1 00:00:02,202 --> 00:00:09,209 ♬~ 2 00:00:19,286 --> 00:00:23,624 今から ちょうど100年前の1895年。 3 00:00:23,624 --> 00:00:28,962 パリで 1分間の動く映像が スクリーンに映し出されました。 4 00:00:28,962 --> 00:00:35,669 最新式の映写機。 光を集める レンズは 水の入ったフラスコです。 5 00:00:45,512 --> 00:00:51,218 光源は 当時 街灯として 使われていた アーク灯です。 6 00:00:57,324 --> 00:01:03,330 手で回している この部分 撮影の際には カメラにもなります。 7 00:01:06,133 --> 00:01:10,270 100年前 30人余りの 観客が見たのは➡ 8 00:01:10,270 --> 00:01:16,977 フランス人 ルイ・リュミエールが撮影した 「工場の出口」。 9 00:01:19,947 --> 00:01:25,285 真夏の強烈な太陽光線を利用して 撮影された この映像が➡ 10 00:01:25,285 --> 00:01:31,291 世界で最初の 本格的な上映映画でした。 11 00:01:44,638 --> 00:01:47,541 映像技術は その後 飛躍的に発達し➡ 12 00:01:47,541 --> 00:01:51,311 今世紀の歴史を記録してきました。 13 00:01:51,311 --> 00:01:57,985 20世紀は 動く映像として 記録された 最初の世紀です。 14 00:01:57,985 --> 00:03:45,292 ♬~ 15 00:03:50,230 --> 00:03:53,633 20世紀の初頭は 発明されたばかりの➡ 16 00:03:53,633 --> 00:03:56,970 動く映像によって 記録された時代です。 17 00:03:56,970 --> 00:04:00,574 しかし その映像は 短い断片に すぎません。 18 00:04:00,574 --> 00:04:04,244 私たちは 世界に残る映像記録を集めて➡ 19 00:04:04,244 --> 00:04:08,115 今世紀初頭の時代を描こうと 試みました。 20 00:04:08,115 --> 00:04:11,118 1回目の今日は 世紀末から➡ 21 00:04:11,118 --> 00:04:17,124 第一次世界大戦の始まる 1914年までです。 22 00:04:19,259 --> 00:04:31,972 ♬~ 23 00:04:35,275 --> 00:04:39,946 1900年のパリ。 街角に置かれたカメラが➡ 24 00:04:39,946 --> 00:04:43,283 紳士 淑女たちを 映し出しています。 25 00:04:43,283 --> 00:04:46,620 印象派の絵画から 抜け出たような姿。 26 00:04:46,620 --> 00:04:51,324 まさに 19世紀末のファッションです。 27 00:04:58,965 --> 00:05:03,236 パリは 世界で初めて 飛行船が飛んだ街です。 28 00:05:03,236 --> 00:05:08,108 戦争もなく平和な今世紀初頭には 裕福なブルジョワたちが➡ 29 00:05:08,108 --> 00:05:14,114 パリの空を遊覧飛行する事が できるまでになっていました。 30 00:05:19,252 --> 00:05:26,960 1900年。 パリで かつてない規模の 万国博覧会が開かれました。 31 00:05:31,264 --> 00:05:34,601 万国博に合わせて開通した地下鉄。 32 00:05:34,601 --> 00:05:41,308 科学技術のショーウインドーといわれた 博覧会の目玉でした。 33 00:05:44,277 --> 00:05:48,281 4キロにわたる 動く歩道。 34 00:05:53,286 --> 00:05:58,625 この万国博会場を 若き夏目漱石が訪れています。 35 00:05:58,625 --> 00:06:03,463 33歳。 熊本第5高等学校 教授の職を辞して➡ 36 00:06:03,463 --> 00:06:09,769 留学のため ロンドンへ向かう途中の事でした。 37 00:06:12,572 --> 00:06:16,443 「パリスに来てみれば その繁華なる事➡ 38 00:06:16,443 --> 00:06:20,447 これまた到底 筆紙の及ぶところに これなく➡ 39 00:06:20,447 --> 00:06:25,919 なかんずく 道路 家屋などの広大なる事。➡ 40 00:06:25,919 --> 00:06:31,791 馬車 電気鉄道 地下鉄道などの 網のごとくなるありさま➡ 41 00:06:31,791 --> 00:06:35,929 まことに 世界の大都に ござ候。➡ 42 00:06:35,929 --> 00:06:41,601 今日は 博覧会を見物致し候が 大仕掛けにて➡ 43 00:06:41,601 --> 00:06:47,941 何が何やら 一向 方角さえ 分かりかね候。➡ 44 00:06:47,941 --> 00:06:53,813 名高き エッフェル塔に登りて 四方を見渡し申し候。➡ 45 00:06:53,813 --> 00:06:58,585 これは 300メートルの高さにて 人間を箱に入れて➡ 46 00:06:58,585 --> 00:07:04,591 綱にて つるし上げ つるし下ろす 仕掛けに候」。 47 00:07:07,894 --> 00:07:14,601 このころのパリジェンヌの合言葉は 「さあ 着飾って 外へ」。 48 00:07:16,569 --> 00:07:23,243 ある写真家が 当時の貴婦人の ファッションについて語っています。 49 00:07:23,243 --> 00:07:27,113 「肘の上まで ぴっちりと包む カモシカの手袋は➡ 50 00:07:27,113 --> 00:07:32,252 左右それぞれ 32個のボタンで 留められていました。➡ 51 00:07:32,252 --> 00:07:37,123 愛人の手を握り 接吻で覆いたいと 願う 恋する男は➡ 52 00:07:37,123 --> 00:07:41,594 まず 64回の手続きに 没頭しなければならないのです。➡ 53 00:07:41,594 --> 00:07:48,268 でも 裸になるのは手だけ。 そのあとも 恐るべき峠が続く。➡ 54 00:07:48,268 --> 00:07:51,171 帽子の留めピンという峠。➡ 55 00:07:51,171 --> 00:07:55,608 続いて 宝石や アクセサリー。 デリケートな作業。➡ 56 00:07:55,608 --> 00:08:00,880 果てしなく続く ボタンを外して ドレスが 払いのけられると➡ 57 00:08:00,880 --> 00:08:07,887 現れるのは 幾重にも重なる レースの花のペチコート」。 58 00:08:09,889 --> 00:08:15,195 パリの路地裏で カメラがとらえた 決闘シーンです。 59 00:08:17,230 --> 00:08:21,901 映像にも映っている 介添え人が 決闘のやり方を決めるのです。 