1 00:00:00,934 --> 00:00:08,642 ♬~ 2 00:00:08,642 --> 00:00:13,981 ♬~ 3 00:00:13,981 --> 00:00:16,884 第二次世界大戦のさなか➡ 4 00:00:16,884 --> 00:00:20,888 ドイツの工場で 慰問コンサートが開かれた。 5 00:00:23,323 --> 00:00:28,195 世界屈指のオーケストラ ベルリン・フィル。 6 00:00:28,195 --> 00:00:32,666 指揮は… 7 00:00:32,666 --> 00:00:36,536 20世紀最高と言われる 伝説的な指揮者である。 8 00:00:36,536 --> 00:00:41,341 ♬~ 9 00:00:41,341 --> 00:00:49,650 しかし その音楽は ドイツ民族の 優越性を主張するヒトラーに利用された。 10 00:00:51,685 --> 00:00:55,556 フルトヴェングラーは ナチスに反発しながらも➡ 11 00:00:55,556 --> 00:01:00,260 戦争末期まで ドイツにとどまった。 12 00:01:21,982 --> 00:01:27,688 敵対するソビエトでも 芸術家は苦悩していた。 13 00:01:29,856 --> 00:01:32,559 20世紀を代表する作曲家… 14 00:01:37,331 --> 00:01:40,667 スターリンに疑問を抱きつつも➡ 15 00:01:40,667 --> 00:01:45,372 作曲を続けるために 国家に忠誠を誓った。 16 00:01:56,216 --> 00:02:01,521 日本では 数多くの文学者が従軍。 17 00:02:03,290 --> 00:02:10,998 戦争を賛美する作品を残し 戦後は その責任の重さに苦しんだ。 18 00:02:31,985 --> 00:02:36,323 多くの芸術家たちが 国家と どう対峙し➡ 19 00:02:36,323 --> 00:02:41,194 どう折り合いをつけるのか 葛藤の中にいた。 20 00:02:41,194 --> 00:02:47,667 ♬~ 21 00:02:47,667 --> 00:02:55,342 歴史の連鎖をたどる 「映像の世紀 バタフライエフェクト」。 22 00:02:55,342 --> 00:03:04,618 戦時下 権力者と表現のはざまで揺れた 芸術家たちの苦悩の物語である。 23 00:03:04,618 --> 00:03:12,626 ♬~ 24 00:03:14,294 --> 00:03:28,308 ♬~ 25 00:03:28,308 --> 00:03:31,978 ドイツ南東部に位置する バイロイト。 26 00:03:31,978 --> 00:03:39,286 夏になると 世界的に有名な音楽祭 「バイロイト音楽祭」が開催される。 27 00:03:41,988 --> 00:03:44,324 この音楽祭を作ったのは➡ 28 00:03:44,324 --> 00:03:48,028 19世紀のドイツを代表する 作曲家… 29 00:03:51,198 --> 00:04:07,547 ♬~ 30 00:04:07,547 --> 00:04:15,622 ワーグナーは 神話や英雄を題材に ドイツ精神を称賛する作品を残した。 31 00:04:15,622 --> 00:04:23,330 一方 反ユダヤ的な言動でも知られ ユダヤ人を揶揄する内容も含まれた。 32 00:04:28,969 --> 00:04:35,675 そのワーグナーの思想に 強く共鳴したのが ヒトラーだった。 33 00:04:43,517 --> 00:04:47,320 ヒトラーは ワーグナーのすばらしさは➡ 34 00:04:47,320 --> 00:04:52,626 ドイツ民族の 優越性を示すものだと誇っていた。 35 00:04:54,194 --> 00:05:02,202 そして ワーグナーの義理の娘 ヴィニフレートとも親密な関係を築いた。 36 00:05:06,273 --> 00:05:13,980 バイロイト音楽祭に資金援助を行い 国家的なイベントに仕立て上げていった。 37 00:05:40,173 --> 00:05:45,645 このワーグナーをはじめ ドイツ音楽を最も得意としたのが➡ 38 00:05:45,645 --> 00:05:48,949 指揮者 フルトヴェングラーだった。 39 00:05:50,517 --> 00:05:54,988 テンポを自在に変化させる 情感豊かな演奏は➡ 40 00:05:54,988 --> 00:05:59,826 観客を 興奮と陶酔に巻き込んだ。 