1 00:00:25,192 --> 00:00:29,997 ガザ地区を取材する パレスチナ人 ジャーナリストの映像である。 2 00:00:32,799 --> 00:00:38,605 道路の奥から イスラエル軍の戦車が現れ 突然 発砲を始めた。 3 00:00:38,605 --> 00:00:43,076 (発砲音) 4 00:00:43,076 --> 00:00:47,748 報道関係者であることを示す ベストを着用していたにもかかわらず➡ 5 00:00:47,748 --> 00:00:49,683 銃撃は続いた。 6 00:00:49,683 --> 00:00:55,689 (銃撃音) 7 00:00:59,192 --> 00:01:04,598 この銃撃で 一緒に取材していた仲間が死亡した。 8 00:01:07,834 --> 00:01:15,642 2024年 戦場で命を落とした ジャーナリストや報道関係者は 124人。 9 00:01:17,377 --> 00:01:21,281 過去30年で最多となった。 10 00:01:26,420 --> 00:01:32,192 戦火が起こると その真実を 伝えようとする者が現れる。 11 00:01:32,192 --> 00:01:37,898 ジャーナリストによる本格的な戦場取材が 始まったのは スペイン内戦だった。 12 00:01:37,898 --> 00:01:40,634 (爆発音) 13 00:01:40,634 --> 00:01:43,570 作家 アーネスト・ヘミングウェイも➡ 14 00:01:43,570 --> 00:01:46,573 ジャーナリストとして 戦場に身を投じ➡ 15 00:01:46,573 --> 00:01:50,777 ドキュメンタリー映画の 制作にも携わった。 16 00:01:59,353 --> 00:02:05,025 ヘミングウェイと行動を共にした カメラマン ロバート・キャパは➡ 17 00:02:05,025 --> 00:02:10,230 「崩れ落ちる兵士」を発表し 世界を震撼させた。 18 00:02:24,177 --> 00:02:26,513 (砲撃音) 19 00:02:26,513 --> 00:02:31,284 1937年 日中戦争が始まると➡ 20 00:02:31,284 --> 00:02:37,090 新聞各社は大勢の戦争特派員を 戦場に送り込んだ。 21 00:02:42,896 --> 00:02:47,734 しかし その写真は厳しい検閲を受け➡ 22 00:02:47,734 --> 00:02:52,039 多くが公開「不許可」となった。 23 00:03:15,162 --> 00:03:21,702 1945年 原爆投下直後の長崎。 24 00:03:21,702 --> 00:03:26,540 焦土の人々を撮り続けた人物がいた。 25 00:03:26,540 --> 00:03:31,178 アメリカの従軍カメラマン ジョー・オダネル。 26 00:03:31,178 --> 00:03:34,614 しかしその記憶は 彼の心を苛み➡ 27 00:03:34,614 --> 00:03:38,218 自ら写真を封印してしまう。 28 00:03:40,053 --> 00:03:44,991 沈黙を破ったのは 43年後のことだった。 29 00:03:44,991 --> 00:03:50,230 長崎の惨状を記録した写真を 初めて公開した。 30 00:03:50,230 --> 00:03:55,168 その後 世界に核廃絶と平和を訴え➡ 31 00:03:55,168 --> 00:03:57,971 声を上げ続けた。 32 00:04:12,185 --> 00:04:16,156 「映像の世紀バタフライエフェクト」。 33 00:04:16,156 --> 00:04:21,027 命を賭して 戦争の現実を 世界に伝えようとした➡ 34 00:04:21,027 --> 00:04:24,498 ジャーナリストたち。 35 00:04:24,498 --> 00:04:31,838 その言葉と映像は 人々を揺さぶり 時に歴史の流れを変えた。 36 00:04:31,838 --> 00:04:40,547 ♬~ 37 00:04:42,215 --> 00:04:44,217 (砲撃音) 38 00:04:50,290 --> 00:04:54,995 第二次世界大戦直前の1936年。 39 00:04:54,995 --> 00:04:58,999 スペイン全土で 内戦の火の手が上がった。 40 00:05:03,637 --> 00:05:08,008 国民に選挙によって選ばれた 共和国政府に対し➡ 41 00:05:08,008 --> 00:05:12,012 フランコ将軍率いる軍部が反乱を起こす。 42 00:05:13,680 --> 00:05:19,085 ドイツ・イタリアなどのファシスト陣営が 反乱軍を支援した。 