1 00:00:00,934 --> 00:00:07,541 ♬~ 2 00:00:24,992 --> 00:00:29,830 これは 1947年のイギリス。 3 00:00:29,830 --> 00:00:37,437 大量の新生児誕生の対応に追われる 助産院の映像である。 4 00:00:40,474 --> 00:00:44,311 第2次世界大戦が終結➡ 5 00:00:44,311 --> 00:00:52,019 平和な時代の訪れに 世界の人々は 子どもをつくった。 6 00:00:53,854 --> 00:01:02,930 1950年からの10年間で 先進国の人口は 毎年1,000万人ずつ増加。 7 00:01:02,930 --> 00:01:05,332 この時代に生まれた子どもは➡ 8 00:01:05,332 --> 00:01:10,137 「ベビーブーマー」と呼ばれた。 9 00:01:21,915 --> 00:01:24,685 大学生になったベビーブーマーは➡ 10 00:01:24,685 --> 00:01:31,291 世界中で 同時に 社会に「NO」を突きつけ始めた。 11 00:01:31,291 --> 00:01:34,561 西側の若者たちが叫んだのは➡ 12 00:01:34,561 --> 00:01:39,166 ベトナム戦争反対だった。 13 00:01:42,069 --> 00:01:48,175 罪なき人々の命を 奪い続けるアメリカ➡ 14 00:01:48,175 --> 00:01:52,179 そして それに加担する自国の政府に➡ 15 00:01:52,179 --> 00:01:56,416 若者たちは まるで示し合わせたかのように➡ 16 00:01:56,416 --> 00:02:02,923 一斉に路上に飛び出し 抗議の声を上げた。 17 00:02:06,860 --> 00:02:09,763 東側の社会主義圏でも➡ 18 00:02:09,763 --> 00:02:15,135 自由と民主化を求める声が 同時に上がった。 19 00:02:15,135 --> 00:02:17,137 チェコスロバキア。 20 00:02:18,805 --> 00:02:22,109 ポーランド。 21 00:02:24,177 --> 00:02:28,382 (催涙弾を撃つ音) 22 00:02:28,382 --> 00:02:35,689 しかし 若者たちの反乱は 力で抑え込まれた。 23 00:02:35,689 --> 00:02:43,797 彼らの反抗のエネルギーは 何も生み出さなかったかに見えた。 24 00:02:47,067 --> 00:02:51,772 その21年後の1989年。 25 00:02:51,772 --> 00:02:55,976 世界は 再び揺れた。 26 00:03:00,914 --> 00:03:05,252 社会主義国で 相次いで民主化が果たされ➡ 27 00:03:05,252 --> 00:03:12,259 ドミノ倒しのように 共産党政権が倒れたのである。 28 00:03:19,666 --> 00:03:22,169 そして… 29 00:03:24,938 --> 00:03:26,907 (たたく音) 30 00:03:26,907 --> 00:03:32,379 21年前に抑え込まれた 若者たちの反乱のエネルギーは➡ 31 00:03:32,379 --> 00:03:39,286 ひそかに受け継がれ 冷戦の壁崩壊につながった。 32 00:04:02,342 --> 00:04:07,114 「映像の世紀 バタフライエフェクト」。 33 00:04:07,114 --> 00:04:10,917 世界は 変えることができるはず。 34 00:04:10,917 --> 00:04:15,789 1968年と1989年。 35 00:04:15,789 --> 00:04:18,658 激動の2つの年をつないだ➡ 36 00:04:18,658 --> 00:04:24,464 人々の勇気の連鎖の物語である。 37 00:04:33,874 --> 00:04:36,476 (銃声) 38 00:04:38,712 --> 00:04:42,215 1968年4月。 39 00:04:43,884 --> 00:04:50,891 西ベルリンで 一人の若者が 3発の銃弾を浴びた。 40 00:04:54,628 --> 00:04:58,832 撃たれたのは 学生運動のリーダー… 41 00:05:00,433 --> 00:05:03,770 命は かろうじて 取り留めたものの➡ 42 00:05:03,770 --> 00:05:08,175 重い脳の後遺症が残った。 