1 00:00:01,902 --> 00:00:07,207 ♬~ 2 00:00:17,517 --> 00:00:21,255 ある世界的スターが まだ無名の頃➡ 3 00:00:21,255 --> 00:00:25,559 ハリウッドのカメラテストを受けた際の 貴重な映像である。 4 00:00:31,665 --> 00:00:33,667 (笑い声) 5 00:00:39,539 --> 00:00:41,675 ハーイ! 6 00:00:41,675 --> 00:00:43,977 ♬~ 7 00:00:59,960 --> 00:01:04,631 甘いマスクに 鍛え上げられた肉体。 8 00:01:04,631 --> 00:01:10,938 本物の武術家でもある彼が見せる カンフーに 世界が魅了された。 9 00:01:15,976 --> 00:01:21,682 しかし スターへの道のりは 簡単なものではなかった。 10 00:01:25,319 --> 00:01:32,326 白人の血を引くリーは アメリカと香港 両方の社会で疎外された。 11 00:02:05,292 --> 00:02:09,162 国籍 人種の壁を越えた ブルース・リーは➡ 12 00:02:09,162 --> 00:02:14,301 それゆえに 分断された世界の ヒーローになっていった。 13 00:02:14,301 --> 00:02:24,311 ♬~ 14 00:02:47,000 --> 00:02:49,669 (デモの声) 15 00:02:49,669 --> 00:02:54,975 僅か32年という 短い生涯を駆け抜けた ブルース・リー。 16 00:02:56,543 --> 00:02:58,679 死後 半世紀がたった今も➡ 17 00:02:58,679 --> 00:03:03,984 彼が残した言葉は 人々の勇気を支え続けている。 18 00:03:14,161 --> 00:03:17,164 ♬~ 19 00:03:17,164 --> 00:03:23,303 ひとりのささやかな営みが 時に世界を変えることがある。 20 00:03:23,303 --> 00:03:27,974 「映像の世紀 バタフライエフェクト」。 21 00:03:27,974 --> 00:03:36,683 信念を貫いた一人のアジア人と 彼に心を動かされた 人々の物語である。 22 00:03:47,327 --> 00:03:49,996 19世紀に イギリス領となって以降➡ 23 00:03:49,996 --> 00:03:55,702 東洋と西洋の文化が混ざり合う 場所として発展してきた 香港。 24 00:03:57,337 --> 00:04:02,642 戦後 その香港で 急成長した産業があった。 25 00:04:04,144 --> 00:04:07,147 映画である。 26 00:04:07,147 --> 00:04:09,282 日中戦争が始まり➡ 27 00:04:09,282 --> 00:04:13,587 多くの映画人が 中国本土から 香港に逃れてきたためだ。 28 00:04:17,624 --> 00:04:19,926 1950年。 29 00:04:21,962 --> 00:04:28,268 後に 世界的なスターとなる 9歳の子役が主演デビューを果たした。 30 00:04:32,305 --> 00:04:36,309 李小龍。 後のブルース・リーである。 31 00:04:39,179 --> 00:04:42,949 父も 俳優だった。 32 00:04:42,949 --> 00:04:44,885 巡業中のアメリカで➡ 33 00:04:44,885 --> 00:04:47,854 イギリス人の血を引く 妻 グレイスとの間に➡ 34 00:04:47,854 --> 00:04:51,158 1940年に生まれた。 35 00:04:55,529 --> 00:05:00,467 リーが 初めて映画に出たのは 生後3か月。 36 00:05:00,467 --> 00:05:03,937 サンフランシスコにいた頃だった。 37 00:05:03,937 --> 00:05:07,607 中国系アメリカ人が監督した作品に➡ 38 00:05:07,607 --> 00:05:11,311 女の子の赤ん坊役として駆り出された。 39 00:05:14,281 --> 00:05:19,152 その後 香港に渡り 本格的に子役を始める。 40 00:05:19,152 --> 00:05:23,456 この作品では 実の父と共演している。 41 00:05:32,632 --> 00:05:38,939 映画の世界に魅了されたリーは すぐに その才能を開花させた。 