43 00:05:24,457 --> 00:05:30,096 世界各国から集まったジャーナリスト たちは 共和国政府を支持し➡ 44 00:05:30,096 --> 00:05:34,301 戦場の真実を競って伝えようとした。 45 00:05:51,484 --> 00:05:54,921 これは アメリカ人作家➡ 46 00:05:54,921 --> 00:05:58,792 アーネスト・ヘミングウェイの 映像である。 47 00:05:58,792 --> 00:06:02,629 彼もまた 共和国政府を支援しながら➡ 48 00:06:02,629 --> 00:06:07,234 ジャーナリストとして 戦場を駆け巡った一人だった。 49 00:06:11,771 --> 00:06:15,375 新聞記者の見習いをしていた ヘミングウェイは➡ 50 00:06:15,375 --> 00:06:21,481 18歳で赤十字の運転手として 第一次世界大戦に参加。 51 00:06:24,751 --> 00:06:31,858 敵の攻撃で 砲弾の破片を 200か所以上受ける重傷を負った。 52 00:06:38,164 --> 00:06:41,768 死と隣り合わせの戦場での体験が➡ 53 00:06:41,768 --> 00:06:47,173 ヘミングウェイを 作家として形づくっていった。 54 00:07:25,245 --> 00:07:30,950 これは スペイン内戦を記録した ドキュメンタリー映画。 55 00:07:30,950 --> 00:07:32,886 ヘミングウェイは自ら➡ 56 00:07:32,886 --> 00:07:37,190 ナレーション原稿を書き 語りを務めた。 57 00:08:07,253 --> 00:08:12,759 これは 戦場取材中のヘミングウェイを 捉えた写真である。 58 00:08:17,831 --> 00:08:22,435 シャッターを切ったのは ロバート・キャパ。 59 00:08:22,435 --> 00:08:28,441 後に 20世紀最高の 戦場カメラマンと呼ばれる男である。 60 00:08:33,380 --> 00:08:39,486 スペイン内戦の取材中 ヘミングウェイと キャパは初めて出会った。 61 00:08:42,489 --> 00:08:47,961 ファシズムへの憎しみが 二人を結びつけた。 62 00:08:47,961 --> 00:08:52,465 その後 数々の戦場で行動を共にした。 63 00:09:16,990 --> 00:09:21,594 これは キャパの名を 世界にとどろかせた一枚… 64 00:09:24,230 --> 00:09:29,102 今日では その撮影状況について 疑問が呈されているが➡ 65 00:09:29,102 --> 00:09:35,475 共和国の兵士が銃弾に倒れる瞬間を捉えた 写真は 世界に衝撃を与え➡ 66 00:09:35,475 --> 00:09:39,279 反ファシズムの象徴となった。 67 00:10:32,866 --> 00:10:37,403 当時 無名の貧しいカメラマンだった キャパにとって➡ 68 00:10:37,403 --> 00:10:41,741 戦争は スクープをモノにし 名を上げる➡ 69 00:10:41,741 --> 00:10:44,944 絶好の機会だった。 70 00:11:12,705 --> 00:11:19,479 ♬~ 71 00:11:19,479 --> 00:11:25,084 日本では日中戦争の真実を伝えようとする ジャーナリストと➡ 72 00:11:25,084 --> 00:11:29,389 それを封じ込めようとする軍部が 対峙していた。 73 00:11:36,696 --> 00:11:40,934 新聞社を中心に 大勢の記者やカメラマンが➡ 74 00:11:40,934 --> 00:11:44,537 戦争特派員として送り込まれた。 75 00:12:00,286 --> 00:12:03,256 この戦場で 出版社の特派員として➡ 76 00:12:03,256 --> 00:12:07,660 取材に当たったのが 石川達三だった。 77 00:12:10,463 --> 00:12:13,866 石川は ブラジル移民を 余儀なくされた➡ 78 00:12:13,866 --> 00:12:17,503 貧しい農民たちを描いた 「蒼氓」で➡ 79 00:12:17,503 --> 00:12:22,609 第1回芥川賞を受賞した 期待の作家だった。 80 00:12:25,111 --> 00:12:30,717 後に 石川が インタビューに答える映像が残されている。 81 00:12:54,540 --> 00:12:58,211 1937年12月。 82 00:12:58,211 --> 00:13:03,116 日本軍は南京を陥落させ 市街に進軍した。 