1 00:00:00,267 --> 00:00:08,075 ♬~ 2 00:00:16,183 --> 00:00:20,387 今から100年前の 関東大震災。 3 00:00:20,387 --> 00:00:24,625 火災で 9割が焼け野原となった 東京東部に➡ 4 00:00:24,625 --> 00:00:28,562 奇跡的に 焼失を免れた一角がある。 5 00:00:28,562 --> 00:00:33,367 神田区 佐久間町と和泉町。 6 00:00:33,367 --> 00:00:39,072 これは そのエピソードを伝える レコード付き紙芝居。 7 00:00:58,025 --> 00:01:02,362 震災直後の神田区の映像。 8 00:01:02,362 --> 00:01:10,570 画面奥 建物が残っている辺りが 佐久間町・和泉町と思われる。 9 00:01:13,140 --> 00:01:18,145 住民は 脇を流れる神田川の水を バケツリレーで運び➡ 10 00:01:18,145 --> 00:01:20,647 1,600戸の家を守った。 11 00:01:22,149 --> 00:01:26,286 震災直後に描かれた油絵。 12 00:01:26,286 --> 00:01:33,594 焦土の中で残った家々は 「震災の奇跡」と呼ばれた。 13 00:01:35,629 --> 00:01:39,499 しかし 関東大震災の教訓は➡ 14 00:01:39,499 --> 00:01:45,973 その後 戦争へ向かう日本の中で すり替えられていく。 15 00:01:45,973 --> 00:01:48,041 (サイレン) 16 00:01:48,041 --> 00:01:51,211 震災後 始まった災害訓練は➡ 17 00:01:51,211 --> 00:01:58,518 次第に 空襲を想定した軍事演習に 性格を変えていった。 18 00:02:01,989 --> 00:02:06,126 佐久間町・和泉町の 奇跡のエピソードも➡ 19 00:02:06,126 --> 00:02:13,133 空襲から逃げず 立ち向かう手本として 利用されていく。 20 00:02:14,835 --> 00:02:18,271 震災後 始まったラジオ放送。 21 00:02:18,271 --> 00:02:22,476 (ラジオ音声)「ただいまは ちょうど二重橋の上を…」。 22 00:02:22,476 --> 00:02:28,181 内容は検閲され 国家の宣伝機関となっていった。 23 00:02:29,883 --> 00:02:34,054 更に 防災のために生まれた町内会は➡ 24 00:02:34,054 --> 00:02:39,960 国家総動員体制を 下支えしていくものとなる。 25 00:03:09,356 --> 00:03:15,162 ♬~ 26 00:03:15,162 --> 00:03:19,666 「映像の世紀 バタフライエフェクト」。 27 00:03:21,334 --> 00:03:27,140 未曽有の災害は 日本人の精神を どう変えたのか。 28 00:03:27,140 --> 00:03:34,347 復興から太平洋戦争に至るまでの 18年間の記録である。 29 00:03:44,291 --> 00:03:52,399 1922年 アメリカ・ワシントンで 日本も参加した ある会議が開かれた。 30 00:03:52,399 --> 00:03:58,205 欧米 日本など5か国で 保有する戦艦や空母の縮小を決めた➡ 31 00:03:58,205 --> 00:04:02,008 軍縮会議である。 32 00:04:02,008 --> 00:04:09,316 第一次世界大戦が終わり つかの間の平和が訪れていた。 33 00:04:14,354 --> 00:04:21,795 東京・上野では 大戦終結を記念した 平和記念東京博覧会が開かれ➡ 34 00:04:21,795 --> 00:04:25,699 1,100万人が来場。 35 00:04:27,367 --> 00:04:29,936 最新の水上飛行機など➡ 36 00:04:29,936 --> 00:04:35,041 さまざまな技術や 外国文化が紹介された。 37 00:04:36,843 --> 00:04:43,950 第一次世界大戦で 被害少なくして 戦勝国となった日本。 38 00:04:45,819 --> 00:04:51,925 大戦中は特需で 空前の好景気に沸いていた。 39 00:04:53,560 --> 00:04:56,296 戦場となったヨーロッパに代わり➡ 40 00:04:56,296 --> 00:04:59,100 日本の工業製品の輸出が急増。 41 00:05:01,568 --> 00:05:06,406 特に 巨万の富を築いたのが造船会社。 42 00:05:06,406 --> 00:05:11,211 「船成金」と呼ばれる 大金持ちが誕生した。 