43 00:05:19,319 --> 00:05:27,794 ドゥチュケは ベトナム反戦運動を率いる 学生たちのカリスマだった。 44 00:05:27,794 --> 00:05:32,599 当時 西ドイツでは ベトナム戦争を続けるアメリカへの➡ 45 00:05:32,599 --> 00:05:36,803 激しい抗議が 巻き起こっていた。 46 00:05:52,919 --> 00:05:55,822 これは 学生たちが開いた➡ 47 00:05:55,822 --> 00:06:01,127 ベトナム反戦を訴える 集会の映像である。 48 00:06:07,434 --> 00:06:12,305 大人たちの目には 若者たちの血気盛んな振る舞いが➡ 49 00:06:12,305 --> 00:06:17,210 ナチスの再来のように映っていた。 50 00:06:29,322 --> 00:06:32,125 大人たちもデモを組織し➡ 51 00:06:32,125 --> 00:06:38,632 学生運動の顔であったドゥチュケを 痛烈に批判した。 52 00:06:42,902 --> 00:06:45,605 更に 大手新聞社は➡ 53 00:06:45,605 --> 00:06:50,310 学生たちを非難する キャンペーンを展開。 54 00:06:53,146 --> 00:06:55,615 時に 力ずくの排除を➡ 55 00:06:55,615 --> 00:06:59,219 示唆する言葉まで並べた。 56 00:07:00,820 --> 00:07:02,923 (銃声) 57 00:07:05,992 --> 00:07:09,629 ドゥチュケの銃撃犯が 持っていた新聞には➡ 58 00:07:09,629 --> 00:07:16,503 「今すぐに ドゥチュケを止めろ!」という 見出しが躍っていた。 59 00:07:16,503 --> 00:07:35,722 ♬~ 60 00:07:35,722 --> 00:07:40,427 銃撃の現場から 壁で隔てられた… 61 00:07:42,529 --> 00:07:48,835 ドゥチュケ銃撃に怒る 一曲の歌が生まれていた。 62 00:07:51,338 --> 00:07:55,842 歌ったのは 東ドイツの詩人… 63 00:08:00,480 --> 00:08:04,217 もともとは 西ドイツの出身。 64 00:08:04,217 --> 00:08:09,723 社会主義に傾倒し 東ドイツに移り住んでいた。 65 00:08:11,424 --> 00:08:17,097 しかし 東ドイツの政治体制を 度々 批判していたため➡ 66 00:08:17,097 --> 00:08:22,802 人前で歌うことを 政府に禁じられていた。 67 00:08:25,505 --> 00:08:29,376 彼には 義理の娘がいた。 68 00:08:29,376 --> 00:08:32,879 後に ミュージシャンになる… 69 00:08:37,917 --> 00:08:42,756 9歳の時に ニナの母親が ビーアマンと結婚し➡ 70 00:08:42,756 --> 00:08:47,560 2人は 親子になっていた。 71 00:09:11,785 --> 00:09:14,621 ビーアマンの「怒りの歌」は➡ 72 00:09:14,621 --> 00:09:20,760 壁の向こう側の 西ベルリンに逆流していた。 73 00:09:20,760 --> 00:09:32,072 ♬~ 74 00:09:43,016 --> 00:09:45,652 デモ隊の一部は暴徒化し➡ 75 00:09:45,652 --> 00:09:52,258 ドゥチュケを中傷した新聞社を 2,000人が襲撃した。 76 00:10:15,615 --> 00:10:23,923 警官隊は 放水車や催涙弾を使い 彼らを力で鎮圧した。 77 00:10:34,968 --> 00:10:42,275 だが この一部始終を 多数のテレビカメラが記録していた。 78 00:10:43,977 --> 00:10:49,215 撮影された映像は 実用化されたばかりの衛星回線で➡ 79 00:10:49,215 --> 00:10:54,120 世界に瞬時に届けられた。 