1 00:00:00,934 --> 00:00:08,642 ♬~ 2 00:00:08,642 --> 00:00:16,083 これは 今から99年前に記録された 地震計の針の動き。 3 00:00:16,083 --> 00:00:19,319 中央気象台の針が 全て飛んでしまう中➡ 4 00:00:19,319 --> 00:00:24,324 東京大学の地震計は 激しい揺れを記録していた。 5 00:00:26,093 --> 00:00:32,599 縦が揺れの大きさ 横が継続時間。 6 00:00:32,599 --> 00:00:36,236 よく見ると 振れ幅は同じまま。 7 00:00:36,236 --> 00:00:40,240 揺れが大きすぎて 振り切れていたのである。 8 00:00:44,077 --> 00:00:48,882 激しい揺れは 実に10分も続いた。 9 00:00:54,321 --> 00:00:57,724 関東大震災である。 10 00:01:01,395 --> 00:01:05,098 死者 10万5,000人。 11 00:01:06,767 --> 00:01:11,071 家を失った人は 6割にも上った。 12 00:01:14,641 --> 00:01:17,277 その 22年後。 13 00:01:17,277 --> 00:01:21,949 東京の街は 再び灰燼に帰した。 14 00:01:21,949 --> 00:01:25,252 東京大空襲である。 15 00:01:29,723 --> 00:01:35,562 アメリカは 大量の焼夷弾で 下町一帯を焼き尽くした。 16 00:01:35,562 --> 00:01:38,565 10万人が 犠牲となった。 17 00:01:40,334 --> 00:01:47,941 東京は 二十数年間に 2度にわたって壊滅した都市である。 18 00:01:47,941 --> 00:01:54,715 その 2度の壊滅と復興に 大きく関わった アメリカ人がいた。 19 00:01:54,715 --> 00:01:58,585 日本で活躍していた アメリカ人建築家➡ 20 00:01:58,585 --> 00:02:01,188 アントニン・レーモンド。 21 00:02:01,188 --> 00:02:05,726 関東大震災では 復興に力を注いだ その一方で➡ 22 00:02:05,726 --> 00:02:09,062 日本の都市と家屋を知り尽くしていた レーモンドは➡ 23 00:02:09,062 --> 00:02:14,067 建築家の立場で 東京の空襲に関わることになる。 24 00:02:32,352 --> 00:02:38,191 誰かの ささやかな営みが 時に 世界を変えることがある。 25 00:02:38,191 --> 00:02:43,230 「映像の世紀 バタフライエフェクト」。 26 00:02:43,230 --> 00:02:47,100 関東大震災と東京大空襲。 27 00:02:47,100 --> 00:02:52,072 ふたつの破壊には 運命的なつながりがあった。 28 00:02:52,072 --> 00:02:59,079 ♬~ 29 00:03:05,552 --> 00:03:12,259 これは およそ100年前 大正時代に撮影された東京の姿。 30 00:03:17,697 --> 00:03:20,600 日本橋は 商いの街。 31 00:03:20,600 --> 00:03:25,372 「今日は帝劇 明日は三越」という キャッチコピーが流行し➡ 32 00:03:25,372 --> 00:03:28,475 新たな消費文化の到来を告げた。 33 00:03:33,513 --> 00:03:36,216 こちらは 浅草。 34 00:03:37,884 --> 00:03:39,820 12階建ての凌雲閣は➡ 35 00:03:39,820 --> 00:03:44,124 当時 日本一の高さを誇った 商業施設である。 36 00:03:48,595 --> 00:03:52,399 大正3年に開業した 東京駅。 37 00:03:52,399 --> 00:03:57,704 以来 丸の内は 日本経済の中心地となっていく。 38 00:04:02,709 --> 00:04:06,580 大正9年 東京市長に就任したのは➡ 39 00:04:06,580 --> 00:04:09,382 後藤新平である。 40 00:04:09,382 --> 00:04:16,590 後藤は 東京を 一等国の首都として ふさわしい都市にしようと計画を練った。 41 00:04:21,862 --> 00:04:29,002 東京の近代化を目指す後藤が 新たな才能と高く評価した建築家がいる。 