43 00:05:13,180 --> 00:05:17,784 これは 当時の船成金を描いた風刺画。 44 00:05:19,519 --> 00:05:22,255 玄関の明かりを つくるために➡ 45 00:05:22,255 --> 00:05:28,161 百円札 今の価値で 30万円ほどを燃やしている。 46 00:05:29,796 --> 00:05:33,800 このモデルとされる 山本唯三郎。 47 00:05:33,800 --> 00:05:38,505 総勢150人で 朝鮮半島に虎狩りに行き➡ 48 00:05:38,505 --> 00:05:44,311 虎料理の大宴会を開くなど 成金趣味を極めた。 49 00:05:46,079 --> 00:05:49,783 都会では 西洋文化が花開き➡ 50 00:05:49,783 --> 00:05:55,889 美人ウエートレスがもてなす カフェーが大人気だった。 51 00:06:21,248 --> 00:06:24,851 国民の社会参加への意識も高まり➡ 52 00:06:24,851 --> 00:06:29,456 政治運動 労働運動が活発化していく。 53 00:06:29,456 --> 00:06:33,360 「大正デモクラシー」である。 54 00:06:37,797 --> 00:06:41,735 これは 1923年7月➡ 55 00:06:41,735 --> 00:06:45,739 飛行船から撮影された 東京の街。 56 00:06:47,474 --> 00:06:54,347 近代化が進む帝都・東京は 人口220万まで拡大。 57 00:06:54,347 --> 00:06:58,051 なおも増え続けていた。 58 00:07:00,620 --> 00:07:05,525 しかし この2か月後だった。 59 00:07:18,638 --> 00:07:22,909 中央気象台の時計が止まった。 60 00:07:22,909 --> 00:07:26,813 関東大震災である。 61 00:07:29,649 --> 00:07:32,552 マグニチュード7.9。 62 00:07:32,552 --> 00:07:39,959 最大で 上下左右に20センチ近い 激しい揺れが 10分以上続いた。 63 00:07:39,959 --> 00:07:44,164 10万以上の建物が倒壊した。 64 00:07:45,765 --> 00:07:50,070 更に 100か所以上から火災が発生。 65 00:07:51,871 --> 00:07:56,176 この日 台風の影響による 強風が吹いていたことで➡ 66 00:07:56,176 --> 00:07:58,812 火の勢いは拡大。 67 00:07:58,812 --> 00:08:05,618 3日間 燃え続け 東京の東半分が焼失した。 68 00:08:05,618 --> 00:08:11,725 死者・行方不明者は 10万5,000人に上った。 69 00:08:17,297 --> 00:08:23,903 これは 火災が収まった直後の 日本橋の映像。 70 00:08:27,007 --> 00:08:33,646 7割の人が家を失い 当てもなく さまよった。 71 00:08:33,646 --> 00:08:39,586 更に 混乱に乗じて 朝鮮人が暴徒化したとのデマが広がり➡ 72 00:08:39,586 --> 00:08:43,089 彼らを狙った虐殺事件が多発。 73 00:08:44,858 --> 00:08:49,529 その収拾に 当たったのが 軍隊だった。 74 00:08:49,529 --> 00:08:53,867 政府は 戒厳令を出し 5万の軍隊を動員➡ 75 00:08:53,867 --> 00:08:56,669 治安維持を委ねた。 76 00:08:58,304 --> 00:09:02,609 混乱は 次第に収拾されていった。 77 00:09:04,144 --> 00:09:09,949 軍隊は 街の復旧工事にも当たった。 78 00:09:12,819 --> 00:09:18,725 東京では 300近くの橋が焼失していた。 79 00:09:23,296 --> 00:09:30,603 軍は 工事の指揮を執り 簡易的な橋を架けていった。 80 00:09:32,839 --> 00:09:42,148 震災は 軍縮によって薄れていた 軍の存在感を 取り戻す機会となった。 81 00:10:45,778 --> 00:10:49,649 関東大震災の被害は 世界にも報じられ➡ 82 00:10:49,649 --> 00:10:53,186 各地からの 救援を呼んだ。 83 00:10:53,186 --> 00:10:57,790 これは イギリスで報道された映像。 84 00:10:57,790 --> 00:11:03,363 イギリスは 食料や物資を 日本に届けた。 