83 00:13:06,452 --> 00:13:10,289 石川は その翌月に現地に入り➡ 84 00:13:10,289 --> 00:13:16,095 南京攻略戦に参加した日本兵たちから 聞き取りを行った。 85 00:13:20,700 --> 00:13:25,171 この取材をもとに書き上げた 「生きてゐる兵隊」には➡ 86 00:13:25,171 --> 00:13:31,177 中国の民間人に危害を加える 日本兵の姿が記されていた。 87 00:13:35,815 --> 00:13:38,718 出版社は検閲を通すために➡ 88 00:13:38,718 --> 00:13:43,423 石川の原稿から 暴力描写などを伏せ字にした。 89 00:13:50,096 --> 00:13:55,735 しかし 雑誌は 発売直前に発禁処分となり➡ 90 00:13:55,735 --> 00:13:59,605 石川は安寧秩序を乱した罪で➡ 91 00:13:59,605 --> 00:14:05,411 禁錮4か月 執行猶予3年の 有罪判決を受けた。 92 00:15:02,902 --> 00:15:06,105 事はこれで終わらなかった。 93 00:15:06,105 --> 00:15:12,912 石川の作品は 中国の新聞社などによって 翻訳され 中国国内に広まる。 94 00:15:14,647 --> 00:15:18,518 同時に 雑誌「ライフ」など アメリカのメディアも➡ 95 00:15:18,518 --> 00:15:25,358 南京で日本軍による残虐行為があったと 報道した。 96 00:15:25,358 --> 00:15:30,763 国際世論の日本への非難が 高まっていった。 97 00:15:46,512 --> 00:15:52,452 戦争が長引くにつれ 当局は報道への統制を強めていく。 98 00:15:52,452 --> 00:15:57,089 新聞や雑誌に掲載される写真は 厳しく検閲され➡ 99 00:15:57,089 --> 00:16:03,396 国民の戦意と軍の士気を損なうものは 公開を「不許可」とした。 100 00:16:06,332 --> 00:16:12,471 これは 毎日新聞大阪本社が 軍部の焼却命令に背き➡ 101 00:16:12,471 --> 00:16:16,375 ひそかに残していた写真台帳。 102 00:16:18,845 --> 00:16:23,683 日中戦争の最中に検閲を受け 公開「不許可」とされた➡ 103 00:16:23,683 --> 00:16:27,587 戦場写真の数々である。 104 00:16:33,359 --> 00:16:36,262 楽器のチューバのように見えるのは➡ 105 00:16:36,262 --> 00:16:41,267 敵の空襲などをいち早く察知するための 空中聴音機である。 106 00:16:43,503 --> 00:16:50,109 戦場写真の中でも軍事兵器に関する検閲は 特に厳しかった。 107 00:16:53,079 --> 00:16:57,783 この何気ない前線での宴を捉えた一枚も➡ 108 00:16:57,783 --> 00:17:00,887 「不許可」となった。 109 00:17:47,066 --> 00:17:52,371 中国側の被害や遺体も 公開が許されなかった。 110 00:17:58,077 --> 00:18:03,883 さらに 捕虜の扱いなど 国際世論の悪化を警戒し➡ 111 00:18:03,883 --> 00:18:07,887 封じられた写真もあった。 112 00:18:14,093 --> 00:18:17,997 これは 南京攻略に向かう途中➡ 113 00:18:17,997 --> 00:18:24,003 陸軍の将校が愛用のカメラで撮影した プライベートフィルムである。 114 00:18:29,075 --> 00:18:35,915 映っているのは 燃え上がる中国の民家をはじめ➡ 115 00:18:35,915 --> 00:18:39,518 中国人の遺体だった。 116 00:18:43,923 --> 00:18:49,662 これは 南京陥落の翌年 日本軍の作戦中に撮られた➡ 117 00:18:49,662 --> 00:18:51,764 「不許可」写真である。 118 00:18:54,367 --> 00:19:00,473 毎日新聞の元戦争特派員は 次のように証言している。 119 00:19:57,830 --> 00:20:03,636 写真家 ロバート・キャパは 再び戦場へ向かった。 120 00:20:03,636 --> 00:20:09,442 次なる舞台は 第二次世界大戦中の ヨーロッパ戦線である。 121 00:20:21,520 --> 00:20:24,423 ある日のことだった。 