1 00:00:08,308 --> 00:00:13,280 ♬~ 2 00:00:13,280 --> 00:00:16,583 これは 太平洋戦争中に➡ 3 00:00:16,583 --> 00:00:19,987 アメリカ軍兵士の訓練用に作られた➡ 4 00:00:19,987 --> 00:00:21,989 フィルムである。 5 00:00:38,005 --> 00:00:40,007 前線の兵士に➡ 6 00:00:40,007 --> 00:00:45,445 日本兵を捕らえるために必要な 日本語を教えている。 7 00:00:45,445 --> 00:00:47,547 テヲ アゲロ。 8 00:01:03,463 --> 00:01:06,800 (砲声) 9 00:01:06,800 --> 00:01:11,071 アメリカは 日本との戦争にあたり➡ 10 00:01:11,071 --> 00:01:17,778 日本語を操る情報士官の養成を 極秘裏に進めていた。 11 00:01:17,778 --> 00:01:23,584 彼らは 「日本語情報士官」と呼ばれた。 12 00:01:23,584 --> 00:01:27,020 志願した若者の多くにとって➡ 13 00:01:27,020 --> 00:01:33,627 日本 そして日本語は 未知の国 未知の言語だった。 14 00:01:47,474 --> 00:01:52,179 彼らは 学んだ日本語学校の場所にちなんで➡ 15 00:01:52,179 --> 00:01:56,183 「ボルダー・ボーイズ」と呼ばれた。 16 00:01:56,183 --> 00:02:01,855 その任務は 暗号や文書の解読 捕虜の尋問など➡ 17 00:02:01,855 --> 00:02:07,160 敵の作戦を知るための情報収集だった。 18 00:02:15,402 --> 00:02:21,775 そして 戦後も 進駐軍の一員として 日本と関わり続け➡ 19 00:02:21,775 --> 00:02:28,081 図らずも 日本の復興に 大きな役割を果たすことになる。 20 00:02:28,081 --> 00:02:33,053 ♬~ 21 00:02:33,053 --> 00:02:40,394 一人の ささやかな営みが 時に 世界を変えることがある。 22 00:02:40,394 --> 00:02:46,767 戦争の行方 そして日本の戦後の歩みに 大きく関わった➡ 23 00:02:46,767 --> 00:02:52,673 日本語情報士官たちの 知られざる物語である。 24 00:02:52,673 --> 00:03:02,082 ♬~ 25 00:03:08,155 --> 00:03:14,461 真珠湾攻撃によって 太平洋戦争が開戦した。 26 00:03:14,461 --> 00:03:20,267 (爆発音) 27 00:03:20,267 --> 00:03:24,971 その翌日 アメリカ大統領 ルーズベルトは➡ 28 00:03:24,971 --> 00:03:29,076 今も語り継がれる演説を行った。 29 00:03:42,856 --> 00:03:47,661 「リメンバー・パールハーバー」を 合言葉に➡ 30 00:03:47,661 --> 00:03:52,365 アメリカの若者たちが 続々と入隊した。 31 00:04:08,849 --> 00:04:11,151 しかし 開戦当初➡ 32 00:04:11,151 --> 00:04:14,554 日本が どんな国かを知るアメリカ人は➡ 33 00:04:14,554 --> 00:04:17,157 ほとんど いなかった。 34 00:04:19,893 --> 00:04:22,562 これは 兵士たちに➡ 35 00:04:22,562 --> 00:04:28,468 日本人の国民性を理解させるために 制作された フィルム。 36 00:04:38,612 --> 00:04:45,185 説明役は アメリカ大使として 10年にわたり日本に駐在した➡ 37 00:04:45,185 --> 00:04:47,788 ジョセフ・グルー。 38 00:05:12,779 --> 00:05:21,388 このころ 日本語が堪能なアメリカ人は 50人程度しかいないと言われていた。 39 00:05:23,557 --> 00:05:25,992 アメリカ海軍は➡ 40 00:05:25,992 --> 00:05:32,766 対日諜報戦を担う将校を養成するための 日本語学校を設立。 41 00:05:32,766 --> 00:05:37,304 優秀な学生を 全米から募った。 42 00:05:37,304 --> 00:05:42,876 ♬~ 43 00:05:42,876 --> 00:05:47,380 アーモスト大学に通っていた オーテス・ケーリ。 44 00:05:47,380 --> 00:05:52,686 友人たちには 親日家として知られていた。 45 00:05:54,487 --> 00:06:00,293 父は宣教師 その赴任先だった 北海道 小樽で生まれ➡ 46 00:06:00,293 --> 00:06:04,164 14歳まで 日本で育った。 