80 00:11:14,874 --> 00:11:21,481 パリの学生たちは テレビで見た ドイツの同世代の怒りに共感し➡ 81 00:11:21,481 --> 00:11:29,188 警察官に向かって 石畳からレンガを剥がし 投げつけた。 82 00:11:55,982 --> 00:11:59,986 アメリカでは コロンビア大学の学生たちが➡ 83 00:11:59,986 --> 00:12:06,492 軍事研究の停止を求め キャンパスを占拠した。 84 00:12:08,928 --> 00:12:14,334 イギリスでも デモ隊が アメリカ大使館に向かって行進し➡ 85 00:12:14,334 --> 00:12:18,938 警官隊が それを阻んだ。 86 00:12:24,944 --> 00:12:30,149 日本では 米軍の燃料を運ぶ 貨物列車を止めようと➡ 87 00:12:30,149 --> 00:12:36,456 若者たちが 国鉄新宿駅へ突入した。 88 00:12:41,160 --> 00:12:44,063 西側の若者たちの反乱は➡ 89 00:12:44,063 --> 00:12:50,970 テレビやラジオを通して 壁の向こう側にも伝わっていた。 90 00:12:55,208 --> 00:12:58,111 社会主義国 ポーランドの学生も➡ 91 00:12:58,111 --> 00:13:03,716 政治の民主化を求めて 立ち上がった。 92 00:13:07,787 --> 00:13:15,895 これは 警察当局が捜査のために撮影した 学生デモの映像である。 93 00:13:17,463 --> 00:13:23,069 ヘルメットをかぶり 通りを警備する 多数の警官隊。 94 00:13:24,804 --> 00:13:31,511 デモ隊に襲いかかり 力で鎮圧しようとしている。 95 00:13:37,483 --> 00:13:43,990 この2色の腕章をした集団は 運動を鎮圧するために集められた➡ 96 00:13:43,990 --> 00:13:47,493 「民警」と呼ばれる組織。 97 00:13:49,195 --> 00:13:53,633 ポーランド政府は 労働者を民警として動員し➡ 98 00:13:53,633 --> 00:14:01,040 学生を弾圧させることで 両者の対立を あおっていた。 99 00:14:07,580 --> 00:14:12,852 港町 グダニスクの造船所にも 学生たちが やって来て➡ 100 00:14:12,852 --> 00:14:16,756 労働者に団結を求めた。 101 00:14:18,458 --> 00:14:25,164 しかし 労働者たちは相手にしなかった。 102 00:14:27,600 --> 00:14:33,740 だが 一人 学生たちの声に 耳を傾ける人物がいた。 103 00:14:33,740 --> 00:14:41,147 電気工として働く レフ・ワレサ この時 24歳。 104 00:15:23,723 --> 00:15:28,327 同じころ 隣国チェコスロバキアでも➡ 105 00:15:28,327 --> 00:15:31,597 「プラハの春」と呼ばれた 民主化の動きを➡ 106 00:15:31,597 --> 00:15:36,702 ソビエトの戦車が じゅうりんした。 107 00:15:39,172 --> 00:15:43,042 国営のテレビ局は 戦車の迫る中➡ 108 00:15:43,042 --> 00:15:48,147 世界に向けて 非常事態を訴え続けた。 109 00:16:13,339 --> 00:16:19,145 この時 勇気ある行動に出る人物がいた。 110 00:16:23,950 --> 00:16:28,154 弾圧を逃れながら 放送を続けるラジオ局から➡ 111 00:16:28,154 --> 00:16:32,658 市民に向け メッセージを発した。 112 00:17:14,500 --> 00:17:19,138 パリの学生が 警官に投げつけたレンガの音は➡ 113 00:17:19,138 --> 00:17:22,341 瞬く間に 世界に鳴り響き➡ 114 00:17:22,341 --> 00:17:27,179 プラハの若者が 丸腰で戦車に立ち向かう覚悟を➡ 115 00:17:27,179 --> 00:17:30,983 世界が見ていた。 116 00:17:37,657 --> 00:17:40,960 衛星を使ったテレビの電波は➡ 117 00:17:40,960 --> 00:17:47,967 東西の壁を越え 若者たちを団結させていた。 