85 00:11:03,363 --> 00:11:10,069 船に避難者を受け入れ 安全な場所へ輸送したと報じた。 86 00:11:13,039 --> 00:11:18,945 アメリカの救援部隊は 震災の4日後に 横浜に到着。 87 00:11:20,747 --> 00:11:26,352 医療テントをたて 被災者の救護に当たった。 88 00:11:28,821 --> 00:11:32,492 テントでは シチューやパンが提供され➡ 89 00:11:32,492 --> 00:11:38,998 「洋食屋でも食べられない ごちそうだ」と 言われたほどだった。 90 00:11:41,701 --> 00:11:44,971 各国からの支援が すぐに届いたのは➡ 91 00:11:44,971 --> 00:11:49,809 最新の無線技術の活躍があった。 92 00:11:49,809 --> 00:11:57,617 福島・磐城無線電信局にある 高さ200メートルの電波塔。 93 00:11:59,319 --> 00:12:06,926 局長・米村嘉一郎は その日 異常な事態に気付いた。 94 00:12:25,979 --> 00:12:29,282 米村は 英語に堪能だった。 95 00:12:29,282 --> 00:12:32,819 無線局に集まった情報を すぐに英訳し➡ 96 00:12:32,819 --> 00:12:37,323 海の向こうに 打電し続けた。 97 00:12:58,945 --> 00:13:04,817 日本の大地震は その日のうちに アメリカ本土まで伝わった。 98 00:13:04,817 --> 00:13:12,792 当時アメリカは 中国進出を巡って 日本と緊張関係にあったが 支援を即断。 99 00:13:12,792 --> 00:13:16,696 大々的に 義援金が呼びかけられた。 100 00:13:18,364 --> 00:13:22,735 その合言葉は 「数分が生死を分ける」。 101 00:13:22,735 --> 00:13:26,039 およそ1,000万ドルが集まった。 102 00:13:27,573 --> 00:13:32,979 日本に支援を送った国は 世界30か国以上。 103 00:13:32,979 --> 00:13:39,986 現在の価値で 1,000億円以上の 義援金や物資が送られた。 104 00:13:42,188 --> 00:13:49,295 海外に日本の惨状を伝えた 米村の名は 世界で称賛された。 105 00:14:19,025 --> 00:14:25,732 米村の活躍は 速報の重要性を 政府に思い知らせた。 106 00:14:25,732 --> 00:14:31,738 その後 ラジオ放送の開始が 急がれることになる。 107 00:14:34,741 --> 00:14:37,677 震災から9日後➡ 108 00:14:37,677 --> 00:14:44,951 実業家の渋沢栄一の ある発言が 大きな議論を巻き起こす。 109 00:14:44,951 --> 00:14:48,821 渋沢は 震災は「天譴」➡ 110 00:14:48,821 --> 00:14:55,428 つまり 天罰ではないかという主張を 新聞に発表した。 111 00:15:33,266 --> 00:15:36,035 渋沢の念頭にあったのは➡ 112 00:15:36,035 --> 00:15:41,140 腐敗した政治家や 強欲な成金などの存在だった。 113 00:15:42,809 --> 00:15:49,182 しかし 渋沢の主張は 拡大解釈されていく。 114 00:15:49,182 --> 00:15:54,687 自由や豊かさを声高に求める 日本人への戒めだという声が➡ 115 00:15:54,687 --> 00:15:58,691 政治家などから上がった。 116 00:16:00,927 --> 00:16:03,763 震災から2か月後➡ 117 00:16:03,763 --> 00:16:09,569 政府は 天皇の言葉 詔書を発表する。 118 00:16:09,569 --> 00:16:14,674 「國民精神 作興ニ關スル詔書」。 119 00:16:18,010 --> 00:16:22,348 その内容は 「浮華放縦」➡ 120 00:16:22,348 --> 00:16:26,519 つまり 自由気ままな態度を戒め➡ 121 00:16:26,519 --> 00:16:29,422 ぜいたくをせずに 身の丈をわきまえた➡ 122 00:16:29,422 --> 00:16:35,628 「質実剛健」の精神こそ 大切であると説くものだった。 123 00:16:42,935 --> 00:16:47,139 そして 震災から4か月後➡ 124 00:16:47,139 --> 00:16:51,444 皇室を巡る ある事件が起きる。 125 00:16:53,913 --> 00:16:56,816 議会に向かっていた皇太子を➡ 126 00:16:56,816 --> 00:16:59,752 社会主義者の青年が狙撃。 