1 00:00:00,934 --> 00:00:07,441 ♬~ 2 00:00:42,542 --> 00:00:46,947 日本の戦争指導者を裁く東京裁判は➡ 3 00:00:46,947 --> 00:00:51,785 始まりから刑の宣告まで 全ての撮影が許された➡ 4 00:00:51,785 --> 00:00:54,988 前代未聞の裁判だった。 5 00:00:58,559 --> 00:01:05,966 その記録は およそ100時間の フィルムに収められ 世界中に発信された。 6 00:02:08,362 --> 00:02:16,470 著名な作家も傍聴し その瞬間を 固唾をのんで見守っていた。 7 00:03:03,784 --> 00:03:07,487 広田弘毅は 軍人ではなかったが➡ 8 00:03:07,487 --> 00:03:10,490 極刑を言い渡された。 9 00:03:16,797 --> 00:03:21,301 裁判で最も注目を浴びた 東条英機。 10 00:03:30,343 --> 00:03:34,815 「映像の世紀バタフライエフェクト」。 11 00:03:34,815 --> 00:03:39,653 日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判。 12 00:03:39,653 --> 00:03:47,561 敗戦直後の日本で繰り広げられた 2年6か月の映像記録である。 13 00:04:06,813 --> 00:04:14,387 東条英機が首相に就任したのは 1941年10月だった。 14 00:04:14,387 --> 00:04:17,290 <嶋田 海軍大臣。➡ 15 00:04:17,290 --> 00:04:20,293 岸 商工大臣> 16 00:04:22,062 --> 00:04:27,634 中国との戦争が泥沼化し アメリカとの関係が緊迫する中➡ 17 00:04:27,634 --> 00:04:31,938 陸軍の東条を首班とする内閣が成立した。 18 00:04:38,111 --> 00:04:43,817 (爆発音) 19 00:05:23,590 --> 00:05:29,296 (一同)万歳。 20 00:05:35,068 --> 00:05:45,979 (玉音放送) 21 00:05:49,583 --> 00:05:54,854 マッカーサーは 日本の非軍事化の第一歩として➡ 22 00:05:54,854 --> 00:05:58,725 東条内閣の閣僚 軍の指導者などに➡ 23 00:05:58,725 --> 00:06:05,932 「平和に対する罪」を犯した A級戦犯の容疑で逮捕命令を出す。 24 00:06:09,135 --> 00:06:15,041 東条を逮捕にきたアメリカ軍の将校が 玄関の前で待っていたときのことだった。 25 00:06:16,676 --> 00:06:19,279 (銃声) 26 00:06:19,279 --> 00:06:25,385 東条はピストルで みずからの胸を撃ち 自殺を図った。 27 00:06:27,020 --> 00:06:32,359 最大の容疑者である東条を このまま死なせるわけにはいかないと➡ 28 00:06:32,359 --> 00:06:37,364 マッカーサーの命を受け 輸血が行われた。 29 00:06:41,001 --> 00:06:44,871 病院の外では アメリカ軍の兵士が➡ 30 00:06:44,871 --> 00:06:51,278 東条のシャツを戦利品のように 掲げる姿が記録されている。 31 00:06:56,016 --> 00:07:00,120 東条は 一命を取り留めた。 32 00:07:04,457 --> 00:07:11,965 これは戦犯容疑者が 一時的に 収容されていた大森収容所の映像。 33 00:07:13,633 --> 00:07:18,738 そこには回復した東条の姿があった。 34 00:07:24,277 --> 00:07:30,583 裁判を間近に控えた東条は メモに こう つづっている。 35 00:07:47,967 --> 00:07:52,605 東条は 天皇が 罪に問われないようにすることを➡ 36 00:07:52,605 --> 00:07:56,710 最後の使命と決意していた。 37 00:08:29,943 --> 00:08:37,684 1946年5月3日。 東京裁判が開廷する。 38 00:08:37,684 --> 00:08:43,156 降伏文書に調印した アメリカ イギリス ソ連など11か国が➡ 39 00:08:43,156 --> 00:08:50,964 裁判官と検察官を務める。 