41 00:05:59,826 --> 00:06:05,131 ♬~ 42 00:06:25,952 --> 00:06:30,290 これは リハーサルの貴重な映像。 43 00:06:30,290 --> 00:06:37,998 フルトヴェングラーの 妥協を許さない 姿勢は 楽団員から恐れられた。 44 00:06:47,841 --> 00:06:51,845 ♬~ 45 00:07:00,253 --> 00:07:06,593 当時 ベルリン・フィルには 7人のユダヤ系楽団員がいた。 46 00:07:06,593 --> 00:07:10,263 演奏の要となるコンサートマスター➡ 47 00:07:10,263 --> 00:07:13,566 ゴールドベルクも ユダヤ人だった。 48 00:07:15,135 --> 00:07:21,875 しかし ベルリン・フィルが ナチスに攻撃されることはなかった。 49 00:07:21,875 --> 00:07:29,182 ヒトラーは フルトヴェングラーの才能を 高く評価していたからだった。 50 00:08:06,453 --> 00:08:10,924 しかし 聖域は ベルリン・フィルだけだった。 51 00:08:10,924 --> 00:08:18,932 1933年4月 ヒトラーは 「ユダヤ人の公職追放」を決定した。 52 00:08:39,285 --> 00:08:41,621 宣伝大臣 ゲッベルスは➡ 53 00:08:41,621 --> 00:08:45,291 フルトヴェングラーに 揺さぶりをかけた。 54 00:08:45,291 --> 00:08:50,296 ベルリン・フィルへの補助金カットを ちらつかせたのだ。 55 00:08:51,965 --> 00:08:56,636 フルトヴェングラーは ベルリン・フィルの 楽団員を守ることを条件に➡ 56 00:08:56,636 --> 00:09:00,640 ナチス批判を引っ込めた。 57 00:09:21,261 --> 00:09:24,931 その姿勢は ナチスに迎合していると➡ 58 00:09:24,931 --> 00:09:27,834 国外から 強く批判され➡ 59 00:09:27,834 --> 00:09:32,539 共演を拒否する音楽家が 続出した。 60 00:09:36,943 --> 00:09:43,283 当時 フルトヴェングラーと 人気を二分した指揮者 トスカニーニ。 61 00:09:43,283 --> 00:09:46,953 イタリア出身の彼は ムッソリーニを嫌い➡ 62 00:09:46,953 --> 00:09:53,960 ファシズム政権下では演奏しないと 宣言していた。 63 00:09:57,597 --> 00:10:05,905 1937年 オーストリアの音楽祭で 顔を合わせた2人は激しい口論になった。 64 00:10:46,946 --> 00:10:49,249 ♬~ 65 00:11:15,308 --> 00:11:21,014 社会主義国家 ソビエトでも 体制強化のために 芸術が利用された。 66 00:11:23,983 --> 00:11:32,325 独裁者スターリンは「社会主義リアリズム」 という芸術思想を掲げた。 67 00:11:32,325 --> 00:11:35,328 スローガンは… 68 00:11:42,669 --> 00:11:46,339 この思想を体現した 代表的な作家が➡ 69 00:11:46,339 --> 00:11:49,642 名作 「どん底」で知られる… 70 00:11:53,012 --> 00:11:57,350 ゴーリキーは ソビエト作家同盟の議長となり➡ 71 00:11:57,350 --> 00:12:01,221 文学者をまとめ上げ スターリンを礼賛。 72 00:12:01,221 --> 00:12:04,524 国家からの支援も受けた。 73 00:12:08,294 --> 00:12:13,166 一方で 労働者たちが楽しめないような 難解な表現や➡ 74 00:12:13,166 --> 00:12:18,471 前衛的な芸術を志す者は 排斥の対象となった。 75 00:12:22,842 --> 00:12:28,848 そんなソビエトに 彗星のごとく 新たな才能が登場する。 76 00:12:32,318 --> 00:12:36,656 ♬~ 77 00:12:36,656 --> 00:12:43,529 9歳で作曲を始め 19歳で最初の交響曲を作曲。 78 00:12:43,529 --> 00:12:47,233 「モーツァルトの再来」と称された。 