1 00:00:01,168 --> 00:00:09,276 ♬~ 2 00:00:11,178 --> 00:00:16,984 ベルリンの壁崩壊の1年前の 1988年。 3 00:00:16,984 --> 00:00:21,154 東ドイツの選手が オリンピック フィギュアスケートで➡ 4 00:00:21,154 --> 00:00:23,657 2連覇を果たした。 5 00:00:23,657 --> 00:00:29,529 ♬~(「カルメン」) 6 00:00:29,529 --> 00:00:34,334 カタリーナ・ヴィット。 この時 22歳。 7 00:00:36,136 --> 00:00:43,343 完璧な技術と妖艶な演技。 世界で敵なしだった。 8 00:00:57,157 --> 00:01:04,298 しかしヴィットは 7歳の時から 国家に監視されていた。 9 00:01:04,298 --> 00:01:10,404 国民的スターの 西側への亡命を 防ぐためだった。 10 00:01:29,923 --> 00:01:33,560 ドイツ民主共和国 東ドイツには➡ 11 00:01:33,560 --> 00:01:39,066 治安維持を担う組織 「シュタージ」が存在した。 12 00:01:41,301 --> 00:01:46,807 監視の目は 一般市民にも向けられていた。 13 00:01:50,377 --> 00:01:58,885 西側と通じていると疑われた市民の 留守宅に忍び込み その証拠を探す。 14 00:02:01,621 --> 00:02:09,229 国民の中に密告者をつくり 監視網を張り巡らせていた。 15 00:02:10,964 --> 00:02:13,900 これは ベルリンの壁崩壊後➡ 16 00:02:13,900 --> 00:02:20,140 シュタージの監視記録が 本人に公開された時の映像。 17 00:02:20,140 --> 00:02:25,512 自分のことを長期間 親しい誰かが ひそかに監視➡ 18 00:02:25,512 --> 00:02:29,916 密告し続けていたことを知った。 19 00:02:51,271 --> 00:02:57,044 子どもが親を 妻が夫を密告することもあった。 20 00:02:57,044 --> 00:03:04,551 人々は 自分がおぞましい闇の中に 生きていたことを突きつけられた。 21 00:03:27,908 --> 00:03:32,546 「映像の世紀バタフライエフェクト」。 22 00:03:32,546 --> 00:03:36,950 41年で消えた国家 東ドイツ。 23 00:03:36,950 --> 00:03:42,756 閉ざされた世界で 一体 何が行われていたのか。 24 00:03:42,756 --> 00:03:48,862 秘密に覆われた国家の 闇の記録である。 25 00:04:09,516 --> 00:04:19,126 1945年5月。 首都ベルリンが陥落し ドイツは無条件降伏した。 26 00:04:22,095 --> 00:04:29,903 投獄されていた一人のドイツ人の若者が ソ連軍によって解放された。 27 00:04:32,606 --> 00:04:36,910 ナチ政権への反逆罪で 8年間 投獄されていた… 28 00:04:39,212 --> 00:04:45,318 後に 東ドイツの最高指導者となる人物である。 29 00:05:06,273 --> 00:05:11,611 ドイツは 4つの戦勝国で 分割統治された。 30 00:05:11,611 --> 00:05:15,081 ドイツは 米ソ対立の 最前線となり➡ 31 00:05:15,081 --> 00:05:18,585 東西に分断される。 32 00:05:20,220 --> 00:05:26,526 1949年5月 西側地区に 「ドイツ連邦共和国」➡ 33 00:05:26,526 --> 00:05:30,230 西ドイツが誕生する。 34 00:05:32,732 --> 00:05:40,407 そして東側地区には 「ドイツ民主共和国」 東ドイツが建国された。 35 00:05:40,407 --> 00:05:46,313 ベルリンは東側にあったが この町も東西に分断された。 36 00:05:48,014 --> 00:05:50,116 東ドイツを統治したのは… 37 00:05:52,953 --> 00:05:57,057 ナチ時代 モスクワに亡命していた ウルブリヒトが➡ 38 00:05:57,057 --> 00:06:01,561 社会主義政策を推し進めた。 39 00:06:02,996 --> 00:06:06,733 ホーネッカーは 党の青年団のリーダーとして➡ 40 00:06:06,733 --> 00:06:09,636 頭角を現していた。 