42 00:04:29,002 --> 00:04:34,007 チェコ生まれの アメリカ人 アントニン・レーモンドである。 43 00:04:35,776 --> 00:04:39,613 レーモンドは 帝国ホテルの新館建設のため➡ 44 00:04:39,613 --> 00:04:45,285 世界三大建築家の一人 フランク・ロイド・ライトの助手として来日。 45 00:04:45,285 --> 00:04:48,889 その後 日本で活動していた。 46 00:04:50,524 --> 00:04:55,362 大勢の客人を招くために 洋館を構えることにした後藤は➡ 47 00:04:55,362 --> 00:04:59,366 その設計を レーモンドに依頼したのである。 48 00:05:05,138 --> 00:05:10,343 レーモンドは この時初めて 地鎮祭を体験した。 49 00:05:45,745 --> 00:05:50,951 完成した新居は 鉄筋コンクリートの2階建て。 50 00:05:54,487 --> 00:05:59,793 新しもの好きの後藤のセンスに レーモンドが応えた。 51 00:06:03,763 --> 00:06:08,034 後藤邸が完成したのは 1923年。 52 00:06:08,034 --> 00:06:13,740 東京を未曽有の災害が襲うのは その すぐあとのことだった。 53 00:06:24,484 --> 00:06:27,954 この日は 2学期の始業式。 54 00:06:27,954 --> 00:06:33,560 夏休みが終わったとはいえ 東京は うだるような蒸し暑さだった。 55 00:06:36,363 --> 00:06:41,968 この日 帝国ホテルでは 新館の落成披露宴が行われる予定だった。 56 00:06:43,603 --> 00:06:49,175 レーモンドにとっても 晴れがましい一日となるはずだった。 57 00:06:49,175 --> 00:06:51,978 しかし…。 58 00:07:01,888 --> 00:07:07,494 マグニチュード7.9の巨大地震が 東京を襲った。 59 00:07:14,868 --> 00:07:20,373 東京の震度は 地盤の固い山の手では 震度5程度。 60 00:07:20,373 --> 00:07:25,979 地盤の軟らかい下町では 6弱から7と推定されている。 61 00:07:45,065 --> 00:07:49,602 建物は 片っ端から倒れた。 62 00:07:49,602 --> 00:07:53,473 その数 およそ11万。 63 00:07:53,473 --> 00:07:57,344 圧死者は 1万1,000人に上った。 64 00:07:57,344 --> 00:08:01,948 だがそれは 悲劇の序章にすぎなかった。 65 00:08:05,018 --> 00:08:07,921 地震発生から 1時間。 66 00:08:07,921 --> 00:08:11,624 人々は とりあえず通りに出た。 67 00:08:13,827 --> 00:08:18,131 これは そのころの浅草付近。 68 00:08:18,131 --> 00:08:23,937 奥の方で火災が発生しているが 人々に逃げる気配はない。 69 00:08:28,775 --> 00:08:34,581 一体 何が起きたのか。 誰もが 放心状態だった。 70 00:08:41,721 --> 00:08:46,393 あちこちで 火の手が上がった。 71 00:08:46,393 --> 00:08:48,328 ちょうど 昼食時。 72 00:08:48,328 --> 00:08:51,931 多くの家が 火を使っていたのである。 73 00:08:55,568 --> 00:09:01,674 折からの強風にあおられ 火は 瞬く間に燃え広がった。 74 00:09:09,115 --> 00:09:13,653 これは 火災の全体像。 75 00:09:13,653 --> 00:09:15,955 赤い丸が 出火場所。 76 00:09:15,955 --> 00:09:21,061 そこから延びる矢印が 延焼した方向を示している。 77 00:09:26,599 --> 00:09:30,904 出火場所は 134か所。 78 00:09:30,904 --> 00:09:35,809 火は 東京の東側一帯を 焼き尽くしていった。 79 00:09:38,645 --> 00:09:44,384 神田では 半径400メートルの範囲で 10か所も火災が発生。 80 00:09:44,384 --> 00:09:47,987 これは その時の貴重な映像である。 81 00:09:52,792 --> 00:09:58,097 本屋街は燃え 数百万冊の書籍が灰となった。 