47 00:06:04,164 --> 00:06:09,669 日本語を話せる 数少ないアメリカ人の一人だった。 48 00:06:36,129 --> 00:06:38,732 同級生には➡ 49 00:06:38,732 --> 00:06:44,304 名門コロンビア大学で学んでいた ドナルド・キーンもいた。 50 00:06:44,304 --> 00:06:47,240 この1年前 たまたま本屋で➡ 51 00:06:47,240 --> 00:06:50,076 「源氏物語」を手にしたことが➡ 52 00:06:50,076 --> 00:06:53,680 日本語に興味を持つ きっかけだった。 53 00:07:19,973 --> 00:07:26,479 コロラド大学 ボルダー校に設置された 海軍日本語学校では➡ 54 00:07:26,479 --> 00:07:30,283 徹底した実践教育を行った。 55 00:07:32,052 --> 00:07:37,023 目標は 1年で 日本語を習得することだった。 56 00:07:37,023 --> 00:07:39,793 文法を教える時間はない。 57 00:07:39,793 --> 00:07:46,066 ひたすら 文章を読み上げ 耳から聞いた言葉を書き出させた。 58 00:07:46,066 --> 00:07:52,172 旧字体や くずし字などの読解も たたき込まれた。 59 00:07:52,172 --> 00:07:58,578 教師は 強制収容所に入っていた 日系人の中から選ばれた。 60 00:08:20,033 --> 00:08:24,804 コロラド ボルダーで 日本語の特訓を受け➡ 61 00:08:24,804 --> 00:08:27,607 情報士官となった 者たちは➡ 62 00:08:27,607 --> 00:08:30,710 「ボルダー・ボーイズ」と 呼ばれた。 63 00:08:33,980 --> 00:08:37,784 彼らは 太平洋艦隊司令長官➡ 64 00:08:37,784 --> 00:08:40,186 ニミッツの 配下となり➡ 65 00:08:40,186 --> 00:08:44,491 戦場での諜報活動を 担うことになる。 66 00:08:51,498 --> 00:08:54,100 アメリカ軍は アリューシャン列島➡ 67 00:08:54,100 --> 00:08:57,704 アッツ島への 上陸作戦を開始。 68 00:08:59,506 --> 00:09:03,810 その上陸部隊には 日本語情報士官の➡ 69 00:09:03,810 --> 00:09:08,715 オーテス・ケーリと ドナルド・キーンがいた。 70 00:09:08,715 --> 00:09:13,319 (砲声) 71 00:09:16,890 --> 00:09:19,759 日本軍の戦いぶりは➡ 72 00:09:19,759 --> 00:09:23,596 事前のフィルムで 教えられたとおりだった。 73 00:09:23,596 --> 00:09:29,502 最後は 「天皇陛下万歳」と叫びながら 突撃してきた。 74 00:09:31,237 --> 00:09:37,544 更には 手榴弾を胸に抱え 自決する者までいた。 75 00:09:39,646 --> 00:09:47,153 情報士官は 戦場から押収した 文書や日記の翻訳に当たった。 76 00:09:47,153 --> 00:09:52,292 日記には 部隊名や配置図などが記され➡ 77 00:09:52,292 --> 00:09:55,962 作戦を知る手がかりになった。 78 00:09:55,962 --> 00:10:01,301 中には 家族への思いや 死の無念など➡ 79 00:10:01,301 --> 00:10:07,006 心の奥底にしまっていた心情も 記されていた。 80 00:10:34,000 --> 00:10:37,337 (砲撃音) 81 00:10:37,337 --> 00:10:42,675 太平洋各地の戦場で 地上戦が激しくなると➡ 82 00:10:42,675 --> 00:10:47,013 捕虜となる日本兵も増えていく。 83 00:10:47,013 --> 00:10:52,685 捕虜の尋問も 日本語情報士官の任務だった。 84 00:10:52,685 --> 00:10:57,991 これは 収容所での尋問を記録した映像。 85 00:11:26,553 --> 00:11:32,325 尋問に 素直に答える捕虜は少なかった。 86 00:11:32,325 --> 00:11:40,633 日本兵は 生きて捕らえられたことを 恥だと思い 殺してくれと頼む者もいた。 87 00:11:42,335 --> 00:11:46,206 日本で生まれ育った オーテス・ケーリは➡ 88 00:11:46,206 --> 00:11:53,212 捕虜たちの心を 少しでも 落ち着かせようと 話しかけるよう努めた。 