41 00:06:09,636 --> 00:06:17,844 ウルブリヒトに その統率力を評価され その後も党で出世していく。 42 00:06:24,184 --> 00:06:29,522 しかし 社会主義の理想は なかなか実現しなかった。 43 00:06:29,522 --> 00:06:36,997 これは 1953年6月 労働者が 東ドイツ政府に反発して起こした➡ 44 00:06:36,997 --> 00:06:39,733 ベルリン暴動の映像。 45 00:06:39,733 --> 00:06:46,606 戦争の傷が癒えない中で 賃金を上げず 労働のノルマだけを重くした政府に➡ 46 00:06:46,606 --> 00:06:49,609 人々は怒った。 47 00:06:51,344 --> 00:06:58,051 暴動が広がると ソ連が軍事介入し 力で抑え込んだ。 48 00:07:02,589 --> 00:07:09,963 これは 西ドイツの難民収容所。 東ドイツからの亡命者が殺到した。 49 00:07:09,963 --> 00:07:15,068 この年だけで 33万人が東ドイツを去った。 50 00:07:17,170 --> 00:07:21,041 中でも 東西の往来が活発だった ベルリンは➡ 51 00:07:21,041 --> 00:07:25,145 亡命には格好の場所だった。 52 00:07:28,281 --> 00:07:33,687 「東ドイツ政府が 亡命を防ぐため 強硬措置をとるのではないか」という➡ 53 00:07:33,687 --> 00:07:37,691 噂が立つようになった。 54 00:08:01,448 --> 00:08:05,752 しかし 会見から2か月後の深夜。 55 00:08:20,800 --> 00:08:23,837 夜が明け 市民が目にしたのは➡ 56 00:08:23,837 --> 00:08:30,143 ベルリンの西側を囲むように 張り巡らされた有刺鉄線だった。 57 00:08:30,143 --> 00:08:34,447 壁の建設が始まったのである。 58 00:08:37,784 --> 00:08:43,289 指揮を執ったのは 社会主義統一党 ナンバー2に上り詰めていた➡ 59 00:08:43,289 --> 00:08:46,693 ホーネッカーだった。 60 00:09:13,253 --> 00:09:17,857 それでも亡命者は後を絶たなかった。 61 00:09:17,857 --> 00:09:23,063 国境警備隊や警察は 命懸けで亡命しようとする人々に➡ 62 00:09:23,063 --> 00:09:26,766 容赦なく発砲した。 63 00:09:40,146 --> 00:09:47,053 すると 西側の人々は 今度はトンネルを掘り始めた。 64 00:09:48,788 --> 00:09:54,394 これは 東ドイツ側から 壁の向こうを撮影した映像である。 65 00:09:54,394 --> 00:10:00,200 トンネルが掘りやすい壁近くの建物に 出入りする 西ベルリンの人々を➡ 66 00:10:00,200 --> 00:10:03,303 監視している。 67 00:10:05,071 --> 00:10:10,844 撮影したのは 国家保安省 シュタージだった。 68 00:10:10,844 --> 00:10:15,648 亡命を未然に防ぐ 任務を負っていた。 69 00:10:19,018 --> 00:10:26,559 この男性は 東側の家族を取り戻すために 西ベルリンからトンネルを掘った。 70 00:10:26,559 --> 00:10:30,563 しかし計画は シュタージに筒抜けだった。 71 00:10:32,265 --> 00:10:34,667 トンネルを掘り抜いたものの➡ 72 00:10:34,667 --> 00:10:40,373 出口で待ち構えていたシュタージに 射殺された。 73 00:10:44,110 --> 00:10:48,014 情報は 仲間から漏れていた。 74 00:10:48,014 --> 00:10:54,420 シュタージは 国民の中に 監視網を張り巡らせていた。 75 00:10:58,124 --> 00:11:01,027 これは シュタージ職員が➡ 76 00:11:01,027 --> 00:11:06,833 「非公式協力者」と呼ばれた密告者と 面会する映像。 77 00:11:09,402 --> 00:11:13,173 シュタージは 社会主義を信奉する者を選び➡ 78 00:11:13,173 --> 00:11:15,441 スカウトしていた。 