42 00:05:49,983 --> 00:05:56,690 格闘シーンも 器用にこなし 天才子役とまで呼ばれるようになった。 43 00:06:02,929 --> 00:06:08,935 だが 心の中では 満たされない思いを抱えていた。 44 00:06:11,938 --> 00:06:18,945 これは リーが 10代を過ごした 1950年代の香港の映像。 45 00:06:22,282 --> 00:06:28,955 イギリスの統治下で 白人が政府や 企業の高い地位を占める一方で➡ 46 00:06:28,955 --> 00:06:32,826 中国系の人たちは 十分な教育を受けられず➡ 47 00:06:32,826 --> 00:06:36,129 格差は 歴然としていた。 48 00:06:41,534 --> 00:06:44,304 努力しても 報われない。 49 00:06:44,304 --> 00:06:51,177 リーは 次第に学校にも行かず 不良仲間たちと つるむようになる。 50 00:06:51,177 --> 00:06:55,482 時には イギリス人にも けんかを売った。 51 00:07:19,606 --> 00:07:26,479 リーは けんかの腕を磨くために 一人の男の元を訪ねた。 52 00:07:26,479 --> 00:07:33,186 国共内戦で 中国本土から逃れてきた 武術家 イップ・マンである。 53 00:07:37,157 --> 00:07:43,830 イップ・マンは 200年の歴史を持つ カンフーの流派「詠春拳」の達人だった。 54 00:07:43,830 --> 00:07:45,832 ♬~ 55 00:07:45,832 --> 00:07:50,303 リーが イップ・マンから たたき込まれたのは➡ 56 00:07:50,303 --> 00:07:53,206 武術だけではなかった。 57 00:07:53,206 --> 00:08:00,213 武術を通して 感情をコントロールし 人間として成長することだった。 58 00:08:22,235 --> 00:08:29,242 ひたすら 稽古に打ち込んだリーは 兄弟子たちを凌駕する腕前に成長した。 59 00:08:33,847 --> 00:08:38,818 これは カンフー道場対抗戦と思われる映像。 60 00:08:38,818 --> 00:08:43,123 黒いパンツの男が 詠春拳の使い手である。 61 00:08:44,958 --> 00:08:50,263 リーも こうした戦いの場に 流派の代表として挑むまでになった。 62 00:08:53,633 --> 00:09:00,440 しかし その才能を妬んだ 兄弟子たちがいた。 63 00:09:00,440 --> 00:09:04,577 リーの祖母は イギリス人だった。 64 00:09:04,577 --> 00:09:08,915 「白人の血を引く者に 中国武術を学ぶ資格はない」と➡ 65 00:09:08,915 --> 00:09:13,219 リーを 道場から 追放しようとしたのである。 66 00:09:28,601 --> 00:09:32,272 役者としての仕事も減った。 67 00:09:32,272 --> 00:09:35,975 18歳の時 リーは決断する。 68 00:09:39,145 --> 00:09:45,151 香港を離れ 新たな場所で 人生を切り開くことだった。 69 00:09:50,290 --> 00:09:57,297 1959年 リーは 出生地である アメリカの土を踏んだ。 70 00:10:00,934 --> 00:10:04,838 シアトルの中華料理店で働きながら➡ 71 00:10:04,838 --> 00:10:11,311 職業訓練学校に通い 高校卒業の資格を取得した。 72 00:10:11,311 --> 00:10:14,981 そして 猛勉強の末に➡ 73 00:10:14,981 --> 00:10:18,985 名門 ワシントン大学の哲学科に進学する。 74 00:10:21,654 --> 00:10:26,526 リーには アメリカで 成し遂げたいことがあった。 75 00:10:26,526 --> 00:10:31,531 自分を成長させてくれた 中国武術を広めることだった。 76 00:10:37,003 --> 00:10:43,343 リーは 学びたいという人がいれば 肌の色を問わず 受け入れた。 77 00:10:43,343 --> 00:10:49,649 技も 流派にも型にも縛られない より自由なものを目指した。 78 00:11:15,642 --> 00:11:21,514 そんな リーに 思いもかけない話が 舞い込むことになる。 