60 00:08:21,901 --> 00:08:25,572 例えば 先に傷ついた方が負けなのか➡ 61 00:08:25,572 --> 00:08:28,908 それとも 命を奪うまで戦うのか➡ 62 00:08:28,908 --> 00:08:32,612 太陽光線の向きは平等か など。 63 00:08:36,583 --> 00:08:41,921 輝かしい未来をアピールする 万博会場を 一歩 抜け出ると➡ 64 00:08:41,921 --> 00:08:45,258 そこは まだ 世紀末のにおいの漂う➡ 65 00:08:45,258 --> 00:08:49,262 パリであった事を 物語る映像です。 66 00:08:53,600 --> 00:08:59,906 パリ郊外に ジヴェルニーという 小さな村があります。 67 00:09:03,209 --> 00:09:05,879 パリ万博が開かれていた頃➡ 68 00:09:05,879 --> 00:09:10,550 ジヴェルニーの この池のほとりで 睡蓮の絵を描き続けていたのが➡ 69 00:09:10,550 --> 00:09:16,256 印象派絵画の巨匠 クロード・モネでした。 70 00:09:19,893 --> 00:09:30,904 ♬~ 71 00:09:30,904 --> 00:09:34,574 万国博の年 モネ 60歳。 72 00:09:34,574 --> 00:09:43,249 ♬~ 73 00:09:43,249 --> 00:09:45,752 モネたちの印象派絵画が➡ 74 00:09:45,752 --> 00:09:48,588 パリ画壇に 初めて認められたのは➡ 75 00:09:48,588 --> 00:09:52,459 この博覧会においてでした。 76 00:09:52,459 --> 00:10:06,773 ♬~ 77 00:10:06,773 --> 00:10:12,111 持病のリューマチが悪化して 不自由な手で絵筆を握り➡ 78 00:10:12,111 --> 00:10:15,014 パリと裸婦を描き続けた晩年が➡ 79 00:10:15,014 --> 00:10:19,619 この映像からも うかがえます。 80 00:10:19,619 --> 00:10:27,327 ♬~ 81 00:10:29,295 --> 00:10:37,637 万国博で大人気を博したのが アメリカ人女性 ルイ・フェローの踊りでした。 82 00:10:37,637 --> 00:10:41,307 ♬~ 83 00:10:41,307 --> 00:10:45,979 絶え間なく変化する 大きな布のうねり 躍動感は➡ 84 00:10:45,979 --> 00:10:49,849 人々の どぎもを抜いたと いいます。 85 00:10:49,849 --> 00:10:59,993 ♬~ 86 00:10:59,993 --> 00:11:03,263 中央に ちょんまげを結った 男性がいます。 87 00:11:03,263 --> 00:11:09,135 1900年 パリに来ていた 川上貞奴や 烏森芸者の踊りに➡ 88 00:11:09,135 --> 00:11:13,606 触発されたのではないかとも いわれています。 89 00:11:13,606 --> 00:11:15,909 ♬~ 90 00:11:21,481 --> 00:11:25,618 博覧会では エッフェル塔に 巨大なスクリーンをつるし➡ 91 00:11:25,618 --> 00:11:29,489 映画を上映しようとする 試みがありました。 92 00:11:29,489 --> 00:11:33,493 実際には スクリーンが 風で破れるおそれがあったため➡ 93 00:11:33,493 --> 00:11:35,628 実現しませんでしたが➡ 94 00:11:35,628 --> 00:11:40,300 この発案者こそ かのリュミエールでした。 95 00:11:40,300 --> 00:11:47,173 ♬~ 96 00:11:47,173 --> 00:11:52,478 リュミエールの動く映像を シネマトグラフといいます。 97 00:11:56,316 --> 00:12:04,591 ♬~(ピアノ) 98 00:12:04,591 --> 00:12:08,261 最初に お見せした 「工場の出口」のほかに➡ 99 00:12:08,261 --> 00:12:12,599 初めての上映作品を もう一つ ご覧下さい。 100 00:12:12,599 --> 00:12:31,951 ♬~ 101 00:12:31,951 --> 00:12:35,822 この作品は 初めて動く映像に接した観客に➡ 102 00:12:35,822 --> 00:12:38,625 大きな衝撃を与えました。 103 00:12:38,625 --> 00:12:42,962 近づいてくる列車に驚き 席を立った観客。 104 00:12:42,962 --> 00:12:46,633 また スクリーンの左端に 列車が消えてしまう事が➡ 105 00:12:46,633 --> 00:12:50,970 どうしても 理解できなかった人もいました。 106 00:12:50,970 --> 00:12:54,307 画面から はみ出した列車は どこへ行ってしまったのか? 107 00:12:54,307 --> 00:12:58,011 素朴な疑問でした。 108 00:13:02,582 --> 00:13:07,453 この時 リュミエールの映像を見た ロシアの作家 ゴーリキは➡ 109 00:13:07,453 --> 00:13:11,157 次のような感想を残しています。 110 00:13:14,594 --> 00:13:19,098 「シネマトグラフの印象は あまりにも異常で複雑だ。➡ 111 00:13:19,098 --> 00:13:22,935 それは まるで 黄泉の国であった。➡ 112 00:13:22,935 --> 00:13:29,242 全ては 奇妙な沈黙の中で進行する」。 113 00:13:32,612 --> 00:13:36,949 (ゴーリキ)「馬車の轍の響きも 足音も 会話も 聞こえてこない。➡ 114 00:13:36,949 --> 00:13:40,653 人の ほほ笑みには音がない」。 115 00:13:45,958 --> 00:13:50,830 (ゴーリキ)「1人の少年が登場し ホースの上を歩く。➡ 116 00:13:50,830 --> 00:13:54,634 庭師は 少年を追いかけ せっかんする。➡ 117 00:13:54,634 --> 00:13:58,337 でも 何も聞こえない」。 118 00:14:00,907 --> 00:14:02,842 (ゴーリキ)「私は 今のところ➡ 119 00:14:02,842 --> 00:14:07,246 リュミエール兄弟の この発明を 称賛はしないが➡ 120 00:14:07,246 --> 00:14:11,117 その重要性は認識している。➡ 121 00:14:11,117 --> 00:14:20,259 きっと 人間の生活と精神に 影響を及ぼすであろう事を」。 122 00:14:20,259 --> 00:14:22,929 ♬~ 123 00:14:22,929 --> 00:14:26,599 シネマトグラフが 大衆の爆発的な人気を集めると➡ 124 00:14:26,599 --> 00:14:31,938 カメラマンは競って 世界各地へ 撮影旅行に出かけました。 