89 00:12:14,267 --> 00:12:18,972 少しずつ 心を開くようになった捕虜からは➡ 90 00:12:18,972 --> 00:12:22,675 貴重な情報が得られた。 91 00:12:26,312 --> 00:12:32,185 日本語情報士官が得た情報や 暗号の解読によって➡ 92 00:12:32,185 --> 00:12:37,190 戦争の行方は 決定的となっていく。 93 00:12:38,891 --> 00:12:41,194 Here we go! 94 00:12:43,329 --> 00:12:46,666 1944年7月。 95 00:12:46,666 --> 00:12:51,537 アメリカ軍は 日本が 絶対国防圏と定めていた➡ 96 00:12:51,537 --> 00:12:54,540 サイパン島を制圧。 97 00:12:57,310 --> 00:13:01,180 更に そこから 僅か5キロにある➡ 98 00:13:01,180 --> 00:13:05,184 テニアン島にも 攻撃が開始される。 99 00:13:06,953 --> 00:13:12,292 その上陸部隊には ボルダー・ボーイズの一人➡ 100 00:13:12,292 --> 00:13:15,294 テルファー・ムックがいた。 101 00:13:19,165 --> 00:13:23,636 名門イェール大学のロースクール出身。 102 00:13:23,636 --> 00:13:27,307 弁護士資格を取得していたムックには➡ 103 00:13:27,307 --> 00:13:31,311 既に 妻と子供がいた。 104 00:13:32,979 --> 00:13:38,317 テニアン島は 日本軍の守備隊だけではなく➡ 105 00:13:38,317 --> 00:13:43,189 1万人以上の民間人が暮らす島だった。 106 00:13:43,189 --> 00:13:49,662 1928年ごろから 砂糖生産の拠点として開拓され➡ 107 00:13:49,662 --> 00:13:57,970 沖縄から 多くの人々が移住し 豊かな生活を築いていた。 108 00:14:02,942 --> 00:14:11,617 1944年7月 アメリカ軍4万の兵力が 島に上陸。 109 00:14:11,617 --> 00:14:14,954 民間人も 戦闘に巻き込まれる。 110 00:14:14,954 --> 00:14:23,629 日本軍は全滅し 住民たちは ジャングルの奥へと追い詰められた。 111 00:14:23,629 --> 00:14:29,502 ♬~ 112 00:14:29,502 --> 00:14:37,510 逃げ場をなくした者たちは 集団自決に追い込まれていく。 113 00:15:27,293 --> 00:15:34,300 3,500人の民間人が 命を落とした。 114 00:15:40,306 --> 00:15:46,179 アメリカ軍は 投降してくる住民たちを撮影している。 115 00:15:46,179 --> 00:15:49,982 捕虜となった者は 9,500人。 116 00:15:49,982 --> 00:15:55,288 その中に 2,000人の子供たちがいた。 117 00:15:56,856 --> 00:16:04,163 戦場の地獄を くぐり抜けた子供たちは うつろな目をしていた。 118 00:16:08,935 --> 00:16:12,605 収容所に集められた子供たちを見て➡ 119 00:16:12,605 --> 00:16:16,275 日本語情報士官のテルファー・ムックは➡ 120 00:16:16,275 --> 00:16:19,278 ある行動に出る。 121 00:16:46,272 --> 00:16:53,579 飛行場の設営部隊から資材を分けてもらい 即席の教室を作った。 122 00:16:55,948 --> 00:17:01,254 焼夷弾を梱包していた木材を屋根に使い➡ 123 00:17:01,254 --> 00:17:06,559 余った板をペンキで黒く塗り 黒板にした。 124 00:17:09,929 --> 00:17:13,799 島の占領から3か月➡ 125 00:17:13,799 --> 00:17:17,803 テニアンスクールが開校した。 126 00:17:17,803 --> 00:17:21,807 その記録映像が残されている。 127 00:17:48,301 --> 00:17:57,009 読み書き 算数 理科に体育 授業は 日本語で行った。 128 00:17:58,644 --> 00:18:05,451 母国語の文化を守ることが 子供たちの将来のためになると➡ 129 00:18:05,451 --> 00:18:08,754 ムックは考えた。 130 00:18:10,923 --> 00:18:18,598 校長を務めたのは 島の国民学校で 教員だった 池田信治。 131 00:18:18,598 --> 00:18:23,602 池田は ムックの方針に反発した。 