79 00:11:21,514 --> 00:11:28,221 これは カリフォルニア州で開催された 国際空手選手権の映像。 80 00:11:34,327 --> 00:11:36,663 この大会に リーは➡ 81 00:11:36,663 --> 00:11:41,668 デモンストレーションを披露する 武道のプロとして招かれていた。 82 00:11:44,337 --> 00:11:49,642 そこで 圧巻の肉体と技を見せる。 83 00:11:53,346 --> 00:11:59,352 至近距離から 僅かな動作で 相手を突き飛ばす 強烈なパンチ。 84 00:12:01,955 --> 00:12:07,660 これが 後にリーの代名詞となる 「ワンインチパンチ」である。 85 00:12:10,630 --> 00:12:16,336 リーの強さと 甘いマスクに 目を付けたのが ハリウッドだった。 86 00:12:21,641 --> 00:12:27,947 1965年 リーは ハリウッドの スクリーンテストに呼ばれた。 87 00:13:49,662 --> 00:13:52,565 リーは テレビドラマの役を得た。 88 00:13:52,565 --> 00:13:57,570 武術の奥深さを伝えるチャンスだと 意気込んだ。 89 00:14:01,941 --> 00:14:07,280 ♬~ 90 00:14:07,280 --> 00:14:09,615 リーに与えられたのは➡ 91 00:14:09,615 --> 00:14:13,286 白人の主人公を支える 助手の役。 92 00:14:13,286 --> 00:14:16,189 だが その設定は 中国人ではなく➡ 93 00:14:16,189 --> 00:14:19,492 カトーという日本人だった。 94 00:14:22,295 --> 00:14:25,631 白人の主人公を 黙々と助ける役どころは➡ 95 00:14:25,631 --> 00:14:30,636 アメリカ社会における ステレオタイプのアジア人像だった。 96 00:14:57,563 --> 00:15:01,267 本来の志を果たすため➡ 97 00:15:01,267 --> 00:15:06,939 リーは ハリウッドで カンフードラマの企画を出し続けた。 98 00:15:06,939 --> 00:15:11,277 そして 大手映画会社と 一本の企画が動きだした。 99 00:15:11,277 --> 00:15:15,581 もちろん 自分が主演のつもりだった。 100 00:15:17,150 --> 00:15:19,952 しかし 蓋を開けてみると➡ 101 00:15:19,952 --> 00:15:25,958 主人公を演じたのは カンフーを全く知らない白人俳優だった。 102 00:15:27,827 --> 00:15:30,296 リーが 外された理由は➡ 103 00:15:30,296 --> 00:15:35,001 「顔が あまりにも中国人すぎる」 というものだった。 104 00:15:42,642 --> 00:15:48,514 リーが 死の2年前に応じた 貴重なインタビュー映像がある。 105 00:15:48,514 --> 00:15:54,987 撮影後 長らく行方不明だったことから 「ロスト・インタビュー」と呼ばれている。 106 00:15:54,987 --> 00:16:00,293 この中で 主役を 外された時の思いを語っている。 107 00:17:06,259 --> 00:17:09,161 インタビューでは こう語ったリーだが➡ 108 00:17:09,161 --> 00:17:13,466 知人への手紙では 当時の心情を吐露している。 109 00:17:29,949 --> 00:17:32,852 俳優の仕事に恵まれない間➡ 110 00:17:32,852 --> 00:17:38,958 リーは ハリウッドのスターたちに 武術の個人指導をして 生計を立てた。 111 00:17:38,958 --> 00:17:43,829 これは 映画「荒野の七人」で知られる ジェームズ・コバーンが➡ 112 00:17:43,829 --> 00:17:46,832 リーの指導を受ける映像。 113 00:17:49,969 --> 00:17:52,638 他にも スティーブ・マックイーンなど➡ 114 00:17:52,638 --> 00:17:56,943 第一線のハリウッド俳優たちが リーの元を訪ねた。 