127 00:16:59,752 --> 00:17:03,956 暗殺未遂事件が起こった。 128 00:17:06,993 --> 00:17:09,896 これは その3か月前➡ 129 00:17:09,896 --> 00:17:12,431 病気の大正天皇に代わり➡ 130 00:17:12,431 --> 00:17:16,435 被災地へ視察に出る 皇太子の映像。 131 00:17:18,104 --> 00:17:20,773 皇族が襲撃されたことで➡ 132 00:17:20,773 --> 00:17:28,147 収まっていた 震災後の 治安維持を求める声が 再び高まった。 133 00:17:28,147 --> 00:17:34,353 強く主張していたのが 司法大臣・平沼騏一郎。 134 00:17:34,353 --> 00:17:38,224 社会主義者などを 厳しく 取り締まるべきと主張する➡ 135 00:17:38,224 --> 00:17:42,028 保守の強硬派だった。 136 00:17:42,028 --> 00:17:43,996 この事件を機に➡ 137 00:17:43,996 --> 00:17:47,833 社会主義者などの活動を 平時から制限する➡ 138 00:17:47,833 --> 00:17:51,737 「治安維持法」の制定に動く。 139 00:18:07,286 --> 00:18:15,561 1925年 普通選挙法の成立にあわせ 治安維持法が制定。 140 00:18:15,561 --> 00:18:19,765 その後 政府の意に沿わない 言論を取り締まる➡ 141 00:18:19,765 --> 00:18:23,970 法的根拠となっていった。 142 00:18:32,712 --> 00:18:36,115 (崩落する音) 143 00:18:36,115 --> 00:18:41,454 復興は 被災した建物の 取り壊しから始まった。 144 00:18:41,454 --> 00:18:46,325 焼け野原となった東京に 被災者は また家を建て➡ 145 00:18:46,325 --> 00:18:50,329 少しずつ 街が再建されていく。 146 00:18:52,098 --> 00:18:58,704 復興に向かう東京で 見習うべき 手本と位置づけられた地区がある。 147 00:18:58,704 --> 00:19:02,308 9割が焼失した 東京東部にあって➡ 148 00:19:02,308 --> 00:19:09,548 奇跡的に焼失を免れた 神田区の佐久間町と和泉町。 149 00:19:09,548 --> 00:19:15,354 残った家の数は 1,630戸。 150 00:19:15,354 --> 00:19:19,992 地区の人は 神田川の水を バケツリレーで運び➡ 151 00:19:19,992 --> 00:19:23,295 命懸けで家を守った。 152 00:19:24,830 --> 00:19:28,567 火を消し止めたあとも 炊き出しを行い➡ 153 00:19:28,567 --> 00:19:32,772 多くの避難者に分け与えた。 154 00:19:34,373 --> 00:19:37,576 地区の名は 一躍有名になり➡ 155 00:19:37,576 --> 00:19:42,081 皇太子も 視察したほどだった。 156 00:20:11,811 --> 00:20:17,683 この町が 焼失を免れたのは 隣に神田川が流れる立地や➡ 157 00:20:17,683 --> 00:20:22,555 火が迫るタイミングに 時間差があった幸運も大きかった。 158 00:20:22,555 --> 00:20:29,228 しかし 住民同士の団結が 特に強調された。 159 00:20:29,228 --> 00:20:36,769 各地に 住民の協力を求める 「町内会」が組織されていく。 160 00:20:36,769 --> 00:20:42,074 震災後 東京では 500以上の町内会が誕生。 161 00:20:42,074 --> 00:20:48,380 在郷軍人会などと協力し 防災活動を担った。 162 00:20:51,217 --> 00:20:53,819 (鐘の音) 163 00:20:59,925 --> 00:21:05,331 震災から2年後 ラジオ放送が開始された。 164 00:21:05,331 --> 00:21:10,236 東京放送局 愛宕山放送所。 165 00:21:11,871 --> 00:21:17,676 防災の一環として 国が主導して設立した。 166 00:21:17,676 --> 00:21:21,347 翌年には 他の地域局と統合して➡ 167 00:21:21,347 --> 00:21:24,683 「日本放送協会」が設立された。 