79 00:12:51,204 --> 00:12:56,676 1934年に初演したオペラは 大喝采を浴び➡ 80 00:12:56,676 --> 00:13:02,982 共産党からも これからのソビエトを担う 作曲家と評価された。 81 00:13:17,297 --> 00:13:23,603 ところが その後 ショスタコーヴィチの評価は一変する。 82 00:13:26,973 --> 00:13:29,876 そのころ スターリンは➡ 83 00:13:29,876 --> 00:13:35,314 自分の意に沿わない者を 次々に処刑し始めていた。 84 00:13:35,314 --> 00:13:43,022 この「大粛清」と呼ばれる政治弾圧で 数百万人が殺されたと言われる。 85 00:13:45,658 --> 00:13:52,965 確たる理由もなく スターリンの猜疑心は ショスタコーヴィチにも向けられた。 86 00:13:55,335 --> 00:13:58,671 共産党の機関紙「プラウダ」に➡ 87 00:13:58,671 --> 00:14:06,279 突然 彼のオペラを酷評する記事が 掲載され 上演禁止となった。 88 00:14:06,279 --> 00:14:10,616 記事が出たのは スターリンが このオペラを鑑賞し➡ 89 00:14:10,616 --> 00:14:16,489 途中退席した 2日後のことだった。 90 00:14:16,489 --> 00:14:19,959 独裁者の逆鱗に触れた ショスタコーヴィチは➡ 91 00:14:19,959 --> 00:14:25,965 自身の身に危険が及びかねない 状況に置かれた。 92 00:14:29,635 --> 00:14:36,642 翌年 ショスタコーヴィチは 新たな交響曲を発表する。 93 00:14:40,980 --> 00:14:44,650 ♬~ 94 00:14:44,650 --> 00:14:49,956 交響曲第5番 通称「革命」。 95 00:14:52,325 --> 00:14:56,996 それまでの 前衛的で複雑な作品とは 打って変わって➡ 96 00:14:56,996 --> 00:15:01,267 伝統的で明快な音楽だった。 97 00:15:01,267 --> 00:15:04,604 ♬~ 98 00:15:04,604 --> 00:15:11,477 華々しいラストは「社会主義革命の勝利」を 表現していると好評を博し➡ 99 00:15:11,477 --> 00:15:16,215 ショスタコーヴィチの地位は回復した。 100 00:15:16,215 --> 00:15:29,295 ♬~ 101 00:15:29,295 --> 00:15:34,600 (拍手) 102 00:16:01,594 --> 00:16:04,497 実は ショスタコーヴィチは➡ 103 00:16:04,497 --> 00:16:10,803 この曲に ひそかに あるメッセージを込めたと言われている。 104 00:16:12,605 --> 00:16:17,276 「革命の勝利」を表現したと言われる ラストの部分。 105 00:16:17,276 --> 00:16:24,951 ♬~ 106 00:16:24,951 --> 00:16:27,620 繰り返される印象的なフレーズは➡ 107 00:16:27,620 --> 00:16:32,291 有名なオペラ 「カルメン」のメロディーを 引用している。 108 00:16:32,291 --> 00:16:37,630 「カルメン」では そのメロディーに こんな歌詞がついている。 109 00:16:37,630 --> 00:16:42,335 ♬~ 110 00:16:43,970 --> 00:16:53,312 ♬~ 111 00:16:53,312 --> 00:17:00,319 「革命の勝利に気をつけろ!」という メッセージを隠したと考えられている。 112 00:17:03,122 --> 00:17:09,795 しかし ショスタコーヴィチ自身は その意図を明らかにしていない。 113 00:17:09,795 --> 00:17:14,500 そして 1941年3月… 114 00:17:22,475 --> 00:17:27,947 (砲声) 115 00:17:27,947 --> 00:17:35,955 ソビエトで 「革命」が初演された4か月前 東アジアでは 日中戦争が勃発していた。 116 00:17:39,292 --> 00:17:44,297 日本でも 芸術家は戦意高揚に利用された。 