115 00:18:01,447 --> 00:18:05,918 彼らに教えたのは 従来のカンフーではなく➡ 116 00:18:05,918 --> 00:18:09,622 このころ 独自に完成をさせた武術… 117 00:18:11,257 --> 00:18:14,927 香港で学んだ詠春拳に ボクシングや フェンシングなど➡ 118 00:18:14,927 --> 00:18:18,631 西洋の要素を取り入れ 発展させた。 119 00:18:20,266 --> 00:18:25,137 リーは 思い込みや先入観から 自由になることこそが➡ 120 00:18:25,137 --> 00:18:28,140 強さの鍵であると説いた。 121 00:19:37,276 --> 00:19:40,613 香港では 西洋人と遠ざけられ➡ 122 00:19:40,613 --> 00:19:43,516 アメリカでは アジア人と蔑まれたリーが➡ 123 00:19:43,516 --> 00:19:48,220 武術を通して たどりついた境地だった。 124 00:19:52,958 --> 00:19:59,298 1970年 香港の映画プロデューサーから 声がかかる。 125 00:19:59,298 --> 00:20:06,972 これは 地元のテレビ番組に 招かれた時の映像。 126 00:20:06,972 --> 00:20:11,844 ハリウッドで出演したドラマが 香港でも放送され➡ 127 00:20:11,844 --> 00:20:14,847 リーは 有名俳優になっていた。 128 00:20:16,649 --> 00:20:21,954 リーは 念願だった カンフー映画の主演を果たす。 129 00:20:32,998 --> 00:20:39,338 1971年に公開された「ドラゴン危機一発」。 130 00:20:39,338 --> 00:20:43,676 スタントに頼らない リーのアクションは 話題を呼び➡ 131 00:20:43,676 --> 00:20:47,980 香港の興行記録を塗り替える 大ヒットとなった。 132 00:21:05,297 --> 00:21:10,169 リーは 香港で 立て続けに 3本の映画に主演。 133 00:21:10,169 --> 00:21:16,642 ここから 世界を舞台とした リーの快進撃が始まる。 134 00:21:16,642 --> 00:21:21,647 とりわけ熱狂したのが 偏見や差別に苦しむ人たちだった。 135 00:21:24,517 --> 00:21:30,222 1972年に公開された「ドラゴンへの道」。 136 00:21:34,994 --> 00:21:37,663 イタリア・ローマを舞台に➡ 137 00:21:37,663 --> 00:21:41,667 中国人武術家が ギャングと戦うストーリー。 138 00:21:45,337 --> 00:21:51,210 ヨーロッパロケを行った 初めての香港映画だった。 139 00:21:51,210 --> 00:21:55,347 空港で 白人から 怪訝な目を向けられるシーンは➡ 140 00:21:55,347 --> 00:21:59,051 リーの実体験が元になっている。 141 00:22:00,953 --> 00:22:04,957 映画のクライマックスは コロッセオでの対決シーン。 142 00:22:06,625 --> 00:22:09,962 主人公に立ちはだかる 最大の敵を演じたのは➡ 143 00:22:09,962 --> 00:22:14,667 実際の空手世界王者 チャック・ノリスだった。 144 00:22:19,972 --> 00:22:24,310 従来のカンフーにはない 軽やかなステップを踏み➡ 145 00:22:24,310 --> 00:22:27,012 敵の蹴りをかわす。 146 00:22:44,330 --> 00:22:51,036 10分に及ぶ格闘シーンは 映画史に残る名場面と評された。 147 00:22:59,678 --> 00:23:03,682 アイ アイ アイ! 148 00:23:05,951 --> 00:23:10,656 アメリカで この映画に熱狂したのが 黒人たちだった。 149 00:23:16,295 --> 00:23:20,966 東洋の武術を学ぼうとする黒人が 急増する。 150 00:23:20,966 --> 00:23:24,970 ♬~ 151 00:23:33,979 --> 00:23:39,985 リーを愛する黒人たちによって こんなカンフー映画も作られた。 152 00:23:53,999 --> 00:23:58,671 マイノリティーでありながら 勇敢に白人と渡り合う リーの姿を見て➡ 153 00:23:58,671 --> 00:24:01,373 留飲が下がった。 154 00:24:40,979 --> 00:24:46,185 リーの映画は こんな人物の心も震わせていた。 