122 00:20:24,423 --> 00:20:31,430 連合国軍の航空部隊の撮影中 キャパは衝撃の場面に遭遇した。 123 00:20:35,034 --> 00:20:40,840 目の前で 損傷し胴体着陸した 味方の爆撃機から➡ 124 00:20:40,840 --> 00:20:45,544 瀕死の乗組員が次々に運び出されていた。 125 00:20:49,548 --> 00:20:56,555 夢中でシャッターを切るキャパに パイロットが鋭く言い放った。 126 00:21:29,355 --> 00:21:34,527 傍観者ではなく 当事者でありたい。 127 00:21:34,527 --> 00:21:39,632 そう誓ったキャパに 雪辱の機会が訪れた。 128 00:21:42,268 --> 00:21:48,274 1944年6月6日の ノルマンディー上陸作戦である。 129 00:21:53,312 --> 00:21:59,518 キャパは 上陸第一陣に同行する 戦場カメラマンに選ばれ➡ 130 00:21:59,518 --> 00:22:03,722 兵士たちと共に オマハビーチに向かった。 131 00:22:07,259 --> 00:22:14,833 (砲撃音) 132 00:22:14,833 --> 00:22:21,841 船のタラップから飛び降り 兵士たちは 200m先の海岸を目指す。 133 00:22:26,579 --> 00:22:32,885 ドイツ軍の銃弾が降り注ぐ中 キャパは シャッターを切り続けた。 134 00:22:38,958 --> 00:22:43,929 敵に背中を向けながら 兵士を正面から捉えた この一枚は➡ 135 00:22:43,929 --> 00:22:47,666 歴史に残る写真と たたえられ➡ 136 00:22:47,666 --> 00:22:52,371 戦場カメラマン キャパの名を 不動のものにした。 137 00:23:24,470 --> 00:23:31,176 ♬~ 138 00:23:46,592 --> 00:23:52,498 このころ 日本は 太平洋戦争の最中にあった。 139 00:23:52,498 --> 00:23:57,236 ミッドウェー海戦での大敗を機に 戦局が悪化していたが➡ 140 00:23:57,236 --> 00:24:01,340 大本営は その事実を隠していた。 141 00:24:04,009 --> 00:24:05,978 (爆発音) 142 00:24:05,978 --> 00:24:11,083 ニュース映画は 撮影の場所を明かさず こんな出来事を伝えている。 143 00:24:34,974 --> 00:24:38,811 (砲撃音) 144 00:24:38,811 --> 00:24:46,518 しかしそのころ 北のベーリング海では 日本軍の守備隊が全滅していた。 145 00:24:46,518 --> 00:24:54,126 1943年5月 日本軍が占領していた アッツ島にアメリカ軍が上陸。 146 00:24:54,126 --> 00:24:59,398 日本の守備隊2,600人余りが玉砕した。 147 00:24:59,398 --> 00:25:02,735 しかし 日本の戦争特派員たちが➡ 148 00:25:02,735 --> 00:25:08,374 玉砕の様子を捉えた写真や映像は 存在しない。 149 00:25:08,374 --> 00:25:15,481 敗走が続く中 特派員にも もはや取材を進める余力はなかった。 150 00:25:30,162 --> 00:25:34,133 戦時中 写真や映像に代わって➡ 151 00:25:34,133 --> 00:25:39,605 軍部が国民の戦意高揚のために 積極的に活用したのが➡ 152 00:25:39,605 --> 00:25:42,808 「戦争画」だった。 153 00:25:48,781 --> 00:25:54,920 これは アッツ島の玉砕を描いた戦争画。 154 00:25:54,920 --> 00:26:01,727 画家は 戦いの写真がない状況下で 想像力に頼って描いた。 155 00:26:05,364 --> 00:26:13,005 現実にはなかったはずの すさまじい白兵戦を繰り広げる日本兵。 156 00:26:13,005 --> 00:26:18,811 その勇ましい姿に 国民は胸を打たれた。 157 00:26:28,487 --> 00:26:32,825 描いたのは 日本を代表する画家の一人➡ 158 00:26:32,825 --> 00:26:36,829 藤田嗣治だった。 159 00:26:36,829 --> 00:26:39,598 20世紀初めにパリに渡り➡ 160 00:26:39,598 --> 00:26:44,470 ピカソなどと交流を持った 藤田は 「裸婦像」で➡ 161 00:26:44,470 --> 00:26:48,373 世界に新風を巻き起こしていた。 