125 00:14:31,938 --> 00:14:34,841 彼らが持ち帰った映像によって➡ 126 00:14:34,841 --> 00:14:38,611 世界は身近なものに なっていきます。 127 00:14:38,611 --> 00:15:27,593 ♬~ 128 00:15:27,593 --> 00:15:32,465 この家族は 京都の実業家の 一家であるといわれています。 129 00:15:32,465 --> 00:15:41,140 1898年 明治31年に リュミエールの カメラマンによって撮影された日本。 130 00:15:41,140 --> 00:15:46,946 ♬~ 131 00:15:46,946 --> 00:15:55,254 これらは日本を撮影した 一番古い 動く映像と考えられています。 132 00:15:57,590 --> 00:16:08,601 ♬~ 133 00:16:11,571 --> 00:16:15,575 20世紀初頭のロンドンです。 134 00:16:26,586 --> 00:16:29,255 大英帝国の都 ロンドンは➡ 135 00:16:29,255 --> 00:16:33,593 当時 世界で 最もにぎやかで 近代的な都会でした。 136 00:16:33,593 --> 00:16:38,264 道路は舗装され 地下鉄も既に走っていました。 137 00:16:38,264 --> 00:16:42,602 ただ ひしめき合う馬車と 石炭で走る乗り合いバスで➡ 138 00:16:42,602 --> 00:16:46,939 道路は ごった返し 街じゅうに 馬ふんと ばい煙の➡ 139 00:16:46,939 --> 00:16:51,644 異様な臭いが漂っていたと いわれています。 140 00:16:57,283 --> 00:17:04,557 ♬~ 141 00:17:04,557 --> 00:17:10,429 大英帝国の輝かしい時代を 統治した ヴィクトリア女王。 142 00:17:10,429 --> 00:17:14,901 ヨーロッパの ほとんどの王家に 自らの血縁を送り込み➡ 143 00:17:14,901 --> 00:17:19,772 世界で最大の植民地を支配する 権力者でした。 144 00:17:19,772 --> 00:17:25,478 そのヴィクトリアの生前の映像が 残されていました。 145 00:17:29,248 --> 00:17:33,920 馬車に乗って 白い日傘を 差している この人物が➡ 146 00:17:33,920 --> 00:17:37,223 女王 ヴィクトリアです。 147 00:17:46,933 --> 00:17:51,604 78歳になっていた ヴィクトリア。 大英帝国では➡ 148 00:17:51,604 --> 00:17:54,607 神格化された存在に なっていました。 149 00:18:01,414 --> 00:18:05,551 身長150センチ。 足腰が弱く➡ 150 00:18:05,551 --> 00:18:11,857 夫の死後は いつも 黒い喪服を 着ていたといわれています。 151 00:18:18,130 --> 00:18:26,839 1900年晩秋 ロンドン ヴィクトリア駅に 夏目漱石が降り立ちます。 152 00:18:28,774 --> 00:18:34,780 パリで万国博を見物してから 1週間後の事でした。 153 00:18:42,922 --> 00:18:46,258 駅に 漱石を出迎える者はなく➡ 154 00:18:46,258 --> 00:18:53,265 彼は1人で大英博物館に程近い 宿へと向かいます。 155 00:18:59,271 --> 00:19:03,042 ガワー街76番地。 156 00:19:03,042 --> 00:19:09,248 漱石は ロンドンで初めての夜を この部屋で過ごしました。 157 00:19:11,217 --> 00:19:13,886 翌朝 漱石が街で目にしたものは➡ 158 00:19:13,886 --> 00:19:19,191 戦場から帰還した兵士たちの 凱旋行進でした。 159 00:19:23,562 --> 00:19:26,232 意気揚々と行進するのは➡ 160 00:19:26,232 --> 00:19:29,135 南アフリカで行われている ボーア戦争に➡ 161 00:19:29,135 --> 00:19:35,574 自ら進んで参加した 義勇兵たちです。 162 00:19:35,574 --> 00:19:40,246 当時 イギリスは 南アフリカの ダイヤモンドと金の利権を狙い➡ 163 00:19:40,246 --> 00:19:46,552 現地のボーア人を征服 植民地にしようとしていました。 164 00:19:48,921 --> 00:19:55,928 ボーア戦争は 初めて 動く映像に記録された戦争です。 165 00:20:04,470 --> 00:20:09,608 この戦争に 新聞特派員として 赴いていた 若きチャーチルは➡ 166 00:20:09,608 --> 00:20:13,279 「どんな戦争といえども 容易なものはない。➡ 167 00:20:13,279 --> 00:20:16,615 一度 戦争に身を委ねた政治家は➡ 168 00:20:16,615 --> 00:20:23,289 制御し難い 戦いの奴隷となる」と 後年 回顧しています。 169 00:20:23,289 --> 00:20:31,630 ♬~ 170 00:20:31,630 --> 00:20:35,968 20世紀初頭の植民地の映像です。 171 00:20:35,968 --> 00:21:00,159 ♬~ 172 00:21:00,159 --> 00:21:03,596 こうした記録映像は 本国で上映され➡ 173 00:21:03,596 --> 00:21:07,266 植民地経営が いかに うまくいっているかを➡ 174 00:21:07,266 --> 00:21:12,138 大衆に伝える役割を 担っていたものです。 175 00:21:12,138 --> 00:21:31,957 ♬~ 176 00:21:31,957 --> 00:21:35,628 20世紀が始まって 間もなく➡ 177 00:21:35,628 --> 00:21:39,498 夏目漱石は 重大なニュースを耳にします。 178 00:21:39,498 --> 00:21:49,975 「1901年1月23日。 昨夜6時半 女王 オズボーンにて死去す。➡ 179 00:21:49,975 --> 00:21:56,315 弔いの半旗 掲げられけり。 街 皆 喪に服せり。➡ 180 00:21:56,315 --> 00:21:58,984 余もまた 黒きネクタイを締め➡ 181 00:21:58,984 --> 00:22:06,592 異国の臣民ながら 弔意を表さんとす。➡ 182 00:22:06,592 --> 00:22:09,495 余に 黒手袋を売りし店の男➡ 183 00:22:09,495 --> 00:22:15,501 『新世紀の開始 はなはだ さい先悪し』と嘆く」。 184 00:22:17,236 --> 00:22:23,242 10日後 漱石の見たものは ヴィクトリア女王の葬列でした。 