82 00:10:01,367 --> 00:10:04,370 帝国劇場も炎上。 83 00:10:06,072 --> 00:10:10,944 その奥で燃えているのは 警視庁である。 84 00:10:10,944 --> 00:10:17,150 警視庁は 火災により 電信 電話などの通信手段が壊滅。 85 00:10:20,987 --> 00:10:26,593 非常時にもかかわらず 事態の把握が できなくなってしまった。 86 00:10:31,965 --> 00:10:33,900 建築家 レーモンドは➡ 87 00:10:33,900 --> 00:10:37,904 自分が設計に関わった 帝国ホテルに駆けつけた。 88 00:11:03,930 --> 00:11:09,802 その後 帝国ホテルには 各国の大使館や 大企業の仮事務所が置かれ➡ 89 00:11:09,802 --> 00:11:13,506 救援活動の中心を担っていく。 90 00:11:17,977 --> 00:11:21,781 地震発生から 2時間。 91 00:11:25,418 --> 00:11:31,424 ここは 浅草。 凌雲閣からも火の手が上がった。 92 00:11:35,728 --> 00:11:41,434 人々は 家財道具を大八車に載せ 逃げた。 93 00:11:43,102 --> 00:11:47,407 目指したのは 広場や公園。 94 00:11:52,679 --> 00:11:55,915 ここは 上野の大通り。 95 00:11:55,915 --> 00:12:01,221 上野公園へ向かう人の群れで 一歩も前に進めない。 96 00:12:04,691 --> 00:12:09,495 たどりつくまでに 途方もない時間が かかった。 97 00:12:13,666 --> 00:12:18,671 皇居前広場には 30万人が避難した。 98 00:12:22,375 --> 00:12:28,381 地震で倒れなかった東京駅。 10万人が押し寄せた。 99 00:12:30,783 --> 00:12:33,820 上野公園は 50万人。 100 00:12:33,820 --> 00:12:38,625 その中に 詩人 西條八十が うずくまっていた。 101 00:13:11,824 --> 00:13:15,328 更に 痛ましい被害が出た。 102 00:13:17,497 --> 00:13:22,001 これは 震災の2か月前に撮られた 空撮映像。 103 00:13:22,001 --> 00:13:25,104 現在の両国駅付近を 撮影している。 104 00:13:26,839 --> 00:13:31,311 この広い空地は 陸軍被服廠跡。 105 00:13:31,311 --> 00:13:33,813 軍服を作る工場が移転し➡ 106 00:13:33,813 --> 00:13:37,617 公園予定地として さら地になっていた。 107 00:13:40,319 --> 00:13:46,125 そのため 格好の避難所となり 4万人が押し寄せた。 108 00:13:49,896 --> 00:13:55,668 ここで 「火災旋風」と呼ばれる現象が発生した。 109 00:13:55,668 --> 00:13:58,571 大きな火災は 強い上昇気流を生み➡ 110 00:13:58,571 --> 00:14:02,542 そこに横風が吹き込むと 渦が生じる。 111 00:14:02,542 --> 00:14:07,447 火災旋風は その渦が巨大化してできると 考えられている。 112 00:14:10,316 --> 00:14:15,521 広場を何度も襲い 人々を巻き込んでいった。 113 00:14:22,295 --> 00:14:26,299 3万8,000人が命を落とした。 114 00:14:33,906 --> 00:14:36,642 映画の黎明期に活躍した カメラマン➡ 115 00:14:36,642 --> 00:14:41,347 白井 茂は 無我夢中でカメラを回した。 116 00:15:20,253 --> 00:15:23,856 一夜明けた 9月2日。 117 00:15:27,026 --> 00:15:31,030 一つの流言飛語が 飛び交い始めた。 118 00:15:32,765 --> 00:15:37,570 「混乱に乗じて 朝鮮人が襲ってくる」 という うわさだった。 119 00:15:52,518 --> 00:15:58,724 政府は 戒厳令を布告。 警視庁が焼け 機能を失う中➡ 120 00:15:58,724 --> 00:16:02,228 軍隊に治安維持を任せたのだ。 