それゆえ「勝者の裁き」とも言われた。 40 00:09:03,243 --> 00:09:09,949 東京裁判は メディアの歴史にとっても 画期的な出来事だった。 41 00:09:14,421 --> 00:09:19,125 陸軍の大講堂に 照明設備を増設。 42 00:09:19,125 --> 00:09:24,864 世界に映像を発信するため 撮影に万全の体制を整え➡ 43 00:09:24,864 --> 00:09:29,569 「ハリウッドのスタジオ並み」と やゆされるほどだった。 44 00:09:35,875 --> 00:09:39,746 開廷3日目の罪状認否。 45 00:09:39,746 --> 00:09:46,252 検察側から示された罪状を 被告人が認めるのか否か。 46 00:09:46,252 --> 00:09:54,060 ここでは ひと言「無罪」と発するのが 英米の裁判の慣例となっている。 47 00:09:58,565 --> 00:10:05,171 被告人の指名は アルファベット順。 最初はAの荒木貞夫。 48 00:10:40,173 --> 00:10:44,043 被告人28人の内訳は➡ 49 00:10:44,043 --> 00:10:47,947 15人が陸軍の出身者。 50 00:10:50,683 --> 00:10:54,420 海軍は 3人。 51 00:10:54,420 --> 00:10:59,025 そのほかは 歴代の閣僚などが占めた。 52 00:10:59,025 --> 00:11:01,327 無罪を申し立てます。 53 00:11:04,297 --> 00:11:11,304 このとき 得意の英語で 無罪を主張したのが松岡洋右だった。 54 00:11:29,422 --> 00:11:32,192 外務大臣を務めた松岡は➡ 55 00:11:32,192 --> 00:11:35,428 日独伊三国同盟を締結するなど➡ 56 00:11:35,428 --> 00:11:39,132 存在感を放っていた政治家だった。 57 00:11:43,136 --> 00:11:51,978 しかし 松岡は持病の結核が悪化し 罪状認否の3日後に入院。 58 00:11:51,978 --> 00:11:57,383 そのまま 法廷で何も語ることなく 死去した。 59 00:12:00,653 --> 00:12:07,460 被告人の中で 唯一の思想家 国家主義者の 大川周明。 60 00:12:09,362 --> 00:12:18,671 開廷の初日に パジャマ姿 はだしに げた履きで現れ 奇行を繰り返した。 61 00:12:29,215 --> 00:12:35,421 精神鑑定が必要とされ その後 裁判から外された。 62 00:12:46,532 --> 00:12:49,335 同じ敗戦国のドイツでも➡ 63 00:12:49,335 --> 00:12:55,041 東京裁判の半年前から 戦争指導者の裁判が進められていた。 64 00:12:57,443 --> 00:13:06,152 法廷は ナチの党大会が開催された都市 ニュルンベルクの裁判所に設置された。 65 00:13:06,152 --> 00:13:17,597 ♬~ 66 00:13:17,597 --> 00:13:21,534 米英仏ソの4か国による裁判では➡ 67 00:13:21,534 --> 00:13:24,003 平和に対する罪など➡ 68 00:13:24,003 --> 00:13:28,308 新たな国際法上の 犯罪概念が加えられた。 69 00:13:28,308 --> 00:13:32,578 その責任を 国家ではなく 個人に求める➡ 70 00:13:32,578 --> 00:13:35,982 史上初の試みだった。 71 00:14:27,734 --> 00:14:34,507 多くの被告人がこの世にいないヒトラーへ 責任を押しつける弁明に終始したが➡ 72 00:14:34,507 --> 00:14:38,711 悔恨の思いを 語る人物もいた。 73 00:15:18,751 --> 00:15:25,958 ナチスドイツの終焉を見届けようと 世界中からジャーナリストが集っていた。 74 00:15:25,958 --> 00:15:29,829 その中に 後に西ドイツの首相となる➡ 75 00:15:29,829 --> 00:15:34,033 ヴィリー・ブラントも 記者として傍聴していた。 76 00:16:01,761 --> 00:16:04,597 判決が下る。 77 00:16:04,597 --> 00:16:10,903 指導者個人の責任を裁く この裁判の意図が示された。 