117 00:18:05,918 --> 00:18:12,792 1938年 第6回芥川賞の授賞式が行われた。 118 00:18:12,792 --> 00:18:16,929 場所は 中国・杭州。 119 00:18:16,929 --> 00:18:24,637 受賞者 火野葦平が 陸軍の分隊長として 出征中だったからである。 120 00:18:27,273 --> 00:18:30,943 受賞作「糞尿譚」。 121 00:18:30,943 --> 00:18:35,648 民衆の貧しい暮らしを描いた 作品だった。 122 00:18:38,618 --> 00:18:44,490 火野の存在を初めて知った陸軍は 報道部へ転属させ➡ 123 00:18:44,490 --> 00:18:50,963 戦争を題材に 小説を書かせようとした。 124 00:18:50,963 --> 00:18:55,634 火野は 徐州作戦に従軍。 125 00:18:55,634 --> 00:19:02,641 60万の国民党軍撃退を狙った 大規模な戦闘だった。 126 00:19:05,444 --> 00:19:12,451 その経験をもとに書いたのが 代表作「麦と兵隊」である。 127 00:19:14,587 --> 00:19:19,458 過酷な戦場に立つ 兵士の等身大の姿を描きながら➡ 128 00:19:19,458 --> 00:19:24,463 日本軍の勇ましさを強調した。 129 00:20:04,904 --> 00:20:08,641 火野の成功を受け➡ 130 00:20:08,641 --> 00:20:15,981 政府は 更に多くの作家を 中国の戦地に送り込むことにした。 131 00:20:15,981 --> 00:20:20,286 林 芙美子など 人気作家たちが参加。 132 00:20:28,561 --> 00:20:31,530 政府と作家たちの仲介をしたのが➡ 133 00:20:31,530 --> 00:20:37,236 作家で 文藝春秋社長の 菊池 寛だった。 134 00:20:39,004 --> 00:20:45,311 火野の芥川賞受賞の選考委員も 菊池だった。 135 00:21:02,228 --> 00:21:08,167 戦争で稼ぎが減った作家たちにとっても ありがたい仕事だった。 136 00:21:08,167 --> 00:21:13,305 「ペン部隊」には 支度金として 国から 700円➡ 137 00:21:13,305 --> 00:21:17,610 今の価値で およそ200万円が支給された。 138 00:21:50,009 --> 00:21:52,678 1939年。 139 00:21:52,678 --> 00:21:55,581 第二次世界大戦が始まると➡ 140 00:21:55,581 --> 00:22:03,289 ドイツの芸術は ヒトラーの神格化に 更に貢献するよう求められた。 141 00:22:15,634 --> 00:22:17,570 (拍手) 142 00:22:17,570 --> 00:22:23,309 ナチスと距離をとり 公式行事での演奏を 拒んできたフルトヴェングラーも➡ 143 00:22:23,309 --> 00:22:27,313 ついに 断り切れなくなった。 144 00:22:28,981 --> 00:22:37,289 1942年 ヒトラーの誕生日前夜に 開催された祝賀演奏会。 145 00:22:38,991 --> 00:22:43,862 ゲッベルスほか ナチスの高官が最前列に陣取り➡ 146 00:22:43,862 --> 00:22:47,867 会場は 異様な空気に包まれた。 147 00:22:50,336 --> 00:22:56,208 ♬~ 148 00:22:56,208 --> 00:23:01,280 演奏は 鬼気迫るものとなった。 149 00:23:01,280 --> 00:23:14,827 ♬~ 150 00:23:14,827 --> 00:23:18,297 フルトヴェングラーの指揮は 熱を帯び➡ 151 00:23:18,297 --> 00:23:22,167 ラストでは 名手ぞろいの ベルリン・フィルの楽団員ですら➡ 152 00:23:22,167 --> 00:23:27,640 ついていくのに やっとの すさまじいテンポに達した。 153 00:23:27,640 --> 00:23:38,984 ♬~ 154 00:23:38,984 --> 00:23:43,856 この演奏は 後に 「ヒトラーの第九」と呼ばれ➡ 155 00:23:43,856 --> 00:23:49,328 「第九」の歴史的名演の一つに 数えられている。 