121 00:16:06,132 --> 00:16:12,839 まだ ラジオがなかった時代。 人々の情報源は 新聞しかなかった。 122 00:16:14,907 --> 00:16:20,513 しかし 新聞社は火災に遭い 発行することができない。 123 00:16:22,582 --> 00:16:29,589 東京は 「情報の空白地帯」となり 流言飛語が拡散していったのである。 124 00:16:36,562 --> 00:16:41,434 人々は 町内会や集落ごとに 自警団を結成。 125 00:16:41,434 --> 00:16:47,740 猟銃や 鎌やクワなどの農具で武装し 襲撃に備えた。 126 00:16:52,411 --> 00:16:56,916 混乱の中 多くの人々が殺害された。 127 00:16:56,916 --> 00:17:01,120 これは 司法省がまとめた調査書。 128 00:17:04,790 --> 00:17:08,127 「九月二日 午後五時。➡ 129 00:17:08,127 --> 00:17:11,364 世田谷町大字太子堂。➡ 130 00:17:11,364 --> 00:17:16,068 被害者 一名 氏名 不詳。➡ 131 00:17:16,068 --> 00:17:19,071 猟銃を以って射殺」。 132 00:17:21,874 --> 00:17:24,377 この日は 全部で8件。 133 00:17:24,377 --> 00:17:28,881 中には 16人が殺傷される事件もあった。 134 00:17:30,750 --> 00:17:38,057 司法省の調べによると 殺された人々は 231人に上った。 135 00:17:38,057 --> 00:17:42,595 しかし 2,500人を超えるという調査もあり➡ 136 00:17:42,595 --> 00:17:47,099 正確な数は 今も分かっていない。 137 00:17:51,771 --> 00:17:57,576 震災3日目 午前10時。 138 00:17:57,576 --> 00:18:00,780 火災は やっと収まった。 139 00:18:05,318 --> 00:18:09,288 市街地の4割以上が 焼失。 140 00:18:09,288 --> 00:18:15,995 市民 220万のうち 140万人が 帰る家を失った。 141 00:18:20,833 --> 00:18:24,971 地震による死者は 10万5,000人。 142 00:18:24,971 --> 00:18:29,875 そのうちの9割が 火災の犠牲者だった。 143 00:18:42,154 --> 00:18:48,694 建築家レーモンドは 米軍の要人を 被害の激しかった地区に案内した。 144 00:18:48,694 --> 00:18:53,299 アメリカ政府の救援を求めるためだった。 145 00:18:57,169 --> 00:19:02,675 火災旋風が発生した 陸軍被服廠跡も訪れている。 146 00:19:42,148 --> 00:19:46,852 一方で 自分が設計した建物の調査を始めた。 147 00:19:46,852 --> 00:19:51,557 最初に向かったのは 後藤新平の邸宅だった。 148 00:19:59,398 --> 00:20:04,203 後藤の新居は 何の被害もなく立っていた。 149 00:20:07,073 --> 00:20:11,410 建築中だった 東京女子大学や➡ 150 00:20:11,410 --> 00:20:16,716 星製薬商業学校も 倒壊することはなかった。 151 00:20:19,618 --> 00:20:22,855 レーモンドは 大震災を機に➡ 152 00:20:22,855 --> 00:20:28,060 耐震設計に長けた建築家として 名を上げていく。 153 00:20:32,031 --> 00:20:35,801 震災から 四十九日。 154 00:20:35,801 --> 00:20:40,239 犠牲者の追悼式が営まれた。 155 00:20:40,239 --> 00:20:44,443 場所は 陸軍被服廠跡。 156 00:20:44,443 --> 00:20:49,715 犠牲者は 臨時の火葬場で 荼毘に付された。 157 00:20:49,715 --> 00:20:56,122 名前はおろか 男女の区別すら 特定することが困難だった。 158 00:21:01,961 --> 00:21:08,567 弔辞に立ったのは 後藤新平。 この春に 東京市長を退任。 159 00:21:08,567 --> 00:21:15,074 地震発生の翌日に誕生した新内閣で 内務大臣に就任していた。 