168 00:21:24,683 --> 00:21:28,687 のちのNHKである。 169 00:21:28,687 --> 00:21:33,392 これは 1日2回 時報を伝える様子。 170 00:21:33,392 --> 00:21:35,828 (鐘の音) 171 00:21:35,828 --> 00:21:41,033 時計を見ながら ベルを鳴らす 簡単なものだった。 172 00:21:52,711 --> 00:21:57,917 これは NHKに残る 最も古いラジオ音源。 173 00:21:57,917 --> 00:22:02,588 当時の番組は 語学講座や娯楽などが中心。 174 00:22:02,588 --> 00:22:06,192 全て生放送だった。 175 00:22:10,329 --> 00:22:13,232 ニュースは 1日2回のみ。 176 00:22:13,232 --> 00:22:15,167 内容は 全て➡ 177 00:22:15,167 --> 00:22:18,070 国の検閲が必須とされた。 178 00:22:18,070 --> 00:22:21,574 当初の聴取契約は 僅か3万。 179 00:22:21,574 --> 00:22:27,780 それでも 瞬時に情報が伝わるラジオは 大きな話題となった。 180 00:22:27,780 --> 00:22:35,788 ♬~ 181 00:22:44,363 --> 00:22:47,266 放送開始から 3年後➡ 182 00:22:47,266 --> 00:22:49,702 あるイベントをきっかけに➡ 183 00:22:49,702 --> 00:22:52,671 ラジオは 一気に普及する。 184 00:22:52,671 --> 00:22:59,178 1928年に行われた 昭和天皇の即位式である。 185 00:23:07,119 --> 00:23:09,088 式の模様は➡ 186 00:23:09,088 --> 00:23:11,957 全国6局で 初めて生中継され➡ 187 00:23:11,957 --> 00:23:16,061 国民は ラジオに聞き入った。 188 00:23:18,530 --> 00:23:24,837 更に この即位の記念として ある番組が始まった。 189 00:23:33,979 --> 00:23:36,949 (ラジオ音声)「はい!」。 190 00:23:36,949 --> 00:23:42,755 今でも続く長寿番組 「ラジオ体操」である。 191 00:23:45,491 --> 00:23:47,860 威勢のいい声を かけるのは➡ 192 00:23:47,860 --> 00:23:53,299 陸軍軍楽隊出身の 江木理一アナウンサー。 193 00:23:53,299 --> 00:23:56,802 一躍 お茶の間の人気となった。 194 00:23:58,637 --> 00:24:03,609 復興に向かう今こそ 健康な体づくりが大切と➡ 195 00:24:03,609 --> 00:24:09,148 町内会単位で ラジオ体操の会も始まった。 196 00:24:09,148 --> 00:24:14,920 ♬~ 197 00:24:14,920 --> 00:24:19,692 全国で 最も早く ラジオ体操の会を始めたのは➡ 198 00:24:19,692 --> 00:24:24,830 あの神田の 佐久間町・和泉町の人たちだった。 199 00:24:24,830 --> 00:24:30,235 「ここが 日本中で 一番早く開始した」と 大きく壁に書き➡ 200 00:24:30,235 --> 00:24:33,339 地域の誇りとした。 201 00:24:37,876 --> 00:24:44,650 これは 震災から7年たった 1930年の東京。 202 00:24:44,650 --> 00:24:47,486 燃えない近代都市をつくるために➡ 203 00:24:47,486 --> 00:24:53,993 幅22メートル以上の幹線道路を 52本 整備した。 204 00:24:55,828 --> 00:25:02,034 東京の街は 大きく西に拡大し 人口も急増。 205 00:25:04,636 --> 00:25:10,109 隅田川には 頑丈な鉄橋が8つ完成。 206 00:25:10,109 --> 00:25:13,012 震災から 数年で生まれ変わった街は➡ 207 00:25:13,012 --> 00:25:16,515 「奇跡の復興」と呼ばれた。 208 00:25:18,417 --> 00:25:23,288 これは 「帝都復興祭」の映像。 209 00:25:23,288 --> 00:25:27,092 街は 祝賀モード 一色となった。 210 00:25:31,330 --> 00:25:36,835 特に 人々が待ち望んだのが 天皇の巡幸。 