78 00:16:38,965 --> 00:16:43,269 被告人22人のうち ゲーリングやカイテルなど➡ 79 00:16:43,269 --> 00:16:47,473 12人に死刑が宣告された。 80 00:16:56,382 --> 00:17:02,722 そして ニュルンベルクで 新たに形づくられた戦争犯罪の概念や➡ 81 00:17:02,722 --> 00:17:09,528 個人責任の原則は 東京裁判へと引き継がれていく。 82 00:17:24,143 --> 00:17:29,815 日本人にとって この裁判が果たした重要な役割は➡ 83 00:17:29,815 --> 00:17:37,623 軍や政府が覆い隠してきた戦争の実態を 初めて知る機会となったことだった。 84 00:17:41,093 --> 00:17:47,600 元 満州国の皇帝 溥儀が 証人として出廷する。 85 00:17:47,600 --> 00:17:50,937 溥儀の証言などから 満州国が➡ 86 00:17:50,937 --> 00:17:56,742 日本の傀儡国家にすぎなかったことが 暴露された。 87 00:18:23,002 --> 00:18:32,011 さらには 日本軍による一般市民への 残虐行為や 捕虜の虐待も告発された。 88 00:19:05,745 --> 00:19:10,216 日本は 捕虜の扱いを定めた ジュネーヴ条約など➡ 89 00:19:10,216 --> 00:19:18,224 戦時国際法への認識が甘く 各地で戦争犯罪を重ねていた。 90 00:19:25,698 --> 00:19:33,406 1947年2月。 東京裁判は弁護側の反証に入る。 91 00:19:35,474 --> 00:19:42,782 冒頭陳述を担当したのは 東条英機の弁護人 清瀬一郎。 92 00:20:01,100 --> 00:20:08,307 清瀬は この戦争が 自衛戦争だったと肯定する論を展開した。 93 00:20:10,676 --> 00:20:17,583 しかし この清瀬の陳述に 異を唱える被告人が現れた。 94 00:20:35,868 --> 00:20:40,206 個人弁論では 時に被告人同士が➡ 95 00:20:40,206 --> 00:20:44,310 責任の所在を巡って 対立する場面があった。 96 00:21:08,167 --> 00:21:16,075 一方 証言台に立つことなく かたくなに 沈黙を守り続ける被告人もいた。 97 00:21:22,281 --> 00:21:28,521 1930年代 外務大臣 総理大臣を歴任した広田は➡ 98 00:21:28,521 --> 00:21:35,828 軍人ではなかったが 侵略を容認した みずからの責任を重く受け止めていた。 99 00:21:37,863 --> 00:21:44,637 裁判冒頭の罪状認否の際にも 無罪を申し立てることをためらった。 100 00:21:44,637 --> 00:21:51,343 弁護人から形式的なものにすぎないと 説得され 不本意なまま従っていた。 101 00:21:53,979 --> 00:22:00,686 広田が法廷で言葉を発したのは これが最初で最後となった。 102 00:22:03,255 --> 00:22:07,059 裁判の開始早々 苦楽を共にしてきた➡ 103 00:22:07,059 --> 00:22:12,498 広田の妻が 死を選んでいた。 104 00:22:12,498 --> 00:22:16,435 そんな広田を子どもたちが支えた。 105 00:22:16,435 --> 00:22:19,071 息子は弁護人を務め➡ 106 00:22:19,071 --> 00:22:23,776 2人の娘は傍聴席から見守った。 107 00:22:25,844 --> 00:22:32,151 2年半に及ぶ裁判に 一日も休まず通い続けた。 108 00:22:35,588 --> 00:22:41,193 被告人席で広田は いつも目を閉じていた。 109 00:22:41,193 --> 00:22:48,901 弁護の進み方しだいでは 極刑を免れる 可能性もあったが沈黙を貫いた。 110 00:23:39,985 --> 00:23:43,656 東京裁判2年目の年末。 111 00:23:43,656 --> 00:23:49,194 映像には 傍聴の希望者が 殺到する様子が記録されている。 112 00:23:49,194 --> 00:23:54,300 この日から始まる 東条英機の証言に関心が集まった。 113 00:24:52,925 --> 00:25:00,733 東条は8日間にわたり 証言台から 自衛戦争の主張を繰り返した。 