの 歴史的演説が 決定的だった。 181 00:30:52,684 --> 00:30:56,888 (拍手) 182 00:30:59,157 --> 00:31:03,995 国民全体で加害責任を負う空気の中で➡ 183 00:31:03,995 --> 00:31:10,402 追放されたドイツ人の孤独は ますます深まっていった。 184 00:31:58,784 --> 00:32:05,090 1990年 東西ドイツが統一された。 185 00:32:07,359 --> 00:32:16,401 これは図らずも ドイツ人の被害者としての 歴史に光を当てる きっかけとなった。 186 00:32:16,401 --> 00:32:21,706 社会主義国の友好関係を壊すものと 語ることを禁じられていた➡ 187 00:32:21,706 --> 00:32:25,277 東欧で受けた暴力の記憶。 188 00:32:25,277 --> 00:32:30,582 もはや その声を封じる者はいなくなった。 189 00:32:32,417 --> 00:32:36,288 これはその年 ドイツのヴァイツゼッカー大統領が➡ 190 00:32:36,288 --> 00:32:40,592 チェコスロバキアを訪ねた時の映像。 191 00:32:44,763 --> 00:32:49,601 この時 チェコスロバキア大統領 ハヴェルは➡ 192 00:32:49,601 --> 00:32:57,008 かつてチェコの人々が ドイツ人に行った報復について認めた。 193 00:33:43,388 --> 00:33:48,627 ポーランド政府は 戦争犯罪を調査する機関を設立し➡ 194 00:33:48,627 --> 00:33:53,932 ドイツ人虐殺を行ったポーランド人を 訴追した。 195 00:33:57,102 --> 00:34:02,040 かつて強制収容所で ドイツ人に苛烈な拷問を行った➡ 196 00:34:02,040 --> 00:34:07,846 ユダヤ人所長 サロモン・モレルも その対象となった。 197 00:34:09,681 --> 00:34:16,788 しかしモレルは イスラエルへ逃亡し 法の裁きから逃れ続けた。 198 00:34:19,958 --> 00:34:24,796 そしてドイツの中にも ドイツ人の被害者としての歴史を➡ 199 00:34:24,796 --> 00:34:29,701 正面切って訴える政治家が現れた。 200 00:34:35,874 --> 00:34:40,312 追放された人たちの一部が作る 連盟のトップを務め➡ 201 00:34:40,312 --> 00:34:44,616 右翼的な言動でも知られる政治家だった。 202 00:34:46,151 --> 00:34:49,988 自身も生まれて間もなく 敗戦によって➡ 203 00:34:49,988 --> 00:34:56,094 ナチ・ドイツ占領下にあったポーランドから 追放された過去があった。 204 00:34:58,029 --> 00:35:05,837 21世紀に入り シュタインバッハは 大きな議論を巻き起こす行動に出た。 205 00:35:20,418 --> 00:35:28,393 ドイツ各地で 追放されたドイツ人の 歴史を伝える展示会を開催した。 206 00:35:28,393 --> 00:35:33,965 とりわけ強調したのは 追放された時に受けた暴力➡ 207 00:35:33,965 --> 00:35:38,169 故郷を失った悲しみだった。 208 00:35:52,851 --> 00:35:57,222 すると 国中で批判の声が上がる。 209 00:35:57,222 --> 00:36:00,125 被害者としての歴史を強調することは➡ 210 00:36:00,125 --> 00:36:05,930 ホロコーストの加害責任を軽くしてしまう という声だった。 211 00:36:22,781 --> 00:36:28,953 批判の声は ナチ・ドイツの 被害国でも上がった。 212 00:36:28,953 --> 00:36:35,260 ポーランドの有力雑誌は ドイツ人の被害を 一方的に訴える シュタインバッハを➡ 213 00:36:35,260 --> 00:36:40,565 ナチ・ドイツの責任を曖昧にすると 痛烈に批判した。 214 00:36:42,133 --> 00:36:44,736 政治家も声を上げる。 215 00:36:52,577 --> 00:36:58,583 18歳の時 アウシュビッツに政治犯として収容。 216 00:37:00,318 --> 00:37:05,890 その後 アウシュビッツ国立博物館のトップを 長く務め➡ 217 00:37:05,890 --> 00:37:10,595 ポーランドでは 絶大な影響力があった。 