211 00:25:36,835 --> 00:25:43,275 天皇は 復興した街を 4時間半かけて回った。 212 00:25:43,275 --> 00:25:50,182 沿道には その姿を一目見ようと 100万人が押し寄せた。 213 00:25:54,686 --> 00:25:59,191 人々は 奇跡の復興に酔いしれた。 214 00:26:05,464 --> 00:26:12,871 しかし その陰で このころ日本は 深刻な不況に陥っていた。 215 00:26:15,908 --> 00:26:21,713 震災後 復興のために乱発された 企業向けの融資が焦げ付き➡ 216 00:26:21,713 --> 00:26:25,684 銀行の経営を圧迫していた。 217 00:26:25,684 --> 00:26:32,191 不安が広がり 預金を引き出そうと 取り付け騒ぎが起こった。 218 00:26:35,761 --> 00:26:42,434 このころ 街角に現れたのは サンドイッチマン。 219 00:26:42,434 --> 00:26:46,171 多くは失業者だった。 220 00:26:46,171 --> 00:26:49,374 大学を出ても 半分は就職できず➡ 221 00:26:49,374 --> 00:26:53,979 東京は 「失業都市」とまで呼ばれた。 222 00:27:01,720 --> 00:27:10,129 1930年には そんな不景気の時代を映す 不思議な事件が起こる。 223 00:27:10,129 --> 00:27:16,301 紡績会社の 高さ40メートルの煙突の上に 6日間 立て籠もる➡ 224 00:27:16,301 --> 00:27:21,106 「煙突男」が現れたのである。 225 00:27:21,106 --> 00:27:24,710 男は 会社に賃上げを要求。 226 00:27:24,710 --> 00:27:29,815 煙突の下には 1万人のやじ馬が集まった。 227 00:27:32,251 --> 00:27:37,222 困った会社は 労働組合に 金5,000円を支給。 228 00:27:37,222 --> 00:27:40,726 騒動に 決着をつけた。 229 00:27:59,111 --> 00:28:01,980 <昭和六年 九月十八日➡ 230 00:28:01,980 --> 00:28:05,784 柳條溝の一角に 突如轟く…> 231 00:28:08,754 --> 00:28:10,756 <皇軍 遂にたつ> 232 00:28:12,991 --> 00:28:20,899 1931年 満州事変をきっかけに 日本は 満州に本格進出する。 233 00:28:22,768 --> 00:28:27,406 豊富な天然資源と 広大な土地を持つ満州は➡ 234 00:28:27,406 --> 00:28:31,510 「日本の生命線」と位置づけられた。 235 00:28:34,613 --> 00:28:42,521 人々は 景気回復を期待して 満州への進出を 熱狂的に支持した。 236 00:28:45,057 --> 00:28:49,361 国際的孤立と経済恐慌。 237 00:28:49,361 --> 00:28:51,330 軍や政治家は➡ 238 00:28:51,330 --> 00:28:55,834 「今は非常時である」という言葉を 繰り返した。 239 00:29:32,070 --> 00:29:34,973 このころから軍が始めたのが➡ 240 00:29:34,973 --> 00:29:39,878 「防空演習」と呼ばれる 非常時の訓練だった。 241 00:29:42,347 --> 00:29:48,654 震災直後は 災害を想定した 消火や救護の訓練だった。 242 00:29:48,654 --> 00:29:51,456 しかし このころから➡ 243 00:29:51,456 --> 00:29:58,664 防災訓練だけでなく 空襲を想定した防空演習も加わった。 244 00:30:03,935 --> 00:30:08,340 1933年には 東京で初めて➡ 245 00:30:08,340 --> 00:30:14,146 3日間にわたる 大規模な防空演習が行われた。 246 00:30:16,381 --> 00:30:20,652 訓練の様子は ラジオで全国中継され➡ 247 00:30:20,652 --> 00:30:25,457 1府6県 延べ10万人が動員された。 248 00:30:39,604 --> 00:30:44,276 (サイレン) 249 00:30:44,276 --> 00:30:48,780 空襲に備えて 訓練で 特別に行われたのが➡ 250 00:30:48,780 --> 00:30:53,285 上空から 街の明かりが 見えないようにする… 251 00:30:56,855 --> 00:31:02,127 初期の訓練では 街全体で送電を止める やり方だったが➡ 252 00:31:02,127 --> 00:31:09,000 途中から 各家庭が 明かりに 布をかぶせる方法に変更された。 