185 00:22:25,277 --> 00:22:31,150 (漱石)「クイーンの葬儀を見んとて 朝9時 宿の主人と共に出づ。➡ 186 00:22:31,150 --> 00:22:35,287 オウヴァルより 地下電気にて バンク駅に至り➡ 187 00:22:35,287 --> 00:22:38,958 それより ツーペンス・チューブに乗り換う。➡ 188 00:22:38,958 --> 00:22:42,628 マーブル・アーチにて降りれば はなはだ 人混み あらんゆえ➡ 189 00:22:42,628 --> 00:22:47,299 『ネクスト・ステーションに下らん』と 宿の主人 言う。➡ 190 00:22:47,299 --> 00:22:53,005 その言のごとくして ハイド・パークに入る」。 191 00:22:54,974 --> 00:23:00,779 (漱石)「さすがの大公園も 人間にて 波を打ちつつあり。➡ 192 00:23:00,779 --> 00:23:07,253 園内の樹木 皆 人の実を結ぶ。➡ 193 00:23:07,253 --> 00:23:12,124 宿の主人 余を肩車に乗せてくれたり」。 194 00:23:12,124 --> 00:23:15,127 ♬~ 195 00:23:15,127 --> 00:23:20,266 (漱石)「ようやくにして 行列の胸以上を見る。➡ 196 00:23:20,266 --> 00:23:24,136 キング ジャーマン・エンペラーなど隨う」。 197 00:23:24,136 --> 00:23:26,605 ♬~ 198 00:23:26,605 --> 00:23:32,478 (漱石)「柩は 白に赤をもって覆われたり」。 199 00:23:32,478 --> 00:23:42,154 ♬~ 200 00:23:42,154 --> 00:23:44,623 ヴィクトリア女王の葬儀は➡ 201 00:23:44,623 --> 00:23:48,494 20世紀の幕開けに起きた 世界の重大事でした。 202 00:23:48,494 --> 00:23:52,298 残された映像から 何台ものカメラが➡ 203 00:23:52,298 --> 00:23:58,170 さまざまなアングルで 葬列を とらえている事が分かります。 204 00:23:58,170 --> 00:24:04,243 ♬~ 205 00:24:04,243 --> 00:24:06,178 映像を拡大すると➡ 206 00:24:06,178 --> 00:24:11,917 この白馬に またがっているのが ドイツ皇帝 ウィルヘルム2世。 207 00:24:11,917 --> 00:24:15,254 特徴のある カイザー髭によって 分かります。 208 00:24:15,254 --> 00:24:19,925 彼は ヴィクトリア女王の孫です。 209 00:24:19,925 --> 00:24:25,264 その隣 1人置いて やはり 孫のジョージ5世。 210 00:24:25,264 --> 00:24:28,600 ウィルヘルムとイギリスのジョージの2人は➡ 211 00:24:28,600 --> 00:24:34,940 やがて 第一次大戦を敵同士として 戦う運命にあります。 212 00:24:34,940 --> 00:24:38,811 ♬~ 213 00:24:38,811 --> 00:24:44,616 ヨーロッパ王室のゴッドマザーともいうべき ヴィクトリア女王の死。 214 00:24:44,616 --> 00:24:50,289 それは 要を失った王室同士が やがて 相争い➡ 215 00:24:50,289 --> 00:24:55,961 戦争に突入する時代への 歴史の大きな曲がり角でした。 216 00:24:55,961 --> 00:24:58,630 ♬~ 217 00:24:58,630 --> 00:25:00,566 漱石が耳にした➡ 218 00:25:00,566 --> 00:25:04,236 「20世紀は さい先悪い 始まり方をした」という言葉は➡ 219 00:25:04,236 --> 00:25:09,108 やがて 歴史の中で証明されるのです。 220 00:25:09,108 --> 00:25:20,119 ♬~ 221 00:25:34,933 --> 00:25:43,942 ♬~ 222 00:25:43,942 --> 00:25:46,845 この時代に多く撮影された 映像は➡ 223 00:25:46,845 --> 00:25:51,817 それまで経験した事のない スピードの世界でした。 224 00:25:51,817 --> 00:26:08,901 ♬~ 225 00:26:08,901 --> 00:26:13,238 ライト兄弟が 初めて空を飛んだのは 1903年。 226 00:26:13,238 --> 00:26:17,543 これは そのあとの公開飛行の映像です。 227 00:26:21,580 --> 00:26:24,249 リンドバーグに先立つ事 20年。 228 00:26:24,249 --> 00:26:28,587 初めて 海を越え 英仏海峡横断に成功した➡ 229 00:26:28,587 --> 00:26:32,458 今世紀初頭の空の英雄です。 230 00:26:32,458 --> 00:26:47,606 ♬~ 231 00:26:47,606 --> 00:26:50,275 ブレリオに熱狂する ロンドンから➡ 232 00:26:50,275 --> 00:26:54,947 日本の新聞特派員は 次のように打電してきています。 233 00:26:54,947 --> 00:26:58,283 「将来 空中戦争が可能になる事は 確実であり➡ 234 00:26:58,283 --> 00:27:04,890 飛行機は 島国である我が国にも 重大な影響を及ぼすであろう」。 235 00:27:04,890 --> 00:27:16,602 ♬~ 236 00:27:42,261 --> 00:27:48,600 20世紀初頭のロシア。 日露戦争や ロシア革命の出発点となる➡ 237 00:27:48,600 --> 00:27:52,938 血の日曜日事件が起こる 直前の時代でした。 238 00:27:52,938 --> 00:27:57,276 300年続いた ロマノフ王朝に 陰りが見え始めた頃➡ 239 00:27:57,276 --> 00:28:04,583 ロシアの行く末を案じていたのが 文豪 レフ・トルストイでした。 240 00:28:06,552 --> 00:28:12,257 白い髭の老人が トルストイです。 241 00:28:15,227 --> 00:28:20,566 この映像は 彼が モスクワの別荘を 訪れた時に撮影されたものです。 242 00:28:20,566 --> 00:28:23,235 当時 78歳のトルストイは➡ 243 00:28:23,235 --> 00:28:27,105 既に「戦争と平和」や「復活」などの 作品を世に出し➡ 244 00:28:27,105 --> 00:28:30,909 世界で最も有名な 知識人の一人でした。 245 00:28:30,909 --> 00:28:36,582 この時代 活字文化を担った作家が 大衆のヒーローでした。 