218 00:37:35,887 --> 00:37:42,594 追放されたドイツ人の一人 ノーベル賞を受賞した作家 ギュンター・グラスも➡ 219 00:37:42,594 --> 00:37:46,598 この議論に 一石を投じた。 220 00:37:52,170 --> 00:37:54,672 小説… 221 00:37:58,042 --> 00:38:03,815 取り上げたのは 東欧から逃れようとした ドイツ人 9,000人が犠牲となった➡ 222 00:38:03,815 --> 00:38:07,652 あのグストロフ号事件だった。 223 00:38:07,652 --> 00:38:12,524 この事件は 史上最悪の海難事故にもかかわらず➡ 224 00:38:12,524 --> 00:38:19,397 ドイツ人の受けた被害であるがゆえに 語られることが ほとんどなかった。 225 00:38:19,397 --> 00:38:23,134 グラスは 被害者としての歴史が➡ 226 00:38:23,134 --> 00:38:29,340 加害者の責任とともに語り継がれることを 望んでいた。 227 00:39:17,322 --> 00:39:26,030 加害と被害 相反する2つの歴史の側面に どのように向き合うか。 228 00:39:26,030 --> 00:39:35,073 一つの道筋を示すため 2021年 ドイツ政府は ある施設を造った。 229 00:39:35,073 --> 00:39:40,278 「逃亡・追放・和解のための資料センター」。 230 00:39:40,278 --> 00:39:44,148 ホロコーストの罪と追放の苦難➡ 231 00:39:44,148 --> 00:39:51,155 ドイツの2つの側面を 同時に 同じ空間で伝えるものだった。 232 00:40:18,750 --> 00:40:21,419 被害者としてのドイツを主張し➡ 233 00:40:21,419 --> 00:40:25,290 この施設を造るきっかけを作った シュタインバッハは➡ 234 00:40:25,290 --> 00:40:30,728 途中で その構想を検討するメンバーを 降りていた。 235 00:40:30,728 --> 00:40:36,234 そして その主張は さらに過激になっていく。 236 00:40:41,372 --> 00:40:48,479 2022年 シュタインバッハは 右派政党 AfDに入党。 237 00:40:50,081 --> 00:40:55,019 そこで訴えたのは 移民排斥だった。 238 00:40:55,019 --> 00:40:57,689 ドイツは ナチ時代の反省から➡ 239 00:40:57,689 --> 00:41:03,061 積極的に 中東などからの 難民・移民を受け入れている。 240 00:41:03,061 --> 00:41:07,965 その考えに 断固異議を唱えた。 241 00:41:28,186 --> 00:41:32,857 この9月 ドイツで行われた 3つの州議会選挙で➡ 242 00:41:32,857 --> 00:41:35,827 AfDは躍進した。 243 00:41:35,827 --> 00:41:44,335 いずれの州でも 大きく得票率を伸ばし テューリンゲン州では 第1党となった。 244 00:41:47,005 --> 00:41:54,812 しかしドイツ政府は 今なお明確に 加害者としての責任を貫いている。 245 00:41:56,748 --> 00:42:02,954 2023年に始まった イスラエルによるガザ攻撃。 246 00:42:10,962 --> 00:42:13,865 反イスラエルの声が高まる中でも➡ 247 00:42:13,865 --> 00:42:19,670 ドイツ政府は真っ先に イスラエル支持を表明した。 248 00:42:38,523 --> 00:42:46,631 2015年 作家ギュンター・グラスは 87歳で亡くなった。 249 00:42:48,199 --> 00:42:50,134 晩年 グラスは➡ 250 00:42:50,134 --> 00:42:56,340 かつて ナチ党の武装親衛隊に 所属していたことを告白した。 251 00:42:56,340 --> 00:43:01,245 ナチに加担し 追放の苦難も経験した グラスもまた➡ 252 00:43:01,245 --> 00:43:07,452 最後まで 加害と被害の間で葛藤し続けた。 253 00:44:08,012 --> 00:44:39,610 ♬~