132 00:18:57,970 --> 00:19:05,578 ムックの考えが正しいことを 子供たちが証明してみせた。 133 00:19:05,578 --> 00:19:15,888 勉強も運動も 女子は活発に取り組み 試験の成績上位者は 男女同数だった。 134 00:19:17,923 --> 00:19:24,597 ムックは 英語の授業も取り入れ 自ら教えた。 135 00:19:24,597 --> 00:19:30,903 生徒の中に たちまち上達した女の子がいた。 136 00:19:54,960 --> 00:19:59,832 ムックの方針に 校長の池田も納得した。 137 00:19:59,832 --> 00:20:05,538 その後 積極的に ムックに協力していく。 138 00:20:30,663 --> 00:20:33,566 学校が始まって間もなく➡ 139 00:20:33,566 --> 00:20:40,573 テニアン島に 新型爆撃機 B29が配備された。 140 00:20:49,348 --> 00:20:59,058 B29は 連日 日本本土に向け飛び立ち 無差別爆撃を続けた。 141 00:21:04,830 --> 00:21:11,604 帰還したパイロットたちは 決まって 学校に立ち寄った。 142 00:21:11,604 --> 00:21:20,613 テルファー・ムックは 子供たちと遊ぶ 彼らの姿を目にするようになる。 143 00:22:21,974 --> 00:22:26,278 1945年8月。 144 00:22:27,847 --> 00:22:33,986 テニアン島は 歴史に刻まれる一日を迎えた。 145 00:22:33,986 --> 00:22:42,995 新たに開発された原子爆弾が運び込まれ B29に搭載された。 146 00:22:47,333 --> 00:22:52,204 飛行場の程近くにある テニアンスクールの子供たちは➡ 147 00:22:52,204 --> 00:22:57,209 いつもと変わらない一日を過ごしていた。 148 00:23:36,315 --> 00:23:44,023 日本語情報士官たちも 占領軍の一員として進駐してきた。 149 00:23:45,658 --> 00:23:50,329 日本で生まれ育った… 150 00:23:50,329 --> 00:23:56,335 爆撃調査団の一員として 再び日本の地を踏んだ。 151 00:23:58,203 --> 00:24:05,611 敗戦国となった現実に 人々は 打ちのめされていた。 152 00:24:05,611 --> 00:24:11,617 食料不足は深刻で 毎日のように 餓死者が出た。 153 00:24:16,255 --> 00:24:20,626 戦災孤児は 12万人以上。 154 00:24:20,626 --> 00:24:24,930 街頭には 浮浪児があふれた。 155 00:24:27,499 --> 00:24:32,638 焼け野原の東京で 行き場をなくした人々に➡ 156 00:24:32,638 --> 00:24:36,642 ケーリは 日本語で声をかけた。 157 00:25:09,274 --> 00:25:12,611 終戦から 4か月後➡ 158 00:25:12,611 --> 00:25:17,316 ケーリは ある人物を訪問している。 159 00:25:19,952 --> 00:25:25,958 昭和天皇の弟 高松宮である。 160 00:25:28,627 --> 00:25:32,965 高松宮の死後 発見された日記には➡ 161 00:25:32,965 --> 00:25:37,302 訪問者として ケーリの名が 書かれていたが➡ 162 00:25:37,302 --> 00:25:41,306 詳細は 記されていない。 163 00:25:49,648 --> 00:25:53,318 この時 何を話したのか? 164 00:25:53,318 --> 00:25:59,925 後に ケーリが インタビューに応じた 映像が残されている。 165 00:25:59,925 --> 00:26:03,228 まあ まず その あの~… 166 00:26:22,614 --> 00:26:27,319 だから そういう その… 167 00:26:37,162 --> 00:26:44,636 ケーリが 高松宮と会談した半月後の 1946年1月。 168 00:26:44,636 --> 00:26:52,644 昭和天皇は 人間宣言を行い 翌月から 地方への巡幸を始める。 169 00:26:54,313 --> 00:26:58,617 新憲法で 国民の中の一人に含まれると 決められた陛下は… 170 00:27:05,257 --> 00:27:11,930 軍服を脱ぎ 背広を着た方がよいと 進言したのも ケーリだった。 171 00:27:11,930 --> 00:27:16,802 万歳! 172 00:27:16,802 --> 00:27:20,272 天皇の地方巡幸は➡ 173 00:27:20,272 --> 00:27:27,279 焼け野原から立ち上がろうとする人々に 熱狂的に迎えられた。 