155 00:24:47,753 --> 00:24:53,559 中華人民共和国の最高指導者 毛沢東である。 156 00:24:55,327 --> 00:24:57,663 文革真っただ中の中国では➡ 157 00:24:57,663 --> 00:25:02,668 共産党政権が認めない映画の 上映は禁じられていた。 158 00:25:04,770 --> 00:25:10,976 だが毛沢東は ひそかに外国映画を 取り寄せ 鑑賞していた。 159 00:25:19,952 --> 00:25:23,455 その中で 特に気に入っていた作品が➡ 160 00:25:23,455 --> 00:25:26,058 「ドラゴン怒りの鉄拳」。 161 00:25:27,960 --> 00:25:29,895 20世紀初頭の上海で➡ 162 00:25:29,895 --> 00:25:33,098 日本人に師匠を殺された中国人武術家が➡ 163 00:25:33,098 --> 00:25:35,901 復讐に挑む物語である。 164 00:25:40,305 --> 00:25:51,116 ♬~ 165 00:26:20,779 --> 00:26:26,485 毛沢東は リーの中に 抗日のヒーローの姿を見いだした。 166 00:26:28,086 --> 00:26:31,457 「ブルース・リーこそ英雄だ」と言って 涙を流し➡ 167 00:26:31,457 --> 00:26:34,460 3回繰り返して見たという。 168 00:26:45,804 --> 00:26:47,840 世界の人気者となった リーに➡ 169 00:26:47,840 --> 00:26:53,145 一度は見限ったハリウッドから 出演オファーが殺到した。 170 00:26:59,118 --> 00:27:02,988 このころに カナダのテレビ局によって 撮影されたのが➡ 171 00:27:02,988 --> 00:27:06,191 「ロスト・インタビュー」である。 172 00:27:39,291 --> 00:27:45,097 1973年 リーは ハリウッドに迎え入れられた。 173 00:27:46,965 --> 00:27:49,801 映画「燃えよドラゴン」。 174 00:27:49,801 --> 00:27:53,972 これは その メイキング映像である。 175 00:27:53,972 --> 00:28:00,245 ♬~ 176 00:28:00,245 --> 00:28:03,916 当初 中国人スタッフと アメリカ人スタッフの間には➡ 177 00:28:03,916 --> 00:28:07,920 壁があったが 双方の言葉を操る リーの存在が➡ 178 00:28:07,920 --> 00:28:12,925 2つの文化の間に 化学反応を起こしていった。 179 00:28:37,449 --> 00:28:42,955 3か月の撮影期間を経て 映画は完成した。 180 00:28:46,959 --> 00:28:49,795 しかし ブルース・リーが➡ 181 00:28:49,795 --> 00:28:53,999 この映画公開の日を 迎えることはなかった。 182 00:29:05,244 --> 00:29:10,415 映画公開の直前 32歳の若さで 急死していた。 183 00:29:10,415 --> 00:29:14,419 死因は 脳の疾患といわれる。 184 00:29:16,288 --> 00:29:19,124 トレーニングで生じた 腰のけが。 185 00:29:19,124 --> 00:29:24,029 それを抑える痛み止めの 副作用だったという説もある。 186 00:29:28,433 --> 00:29:32,271 香港の葬儀には 3万人のファンが押し寄せ➡ 187 00:29:32,271 --> 00:29:35,974 国民的スターの 早すぎる死を悼んだ。 188 00:29:42,281 --> 00:29:45,183 アメリカ・シアトルでも 葬儀が行われ➡ 189 00:29:45,183 --> 00:29:48,687 ハリウッドの仲間たちが駆けつけた。 190 00:29:51,790 --> 00:29:53,825 デニムジャケットで現れたのは➡ 191 00:29:53,825 --> 00:29:58,530 キング・オブ・クールと 呼ばれていた スティーブ・マックイーン。 192 00:30:00,799 --> 00:30:06,805 知人の葬儀に参列するのは まれだったため 誰もが驚いたという。 193 00:30:19,184 --> 00:30:23,488 マックイーンの隣にいるのは ジェームズ・コバーン。 