162 00:26:55,714 --> 00:27:02,621 その藤田が 戦時下では 玉砕を描く戦争画家となった。 163 00:27:42,694 --> 00:27:48,200 1944年のサイパン島の玉砕も 戦争画に描かれた。 164 00:27:50,269 --> 00:27:56,175 当時 戦争画において 日本兵の死体を描くことはタブーだった。 165 00:28:10,455 --> 00:28:16,762 死んでいるのは アメリカ兵ばかりで 日本兵の死体は見あたらない。 166 00:28:22,901 --> 00:28:25,771 藤田の「アッツ島玉砕」も➡ 167 00:28:25,771 --> 00:28:31,977 日本兵の足元に横たわっている死体は 全てアメリカ兵である。 168 00:28:41,119 --> 00:28:48,293 画家たちには日本兵の死体を描くことなく 日本の「玉砕」を描けという➡ 169 00:28:48,293 --> 00:28:52,397 矛盾した命令が課せられていた。 170 00:29:28,934 --> 00:29:34,273 1945年8月。 171 00:29:34,273 --> 00:29:39,978 アメリカは 広島と長崎に 原子爆弾を投下した。 172 00:29:48,286 --> 00:29:50,789 (歓声) 173 00:29:50,789 --> 00:29:56,495 3年8か月に及んだ戦争は 終わった。 174 00:29:56,495 --> 00:30:03,201 当時 アメリカ国民の85%が 原爆投下を支持した。 175 00:30:11,510 --> 00:30:17,215 終戦の翌月 アメリカの占領軍が 九州に上陸する。 176 00:30:25,023 --> 00:30:28,860 従軍カメラマンの ジョー・オダネル軍曹は➡ 177 00:30:28,860 --> 00:30:33,865 日本の被害状況を撮影する任務を 負っていた。 178 00:30:39,404 --> 00:30:44,409 オダネルは 焦土化した長崎市内に向かった。 179 00:31:04,496 --> 00:31:08,800 ある時だった。 撮影していたオダネルは➡ 180 00:31:08,800 --> 00:31:14,172 瓦礫の奥に人がいることに気付く。 181 00:31:14,172 --> 00:31:17,509 遺骨を抱えた家族だった。 182 00:31:17,509 --> 00:31:22,214 その光景に オダネルは胸を突かれた。 183 00:31:25,383 --> 00:31:31,089 当時アメリカ軍は 許可なく日本人の姿を写すことを禁じ➡ 184 00:31:31,089 --> 00:31:35,594 使用できる機材は 軍の業務用カメラに限定していた。 185 00:31:41,600 --> 00:31:46,638 だがオダネルは 軍の命令に背き➡ 186 00:31:46,638 --> 00:31:49,541 持っていたプライベートカメラで➡ 187 00:31:49,541 --> 00:31:54,446 長崎の人々に ひそかにレンズを向けていく。 188 00:31:57,916 --> 00:32:02,754 被爆者が治療を受ける救護所にも 足を運んでいる。 189 00:32:02,754 --> 00:32:08,860 そこで 正義の名のもとに 何が行われていたのかを知った。 190 00:32:40,992 --> 00:32:45,897 そしてオダネルは 生涯忘れられない光景と出会う。 191 00:32:49,201 --> 00:32:54,739 焼き場で順番を待つ 一人の少年。 192 00:32:54,739 --> 00:32:58,944 亡くなった幼い弟を 背負っていた。 193 00:34:08,280 --> 00:34:12,651 7か月にわたる任務を終え 帰国したオダネルは➡ 194 00:34:12,651 --> 00:34:17,656 長崎での記憶に 精神を苛まれていく。 195 00:34:46,651 --> 00:34:49,921 記憶を消し去ろうとするかのように➡ 196 00:34:49,921 --> 00:34:56,928 オダネルは プライベートで撮影した 300枚のネガを トランクに封印した。 197 00:35:03,368 --> 00:35:05,370 (砲声) 198 00:35:15,480 --> 00:35:19,951 戦後 アメリカ情報局の所属となった オダネルは➡ 199 00:35:19,951 --> 00:35:25,657 ホワイトハウス付きのカメラマンとして 4代の大統領に仕える。 200 00:35:30,996 --> 00:35:35,934 最初に担当したのは 原爆投下の決定を下した➡ 201 00:35:35,934 --> 00:35:38,737 トルーマン大統領だった。 