160 00:21:19,211 --> 00:21:25,518 この映像は のちの昭和天皇を 焼け跡に案内する 後藤の姿。 161 00:21:27,319 --> 00:21:34,527 後藤の強烈なリーダーシップの下で 東京は 復興に向け動きだす。 162 00:21:38,697 --> 00:21:42,535 浅草のシンボル 凌雲閣。 163 00:21:42,535 --> 00:21:46,872 (倒壊する音) 164 00:21:46,872 --> 00:21:51,644 もはや 使い物にならなくなり 取り壊された。 165 00:21:51,644 --> 00:21:53,946 (倒壊する音) 166 00:21:53,946 --> 00:21:58,784 復興は 修復不可能となった 建物の破壊から始まった。 167 00:21:58,784 --> 00:22:02,254 (倒壊する音) 168 00:22:02,254 --> 00:22:08,060 ♬~ 169 00:22:08,060 --> 00:22:12,865 後藤は 閣議に「帝都復興の議」を提出。 170 00:22:12,865 --> 00:22:16,669 燃えない近代都市をつくることを誓った。 171 00:23:04,149 --> 00:23:10,289 後藤が総裁となり 帝都復興院が立ち上がる。 172 00:23:10,289 --> 00:23:16,595 全国から 建築や土木 社会事業のエキスパートが集められた。 173 00:23:22,268 --> 00:23:27,072 最初に手を付けたのは 土地の区画整理である。 174 00:23:29,975 --> 00:23:36,382 「区画整理」とは 当時 ドイツで導入された最先端の手法。 175 00:23:36,382 --> 00:23:40,686 個人の住宅を 少しずつずらして 土地を接収し➡ 176 00:23:40,686 --> 00:23:43,889 道幅を広げるというものである。 177 00:23:47,559 --> 00:23:52,665 実現のためには 土地の所有者の理解が必須だった。 178 00:23:54,300 --> 00:23:57,036 しかし 後藤の計画は➡ 179 00:23:57,036 --> 00:24:00,906 枢密院の重鎮で 「銀座の大地主」とも呼ばれた➡ 180 00:24:00,906 --> 00:24:04,610 伊東巳代治の激しい反対にあう。 181 00:24:08,547 --> 00:24:13,052 それに対し 後藤は こう反論した。 182 00:24:38,577 --> 00:24:44,316 結局 後藤は 焼失区域の9割で 区画整理を実現させた。 183 00:24:44,316 --> 00:24:49,121 そして 東京大改造の本丸に着手する。 184 00:24:53,726 --> 00:24:59,898 まずは 幅 22メートル以上の幹線道路を 52本 整備した。 185 00:24:59,898 --> 00:25:06,305 交通の便を良くするとともに 火災の時に類焼を防ぐのが ねらいだった。 186 00:25:10,175 --> 00:25:15,681 街路樹には 火に強い イチョウや ヤナギなどが植えられた。 187 00:25:21,653 --> 00:25:25,057 公園の整備も 大切な復興事業。 188 00:25:25,057 --> 00:25:29,061 隅田公園は この時につくられた。 189 00:25:30,863 --> 00:25:35,968 自然の景観を楽しめ 心安らげる場所。 190 00:25:37,970 --> 00:25:43,275 ひとたび災害となれば 避難所の役目を果たすのである。 191 00:25:47,746 --> 00:25:52,885 更に 震災で焼失した 117の小学校を➡ 192 00:25:52,885 --> 00:25:56,388 燃えにくい 鉄筋コンクリートにした。 193 00:25:59,658 --> 00:26:04,496 そんな東京の取り組みを 世界中が応援する。 194 00:26:04,496 --> 00:26:08,267 海外からの義援金は 現在の価値に換算して➡ 195 00:26:08,267 --> 00:26:11,570 1,800億円に上った。 196 00:26:16,642 --> 00:26:19,645 集まった義援金をもとに 設立されたのが➡ 197 00:26:19,645 --> 00:26:23,248 財団法人 同潤会。 198 00:26:25,350 --> 00:26:32,357 被災者へ向けて 14の鉄筋アパートを建て 2,500戸を供給した。 