156 00:23:49,328 --> 00:24:12,284 ♬~ 157 00:24:12,284 --> 00:24:22,294 (拍手) 158 00:24:22,294 --> 00:24:27,966 演奏が終わった直後のことだった。 159 00:24:27,966 --> 00:24:32,304 突然 ゲッベルスが握手を求めてきた。 160 00:24:32,304 --> 00:24:37,009 事前には知らされていない 不意打ちだった。 161 00:24:39,178 --> 00:24:42,648 この瞬間は世界に伝えられ➡ 162 00:24:42,648 --> 00:24:49,955 フルトヴェングラーは ナチスの支持者という印象を決定づけた。 163 00:25:03,268 --> 00:25:10,976 ナチスを批判し 亡命した ドイツ人作家 トーマス・マンも こう指摘した。 164 00:25:31,296 --> 00:25:38,003 フルトヴェングラーは 友人たちから 何度も亡命を勧められた。 165 00:25:39,638 --> 00:25:44,343 しかし 彼は ドイツにとどまり続けた。 166 00:25:45,978 --> 00:25:51,316 軍需工場や 傷痍軍人の 慰問演奏会などを務めるかぎり➡ 167 00:25:51,316 --> 00:25:58,023 ベルリン・フィルの楽団員は 徴兵を免除されていた。 168 00:26:38,831 --> 00:26:44,837 1941年6月 独ソ戦が始まった。 169 00:26:46,505 --> 00:26:52,811 ショスタコーヴィチの住む レニングラードにも ドイツ軍が迫った。 170 00:26:54,646 --> 00:27:01,954 ショスタコーヴィチは 人民義勇軍に入隊し 消防隊に配属された。 171 00:27:05,257 --> 00:27:11,130 9月 ドイツ軍は レニングラードを包囲。 172 00:27:11,130 --> 00:27:18,437 物資が断たれた市民は 飢えと寒さで命を落としていく。 173 00:27:20,806 --> 00:27:24,610 ドイツ軍の包囲が始まる中➡ 174 00:27:24,610 --> 00:27:30,315 ショスタコーヴィチは 新たな交響曲を書く。 175 00:27:39,958 --> 00:27:44,663 ♬~ 176 00:27:49,301 --> 00:27:53,171 平和な暮らしを 突如 戦争が襲う恐怖➡ 177 00:27:53,171 --> 00:27:58,877 そして 来るべき ファシズムへの勝利を描いた。 178 00:28:00,913 --> 00:28:05,784 ショスタコーヴィチは 当局の助けで レニングラードを脱出し➡ 179 00:28:05,784 --> 00:28:10,255 疎開先で この曲を完成させる。 180 00:28:10,255 --> 00:28:16,929 ♬~ 181 00:28:16,929 --> 00:28:24,636 初演は ラジオで全国に放送され レニングラード市民を勇気づけた。 182 00:28:48,627 --> 00:28:53,298 「交響曲第7番」は 多くの演奏家の手によって➡ 183 00:28:53,298 --> 00:28:59,638 ソビエト各地で演奏され ドイツとの戦いの象徴となった。 184 00:28:59,638 --> 00:29:05,944 ♬~ 185 00:29:08,246 --> 00:29:14,586 しかし ショスタコーヴィチは この曲に もう一つのメッセージを込めたと➡ 186 00:29:14,586 --> 00:29:17,589 友人に語っている。 187 00:29:51,490 --> 00:29:57,195 しかし その思いを 公にすることはなかった。 188 00:30:04,636 --> 00:30:14,346 1944年 劣勢に追い込まれた日本軍は 戦局を打開するため ある作戦を開始した。 189 00:30:15,981 --> 00:30:21,320 インド・ビルマ国境の山岳地帯を 470キロ行軍し➡ 190 00:30:21,320 --> 00:30:27,025 イギリス軍攻略を目指す インパール作戦である。 191 00:30:28,660 --> 00:30:36,368 作家 火野葦平は 新たな作品執筆のため 3か月にわたり 従軍した。 192 00:30:40,005 --> 00:30:45,877 食糧や弾薬の補給を軽視した 無謀な作戦だった。 