79 00:11:15,441 --> 00:11:21,247 情報に見返りを与え 暗号名を付けていた。 80 00:11:37,797 --> 00:11:44,203 シュタージを率いたのは 国家保安大臣の エーリッヒ・ミールケだった。 81 00:11:46,039 --> 00:11:48,575 ミールケは 恐怖心が➡ 82 00:11:48,575 --> 00:11:53,079 秩序を維持するためには 最も有効だと考えていた。 83 00:11:54,781 --> 00:11:59,619 それを学んだのは 亡命していたソ連時代だった。 84 00:11:59,619 --> 00:12:04,991 スターリンの恐怖政治が いかに国民を震え上がらせていたのか➡ 85 00:12:04,991 --> 00:12:07,594 身をもって知っていた。 86 00:12:33,853 --> 00:12:36,556 ♬~ 87 00:12:36,556 --> 00:12:42,328 これは 壁の建設が始まった翌年 東ドイツを取材した➡ 88 00:12:42,328 --> 00:12:45,665 NHKのドキュメンタリーである。 89 00:12:45,665 --> 00:12:56,309 ♬~ 90 00:12:56,309 --> 00:13:00,780 取材は 東ドイツ政府の担当者同行のもとで➡ 91 00:13:00,780 --> 00:13:04,884 行われていたと考えられる。 92 00:14:05,144 --> 00:14:13,352 ベルリンの壁は 人口流出を防ぎ 東ドイツの政治や経済を安定させた。 93 00:14:14,921 --> 00:14:19,158 鉄鋼や石油化学製品の生産量は増加し➡ 94 00:14:19,158 --> 00:14:26,866 60年代 労働者の賃金は 毎年4%ずつ上昇した。 95 00:14:28,968 --> 00:14:33,172 国民垂涎の的となった製品も生まれた。 96 00:14:38,511 --> 00:14:42,081 東ドイツの国産車… 97 00:14:42,081 --> 00:14:46,285 愛らしいデザインが大人気だった。 98 00:14:48,621 --> 00:14:53,426 ボディーには 特殊な強化プラスチックが使われた。 99 00:14:53,426 --> 00:14:59,732 金属資源の不足を 独自技術で補おうという工夫だった。 100 00:15:01,567 --> 00:15:06,072 購入まで 10年待つ人もいた。 101 00:15:12,512 --> 00:15:20,920 東ドイツが 国際社会で存在感を示すために 力を入れたのが スポーツだった。 102 00:15:22,889 --> 00:15:29,228 ホーネッカーは 1971年に 党第一書記となっていた。 103 00:15:29,228 --> 00:15:34,066 人口 1,700万の小国が 国際大会で勝つために➡ 104 00:15:34,066 --> 00:15:36,769 英才教育を推し進めた。 105 00:15:38,604 --> 00:15:43,476 運動能力や身体の成長が 幼少期から記録され➡ 106 00:15:43,476 --> 00:15:50,383 将来 有望な子どもは選抜され スポーツ学校に進んだ。 107 00:15:53,452 --> 00:15:59,859 最先端のトレーニングを受けさせ 才能を磨き上げた。 108 00:16:05,798 --> 00:16:14,106 カタリーナ・ヴィットも 10歳の時 国内大会で優勝し 頭角を現した。 109 00:16:15,875 --> 00:16:23,082 午前中の授業以外 すべての時間を トレーニングに充てることが許された。 110 00:16:24,650 --> 00:16:29,555 スポーツエリートとなることが 特権を得る近道だった。 111 00:16:29,555 --> 00:16:33,392 海外旅行など考えられない 国民の中にあって➡ 112 00:16:33,392 --> 00:16:40,500 ヴィットは 10代の時から 遠征に海外を飛び回っていた。 113 00:17:20,106 --> 00:17:27,513 1970年代 東西の緊張緩和 デタントが進む。 114 00:17:27,513 --> 00:17:33,719 社会主義国と資本主義国の 関係改善が始まった。 115 00:17:37,056 --> 00:17:42,361 東ドイツも 長年対立してきた 西ドイツとの国交を結ぶ。 116 00:17:43,896 --> 00:17:47,300 西ドイツからの入国規制を緩和した。 