199 00:26:39,865 --> 00:26:44,303 昭和5年3月24日。 200 00:26:44,303 --> 00:26:49,808 天皇の巡幸を皮切りに 帝都復興祭が幕を開けた。 201 00:26:52,044 --> 00:26:58,417 昭和天皇は 新たに舗装された道路を視察。 202 00:26:58,417 --> 00:27:02,287 日比谷 日本橋 浅草など➡ 203 00:27:02,287 --> 00:27:07,292 被災した街を 32キロにわたって見て回る。 204 00:27:12,431 --> 00:27:18,070 途中 陸軍被服廠跡に建てられた 震災記念堂に立ち寄り➡ 205 00:27:18,070 --> 00:27:22,074 火災旋風の犠牲者を追悼した。 206 00:27:29,148 --> 00:27:33,852 この日から 東京は 3日間のお祭り騒ぎ。 207 00:27:35,888 --> 00:27:42,194 初日の人出は 200万人。 3日目は 300万人に達し➡ 208 00:27:42,194 --> 00:27:46,398 生まれ変わった東京の姿を喜び合った。 209 00:27:49,701 --> 00:27:56,408 だが 後藤にとって この復興は 決して満足のいくものではなかった。 210 00:28:01,246 --> 00:28:08,020 これは 後藤が実行しようとした 復興計画の第一案。 211 00:28:08,020 --> 00:28:13,225 復興事業は 焼失区域を中心に行われた。 212 00:28:17,129 --> 00:28:22,868 緑色は 火災の時 避難所となる公園を示している。 213 00:28:22,868 --> 00:28:27,472 新設の大きな公園を 8か所以上つくる計画だったが➡ 214 00:28:27,472 --> 00:28:30,375 実現したのは 3つだけ。 215 00:28:30,375 --> 00:28:33,478 多くは 事業から除外された。 216 00:28:35,214 --> 00:28:40,052 道幅 44メートルの道路も 10本以上つくる計画だったが➡ 217 00:28:40,052 --> 00:28:43,956 できたのは 2本だけだった。 218 00:28:47,693 --> 00:28:52,531 鉄筋コンクリ―トは 普及せず 人々は 相も変わらず➡ 219 00:28:52,531 --> 00:28:56,435 「木と紙で出来た家」に 密集して暮らしていた。 220 00:28:56,435 --> 00:29:05,877 ♬~ 221 00:29:05,877 --> 00:29:08,714 復興事業が 中途半端に終わったのは➡ 222 00:29:08,714 --> 00:29:12,584 第1次世界大戦後の好景気が 一気に冷え込み➡ 223 00:29:12,584 --> 00:29:17,089 予算が 6分の1ほどに 縮小されたためだった。 224 00:29:20,325 --> 00:29:25,063 そのことが 22年後 何をもたらすのか。 225 00:29:25,063 --> 00:29:29,267 この時 まだ知る人は いない。 226 00:29:32,604 --> 00:29:36,441 後藤は 盛大な復興祭を見ることなく➡ 227 00:29:36,441 --> 00:29:42,247 これより 1年前 71年の生涯を閉じていた。 228 00:29:46,084 --> 00:29:51,290 そして レーモンドが設計した 屋敷だけが残った。 229 00:29:51,290 --> 00:29:57,596 主を失った豪邸は 満州国の大使館として利用されていく。 230 00:30:02,301 --> 00:30:08,607 レーモンドは その後も日本に残り 建築家として活躍した。 231 00:30:11,977 --> 00:30:16,515 火災で焼失した アメリカ大使館や➡ 232 00:30:16,515 --> 00:30:22,721 銀座の教文館ビルなどを次々と建て直し 復興に力を注いだ。 233 00:30:26,191 --> 00:30:28,126 後に 建築界をリードする➡ 234 00:30:28,126 --> 00:30:31,997 前川國男や 吉村順三は➡ 235 00:30:31,997 --> 00:30:35,634 いずれも レーモンドの門下生。 236 00:30:35,634 --> 00:30:41,139 「モダニズム建築の父」と呼ばれ 多くの人材を育てていく。 237 00:30:43,742 --> 00:30:47,245 奇跡的な復興を遂げる 東京。 