174 00:28:17,262 --> 00:28:26,572 海軍の重要拠点だった軍港都市 長崎・佐世保にも GHQが進駐した。 175 00:28:29,608 --> 00:28:35,948 その中に 海軍日本語学校を卒業した ボルダー・ボーイズの一人➡ 176 00:28:35,948 --> 00:28:40,252 エドワード・サイデンステッカーがいた。 177 00:28:43,822 --> 00:28:50,963 日本語情報士官になったのは 陸軍に徴兵され 前線に送られるよりも➡ 178 00:28:50,963 --> 00:28:56,268 戦争を無事に切り抜けられると 考えたからだった。 179 00:29:00,572 --> 00:29:06,445 佐世保の地で 闇市の取締りに当たった サイデンステッカー。 180 00:29:06,445 --> 00:29:14,152 その時 目にした日本人の姿が 後の人生を変えることになる。 181 00:29:55,627 --> 00:30:01,967 ♬~ 182 00:30:01,967 --> 00:30:07,305 5年後 GHQの職を辞した サイデンステッカーは➡ 183 00:30:07,305 --> 00:30:13,312 東京大学に入学し 日本文学の研究を始める。 184 00:30:17,315 --> 00:30:25,991 江戸の面影が残る 東京・小石川に居を構え 日本人の心情を知ろうとした。 185 00:30:25,991 --> 00:30:30,329 祭りや伝統芸能などにも触れた。 186 00:30:30,329 --> 00:30:38,203 そして 日本文学の第一線の研究者として 活躍するようになる。 187 00:30:38,203 --> 00:30:40,972 (鐘の音) 188 00:30:40,972 --> 00:30:45,877 これは NHKの文化番組に出演した時の映像。 189 00:30:45,877 --> 00:30:50,182 寺の梵鐘について 語っている。 190 00:31:14,840 --> 00:31:20,312 サイデンステッカーは 谷崎潤一郎や三島由紀夫ら➡ 191 00:31:20,312 --> 00:31:24,182 名だたる作家たちとも 交流を重ね➡ 192 00:31:24,182 --> 00:31:28,186 彼らの作品の翻訳に 取り組むようになる。 193 00:31:34,326 --> 00:31:38,663 中でも 「伊豆の踊子」や 「雪国」など➡ 194 00:31:38,663 --> 00:31:43,969 川端康成の小説を 数多く英訳した。 195 00:31:49,307 --> 00:31:52,210 サイデンステッカーの翻訳により➡ 196 00:31:52,210 --> 00:31:57,516 日本文学は 世界に知られるようになっていった。 197 00:32:18,303 --> 00:32:27,612 1968年 川端康成は 日本人初となる ノーベル文学賞を受賞した。 198 00:32:32,851 --> 00:32:39,858 有力候補と目されていた三島由紀夫も 祝いに駆けつけた。 199 00:32:44,329 --> 00:32:50,001 これは その翌日 川端の自宅の庭で撮影された➡ 200 00:32:50,001 --> 00:32:53,305 三島との対談映像である。 201 00:33:11,957 --> 00:33:13,959 そうでしょうねえ ええ。 202 00:33:27,305 --> 00:33:30,008 そうらしいですね。 203 00:33:38,917 --> 00:33:41,219 そうでしょう そうでしょう。 204 00:33:52,531 --> 00:33:55,834 アハハハハ… それは。あるいはねぇ。 205 00:33:59,004 --> 00:34:02,274 川端は サイデンステッカーに➡ 206 00:34:02,274 --> 00:34:08,980 スウェーデンで行われる授賞式への 同行を依頼した。 207 00:34:11,283 --> 00:34:16,588 感謝の気持ちを形にするためだった。 208 00:34:37,976 --> 00:34:42,681 (拍手) 209 00:35:02,934 --> 00:35:07,272 2日後 受賞記念講演の晴れ舞台に➡ 210 00:35:07,272 --> 00:35:12,277 サイデンステッカーは 川端と共に立った。 211 00:35:14,613 --> 00:35:20,919 川端の原稿を翻訳し 英語で スピーチをした。 212 00:35:54,986 --> 00:36:03,695 この4年後 川端康成は 仕事場のマンションで自らの命を絶った。 213 00:36:05,930 --> 00:36:11,269 机の上には ウイスキーの瓶や 原稿用紙が置かれたままで➡ 214 00:36:11,269 --> 00:36:15,273 遺書はなかった。 