193 00:30:45,877 --> 00:30:49,181 前線は 混乱を極めた。 194 00:30:51,016 --> 00:30:57,022 火野は 日記に 悪化していく戦場の様子を記している。 195 00:30:58,690 --> 00:31:08,500 「前線に ダイナマイトを百キロおくると 50キロしかないと報告が来る。➡ 196 00:31:08,500 --> 00:31:12,504 兵隊が食うのである」。 197 00:31:25,851 --> 00:31:33,525 日本軍は 撤退を余儀なくされるが 退却中も飢えと病に襲われる。 198 00:31:33,525 --> 00:31:37,829 3万の将兵が命を落とした。 199 00:32:09,961 --> 00:32:16,668 「路上の凄惨な状態に 涙がとまらない」。 200 00:32:18,970 --> 00:32:22,641 しかし 軍部の検閲は厳しく➡ 201 00:32:22,641 --> 00:32:29,347 火野は インパール作戦の惨状を 世に出すことはできなかった。 202 00:32:44,663 --> 00:32:49,968 第二次世界大戦は 連合軍の勝利で終わった。 203 00:32:53,672 --> 00:33:01,680 戦後 敗戦国の芸術家たちは 戦争との関わりを厳しく問われた。 204 00:33:03,281 --> 00:33:06,952 ヒトラーの権力掌握に協力した という理由で➡ 205 00:33:06,952 --> 00:33:12,290 バイロイト音楽祭は 当面の間 禁止となった。 206 00:33:12,290 --> 00:33:19,297 そして ワーグナーの音楽は ナチスの象徴として タブー視された。 207 00:33:23,635 --> 00:33:26,304 フルトヴェングラーも また➡ 208 00:33:26,304 --> 00:33:31,176 「ナチスの思想の普及に力を貸した」と 追及された。 209 00:33:31,176 --> 00:33:38,483 しかし ユダヤ人音楽家を 守ったことなどが認められ 無罪となった。 210 00:33:40,652 --> 00:33:44,523 1947年 フルトヴェングラーは➡ 211 00:33:44,523 --> 00:33:48,827 ベルリン・フィルの指揮者に復帰。 212 00:33:50,662 --> 00:33:55,534 チケットは 瞬く間に完売した。 213 00:33:55,534 --> 00:34:09,614 ♬~ 214 00:34:09,614 --> 00:34:16,955 その後 海外でも精力的に演奏したが アメリカや ユダヤ系の人々を中心に➡ 215 00:34:16,955 --> 00:34:21,660 「ナチ協力者」という批判は 生涯 やむことはなかった。 216 00:34:31,303 --> 00:34:36,608 日本でも 芸術家の戦争協力が追及された。 217 00:34:38,643 --> 00:34:43,982 火野の小説は 「おおむね ヒューマニズムに貫かれているが➡ 218 00:34:43,982 --> 00:34:50,288 戦争を賛美したことは疑いない」とされ 公職追放となった。 219 00:34:53,325 --> 00:35:00,332 これは 2年後に 追放が解除された時の映像。 220 00:35:11,610 --> 00:35:16,281 だが その後も 火野は復員兵たちから➡ 221 00:35:16,281 --> 00:35:21,286 戦中の行いについて 容赦ない批判を浴びた。 222 00:35:23,154 --> 00:35:28,860 終戦から14年後に執筆した 「革命前後」。 223 00:35:28,860 --> 00:35:37,569 「辻」という名の従軍作家を主人公に 戦争責任に苦悩する 自らの姿を描いた。 224 00:36:29,621 --> 00:36:36,327 火野は 「革命前後」を書き上げると 自ら 命を絶った。 225 00:36:41,232 --> 00:36:48,973 1953年 ソビエトの指導者 スターリンが この世を去った。 226 00:36:48,973 --> 00:36:52,310 その年 ショスタコーヴィチは➡ 227 00:36:52,310 --> 00:36:58,183 8年ぶりとなる 「交響曲第10番」を発表する。 