246 00:28:36,582 --> 00:28:40,919 映画スターや スポーツ選手が 大衆に もてはやされるのは➡ 247 00:28:40,919 --> 00:28:45,924 映像メディアが 更に発達してからの事です。 248 00:28:47,793 --> 00:28:51,263 この日 トルストイを迎えた モスクワの大騒ぎを➡ 249 00:28:51,263 --> 00:28:54,266 新聞記者が記録しています。 250 00:28:56,134 --> 00:29:02,541 「クルスク停車場には 俳優 ジャーナリスト 商人 労働者 学生➡ 251 00:29:02,541 --> 00:29:09,214 あらゆる階層の人々の姿があった。 群衆は ついに数万人に達した。➡ 252 00:29:09,214 --> 00:29:12,884 はるか向こうの角に 幌馬車が現れると➡ 253 00:29:12,884 --> 00:29:16,755 ごう然たる『万歳』の絶叫が 響き渡った。➡ 254 00:29:16,755 --> 00:29:22,561 写真班や活動写真班が 盛んに撮影していた。➡ 255 00:29:22,561 --> 00:29:26,231 群衆は あらゆる戸口や窓から 飛び出し➡ 256 00:29:26,231 --> 00:29:30,902 瞬く間に クルスク駅全てのプラットホームを 埋め尽くす。➡ 257 00:29:30,902 --> 00:29:36,575 客車や機関車にまで よじ登る者もいる。➡ 258 00:29:36,575 --> 00:29:40,445 発車のベルが鳴り 汽車は動き出す。➡ 259 00:29:40,445 --> 00:29:43,448 誰かが叫ぶ。➡ 260 00:29:43,448 --> 00:29:48,754 『もう100年 生きて下さい。 さようなら』」。 261 00:29:55,260 --> 00:29:59,931 1904年。 トルストイは イギリスの「タイムズ」に➡ 262 00:29:59,931 --> 00:30:04,603 日露戦争に対する反戦論を 発表しています。 263 00:30:04,603 --> 00:30:10,909 この記事は 即刻 世界に翻訳され 大きな反響を呼び起こしました。 264 00:30:12,477 --> 00:30:15,614 「戦争は またもや起こった。➡ 265 00:30:15,614 --> 00:30:22,287 見よ。 一方は 一切の殺生を禁じた 仏教徒であり➡ 266 00:30:22,287 --> 00:30:26,158 一方は 世界の人々の兄弟愛を 公言する➡ 267 00:30:26,158 --> 00:30:29,628 キリスト教徒であるというのに➡ 268 00:30:29,628 --> 00:30:32,531 今や 極めて むごたらしい方法で➡ 269 00:30:32,531 --> 00:30:37,502 互いに傷つけ合い 殺戮を重ねようとしている。➡ 270 00:30:37,502 --> 00:30:43,975 陸に海に 野獣のごとく 相手の隙をうかがっているのだ。➡ 271 00:30:43,975 --> 00:30:47,279 これは夢ではない」。 272 00:30:50,849 --> 00:30:55,987 この映像は 日露戦争で最大の 激戦地となった 203高地に➡ 273 00:30:55,987 --> 00:30:59,691 大砲を移動する兵士たちです。 274 00:31:04,796 --> 00:31:09,534 日露戦争に関しては 多くの映像が残されていますが➡ 275 00:31:09,534 --> 00:31:13,939 その大部分が ニュースや戦争物語を 構成するために➡ 276 00:31:13,939 --> 00:31:19,277 後に作られた映像です。 しかし 今映っている この映像は➡ 277 00:31:19,277 --> 00:31:25,984 イギリス人の従軍カメラマンが 実際に 戦場で撮影したものです。 278 00:31:35,627 --> 00:31:40,332 日本軍による旅順港での攻撃。 279 00:31:42,300 --> 00:31:48,006 本当の戦闘シーンか あるいは 演習かは判然としません。 280 00:32:05,257 --> 00:32:08,927 旅順陥落後 乃木将軍に会見に来た➡ 281 00:32:08,927 --> 00:32:13,799 ロシアの将軍 ステッセル。 282 00:32:13,799 --> 00:32:17,803 そして 捕虜たちです。 283 00:32:22,474 --> 00:32:28,180 日露戦争当時の 東京の街の様子と思われます。 284 00:32:33,151 --> 00:32:35,620 鉄道馬車が姿を消し➡ 285 00:32:35,620 --> 00:32:38,523 路面電車が ひっきりなしに 走っている事から➡ 286 00:32:38,523 --> 00:32:41,293 少なくとも 1904年➡ 287 00:32:41,293 --> 00:32:47,165 明治37年の夏以降に 撮影された事が分かります。 288 00:32:47,165 --> 00:32:49,968 与謝野晶子が 旅順にいる弟を思い➡ 289 00:32:49,968 --> 00:32:55,674 「君 死にたまふことなかれ」を 発表したのも このころです。 290 00:33:06,451 --> 00:33:08,920 (汽笛) 291 00:33:08,920 --> 00:33:12,257 日露戦争で 旅順が陥落した2週間後➡ 292 00:33:12,257 --> 00:33:15,927 1905年1月の事です。 293 00:33:15,927 --> 00:33:18,830 ベルリンから ロシアのペテルブルクに向かう汽車に➡ 294 00:33:18,830 --> 00:33:23,268 一人の女性が乗っていました。 295 00:33:23,268 --> 00:33:26,171 彼女が ロシアへの旅で目撃したのは➡ 296 00:33:26,171 --> 00:33:30,141 血の日曜日事件で騒然とした ペテルブルクでした。 297 00:33:30,141 --> 00:33:35,280 彼女の記録は 帝政ロシア末期の姿を かいま見る事ができる➡ 298 00:33:35,280 --> 00:33:41,620 数少ない貴重なものです。 彼女とは… アメリカ生まれで➡ 299 00:33:41,620 --> 00:33:46,958 当時 ヨーロッパで一世をふうびした ダンサー イサドラ・ダンカンです。 300 00:33:46,958 --> 00:33:50,829 ダンカンは 自由な人間性を表現した 踊りによって➡ 301 00:33:50,829 --> 00:33:54,299 モダンダンスの祖とも呼ばれています。 302 00:33:54,299 --> 00:33:58,603 当時の王家や貴族は 競って 彼女を招待しています。 303 00:34:05,577 --> 00:34:09,447 この映像は イギリスの貴族のパーティーで 踊るダンカンを➡ 304 00:34:09,447 --> 00:34:15,253 隠し撮りしたものです。 