117 00:17:49,135 --> 00:17:54,740 国際協調の姿勢を見せた東ドイツだが 本音は違った。 118 00:17:54,740 --> 00:17:58,411 シュタージは 西側からの影響力が増すことに➡ 119 00:17:58,411 --> 00:18:01,414 危機感を抱いた。 120 00:18:25,071 --> 00:18:30,876 シュタージは 監視体制を さらに強化していく。 121 00:18:33,212 --> 00:18:37,984 密告によって 疑わしい人物の情報が入ると➡ 122 00:18:37,984 --> 00:18:40,786 ひそかにカメラが向けられた。 123 00:18:42,421 --> 00:18:48,728 シュタージは あらゆる手段を使って 人々を監視した。 124 00:18:50,296 --> 00:18:56,902 この女性は 西ドイツにいる恋人と 結婚するため 出国申請をしたが➡ 125 00:18:56,902 --> 00:19:00,172 却下されていた。 126 00:19:00,172 --> 00:19:06,278 シュタージは 近いうちに亡命を図ると 見ていた。 127 00:19:08,981 --> 00:19:16,489 実際 女性は亡命を図るが失敗。 3年間 服役した。 128 00:19:18,257 --> 00:19:21,594 ホテル従業員だった女性の言動は➡ 129 00:19:21,594 --> 00:19:26,465 職場の同僚など 12人の非公式協力者を通じて➡ 130 00:19:26,465 --> 00:19:30,269 シュタージに筒抜けだった。 131 00:19:56,796 --> 00:20:00,099 当初 1,000人規模だったシュタージは➡ 132 00:20:00,099 --> 00:20:06,105 このころ 9万人を超える 巨大組織となっていた。 133 00:20:08,307 --> 00:20:14,847 ドレスデンには 職員3,600人のための 住宅や病院 学校をそろえた➡ 134 00:20:14,847 --> 00:20:18,851 専用エリアが つくられていた。 135 00:20:23,355 --> 00:20:29,028 ソ連の諜報機関 「KGB」職員だった ウラジーミル・プーチンは➡ 136 00:20:29,028 --> 00:20:34,934 5年間 ここを拠点に 諜報活動を行っていた。 137 00:20:39,438 --> 00:20:43,442 シュタージは 国際舞台でも暗躍した。 138 00:20:43,442 --> 00:20:50,950 1974年 西ドイツで開催された サッカーワールドカップ。 139 00:20:54,920 --> 00:21:03,028 シュタージは 西ドイツに渡った選手が そのまま亡命することを警戒していた。 140 00:21:07,166 --> 00:21:15,875 ひそかに選手に接触し チーム内に 5人の非公式協力者をつくった。 141 00:21:34,660 --> 00:21:40,966 東ドイツからの観戦者 1,500人も シュタージが人選した。 142 00:21:40,966 --> 00:21:43,769 独身者は排除された。 143 00:21:43,769 --> 00:21:47,773 人質として 家族がいることが条件だった。 144 00:21:49,441 --> 00:21:55,147 選ばれた人は その狙いを知る由もなかった。 145 00:22:07,793 --> 00:22:13,899 大会では 開催国 西ドイツ代表と戦った。 146 00:22:21,207 --> 00:22:25,211 東ドイツが1点をあげ 勝利した。 147 00:22:25,211 --> 00:22:32,117 大会で優勝した西ドイツが 唯一喫した敗戦だった。 148 00:22:50,236 --> 00:22:55,107 1976年のオリンピック モントリオール大会で➡ 149 00:22:55,107 --> 00:22:59,211 東ドイツは 大躍進を果たす。 150 00:23:06,085 --> 00:23:11,790 総メダル数 90。 うち40個が 金メダルだった。 151 00:23:11,790 --> 00:23:15,995 アメリカを上回り ソ連に次ぐ2位だった。 152 00:23:17,596 --> 00:23:19,965 (ピストル音) 153 00:23:19,965 --> 00:23:25,738 中でも13種目中 金メダル11個と 旋風を巻き起こしたのが➡ 154 00:23:25,738 --> 00:23:29,041 競泳女子だった。 