114 00:25:17,082 --> 00:25:19,385 法廷でのやり取りは➡ 115 00:25:19,385 --> 00:25:21,320 フィルムの入れ替えなどがあり➡ 116 00:25:21,320 --> 00:25:25,758 全てが映像に残されているわけではない。 117 00:25:25,758 --> 00:25:33,365 たまたま カメラの回っていないところで 東条が検察官に重大な発言をしていた。 118 00:25:53,185 --> 00:26:01,293 この発言に 最も慌てたのが アメリカの首席検察官 キーナンだった。 119 00:26:05,764 --> 00:26:11,703 東条の言葉は 解釈しだいでは 戦争開始の決定は➡ 120 00:26:11,703 --> 00:26:17,109 天皇の意思によるものだった ということになる。 121 00:26:22,347 --> 00:26:27,619 アメリカ政府とGHQは 占領政策を円滑に進める上で➡ 122 00:26:27,619 --> 00:26:34,426 天皇は不可欠な存在と考え 天皇不訴追の方針を固めていた。 123 00:26:41,767 --> 00:26:49,475 当時のキーナンの焦りを 後に 日本人の秘書が代弁している。 124 00:27:24,943 --> 00:27:32,351 6日後 キーナンの誘導により 東条に 天皇の戦争責任について➡ 125 00:27:32,351 --> 00:27:36,555 改めて発言する機会が与えられた。 126 00:28:12,691 --> 00:28:19,765 審理の開始から 丸2年で 東京裁判は結審する。 127 00:28:19,765 --> 00:28:25,871 あとは 半年先の判決を待つのみとなった。 128 00:28:37,182 --> 00:28:42,988 ニュルンベルクでは ゲーリングら 戦争指導者の裁判が終了したあとも➡ 129 00:28:42,988 --> 00:28:47,626 戦争犯罪の追及が続いていた。 130 00:28:47,626 --> 00:28:51,630 主導したのは アメリカだった。 131 00:28:57,302 --> 00:29:00,906 被告人には 民間人も含まれ➡ 132 00:29:00,906 --> 00:29:07,713 法律家 医師 企業経営者など 185人が訴追された。 133 00:29:10,582 --> 00:29:15,420 戦争中の残虐行為に ドイツ社会を支えるエリートたちも➡ 134 00:29:15,420 --> 00:29:19,324 深く関与していた実態が あぶり出される。 135 00:29:24,563 --> 00:29:32,170 この医師は 人体実験を行い 多くの収容者を殺害したと告発された。 136 00:30:00,799 --> 00:30:05,704 この医師は 禁錮20年の刑に処せられた。 137 00:30:09,408 --> 00:30:21,119 4年に及ぶ継続裁判で 絞首刑25人 終身刑20人 有期刑は97人に上った。 138 00:30:44,009 --> 00:30:47,879 まずは 判決文の朗読。 139 00:30:47,879 --> 00:30:51,350 ニュルンベルク裁判を踏襲し➡ 140 00:30:51,350 --> 00:30:56,655 あくまでも 個人の責任を問うという 見解が示された。 141 00:31:22,647 --> 00:31:30,355 続いて 被告人ごとに 判決に至るまでの詳細が伝えられた。 142 00:32:45,664 --> 00:32:50,335 (ざわめき) 143 00:32:50,335 --> 00:32:52,337 (木づちの音) 144 00:33:59,938 --> 00:34:04,809 ある判事の証言によれば 判事11人のうち➡ 145 00:34:04,809 --> 00:34:08,947 広田の死刑に賛成したのは 6人。 146 00:34:08,947 --> 00:34:14,619 5人が反対し 6対5だった。 147 00:34:14,619 --> 00:34:20,325 1票が 広田の運命を分けた。 148 00:34:24,963 --> 00:34:29,634 「被告 広田弘毅。 被告が有罪の判定を受けた起訴状中の…」。 149 00:34:29,634 --> 00:34:38,977 死刑判決を受けた直後 広田は 息子の座る弁護人席の方に目をやり➡ 150 00:34:38,977 --> 00:34:44,983 傍聴席にいる 2人の娘を見上げ うなずいた。 151 00:34:56,528 --> 00:35:04,235 一方 死刑を覚悟して この裁判に臨んできた 東条英機。 