これは 撮影される事を嫌ったダンカンの➡ 305 00:34:15,253 --> 00:34:20,559 唯一の動く映像と いわれています。 306 00:34:30,268 --> 00:34:36,942 (汽笛) 307 00:34:36,942 --> 00:34:40,612 「私の生涯には 時折➡ 308 00:34:40,612 --> 00:34:46,484 宿命というものを信じないでは いられない事が起こります。➡ 309 00:34:46,484 --> 00:34:51,256 1905年1月25日。➡ 310 00:34:51,256 --> 00:34:56,161 私は ペテルブルクに向かう 汽車の中にいました。➡ 311 00:34:56,161 --> 00:34:59,297 ロシア皇帝から招待を受けて➡ 312 00:34:59,297 --> 00:35:03,168 貴族たちの前で踊るための 旅でした」。 313 00:35:03,168 --> 00:35:06,571 ♬~ 314 00:35:06,571 --> 00:35:10,442 (ダンカン)「ペテルブルクには 猛吹雪のために列車が遅れ➡ 315 00:35:10,442 --> 00:35:13,912 翌朝の4時に到着しました。➡ 316 00:35:13,912 --> 00:35:18,249 駅には 誰も 迎えに来ていませんでした。➡ 317 00:35:18,249 --> 00:35:22,587 寒暖計は 零下10度を指していました。➡ 318 00:35:22,587 --> 00:35:28,460 私は 馬車に乗って ヨーロッパホテルへと命じました」。 319 00:35:28,460 --> 00:35:31,096 ♬~ 320 00:35:31,096 --> 00:35:35,934 (ダンカン)「たった一人で 明け方の街を走っていると➡ 321 00:35:35,934 --> 00:35:39,604 突然 エドガー・アラン・ポーが 書きそうな➡ 322 00:35:39,604 --> 00:35:44,275 気味の悪い光景に 出会ったのです。➡ 323 00:35:44,275 --> 00:35:51,616 私が遠くに見たものは 長い行列でした。➡ 324 00:35:51,616 --> 00:35:56,955 暗く悲しみに沈んだ行列。➡ 325 00:35:56,955 --> 00:36:03,228 たくさんの男が 次々と柩を担いでいくのです」。 326 00:36:03,228 --> 00:36:12,570 ♬~ 327 00:36:12,570 --> 00:36:17,242 イサドラ・ダンカンの見たものは 2日前に ペテルブルクで起こった➡ 328 00:36:17,242 --> 00:36:21,579 血の日曜日事件の 犠牲者の葬列でした。 329 00:36:21,579 --> 00:36:23,915 パンを求める労働者や市民が➡ 330 00:36:23,915 --> 00:36:28,586 皇帝 ニコライ2世に 嘆願書を 手渡すために行ったデモに➡ 331 00:36:28,586 --> 00:36:32,457 皇帝の軍隊が 無差別発砲をしたのです。 332 00:36:32,457 --> 00:36:37,462 ロシア革命の発端となった 事件でした。 333 00:36:49,874 --> 00:36:53,278 血の日曜日事件を扱った映像は➡ 334 00:36:53,278 --> 00:36:56,181 後世に作られた映画と 推測されますが➡ 335 00:36:56,181 --> 00:37:01,886 いつ どこで 誰が製作したのかは 記録に残っていません。 336 00:37:01,886 --> 00:37:09,761 帝政を否定する ソビエト政権下の プロパガンダ映画とも考えられます。 337 00:37:09,761 --> 00:37:15,900 ♬~ 338 00:37:15,900 --> 00:37:19,771 血の日曜日事件以降 ロシア全土に➡ 339 00:37:19,771 --> 00:37:24,242 ストライキや暴動が 頻繁に起こり始めます。 340 00:37:24,242 --> 00:37:28,913 ロシアは 内に政情不安 外に日露戦争の苦戦と➡ 341 00:37:28,913 --> 00:37:32,584 国力は疲弊する一方でした。 342 00:37:32,584 --> 00:37:47,298 ♬~ 343 00:37:49,134 --> 00:37:59,811 ♬~ 344 00:37:59,811 --> 00:38:04,816 ペテルブルクにある ロマノフ家の宮殿です。 345 00:38:06,885 --> 00:38:11,756 皇帝の威信は 低下しつつあっても ロマノフ家は この時代も なお➡ 346 00:38:11,756 --> 00:38:16,561 世界屈指の財力を誇る 豊かな王家でした。 347 00:38:16,561 --> 00:38:21,232 広大な私有地や宮殿 いわゆる ロマノフの秘宝など➡ 348 00:38:21,232 --> 00:38:24,536 巨万の富を抱えていたのです。 349 00:38:26,571 --> 00:38:30,241 300年続く ロマノフ家最後の皇帝が➡ 350 00:38:30,241 --> 00:38:32,944 ニコライ2世です。 351 00:38:35,914 --> 00:38:38,249 皇帝と その家臣たちの➡ 352 00:38:38,249 --> 00:38:43,555 宮廷内での私的な生活をとらえた 映像が残されています。 353 00:38:45,590 --> 00:38:50,461 これらは ロマノフ家お抱えの ドイツ人カメラマンが撮影したもので➡ 354 00:38:50,461 --> 00:38:54,933 ニコライ皇帝が 自分の小さな試写室でしか➡ 355 00:38:54,933 --> 00:38:59,637 上映を許さなかった映像と 考えられます。 356 00:39:03,541 --> 00:39:10,849 20世紀初頭の 王家の素顔を のぞき見るような記録映像です。 357 00:39:17,889 --> 00:39:25,230 「1905年1月22日 日曜日。 重苦しい日だ。➡ 358 00:39:25,230 --> 00:39:29,567 ペテルブルクで 労働者たちが 王宮に入ろうとしたために➡ 359 00:39:29,567 --> 00:39:31,903 深刻な暴動が起こった。➡ 360 00:39:31,903 --> 00:39:36,574 軍隊は発砲しなければならず 多くの人が殺され 負傷した。➡ 361 00:39:36,574 --> 00:39:41,246 なんとも重苦しく 心の痛む出来事だった。➡ 362 00:39:41,246 --> 00:39:45,917 1月23日 月曜日。➡ 363 00:39:45,917 --> 00:39:50,588 今日は ペテルブルクに 特別な事件は起こらなかった。➡ 364 00:39:50,588 --> 00:39:56,261 いくつかの報告を聞いた後に アレクセイ王子と昼食を共にした。➡ 365 00:39:56,261 --> 00:40:02,133 午後 ウラルから キャビアを持参した カザク代表団に会った。