155 00:23:40,052 --> 00:23:43,088 17歳のコルネリア・エンダーは➡ 156 00:23:43,088 --> 00:23:47,092 一人で4つの金メダルを獲得した。 157 00:23:48,794 --> 00:23:55,801 あどけなさが残る表情とはアンバランスな 筋肉隆々の体。 158 00:23:57,937 --> 00:24:00,606 この時 関係者の間では➡ 159 00:24:00,606 --> 00:24:07,012 東ドイツの女子選手の低い声が 噂となっていた。 160 00:24:24,630 --> 00:24:32,137 筋肉増強のため 男性ホルモンを 服用しているのではと疑われた。 161 00:24:35,207 --> 00:24:42,114 エンダーは後に 筋肉増強効果のある ステロイドを服用したと告白する。 162 00:24:42,114 --> 00:24:47,820 「疲労回復のビタミン剤」と コーチに言われていた。 163 00:25:08,107 --> 00:25:13,712 東ドイツのドーピングは 国家ぐるみだった。 164 00:25:17,182 --> 00:25:21,053 研究機関は 綿密なプログラムを立て➡ 165 00:25:21,053 --> 00:25:25,524 検査をすり抜けられるように 薬の使用法を定め➡ 166 00:25:25,524 --> 00:25:28,827 隠蔽技術を開発していた。 167 00:25:30,362 --> 00:25:37,569 主任研究者は報告書で ドーピングの必要性を訴えていた。 168 00:25:57,890 --> 00:26:02,995 ドーピングで 人生が狂わされた選手もいた。 169 00:26:04,596 --> 00:26:08,467 女子砲丸投げ ハイディ・クリーガーは➡ 170 00:26:08,467 --> 00:26:15,574 詳細を知らされないまま コーチから 過剰なステロイドを服用させられた。 171 00:26:31,223 --> 00:26:37,629 徐々にヒゲや体毛が濃くなり 体が男性化していった。 172 00:26:39,298 --> 00:26:44,403 これは 14年後の姿である。 173 00:27:04,256 --> 00:27:08,594 外見が大きく変わり 社会で生きていくために➡ 174 00:27:08,594 --> 00:27:12,498 クリーガーは決断した。 175 00:27:36,121 --> 00:27:40,792 1984年 サラエボ冬季オリンピックに➡ 176 00:27:40,792 --> 00:27:45,998 カタリーナ・ヴィットは 18歳で初出場した。 177 00:27:52,938 --> 00:27:57,776 圧倒的な技術と 芸術性あふれる演技で優勝。 178 00:27:57,776 --> 00:28:01,680 世界中にファンが生まれた。 179 00:28:05,651 --> 00:28:10,656 金メダルは ヴィットに特権をもたらした。 180 00:28:10,656 --> 00:28:17,162 一般国民が待ち続ける自動車を手に入れ 住居も優遇された。 181 00:28:18,797 --> 00:28:23,635 それとともに シュタージの監視レベルも上がった。 182 00:28:23,635 --> 00:28:28,273 国民的スターを 亡命させるわけにはいかなかった。 183 00:28:28,273 --> 00:28:34,079 シュタージは ヴィットへ 直接コンタクトするようになった。 184 00:29:00,205 --> 00:29:05,911 これは ヴィットが 壁崩壊後 閲覧した監視内容。 185 00:29:05,911 --> 00:29:10,415 実に 3,000ページにわたっていた。 186 00:29:14,286 --> 00:29:20,692 金メダル獲得のあと 交際していた 東ドイツのミュージシャンと破局したが➡ 187 00:29:20,692 --> 00:29:25,397 これにも シュタージが関与していた。 188 00:29:57,162 --> 00:30:02,334 恋愛相談した友達の誰かが 非公式協力者だったが➡ 189 00:30:02,334 --> 00:30:05,937 特定はされていない。 190 00:30:16,314 --> 00:30:25,023 1989年5月。 ハンガリーで オーストリアとの国境の鉄条網が撤去された。 191 00:30:25,023 --> 00:30:31,530 ソ連のゴルバチョフが始めた 民主化政策が波及したのである。 