118 00:18:11,424 --> 00:18:15,227 (催涙弾を撃つ音) 119 00:18:29,508 --> 00:18:36,515 若者たちは 権力の分厚い壁に 押し返されていく。 120 00:18:38,150 --> 00:18:47,259 無力感を抱き 路上から 一人 また一人と去っていった。 121 00:18:50,663 --> 00:18:54,600 若者たちの反乱のあとに残されたのは➡ 122 00:18:54,600 --> 00:19:02,274 バリケードの残骸や 引き剥がされた 無残な石畳だけだった。 123 00:19:02,274 --> 00:19:13,586 ♬~ 124 00:19:24,897 --> 00:19:34,240 ♬~ 125 00:19:34,240 --> 00:19:40,546 21年後の1989年。 126 00:19:43,649 --> 00:19:53,059 東ドイツの建国40周年式典に 社会主義陣営の指導者が 顔をそろえた。 127 00:19:55,728 --> 00:20:01,534 この国で18年間 権力の座に君臨するホーネッカーは➡ 128 00:20:01,534 --> 00:20:07,940 社会主義の成功を 高らかに宣言した。 129 00:20:24,623 --> 00:20:33,332 だが この時 東ドイツ市民の怒りは 爆発寸前だった。 130 00:20:36,068 --> 00:20:40,573 市民が 政府への不信感を 抱き始めたのは➡ 131 00:20:40,573 --> 00:20:48,080 この13年前に起こった 一人の人物の 国外追放が きっかけだった。 132 00:21:04,363 --> 00:21:07,967 1968年に東ドイツで➡ 133 00:21:07,967 --> 00:21:14,073 「ルディ・ドゥチュケに3発の銃弾」を 歌った男である。 134 00:21:15,841 --> 00:21:20,346 追放処分の理由は 西ドイツに渡り➡ 135 00:21:20,346 --> 00:21:26,218 7,000人の観客を前に 東ドイツ政府を批判したこと。 136 00:21:26,218 --> 00:21:28,888 その時の公演の映像である。 137 00:21:28,888 --> 00:21:33,726 (拍手) 138 00:21:33,726 --> 00:21:47,940 ♬~ 139 00:22:03,155 --> 00:22:06,058 この公演の3日後➡ 140 00:22:06,058 --> 00:22:14,066 ビーアマンは 東ドイツ政府から 市民権を剥奪された。 141 00:22:17,603 --> 00:22:22,808 しかし ビーアマンは 国民から人気を集めるミュージシャンで➡ 142 00:22:22,808 --> 00:22:27,313 熱烈な社会主義者でもあった。 143 00:22:28,981 --> 00:22:33,485 そんな人物までも 追放してしまう政府に対し➡ 144 00:22:33,485 --> 00:22:38,390 市民は 怒りに震えた。 145 00:23:22,468 --> 00:23:30,142 帰ってこられなくなった父親のために 娘 ニナ・ハーゲンが立ち上がった。 146 00:23:30,142 --> 00:23:34,546 彼女もまた ミュージシャンになっていた。 147 00:23:34,546 --> 00:23:47,760 ♬~ 148 00:23:47,760 --> 00:23:49,762 代表曲… 149 00:23:52,498 --> 00:23:59,271 東ドイツの自由のない生活を モノクロの写真に例えている。 150 00:23:59,271 --> 00:24:06,578 市民の2人に1人が歌えるという 国民的ヒットとなった。 151 00:24:34,106 --> 00:24:41,814 ニナは 父親の追放の撤回を求める 署名集めに奔走した。 152 00:24:59,832 --> 00:25:05,637 だが ビーアマンの追放処分が 覆ることはなかった。 153 00:25:05,637 --> 00:25:11,143 ニナは 父親の後を追って 西ドイツへと渡った。 154 00:25:11,143 --> 00:25:18,851 東ドイツは 2人の大切なアーティストを失った。 155 00:25:22,254 --> 00:25:25,657 1989年2月。 