238 00:30:49,948 --> 00:30:55,954 だが 平和な時代は 長くは続かなかった。 239 00:30:58,357 --> 00:31:04,262 これは 昭和14年に撮影された 銀座の映像。 240 00:31:04,262 --> 00:31:08,734 150両の戦車が銀座の ど真ん中を走り➡ 241 00:31:08,734 --> 00:31:12,437 人々が 熱狂する姿を捉えている。 242 00:31:17,209 --> 00:31:20,112 「鹵獲品」と書かれた戦車。 243 00:31:20,112 --> 00:31:26,418 2年前に勃発した 日中戦争で 中国軍から奪ってきたものだ。 244 00:31:28,754 --> 00:31:33,558 日本は 太平洋戦争へ突入していく。 245 00:31:38,430 --> 00:31:44,636 レーモンドは 戦禍を避けるように アメリカに帰国した。 246 00:31:58,316 --> 00:32:03,021 東京は再び 破滅の危機に立つ。 247 00:32:16,168 --> 00:32:20,672 米軍による 本土空襲が始まったのだ。 248 00:32:24,509 --> 00:32:28,747 最初のターゲットは 中島飛行機。 249 00:32:28,747 --> 00:32:33,251 ゼロ戦のエンジンもつくる 戦闘機のメーカーだった。 250 00:32:35,520 --> 00:32:40,091 しかし 命中率は 僅か7%。 251 00:32:40,091 --> 00:32:46,598 東京上空には 秒速100メートルもの ジェット気流が流れていたのが原因だった。 252 00:32:49,768 --> 00:32:54,973 アメリカ軍は 軍事施設を ピンポイントで狙うのを諦めた。 253 00:32:54,973 --> 00:33:01,279 そして 街全体を 焼夷弾で 焼き尽くす作戦に切り替えていく。 254 00:33:10,188 --> 00:33:14,493 これは アメリカ軍が製作した記録映画。 255 00:33:14,493 --> 00:33:20,498 日本の都市への爆撃は 焼夷弾が有効であると説明している。 256 00:33:42,020 --> 00:33:45,490 日本向けの 焼夷弾開発のための実験は➡ 257 00:33:45,490 --> 00:33:48,793 ユタ州の砂漠で行われた。 258 00:33:51,029 --> 00:33:54,699 スギによく似た木材を シベリアから取り寄せ➡ 259 00:33:54,699 --> 00:33:58,403 日本の集合住宅を再現している。 260 00:34:00,038 --> 00:34:04,843 ここに 焼夷弾を実際に落とし データを取るのだ。 261 00:34:06,478 --> 00:34:12,050 畳は ハワイの日系社会から調達。 262 00:34:12,050 --> 00:34:14,853 「ちゃぶ台」も取りそろえた。 263 00:34:14,853 --> 00:34:19,257 まるで 住宅展示場のような出来栄えだった。 264 00:34:23,461 --> 00:34:28,767 戦後の建築雑誌に 設計者の名が記されている。 265 00:34:33,505 --> 00:34:36,508 アントニン・レーモンド。 266 00:34:42,247 --> 00:34:46,384 日本の都市や家の構造を 知り尽くしていた レーモンドが➡ 267 00:34:46,384 --> 00:34:49,387 実験に関わっていた。 268 00:35:02,901 --> 00:35:08,406 (爆発音) 269 00:35:34,366 --> 00:35:37,602 3月9日。 270 00:35:37,602 --> 00:35:43,541 B29 325機が 1,600トン余りの焼夷弾を積み込み➡ 271 00:35:43,541 --> 00:35:47,245 マリアナ諸島の基地を出撃した。 272 00:35:51,116 --> 00:35:55,487 ターゲットは 東京下町。 273 00:35:55,487 --> 00:35:59,290 木造建築の密集地帯である。 274 00:36:05,463 --> 00:36:08,867 深夜に行われた 東京大空襲。 275 00:36:08,867 --> 00:36:13,805 これは その瞬間を捉えた 貴重な写真である。 276 00:36:13,805 --> 00:36:16,708 映像は残されていない。 