192 00:30:33,332 --> 00:30:37,202 鉄のカーテンに 穴があいた瞬間だった。 193 00:30:37,202 --> 00:30:43,809 ハンガリー経由で西側を目指す 東ドイツの人々が殺到した。 194 00:30:56,555 --> 00:31:03,261 前の年 ヴィットは オリンピック2連覇を果たしていた。 195 00:31:07,299 --> 00:31:11,069 ヴィットは 国家への多大な貢献の見返りとして➡ 196 00:31:11,069 --> 00:31:17,876 プロ選手への転向が許可された。 異例の待遇だった。 197 00:31:19,778 --> 00:31:25,584 西側メディアは ヴィットを 社会主義国家の特権階級と見なし➡ 198 00:31:25,584 --> 00:31:28,987 辛辣な質問を浴びせた。 199 00:32:07,192 --> 00:32:11,396 ハンガリー経由で 亡命者が続出する中で➡ 200 00:32:11,396 --> 00:32:15,901 シュタージは さらに監視の手を強めていく。 201 00:32:15,901 --> 00:32:20,305 これは ベルリンの広場を撮影した 監視映像。 202 00:32:20,305 --> 00:32:27,512 デモ開催を聞きつけたシュタージが 参加を疑う人物を連れ去っている。 203 00:32:30,081 --> 00:32:35,287 (叫び声) 204 00:32:37,055 --> 00:32:42,561 50人余りが連行されたが 周りの反応は薄い。 205 00:32:42,561 --> 00:32:49,467 自らの身を守るためなのか 人々は関心を示そうとしていない。 206 00:32:52,137 --> 00:32:55,106 しかし 変化を求める声を➡ 207 00:32:55,106 --> 00:32:58,710 抑えつけることは できなくなりつつあった。 208 00:33:00,412 --> 00:33:04,783 それは ライプツィヒの教会から始まった。 209 00:33:04,783 --> 00:33:10,188 毎週 月曜日に行われていた礼拝 「平和の祈り」。 210 00:33:10,188 --> 00:33:13,725 教会は 許可なしに人々が集まれ➡ 211 00:33:13,725 --> 00:33:17,229 シュタージの監視の目も 届きにくい場所だった。 212 00:33:18,897 --> 00:33:23,635 1989年9月4日 月曜日。 213 00:33:23,635 --> 00:33:28,974 礼拝を終えた人々に向けて 若者たちが 移動の自由を訴え➡ 214 00:33:28,974 --> 00:33:30,976 デモを始めた。 215 00:33:30,976 --> 00:33:34,079 西側メディアも呼んでいた。 216 00:33:35,747 --> 00:33:41,353 カメラは 横断幕を奪う人物を捉えていた。 217 00:33:44,456 --> 00:33:50,161 表舞台に出ることを避けていた シュタージだった。 218 00:33:58,970 --> 00:34:06,177 シュタージの行為は映像を通じて 世界中に届けられた。 219 00:34:27,732 --> 00:34:34,940 デモの翌月 東ドイツでは 建国40周年式典が開かれた。 220 00:34:36,508 --> 00:34:39,644 ホーネッカーは ゴルバチョフを招いて➡ 221 00:34:39,644 --> 00:34:43,949 社会主義の成功を誇った。 222 00:35:00,599 --> 00:35:03,568 しかしこの時 ゴルバチョフは➡ 223 00:35:03,568 --> 00:35:08,873 ホーネッカー政権は もうもたないと感じていた。 224 00:35:27,192 --> 00:35:33,398 ライプツィヒの月曜デモは 東ドイツの各都市に広がった。 225 00:35:34,933 --> 00:35:41,139 ライプツィヒの大通りでは 7万人を超える人々が声を上げた。 226 00:35:46,611 --> 00:35:53,651 建国式典の11日後。 ホーネッカーは デモ拡大の責任を追及され➡ 227 00:35:53,651 --> 00:35:58,757 党幹部たちに解任された。 そして…。 228 00:36:12,137 --> 00:36:17,175 1989年11月9日。 229 00:36:17,175 --> 00:36:24,282 政府は 国外旅行の自由を認める 政令案を発表した。 230 00:36:27,152 --> 00:36:31,656 ベルリンの壁が崩壊した。 