➡ 366 00:40:02,133 --> 00:40:06,137 散歩後 ママのところで お茶を飲んだ」。 367 00:40:08,840 --> 00:40:12,610 これらの映像からも ニコライの日記からも➡ 368 00:40:12,610 --> 00:40:16,481 帝政ロシアの深刻な事態を前にした 皇帝の➡ 369 00:40:16,481 --> 00:40:22,287 権力者としての苦悩を 感じ取る事はできません。 370 00:40:22,287 --> 00:40:29,160 ♬~ 371 00:40:29,160 --> 00:40:33,298 イサドラ・ダンカンが ニコライ2世の前で踊ったのは➡ 372 00:40:33,298 --> 00:40:37,635 まさに ロシアが こうした状況にあった時でした。 373 00:40:37,635 --> 00:40:44,509 ♬~ 374 00:40:44,509 --> 00:40:51,182 「踊る私は 皇帝や貴族たちに 大喝采を受けました。➡ 375 00:40:51,182 --> 00:40:55,987 何かに盾つくような ショパンの『軍隊ポロネーズ』➡ 376 00:40:55,987 --> 00:41:00,591 悲しみに満ちた『プレリュード』。➡ 377 00:41:00,591 --> 00:41:05,463 あの夜明けの殉教者に ささげた 私の魂が➡ 378 00:41:05,463 --> 00:41:11,602 金持ちの貴族たちである観客に 感激を与えたのです。➡ 379 00:41:11,602 --> 00:41:15,473 奇妙な事です」。 380 00:41:15,473 --> 00:41:50,475 ♬~ 381 00:41:54,979 --> 00:42:03,588 1909年。 妻と自宅の庭を散策する 82歳のトルストイ。 382 00:42:03,588 --> 00:42:09,894 この年に録音された 彼の肉声が残されています。 383 00:42:25,610 --> 00:42:31,949 最晩年を迎えたトルストイは もはや 祖国のありさま 世界の行方➡ 384 00:42:31,949 --> 00:42:35,820 それに 妻との生活 いずれにも絶望して➡ 385 00:42:35,820 --> 00:42:40,124 ひたすら 沈黙を守るようになります。 386 00:42:42,293 --> 00:42:48,299 トルストイが死ぬ3週間前に 撮影された映像です。 387 00:42:50,168 --> 00:42:56,874 このあと 間もなく 彼は 妻を残して 突然の家出をします。 388 00:43:02,914 --> 00:43:07,585 トルストイは1人 汽車に乗って 南へ向かいました。 389 00:43:07,585 --> 00:43:10,488 その途中 小さな駅で倒れ➡ 390 00:43:10,488 --> 00:43:16,594 そのまま 駅長室のベッドで 帰らぬ人となります。 391 00:43:16,594 --> 00:43:19,497 トルストイが 最後に書いた手紙は➡ 392 00:43:19,497 --> 00:43:23,468 当時 南アフリカで 民族解放運動をしていた➡ 393 00:43:23,468 --> 00:43:27,171 ガンジーに宛てたものでした。 394 00:43:29,173 --> 00:43:34,612 「あなたの雑誌『インディアン・オピニオン』を 受け取りました。➡ 395 00:43:34,612 --> 00:43:39,283 そこに書かれている 『無抵抗主義』の人々の事を知り➡ 396 00:43:39,283 --> 00:43:45,623 喜んでいます。 そこで 私の心に生まれた考えを➡ 397 00:43:45,623 --> 00:43:48,960 あなたに 聞いて頂きたくなりました。➡ 398 00:43:48,960 --> 00:43:52,830 それは 『無抵抗』と呼ばれている事は➡ 399 00:43:52,830 --> 00:43:56,834 愛の法則に ほかならない という事です。➡ 400 00:43:56,834 --> 00:44:01,906 愛は 人間の生活の 最高にして 唯一の法則であり➡ 401 00:44:01,906 --> 00:44:06,777 この事は 誰でも 心の奥底で感じている事です。➡ 402 00:44:06,777 --> 00:44:16,254 私たちは 子どもの中に それを 一番明瞭に見いだします。➡ 403 00:44:16,254 --> 00:44:19,157 愛の法則は ひとたび➡ 404 00:44:19,157 --> 00:44:24,595 抵抗という名のもとでの暴力が 認められると 無価値となり➡ 405 00:44:24,595 --> 00:44:31,469 そこには権力という法則だけが 存在します。 ですから 私は➡ 406 00:44:31,469 --> 00:44:35,940 この世の果てと思われる トランス・ヴァールでのあなたの活動こそ➡ 407 00:44:35,940 --> 00:44:40,811 現在 世界で行われている あらゆる活動の中の➡ 408 00:44:40,811 --> 00:44:45,816 最も重要なものと信じます」。 409 00:44:50,288 --> 00:45:04,302 ♬~ 410 00:45:08,573 --> 00:45:14,245 ロマノフ家と時をほぼ同じくして 成立した もう一つの大国➡ 411 00:45:14,245 --> 00:45:19,584 清王朝もまた 300年の歴史を 閉じようとしていました。 412 00:45:19,584 --> 00:45:25,456 1900年には 外国勢力の支配に 抗議する 義和団事件が起こり➡ 413 00:45:25,456 --> 00:45:32,463 その事が かえって 列強の進出に 一層の拍車をかける事になります。 414 00:45:35,132 --> 00:45:40,871 これは フランスの銀行家が 1909年に撮影した北京です。 415 00:45:40,871 --> 00:45:43,808 しかし 中国の この時代の映像は➡ 416 00:45:43,808 --> 00:45:49,814 正確な年代や場所を特定できない ものが ほとんどです。 417 00:46:05,896 --> 00:46:10,234 当時 国外にいた革命家 孫文は 祖国の再建と➡ 418 00:46:10,234 --> 00:46:16,574 外国支配からの独立を掲げた 政治運動を行っていました。 419 00:46:16,574 --> 00:46:21,245 「中国の弱体化は 今 急に 始まった事ではない。➡ 420 00:46:21,245 --> 00:46:25,116 為政者は姑息にして 民衆は無知蒙昧。➡ 421 00:46:25,116 --> 00:46:29,587 遠く将来の事を考える者は 少ない。➡ 422 00:46:29,587 --> 00:46:33,457 今 列強は 虎視たんたんと 我が国を取り巻き➡ 423 00:46:33,457 --> 00:46:36,460 豊かな資源を狙っている。➡ 424 00:46:36,460 --> 00:46:41,932 我が国が 列強のために分割される 危機は 目前に迫っている。