194 00:30:25,490 --> 00:30:29,995 後年 リーのことを こう振り返っている。 195 00:31:08,633 --> 00:31:11,470 リーの死後 「燃えよドラゴン」は➡ 196 00:31:11,470 --> 00:31:13,972 ハリウッドのチャイニーズシアターを はじめ➡ 197 00:31:13,972 --> 00:31:16,775 世界中で公開された。 198 00:31:19,845 --> 00:31:23,482 当たらないと言われた アジア人主役の映画は➡ 199 00:31:23,482 --> 00:31:29,187 世界で 6億5,000万ドルの興行収入を たたき出すことになる。 200 00:31:36,828 --> 00:31:41,333 日本でも ブルース・リーは ブームを巻き起こす。 201 00:31:43,335 --> 00:31:48,140 映画を見た若者は こぞってヌンチャクを振り回した。 202 00:31:53,011 --> 00:31:56,515 インドでも 公開直後から 人気に火がつき➡ 203 00:31:56,515 --> 00:32:00,919 インド人を主人公とした カンフー映画が 次々と作られた。 204 00:32:05,957 --> 00:32:11,763 多言語国家のインドで リーのカンフーは 言葉の壁を やすやすと越えた。 205 00:32:17,969 --> 00:32:19,905 遠く ヨーロッパで➡ 206 00:32:19,905 --> 00:32:22,474 大ブームを巻き起こした国がある。 207 00:32:22,474 --> 00:32:25,177 ユーゴスラビアである。 208 00:32:55,674 --> 00:33:00,078 ユーゴスラビア各地で 子供たちは こぞってカンフーを習い➡ 209 00:33:00,078 --> 00:33:02,781 ヌンチャクを振り回した。 210 00:33:10,722 --> 00:33:12,958 リーが亡くなった 5年後には➡ 211 00:33:12,958 --> 00:33:15,794 生前の撮影途中のフィルムをもとに➡ 212 00:33:15,794 --> 00:33:18,997 更に もう一本の映画が作られた。 213 00:33:21,600 --> 00:33:26,972 「死亡遊戯」と題された この映画も 大ヒットを記録。 214 00:33:26,972 --> 00:33:32,077 世界的に高まった ブルース・リー人気は 容易に冷めなかった。 215 00:33:41,319 --> 00:33:46,491 スポーツ界にも ブルース・リーに夢中になる者が現れた。 216 00:33:46,491 --> 00:33:52,197 アメリカ バスケットボール界の スーパースター… 217 00:33:55,500 --> 00:33:59,137 マイケル・ジョーダン以来の天才と 呼ばれた このレジェンドは➡ 218 00:33:59,137 --> 00:34:03,942 若い時からずっと ブルース・リーがヒーローだった。 219 00:34:05,777 --> 00:34:09,614 所属チームのコーチは 「死亡遊戯」に出演した➡ 220 00:34:09,614 --> 00:34:12,617 カリーム・アブドゥル=ジャバーだった。 221 00:34:32,804 --> 00:34:39,010 コービーは リーの言葉から 一つのことを極める大切さを学んだ。 222 00:35:35,834 --> 00:35:39,671 コービーは 2020年に事故で 亡くなるまで➡ 223 00:35:39,671 --> 00:35:44,876 ブルース・リーを 人生の師と 愛し続けた。 224 00:35:52,484 --> 00:35:57,355 1991年。 ブルース・リーが 国民的ヒーローとなっていた➡ 225 00:35:57,355 --> 00:36:01,593 ユーゴスラビアで 悲劇が起きる。 226 00:36:01,593 --> 00:36:05,463 さまざまな民族・言語・宗教によって 構成される➡ 227 00:36:05,463 --> 00:36:10,669 多民族国家は解体され 激しい紛争が始まった。 228 00:36:12,303 --> 00:36:17,776 特に ボスニア・ヘルツェゴビナは 3年に及ぶ泥沼の内戦となり➡ 229 00:36:17,776 --> 00:36:23,782 激戦地モスタルでは 町の象徴だった橋が 破壊された。 230 00:36:29,487 --> 00:36:33,291 紛争終結後の 2005年。 