253 00:31:09,000 --> 00:31:15,207 より多くの国民に 訓練に参加させるためだと いわれている。 254 00:31:20,512 --> 00:31:25,717 この防空演習に 異議を唱える声が上がった。 255 00:31:30,255 --> 00:31:33,158 この記事を書いた… 256 00:31:36,395 --> 00:31:42,300 防空演習など 実戦では意味はないと 切って捨てた。 257 00:32:14,900 --> 00:32:18,370 この記事に怒った 在郷軍人たちは➡ 258 00:32:18,370 --> 00:32:24,176 「大々的な不買運動を始める」と 新聞社に通告。 259 00:32:27,446 --> 00:32:31,149 新聞社は すぐに全面謝罪。 260 00:32:31,149 --> 00:32:35,654 桐生悠々は 退職に追い込まれた。 261 00:32:37,389 --> 00:32:40,425 このころ軍は 新聞記者たちを➡ 262 00:32:40,425 --> 00:32:48,867 時に恫喝し 時に甘い汁を吸わせながら コントロールしようとしていた。 263 00:32:48,867 --> 00:32:56,608 これは 軍が 記者クラブの記者たちを 赤坂の料亭で接待した記録。 264 00:32:56,608 --> 00:33:01,413 海軍幹部・末次信正は 軍の機密費から➡ 265 00:33:01,413 --> 00:33:04,115 一晩で 686円➡ 266 00:33:04,115 --> 00:33:09,020 今の価値で 300万円近い額を 使っている。 267 00:33:10,889 --> 00:33:16,761 軍とメディアの関係を決定づけたのが 二・二六事件だった。 268 00:33:16,761 --> 00:33:20,966 陸軍将校による クーデター事件である。 269 00:33:31,042 --> 00:33:36,948 この時 軍の戒厳司令部は 新聞には 報道規制を徹底。 270 00:33:36,948 --> 00:33:40,719 ラジオには 番組を中止させて➡ 271 00:33:40,719 --> 00:33:46,625 反乱部隊に投降を促す文章を アナウンサーに読ませた。 272 00:33:57,035 --> 00:34:01,640 この放送によって 事件は収束を見る。 273 00:34:01,640 --> 00:34:08,847 報道規制が前例となり メディアの姿勢は 更に委縮してゆく。 274 00:34:11,816 --> 00:34:18,523 1937年 日本は日中戦争に突入。 275 00:34:18,523 --> 00:34:23,395 翌年には 全ての物資や労働力を 政府が統制する➡ 276 00:34:23,395 --> 00:34:27,299 「国家総動員法」が 施行される。 277 00:34:35,040 --> 00:34:42,047 そこで 国民の団結に 一役買ったのが ラジオ体操だった。 278 00:34:42,047 --> 00:34:47,252 ♬~ 279 00:34:47,252 --> 00:34:52,991 国が 本格的に推奨し 規模も巨大化。 280 00:34:52,991 --> 00:34:56,294 学校での実施も義務となり➡ 281 00:34:56,294 --> 00:35:02,200 国旗掲揚とセットで行われる 国民的イベントになった。 282 00:35:46,277 --> 00:35:50,682 更に ナショナリズム発揚に 利用されたのが➡ 283 00:35:50,682 --> 00:35:54,185 関東大震災の記憶だった。 284 00:36:05,997 --> 00:36:11,770 毎月一日は 「興亜奉公日」と設定された。 285 00:36:11,770 --> 00:36:15,440 その1回目が 9月1日だったことから➡ 286 00:36:15,440 --> 00:36:20,645 震災を思い出して 倹約に努めようと呼びかけられた。 287 00:36:42,033 --> 00:36:49,774 更に 地域の町内会をもとに 10軒ほどから成る 「隣組」が制度化。 288 00:36:49,774 --> 00:36:53,945 配給などを 連帯責任で管理するためだったが➡ 289 00:36:53,945 --> 00:36:58,650 組員同士が監視し合うという 側面もあった。 290 00:37:41,926 --> 00:37:44,629 空襲に備える防空演習も➡ 291 00:37:44,629 --> 00:37:48,333 より頻繁に 行われるようになる。 