215 00:36:55,647 --> 00:37:04,255 ♬~ 216 00:37:04,255 --> 00:37:11,563 テニアン島に 日本人の子供たちの 学校を作った テルファー・ムック。 217 00:37:15,266 --> 00:37:23,274 教え子たちの多くは 終戦後 親の出身地である沖縄へ帰還した。 218 00:37:28,613 --> 00:37:35,487 沖縄は 27年もの長きにわたり アメリカ統治下に置かれ➡ 219 00:37:35,487 --> 00:37:39,791 「アメリカ世」と呼ばれる時代が続いた。 220 00:37:43,628 --> 00:37:48,500 ムックの教え子たちは 教員になった者が多い。 221 00:37:48,500 --> 00:37:53,972 英語の試験で いつも一番だった上間繁子。 222 00:37:53,972 --> 00:37:58,276 沖縄で 小学校の先生になった。 223 00:38:18,596 --> 00:38:23,268 上間は 定年まで教壇に立ち続け➡ 224 00:38:23,268 --> 00:38:27,572 沖縄の復興を担う若者たちを育てた。 225 00:38:29,140 --> 00:38:37,148 ムックの テニアンスクールでの試みは 時空を超え 実を結んだ。 226 00:38:38,816 --> 00:38:42,620 1991年 テルファー・ムックは➡ 227 00:38:42,620 --> 00:38:45,957 テニアンスクールの同窓会に招待され➡ 228 00:38:45,957 --> 00:38:49,661 初めて日本を訪れた。 229 00:38:51,829 --> 00:38:55,967 池田先生…。ごめんなさい。 おお~。 230 00:38:55,967 --> 00:38:59,838 覚えてて下さって ほんと うれしいです。 231 00:38:59,838 --> 00:39:03,775 うれしいです…。 ありがとうございます。 アハハハ…。 232 00:39:03,775 --> 00:39:09,080 テニアンスクールの校長だった 池田信治。 233 00:39:11,249 --> 00:39:18,556 長いこと たちましたねぇ。 よく おいでになりました。 234 00:39:21,593 --> 00:39:25,597 これも持ってきてます。 235 00:39:34,939 --> 00:39:41,813 教え子たちとも 46年ぶりの再会を果たした。 236 00:39:41,813 --> 00:39:49,520 名札の飾り花を付けたのは 小学校の先生になった上間だった。 237 00:40:33,331 --> 00:40:38,036 (拍手) 238 00:40:41,673 --> 00:40:49,681 戦後の天皇の在り方を高松宮に提言した オーテス・ケーリ。 239 00:40:53,685 --> 00:41:00,391 GHQを辞職したあと 同志社大学の教授になった。 240 00:41:03,494 --> 00:41:08,633 半世紀にわたり 学生寮の館長を務め➡ 241 00:41:08,633 --> 00:41:12,337 学生たちと寝食を共にした。 242 00:41:19,644 --> 00:41:27,652 日本初のノーベル文学賞受賞に貢献した エドワード・サイデンステッカー。 243 00:41:29,320 --> 00:41:33,992 終の住みかを日本と決めた 2007年。 244 00:41:33,992 --> 00:41:40,999 上野・不忍池の散歩中に倒れ 帰らぬ人となった。 245 00:41:46,571 --> 00:41:51,008 追悼の会には ボルダー・ボーイズの仲間だった➡ 246 00:41:51,008 --> 00:41:55,012 ドナルド・キーンの姿もあった。 247 00:41:58,349 --> 00:42:00,952 サイデンステッカーと共に➡ 248 00:42:00,952 --> 00:42:06,624 日本文学の研究者として活躍した ドナルド・キーンは➡ 249 00:42:06,624 --> 00:42:15,933 東日本大震災の翌年 日本国籍を取得 日本人になった。 250 00:42:27,645 --> 00:42:36,954 ♬~ 251 00:42:38,656 --> 00:42:45,963 テルファー・ムックが その生涯 大切にしていたものがある。 252 00:42:50,668 --> 00:42:54,972 着物姿の日本人形。 253 00:42:58,342 --> 00:43:05,950 それは テニアンスクールで 子供たちが作ったものだった。 254 00:43:05,950 --> 00:43:19,964 ♬~ 255 00:44:08,613 --> 00:44:35,640 ♬~ 256 00:44:35,640 --> 00:44:41,946 ♬~