231 00:36:36,094 --> 00:36:41,299 民族の対立を超え 平和の象徴を 作ろうという機運が高まり➡ 232 00:36:41,299 --> 00:36:45,503 モスタルに一つの像が建てられた。 233 00:36:48,473 --> 00:36:51,309 ブルース・リーである。 234 00:36:51,309 --> 00:36:53,344 (拍手と歓声) 235 00:36:53,344 --> 00:36:57,115 さまざまな民族が暮らす この町の住民投票で➡ 236 00:36:57,115 --> 00:37:01,720 最も多くの票を集めたのが ブルース・リーだった。 237 00:37:49,801 --> 00:37:52,303 ブルース・リーは アメリカに住む➡ 238 00:37:52,303 --> 00:37:57,108 500万と言われる 中国系の人々の 地位を変えた。 239 00:37:58,977 --> 00:38:01,579 サンフランシスコでは 去年から➡ 240 00:38:01,579 --> 00:38:06,050 ブルース・リーの回顧展が 開催されている。 241 00:38:06,050 --> 00:38:08,119 アメリカでは ここ数年➡ 242 00:38:08,119 --> 00:38:12,023 アジア人へのヘイトクライムが しばしば起こってきた。 243 00:38:16,261 --> 00:38:22,066 そうした状況に 一石を投じようと この展覧会は開催された。 244 00:38:39,951 --> 00:38:45,089 この展覧会を訪れる 一人の中国系アメリカ人がいた。 245 00:38:45,089 --> 00:38:48,993 IT企業の経営者 フィリップ・ファン。 246 00:39:07,912 --> 00:39:14,786 シリコンバレーをはじめとして IT企業が集まる カリフォルニア。 247 00:39:14,786 --> 00:39:20,592 そこで中心的存在を担っているのが 中国系アメリカ人である。 248 00:39:24,762 --> 00:39:29,567 スタートアップ企業の40%が アジア系という時期もあった。 249 00:39:37,475 --> 00:39:42,080 そんな中国系の人々の 起業家精神を支えたのが➡ 250 00:39:42,080 --> 00:39:44,883 ブルース・リーの存在だった。 251 00:40:39,837 --> 00:40:44,676 2019年。 ブルース・リーが育った街 香港は➡ 252 00:40:44,676 --> 00:40:47,779 大きな変化の時を迎えていた。 253 00:40:50,548 --> 00:40:53,384 逃亡犯条例への抗議をきっかけに➡ 254 00:40:53,384 --> 00:40:57,855 200万を超える人々が 民主化デモに加わった。 255 00:40:57,855 --> 00:41:04,062 (デモの声) 256 00:41:05,596 --> 00:41:09,100 このデモには 一つの特徴があった。 257 00:41:09,100 --> 00:41:11,035 特定のリーダーを定めず➡ 258 00:41:11,035 --> 00:41:16,541 人々は 臨機応変に 分散・集合を繰り返した。 259 00:41:23,481 --> 00:41:29,654 これは 仲間を励ますメッセージが 貼り付けられた壁。 260 00:41:29,654 --> 00:41:34,659 そこには ブルース・リーの あの言葉があった。 261 00:42:06,958 --> 00:42:11,295 「Be Water」は 自由と民主化を求める市民たちの➡ 262 00:42:11,295 --> 00:42:14,632 共通のスローガンになっていた。 263 00:42:14,632 --> 00:42:22,940 ♬~ 264 00:43:06,451 --> 00:43:14,792 ♬~ 265 00:43:14,792 --> 00:43:19,630 香港の博物館でも ブルース・リーの特別展が開催され➡ 266 00:43:19,630 --> 00:43:23,968 多くの市民が訪れている。 267 00:43:23,968 --> 00:43:34,979 ♬~ 268 00:43:39,317 --> 00:43:45,723 「ロスト・インタビュー」は 最後 こんなやり取りで締めくくられている。 269 00:44:14,485 --> 00:44:38,976 ♬~