292 00:38:04,849 --> 00:38:07,852 特に 訓練が繰り返されたのが➡ 293 00:38:07,852 --> 00:38:11,623 焼夷弾への対応。 294 00:38:11,623 --> 00:38:14,826 落ちると 多くの火元を生むため➡ 295 00:38:14,826 --> 00:38:17,128 一秒でも早く駆けつけ➡ 296 00:38:17,128 --> 00:38:20,031 消火するよう求められた。 297 00:38:22,300 --> 00:38:26,671 その手本とされたのが 関東大震災で➡ 298 00:38:26,671 --> 00:38:31,042 住民総出のバケツリレーで 奇跡的に焼失を免れた➡ 299 00:38:31,042 --> 00:38:35,246 神田の佐久間町・和泉町だった。 300 00:38:38,783 --> 00:38:41,352 奇跡の物語は➡ 301 00:38:41,352 --> 00:38:45,557 紙芝居や教科書の 題材にもなった。 302 00:38:48,193 --> 00:38:54,465 これは 後に制作された レコード付き紙芝居。 303 00:38:54,465 --> 00:39:01,172 人気役者・古川ロッパの一座が その教訓を読み上げている。 304 00:39:25,830 --> 00:39:33,137 実際には 川に面した立地など いくつもの幸運が重なった奇跡だった。 305 00:39:33,137 --> 00:39:39,444 しかし 住民の勇気と団結心が 強調されていった。 306 00:39:59,264 --> 00:40:01,899 消火を優先するため➡ 307 00:40:01,899 --> 00:40:04,235 人々が避難することも➡ 308 00:40:04,235 --> 00:40:07,338 法律で 禁止された。 309 00:40:09,841 --> 00:40:12,243 (爆発音) 310 00:40:32,897 --> 00:40:35,600 (爆発音) 311 00:40:38,603 --> 00:40:43,207 国家総動員体制の いわば 集大成ともなった行事が➡ 312 00:40:43,207 --> 00:40:45,943 開催された。 313 00:40:45,943 --> 00:40:50,748 1940年 天皇の 歴史の節目を祝う… 314 00:40:54,686 --> 00:41:01,893 式典の模様は 日本放送協会によって 全国に ラジオ中継された。 315 00:41:12,937 --> 00:41:19,377 この天皇の勅語だけは 放送が中断された。 316 00:41:19,377 --> 00:41:26,884 勅語を 失礼な態度で聴く者が いないようにするためだった。 317 00:41:26,884 --> 00:41:34,492 しかし これによって 天皇の神秘性は増した。 318 00:41:34,492 --> 00:41:38,363 天皇陛下 万歳! 319 00:41:38,363 --> 00:41:41,265 (一同)万歳! 320 00:41:41,265 --> 00:41:43,968 万歳! (一同)万歳! 321 00:42:17,101 --> 00:42:20,405 万歳! (一同)万歳! 322 00:42:26,077 --> 00:42:31,382 翌年 日本は アメリカに奇襲攻撃をかけ➡ 323 00:42:31,382 --> 00:42:34,786 太平洋戦争に突入した。 324 00:42:38,923 --> 00:42:43,027 それから 4年後のことだった。 325 00:42:51,969 --> 00:42:54,872 焼夷弾 1,600トンが 投下され➡ 326 00:42:54,872 --> 00:42:58,543 東京は 再び壊滅した。 327 00:42:58,543 --> 00:43:02,346 関東大震災に匹敵する 10万人が➡ 328 00:43:02,346 --> 00:43:05,450 命を落とした。 329 00:43:10,555 --> 00:43:16,360 避難を禁じられ 消火を試みようとした人々が逃げ遅れ➡ 330 00:43:16,360 --> 00:43:19,464 猛火にまかれたのだった。 331 00:43:23,768 --> 00:43:31,075 人々の念頭にあったのは 関東大震災の あの奇跡だった。 332 00:43:49,894 --> 00:43:57,034 空襲を受けたあとの 神田区 佐久間町・和泉町の映像。 333 00:43:57,034 --> 00:44:01,539 再びの奇跡は 起こらなかった。 334 00:44:01,539 --> 00:44:08,779 多くの人が消火を試みたが 逃げ遅れ 亡くなった。 335 00:44:08,779 --> 00:44:38,876 ♬~