277 00:36:18,543 --> 00:36:21,046 後藤新平は 大震災後➡ 278 00:36:21,046 --> 00:36:25,917 この地区を 「燃えない近代都市」へ 生まれ変わらせようとしたが➡ 279 00:36:25,917 --> 00:36:29,387 果たせなかった。 280 00:36:29,387 --> 00:36:37,162 日本の木造建築用に開発された 焼夷弾によって 下町は火の海となった。 281 00:36:37,162 --> 00:36:41,466 この夜 10万人が亡くなった。 282 00:37:27,078 --> 00:37:31,783 空襲は このあと何度も続いた。 283 00:37:34,252 --> 00:37:37,956 関東大震災から 22年。 284 00:37:39,591 --> 00:37:43,795 東京は 再び壊滅した。 285 00:37:54,506 --> 00:37:58,710 昭和天皇が 焼け跡を視察した。 286 00:38:00,445 --> 00:38:04,649 後に こんな談話を残している。 287 00:39:02,840 --> 00:39:07,011 終戦後。 288 00:39:07,011 --> 00:39:12,517 焼け跡の東京に アメリカから レーモンドが帰ってきた。 289 00:39:15,153 --> 00:39:18,957 変わり果てた東京を 目の当たりにしたレーモンドは➡ 290 00:39:18,957 --> 00:39:21,359 動けなくなった。 291 00:40:13,811 --> 00:40:20,118 レーモンドは 日本の再建のために 力を尽くすことを誓った。 292 00:40:23,187 --> 00:40:26,391 この写真は かごに乗って山に分け入る➡ 293 00:40:26,391 --> 00:40:29,394 レーモンドの姿を捉えている。 294 00:40:31,963 --> 00:40:35,400 向かったのは 福島県。 295 00:40:35,400 --> 00:40:39,637 只見川上流の山間部だった。 296 00:40:39,637 --> 00:40:42,607 「復興には 電力が不可欠である」と考え➡ 297 00:40:42,607 --> 00:40:46,311 ダム建設のプロジェクトを 立ち上げたのだ。 298 00:40:50,882 --> 00:40:54,118 アメリカから 最先端の技術者などを呼び寄せ➡ 299 00:40:54,118 --> 00:40:57,555 完成当時 日本一の貯水量を誇った➡ 300 00:40:57,555 --> 00:41:01,059 巨大ダムの建設に尽力した。 301 00:41:09,067 --> 00:41:13,638 建築の仕事も再開した。 302 00:41:13,638 --> 00:41:16,574 群馬音楽センターの 地鎮祭の映像に➡ 303 00:41:16,574 --> 00:41:20,778 71歳になる レーモンドが 映っている。 304 00:41:29,020 --> 00:41:34,525 このホールは 市民一人一人の 寄付によって建てられている。 305 00:41:37,195 --> 00:41:41,799 レーモンドは 舞台と客席が一体化する空間をつくり➡ 306 00:41:41,799 --> 00:41:45,103 市民たちの情熱に応えた。 307 00:41:50,842 --> 00:41:54,412 44年間 日本に滞在。 308 00:41:54,412 --> 00:41:57,315 設計した建物は 400を数え➡ 309 00:41:57,315 --> 00:42:03,654 2度にわたり破壊された 東京の復興に 力を尽くした。 310 00:42:03,654 --> 00:42:18,069 ♬~ 311 00:42:18,069 --> 00:42:23,608 墨田区にある 東京都慰霊堂。 312 00:42:23,608 --> 00:42:30,081 陸軍被服廠跡に立つ この施設には 関東大震災と空襲の犠牲者➡ 313 00:42:30,081 --> 00:42:35,386 合わせて 16万3,000体の遺骨が納められている。 314 00:42:38,756 --> 00:42:44,562 東京都は 今年5月 マグニチュード7を超える首都直下地震が➡ 315 00:42:44,562 --> 00:42:52,270 今後 30年以内に発生する確率は 70%という報告書を公表した。 316 00:42:55,606 --> 00:43:02,413 後藤新平は 震災の翌年に開かれた講演で こう述べている。 317 00:44:09,480 --> 00:44:38,876 ♬~