231 00:36:39,431 --> 00:36:43,301 そして 長きにわたって シュタージを率いてきた➡ 232 00:36:43,301 --> 00:36:47,172 ミールケも辞任する。 233 00:36:47,172 --> 00:36:52,977 社会主義維持のために シュタージが 果たしてきた役割を 自慢げに述べたが➡ 234 00:36:52,977 --> 00:36:55,980 議員たちに嘲笑された。 235 00:37:19,170 --> 00:37:25,877 その一方で ミールケは部下に 監視記録の破棄を命じていた。 236 00:37:27,712 --> 00:37:34,519 シュタージのオフィスには その動きを知った人々が押し寄せた。 237 00:37:42,026 --> 00:37:49,934 人々は 監視ファイルの数の膨大さと 分厚さを 初めて知った。 238 00:37:54,606 --> 00:38:02,113 そして 1990年10月 東西ドイツは統一された。 239 00:38:02,113 --> 00:38:08,620 東ドイツ 41年の歴史に 幕が下ろされた。 240 00:38:15,960 --> 00:38:23,968 1992年 シュタージの監視記録が 本人に公開された。 241 00:38:26,271 --> 00:38:33,578 東ドイツの監視のおぞましさは 人々の想像以上だった。 242 00:39:43,281 --> 00:39:48,987 2000年には ドーピング被害を受けた 東ドイツ出身の選手たちが➡ 243 00:39:48,987 --> 00:39:54,292 体育協会会長などを訴える 裁判を起こした。 244 00:39:56,394 --> 00:40:02,500 有罪判決を勝ち取ったが 謝罪はなかった。 245 00:40:10,942 --> 00:40:14,779 ホーネッカーはその後 ソ連に亡命。 246 00:40:14,779 --> 00:40:18,316 晩年は 南米チリに移り住み➡ 247 00:40:18,316 --> 00:40:21,519 81歳で亡くなった。 248 00:40:52,684 --> 00:40:57,989 東ドイツが消滅して 35年。 249 00:41:00,391 --> 00:41:05,697 「トラバント」は 東ドイツ時代の レトロ趣味を味わえる車として➡ 250 00:41:05,697 --> 00:41:09,500 今も見かけることがある。 251 00:41:22,914 --> 00:41:29,687 今年2月のドイツ総選挙。 右派政党 「AfD」が大躍進し➡ 252 00:41:29,687 --> 00:41:33,791 旧東ドイツ地域で 最大勢力となった。 253 00:41:35,493 --> 00:41:38,863 統一から35年たった今も➡ 254 00:41:38,863 --> 00:41:46,137 旧東ドイツの地域は 西ドイツ地域に比べ 平均年収が2割低い。 255 00:41:46,137 --> 00:41:52,443 低賃金の仕事を 移民と奪い合う事態が続いている。 256 00:41:55,446 --> 00:42:00,752 移民排斥を訴える AfDを支持する 大きな理由である。 257 00:42:16,868 --> 00:42:21,105 カタリーナ・ヴィットは今 ベルリン近郊で➡ 258 00:42:21,105 --> 00:42:25,309 スポーツスタジオを経営している。 259 00:42:27,979 --> 00:42:30,181 統一後 ヴィットは➡ 260 00:42:30,181 --> 00:42:36,287 旧西ドイツのメディアからの 誹謗中傷にさらされた。 261 00:42:38,222 --> 00:42:41,626 それを避けるように アメリカに拠点を移し➡ 262 00:42:41,626 --> 00:42:44,929 スケートを続けた。 263 00:42:47,932 --> 00:42:52,470 壁崩壊から5年後の 1994年。 264 00:42:52,470 --> 00:42:58,576 28歳になったヴィットは 3度目のオリンピックに出場した。 265 00:43:00,178 --> 00:43:03,714 全盛期は過ぎているのは分かっていた。 266 00:43:03,714 --> 00:43:12,323 それでも出場したのは 消えた祖国 東ドイツの誇りを示すためだった。 267 00:43:13,958 --> 00:43:18,362 結果は7位だった。 268 00:44:08,079 --> 00:44:39,977 ♬~