202 00:35:40,605 --> 00:35:44,409 オダネルは一度だけ 心の奥にある問いを➡ 203 00:35:44,409 --> 00:35:47,612 トルーマンにぶつけたことがある。 204 00:36:16,641 --> 00:36:22,781 国家が推し進める核戦略と それを容認する社会の中で➡ 205 00:36:22,781 --> 00:36:30,188 オダネルは 心の傷を語ることも 疑問を発することもできず➡ 206 00:36:30,188 --> 00:36:33,591 沈黙を守り続けた。 207 00:36:39,030 --> 00:36:44,035 オダネルが沈黙を破るのは 43年後のことだった。 208 00:36:46,404 --> 00:36:52,210 1989年のある日 ケンタッキーの修道院を 訪れたオダネルは➡ 209 00:36:52,210 --> 00:36:56,147 一つの彫像に出会った。 210 00:36:56,147 --> 00:37:01,886 十字架にかけられた男が 炎に焼かれている この像には➡ 211 00:37:01,886 --> 00:37:07,492 広島と長崎の被爆者の写真が 張り付けられていた。 212 00:37:48,366 --> 00:37:53,505 オダネルは 写真の封印を 解くことを決意➡ 213 00:37:53,505 --> 00:37:57,308 アメリカ各地での写真展を試みる。 214 00:37:59,310 --> 00:38:05,917 しかし 原爆被害の写真展を 受け入れる施設は少なかった。 215 00:38:09,454 --> 00:38:14,359 1992年からは 日本でも写真を公開した。 216 00:38:16,027 --> 00:38:19,664 会場には多くの人が足を運び➡ 217 00:38:19,664 --> 00:38:24,769 オダネルは 自らの体験を語る活動を始めた。 218 00:38:43,454 --> 00:38:50,261 そしてオダネルは 焼き場で出会った あの少年の行方を追った。 219 00:39:25,029 --> 00:39:30,134 しかし 消息をつかむことは叶わなかった。 220 00:39:37,642 --> 00:39:45,183 2007年 ジョー・オダネルは 85歳でこの世を去った。 221 00:39:45,183 --> 00:39:51,990 その日はくしくも長崎に原爆が落とされた 8月9日だった。 222 00:41:19,010 --> 00:41:20,979 (爆発音) 223 00:41:20,979 --> 00:41:23,514 (サイレン) 224 00:41:23,514 --> 00:41:29,320 今も世界の各地で ジャーナリストが 命を落としている。 225 00:41:33,591 --> 00:41:38,496 ガザで ウクライナで 世界の紛争地で。 226 00:41:41,833 --> 00:41:44,402 2024年7月には➡ 227 00:41:44,402 --> 00:41:48,272 世界的なニュースネットワーク アルジャジーラの記者が➡ 228 00:41:48,272 --> 00:41:52,577 イスラエル軍のドローン攻撃を受けて 死亡した。 229 00:41:55,346 --> 00:41:58,149 イスラエル軍はSNSで➡ 230 00:41:58,149 --> 00:42:03,454 「彼はジャーナリストではなく テロリストだ」と主張している。 231 00:42:06,591 --> 00:42:13,698 真実を伝えようとすることは 今もなお 命を懸ける行為である。 232 00:42:17,235 --> 00:42:19,337 (爆撃音) 233 00:42:31,783 --> 00:42:36,888 小さな教会で写真展が開かれ 多くの人が訪れていた。 234 00:42:43,294 --> 00:42:50,401 展示されたのは 元従軍カメラマン ジョー・オダネルの長崎の写真だった。 235 00:42:54,605 --> 00:43:01,612 ♬~ 236 00:43:32,910 --> 00:43:38,916 オダネルが残した写真は 80年前の記憶を語り続けている。 237 00:43:41,085 --> 00:43:48,526 ローマ教皇は 核兵器禁止条約が 国連で採択された 2017年➡ 238 00:43:48,526 --> 00:43:53,631 平和への祈りを込め ある写真をカードにした。 239 00:43:58,803 --> 00:44:03,441 オダネルの 「焼き場に立つ少年」だった。 240 00:44:03,441 --> 00:44:39,744 ♬~