156 00:25:25,657 --> 00:25:32,264 この年の変革の口火を切ったのは ポーランドだった。 157 00:25:33,932 --> 00:25:38,737 舞台は 首都ワルシャワ。 158 00:25:41,607 --> 00:25:46,979 一つの円卓を囲んで 共産党幹部と労働者の代表が➡ 159 00:25:46,979 --> 00:25:53,585 国家の将来について 直接 議論を戦わせた。 160 00:25:57,156 --> 00:26:02,628 社会主義国家の幹部が 労働者の声に じかに耳を傾ける➡ 161 00:26:02,628 --> 00:26:05,531 画期的な場となった。 162 00:26:07,232 --> 00:26:11,937 この歴史的な会議を 実現させたのは… 163 00:26:16,341 --> 00:26:22,848 1968年 造船所で 電気工として働いていた時➡ 164 00:26:22,848 --> 00:26:29,154 同僚たちに 学生との団結を呼びかけた人物だった。 165 00:26:31,023 --> 00:26:33,859 それから 21年。 166 00:26:33,859 --> 00:26:37,162 ワレサは 全国的な労働組合➡ 167 00:26:37,162 --> 00:26:41,867 「連帯」のリーダーとなっていた。 168 00:26:54,613 --> 00:27:00,886 社会主義経済のもとで ポーランドの国民は困窮していた。 169 00:27:00,886 --> 00:27:08,393 食料を求めて並んでも 店には そもそも物が無かった。 170 00:27:10,896 --> 00:27:14,766 「連帯」は 共産党のコントロールを受けない➡ 171 00:27:14,766 --> 00:27:18,770 初めての労働組合だった。 172 00:27:25,777 --> 00:27:29,882 「連帯」を組織したのが ワレサだった。 173 00:27:31,517 --> 00:27:36,922 1968年に 民主化を求めた人たちとも 手を結び➡ 174 00:27:36,922 --> 00:27:41,627 政府に改革を要求した。 175 00:27:43,262 --> 00:27:51,770 そして ついに 政府との対等な交渉の場を 実現させたのだった。 176 00:28:26,805 --> 00:28:31,777 交渉の結果 議会の一部の議席について➡ 177 00:28:31,777 --> 00:28:39,384 戦後初めて 複数政党が立つ 自由選挙が行われた。 178 00:28:39,384 --> 00:28:43,255 国民の意思は明らかだった。 179 00:28:43,255 --> 00:28:48,961 「連帯」は 99%の議席を獲得し 圧勝。 180 00:28:50,729 --> 00:28:54,967 そして ワレサ率いる「連帯」を中心とする➡ 181 00:28:54,967 --> 00:29:03,075 非共産党政権が 東側陣営に 初めて生まれた。 182 00:29:12,417 --> 00:29:17,356 そのころ 同じ社会主義国のハンガリーでは➡ 183 00:29:17,356 --> 00:29:24,096 ポーランドの民主化と連鎖するような 出来事が始まっていた。 184 00:29:24,096 --> 00:29:29,334 西側 オーストリアとの国境に 設けられていた鉄条網を➡ 185 00:29:29,334 --> 00:29:34,640 ハンガリーの兵士たちが撤去していく。 186 00:29:36,441 --> 00:29:39,111 当時 社会主義陣営は➡ 187 00:29:39,111 --> 00:29:42,714 国民の西側への逃亡を防ぐために➡ 188 00:29:42,714 --> 00:29:45,250 国境を厳しく警備。 189 00:29:45,250 --> 00:29:48,754 「鉄のカーテン」を築いていた。 190 00:29:50,455 --> 00:29:56,328 しかし ハンガリーでは 2年前から 西側への旅行が自由化され➡ 191 00:29:56,328 --> 00:30:01,733 鉄条網は 意味を持たなくなっていた。 192 00:30:04,136 --> 00:30:08,006 鉄条網の維持にも 多額の費用が かかり➡ 193 00:30:08,006 --> 00:30:14,713 財政の苦しいハンガリーにとって 大きな負担となっていた。 