228 00:36:58,183 --> 00:37:07,592 ♬~ 229 00:37:07,592 --> 00:37:11,262 スターリンの存命中は 海外に赴いては➡ 230 00:37:11,262 --> 00:37:16,568 社会主義国を アピールする 役割を担っていた。 231 00:37:19,938 --> 00:37:23,608 しかし 新たな作品「10番」は➡ 232 00:37:23,608 --> 00:37:30,915 スターリンの偉業をたたえる曲ではなく 暗く 陰鬱な曲調だった。 233 00:37:32,951 --> 00:37:37,288 国家と表現の自由との間で 葛藤を続けた彼は➡ 234 00:37:37,288 --> 00:37:41,292 言葉を選び こう語った。 235 00:38:17,929 --> 00:38:26,638 ショスタコーヴィチが苦しんだ葛藤を 今も 多くの芸術家が抱えている。 236 00:38:29,274 --> 00:38:33,578 2022年 ウクライナ侵攻。 237 00:38:36,147 --> 00:38:40,885 世界で 自国の侵攻を批判しない ロシアの芸術家を➡ 238 00:38:40,885 --> 00:38:44,622 締め出そうという動きが広がった。 239 00:38:44,622 --> 00:38:46,958 ♬~ 240 00:38:46,958 --> 00:38:51,296 世界的指揮者 ワレリー・ゲルギエフ。 241 00:38:51,296 --> 00:38:57,168 ソ連崩壊後のロシアの音楽界を 牽引してきた人物である。 242 00:38:57,168 --> 00:39:03,875 プーチンとは 30年来の友人関係にある。 243 00:39:03,875 --> 00:39:07,245 公演を 次々にキャンセルされ➡ 244 00:39:07,245 --> 00:39:11,549 ミュンヘン・フィル首席指揮者の 職も解かれた。 245 00:39:16,921 --> 00:39:20,592 ウクライナ侵攻への批判を 求められているが➡ 246 00:39:20,592 --> 00:39:25,597 現在もなお 沈黙し続けている。 247 00:39:30,268 --> 00:39:34,606 芸術家は 過去と どう向き合うべきか。 248 00:39:34,606 --> 00:39:39,611 ここに そのことを強く問う映像がある。 249 00:39:41,279 --> 00:39:46,951 2001年 ユダヤ人国家 イスラエルで開かれた演奏会。 250 00:39:46,951 --> 00:39:51,956 これは 観客が撮影した映像である。 251 00:39:54,826 --> 00:39:57,829 指揮は ユダヤ人の… 252 00:40:00,965 --> 00:40:05,837 バレンボイムは 11歳の時 フルトヴェングラーに才能を認められ➡ 253 00:40:05,837 --> 00:40:09,307 音楽界に羽ばたいた。 254 00:40:09,307 --> 00:40:14,312 以来 フルトヴェングラーを 師と仰いでいた。 255 00:40:16,981 --> 00:40:24,689 予定された演目を全て終えた バレンボイムは 観客に ある提案をした。 256 00:40:37,669 --> 00:40:40,571 会場は 騒然となった。 257 00:40:40,571 --> 00:40:48,579 イスラエルには 今も ワーグナーは ナチスの象徴と考える人が 数多くいる。 258 00:41:12,503 --> 00:41:19,510 演奏を認めるか否か 30分にわたって観客同士の議論が続いた。 259 00:41:39,597 --> 00:41:46,337 結局 反対派は会場を去り 演奏は決行されることとなったが➡ 260 00:41:46,337 --> 00:41:48,673 それでも…。 261 00:41:48,673 --> 00:42:06,958 ♬~ 262 00:42:06,958 --> 00:42:14,265 バレンボイムは 演奏を行った理由を こう語っている。 263 00:43:04,148 --> 00:43:09,854 フルトヴェングラーは 1954年 この世を去った。 264 00:43:09,854 --> 00:43:14,859 死の2か月前まで タクトを振り続けた。 265 00:43:20,298 --> 00:43:27,305 戦時中 ドイツで演奏を続けたことを こう振り返っている。 266 00:44:08,613 --> 00:44:39,911 ♬~