152 00:35:20,285 --> 00:35:30,929 ♬~ 153 00:35:30,929 --> 00:35:36,835 NHKに 判決に対する 人々の さまざまな声を拾い集めた➡ 154 00:35:36,835 --> 00:35:40,839 街頭録音が残されている。 155 00:35:51,249 --> 00:35:55,253 (アナウンサー)国民の責任ね。 156 00:36:04,262 --> 00:36:06,564 (アナウンサー)なるほどね。 157 00:37:16,267 --> 00:37:19,938 判決から 41日後。 158 00:37:19,938 --> 00:37:28,646 絞首刑の判決を受けた7人が 収監先の巣鴨プリズンで処刑された。 159 00:37:32,517 --> 00:37:35,286 これは その週の 出来事を伝える➡ 160 00:37:35,286 --> 00:37:37,222 ニュース映画。 161 00:37:37,222 --> 00:37:41,960 死刑執行のニュースは 年の瀬の 慌ただしさを伝える話題のあとに➡ 162 00:37:41,960 --> 00:37:44,963 ひと言 触れただけだった。 163 00:38:13,591 --> 00:38:18,463 死刑執行の翌日 GHQは➡ 164 00:38:18,463 --> 00:38:26,771 東京裁判で訴追されなかった 岸 信介ら 19人の釈放を発表した。 165 00:38:31,609 --> 00:38:34,612 それから 7年後。 166 00:38:48,960 --> 00:38:57,302 このころには 終身禁錮刑の判決を受けた 戦犯も 仮出所が認められる。 167 00:38:57,302 --> 00:39:04,008 1958年には 減刑により 全員が刑期満了となった。 168 00:39:09,247 --> 00:39:14,118 一方 戦後のドイツでも 冷戦に向かう中で➡ 169 00:39:14,118 --> 00:39:19,824 戦犯たちの多くが釈放され 公職に復帰していた。 170 00:39:24,596 --> 00:39:28,299 (拍手) 171 00:39:30,268 --> 00:39:36,941 1966年には 戦時中 ナチ党員として 外務省で働いていた経歴を持つ➡ 172 00:39:36,941 --> 00:39:40,945 キージンガーが 首相となる。 173 00:39:43,815 --> 00:39:46,951 戦後の目覚ましい復興の中で➡ 174 00:39:46,951 --> 00:39:51,656 忌まわしい過去の記憶は 次第に薄れていく。 175 00:39:53,625 --> 00:39:59,297 そんなドイツ社会の空気を変える きっかけとなった演説がある。 176 00:39:59,297 --> 00:40:03,301 首相の座に就いた ヴィリー・ブラント。 177 00:40:05,637 --> 00:40:09,507 ニュルンベルク裁判を 記者席から取材していた ブラントは➡ 178 00:40:09,507 --> 00:40:16,814 終戦25周年の節目の演説で 国民に こう語りかけた。 179 00:40:59,824 --> 00:41:06,531 世界では その後も 絶え間なく 戦争が続いている。 180 00:41:09,300 --> 00:41:15,173 そして 戦争犯罪もまた繰り返されている。 181 00:41:15,173 --> 00:41:30,321 ♬~ 182 00:41:30,321 --> 00:41:37,195 東京裁判の かつての戦犯たちは 刑期を終えて 何を思うのか。 183 00:41:37,195 --> 00:41:41,199 2人の証言が残されていた。 184 00:41:44,869 --> 00:41:50,174 一人は 元陸軍省軍務局長 佐藤賢了。 185 00:42:24,308 --> 00:42:31,315 もう一人は 東条内閣で大蔵大臣を務めた 賀屋興宣。 186 00:43:06,284 --> 00:43:12,290 あの裁判は 戦後の日本に 何を残しただろうか? 187 00:43:13,958 --> 00:43:21,833 東京裁判を 庶民の視点から問い直し 三部作の戯曲に書き著した井上ひさしは➡ 188 00:43:21,833 --> 00:43:25,837 こんな言葉を残している。 189 00:43:41,986 --> 00:43:44,689 …と考えています。 190 00:44:06,611 --> 00:44:39,911 ♬~