194 00:30:17,883 --> 00:30:21,186 ただ これを 無断で撤去すれば➡ 195 00:30:21,186 --> 00:30:25,390 ソビエトの怒りを 買いかねなかった。 196 00:30:26,992 --> 00:30:34,900 首相ネーメトは この2か月前 モスクワへと飛んでいた。 197 00:31:06,465 --> 00:31:13,171 ハンガリー政府は オーストリア国境の 鉄条網の撤去を決めた。 198 00:31:14,806 --> 00:31:18,677 この決断の きっかけは 経済的なものだったが➡ 199 00:31:18,677 --> 00:31:25,083 世界にとっては 全く違う意味を持っていた。 200 00:31:39,898 --> 00:31:42,801 ニュースを見て集まってきたのは➡ 201 00:31:42,801 --> 00:31:46,104 西側への移動が許されていない➡ 202 00:31:46,104 --> 00:31:49,808 東ドイツの市民だった。 203 00:31:51,943 --> 00:31:56,081 人々は 同じ社会主義圏のハンガリーに➡ 204 00:31:56,081 --> 00:31:59,384 旅行客として まず入国。 205 00:31:59,384 --> 00:32:02,954 「鉄のカーテン」に開いた 小さな穴を通って➡ 206 00:32:02,954 --> 00:32:06,858 西側への亡命を 目指した。 207 00:32:08,760 --> 00:32:13,365 8月には 1日あたり数百の市民が➡ 208 00:32:13,365 --> 00:32:16,268 東ドイツでの生活を なげうち➡ 209 00:32:16,268 --> 00:32:22,374 車を乗り捨て 国境を越えていった。 210 00:32:59,778 --> 00:33:07,953 東ドイツに残った人々の間では 改革を求める声が爆発した。 211 00:33:07,953 --> 00:33:12,824 11月4日。 東ベルリンでは 市民が➡ 212 00:33:12,824 --> 00:33:19,331 旅行の自由や 一党独裁の廃止を求めて 声を上げた。 213 00:33:21,166 --> 00:33:24,536 この日 アレクサンダー広場は➡ 214 00:33:24,536 --> 00:33:30,442 50万以上もの市民で埋め尽くされた。 215 00:33:34,179 --> 00:33:38,483 人々は あるプラカードを掲げた。 216 00:33:38,483 --> 00:33:42,420 13年前に国外追放されたミュージシャン➡ 217 00:33:42,420 --> 00:33:46,892 ビーアマンの帰国を求める訴えだった。 218 00:33:46,892 --> 00:33:53,598 ビーアマンは 移動の自由を求める 市民のシンボルとなっていた。 219 00:33:55,200 --> 00:33:58,570 西ドイツに追放されていた ビーアマンも➡ 220 00:33:58,570 --> 00:34:03,408 人々の願いに応えて 東ベルリンへ向かった。 221 00:34:03,408 --> 00:34:09,714 しかし 東ドイツ政府は なおも入国を認めなかった。 222 00:34:19,257 --> 00:34:23,461 そして 11月9日。 223 00:34:23,461 --> 00:34:28,466 人々のエネルギーは 頂点に達した。 224 00:34:47,586 --> 00:34:53,091 (歓声と拍手) 225 00:35:05,103 --> 00:35:07,105 (たたく音) 226 00:35:09,774 --> 00:35:14,446 自由を求める人々の心に 火を付けたビーアマンは➡ 227 00:35:14,446 --> 00:35:21,753 この歴史的な出来事を ジョークを交えて こう語っている。 228 00:35:58,390 --> 00:36:03,094 壁の崩壊から3日後。 229 00:36:06,164 --> 00:36:11,569 西側に亡命し 音楽シーンを 席けんしていたニナ・ハーゲンは➡ 230 00:36:11,569 --> 00:36:14,839 予定されていた 世界ツアーをキャンセルし➡ 231 00:36:14,839 --> 00:36:20,945 西ベルリンの 無料ライブのステージに立った。 232 00:36:27,152 --> 00:36:30,922 東西ベルリンの若者の前で歌ったのは➡ 233 00:36:30,922 --> 00:36:37,462 父 ビーアマンが作詞した歌だった。 234 00:36:37,462 --> 00:36:49,674 ♬~ 235 00:37:03,922 --> 00:37:12,230 (歓声) 236 00:37:15,834 --> 00:37:23,575 ベルリンの壁 崩壊の衝撃は ドミノ倒しのように広がっていく。 237 00:37:23,575 --> 00:37:28,079 2週間後のチェコスロバキア。 238 00:37:38,590 --> 00:37:43,595 (歓声) 239 00:37:49,033 --> 00:37:52,804 チェコスロバキアは 無血革命➡ 240 00:37:52,804 --> 00:37:56,508 ビロード革命を果たした。 241 00:38:01,079 --> 00:38:04,315 国民が大統領に選んだのは➡ 242 00:38:04,315 --> 00:38:08,620 劇作家 ヴァーツラフ・ハヴェル。 243 00:38:12,157 --> 00:38:18,329 1968年 ソビエトの戦車に じゅうりんされるプラハで➡ 244 00:38:18,329 --> 00:38:23,234 市民に団結を呼びかけた人物だった。 245 00:38:48,960 --> 00:38:56,601 そして ビーアマンも ついに 故郷 東ドイツに戻ってきた。 246 00:38:56,601 --> 00:39:02,440 国外追放から 13年が たっていた。 247 00:39:02,440 --> 00:39:07,045 (拍手) 248 00:39:18,623 --> 00:39:25,430 (拍手) 249 00:39:34,706 --> 00:39:43,514 (拍手) 250 00:39:43,514 --> 00:39:54,425 ♬~(歌声) 251 00:40:28,927 --> 00:40:34,599 (拍手) 252 00:40:34,599 --> 00:40:37,969 この夜 コンサートの模様は➡ 253 00:40:37,969 --> 00:40:44,976 東西ドイツのテレビで 同時に生中継された。 254 00:40:53,851 --> 00:41:02,360 2023年 ベルリンで ある展覧会が開かれた。 255 00:41:04,495 --> 00:41:08,666 詩人で シンガーの ヴォルフ・ビーアマンが➡ 256 00:41:08,666 --> 00:41:16,474 ドイツの民主化に果たした役割を 改めて たたえる展覧会である。 257 00:41:22,613 --> 00:41:28,186 86歳になったビーアマンが そのオープニングセレモニーで➡ 258 00:41:28,186 --> 00:41:31,956 久しぶりに ステージに立った。 259 00:41:31,956 --> 00:41:37,762 (拍手) 260 00:41:37,762 --> 00:41:47,905 ♬~(歌声) 261 00:41:47,905 --> 00:41:52,744 観客の中に あの人もいた。 262 00:41:52,744 --> 00:41:56,647 2年前 首相の座から退いた… 263 00:41:58,316 --> 00:42:02,920 彼女もまた 東ドイツの出身。 264 00:42:04,522 --> 00:42:11,529 ビーアマンの歌を カセットで ひそかに聴いていた。 265 00:42:46,631 --> 00:42:49,567 誰かの ささやかな営みが➡ 266 00:42:49,567 --> 00:42:54,672 時空を超えて 世界を変えることがある。 267 00:42:56,307 --> 00:43:03,614 1968年と1989年。 268 00:43:06,651 --> 00:43:09,654 激動の2つの年をつなぎ➡ 269 00:43:09,654 --> 00:43:13,958 チェコ大統領となった ヴァーツラフ・ハヴェルは➡ 270 00:43:13,958 --> 00:43:17,962 こんな言葉を残している。 271 00:44:04,575 --> 00:44:39,877 ♬~