➡ 425 00:46:41,932 --> 00:46:47,938 国民を苦しみから救い 国家の滅亡を防ごう」。 426 00:46:54,512 --> 00:47:01,419 清朝末期には 西欧列強諸国の 多くのカメラマンが上陸しています。 427 00:47:01,419 --> 00:47:05,156 彼らが 人々の日常を撮影した 映像の中にも➡ 428 00:47:05,156 --> 00:47:11,896 列強下に置かれた中国を 読み取る事ができます。 429 00:47:11,896 --> 00:47:16,233 辛亥革命を前に 北京に入った アメリカの特派員は➡ 430 00:47:16,233 --> 00:47:18,903 こう 述懐しています。 431 00:47:18,903 --> 00:47:24,575 「何も起こっていなかったのでは ありません。 ニュースはあった。➡ 432 00:47:24,575 --> 00:47:30,247 ただ それが 我々のところまで 届いていなかったのです。➡ 433 00:47:30,247 --> 00:47:36,587 北京では 陰謀が渦巻き 自殺の強要 殺人が繰り広げられ➡ 434 00:47:36,587 --> 00:47:42,259 地方では 権力をかさに着た役人が 金持ちを えん罪で告発し➡ 435 00:47:42,259 --> 00:47:46,931 財産を むしり取っていました。 飢餓によって➡ 436 00:47:46,931 --> 00:47:51,602 その地方の人口が一掃された ところも あったのです。➡ 437 00:47:51,602 --> 00:47:56,941 毎日毎日 全世界の新聞の紙面を飾って➡ 438 00:47:56,941 --> 00:48:03,547 多くの人々の関心を集めるはずの 事が起こっていたのです。➡ 439 00:48:03,547 --> 00:48:10,554 しかし 我々は それを知る事はなかった」。 440 00:48:13,557 --> 00:48:18,429 これは 1911年 揚子江流域の武昌で➡ 441 00:48:18,429 --> 00:48:23,234 辛亥革命が始まった時の 映像です。 442 00:48:23,234 --> 00:48:27,104 ♬~ 443 00:48:27,104 --> 00:48:32,243 帰国した孫文率いる革命軍。 444 00:48:32,243 --> 00:48:36,914 ♬~ 445 00:48:36,914 --> 00:48:42,586 革命の小競り合いで 巻き添えになった死者。 446 00:48:42,586 --> 00:48:49,894 この翌年 孫文を臨時大総統とする 革命政府が成立します。 447 00:48:55,599 --> 00:48:59,270 20世紀が始まって 10年ほどたった頃の➡ 448 00:48:59,270 --> 00:49:04,108 映像に残る 世界の出来事です。 449 00:49:04,108 --> 00:49:08,546 処女航海で遭難した… 450 00:49:08,546 --> 00:49:12,416 ♬~ 451 00:49:12,416 --> 00:49:17,888 1,503名の犠牲者が出ました。 452 00:49:17,888 --> 00:49:32,436 ♬~ 453 00:49:32,436 --> 00:49:36,240 1910年 明治43年。 454 00:49:36,240 --> 00:49:40,544 白瀬中尉が南極探検に出発。 455 00:49:43,581 --> 00:49:45,883 後援会長だった… 456 00:49:49,920 --> 00:49:53,591 当時の南極大陸では 白瀬隊のほかに➡ 457 00:49:53,591 --> 00:49:59,930 ノルウェーのアムンゼン イギリスのスコットが 同時に南極点を目指していました。 458 00:49:59,930 --> 00:50:03,801 極地探検の時代でした。 459 00:50:03,801 --> 00:50:09,607 ♬~ 460 00:50:09,607 --> 00:50:15,279 明治末期に撮影されたと思われる 栃木県の都市の映像です。 461 00:50:15,279 --> 00:50:17,615 日本による 韓国の併合。 462 00:50:17,615 --> 00:50:22,286 東北 北海道の大凶作で 農村女性の身売りが急増。 463 00:50:22,286 --> 00:50:25,189 社会主義者を弾圧した大逆事件。 464 00:50:25,189 --> 00:50:29,159 新聞を飾ったニュースです。 465 00:50:29,159 --> 00:50:33,297 ♬~ 466 00:50:33,297 --> 00:50:39,169 1912年。 イギリスのダービーでの 衝撃的な映像です。 467 00:50:39,169 --> 00:50:42,973 ♬~ 468 00:50:42,973 --> 00:50:45,876 婦人解放運動の闘士だった 女性が➡ 469 00:50:45,876 --> 00:50:50,848 国王の持ち馬に向かって 身を投げ 自殺した瞬間です。 470 00:50:50,848 --> 00:50:55,319 女性の参政権を求めた 死の抗議でした。 471 00:50:55,319 --> 00:50:59,990 居合わせた男性の群衆からは レースが御破算になった事で➡ 472 00:50:59,990 --> 00:51:05,596 彼女を罵る声が沸き上がったと 記録されています。 473 00:51:05,596 --> 00:51:08,933 ♬~ 474 00:51:08,933 --> 00:51:12,603 イギリスで 婦人参政権が認められるには➡ 475 00:51:12,603 --> 00:51:17,608 なお 15年の歳月を要しました。 476 00:51:20,110 --> 00:51:26,617 ♬~(「星条旗よ永遠なれ」) 477 00:51:26,617 --> 00:51:42,166 ♬~ 478 00:51:42,166 --> 00:51:48,305 ニューヨークにある遊園地 コニーアイランドのイルミネーションです。 479 00:51:48,305 --> 00:51:53,644 ♬~ 480 00:51:53,644 --> 00:51:57,314 初期のカメラは 室内の撮影は難しく➡ 481 00:51:57,314 --> 00:52:01,585 まして 夜景を撮影する事など 不可能でした。 482 00:52:01,585 --> 00:52:06,924 この遊園地の夜が いかに 明るかったかが想像されます。 483 00:52:06,924 --> 00:52:11,795 この電力消費は アメリカの 国力の証明でもありました。 484 00:52:11,795 --> 00:52:21,939 ♬~ 485 00:52:21,939 --> 00:52:25,809 コニーアイランドは 当時 アメリカ人の誰もが➡ 486 00:52:25,809 --> 00:52:31,281 「一度は行ってみたい」と夢みた 娯楽施設でした。 487 00:52:31,281 --> 00:52:39,289 ♬~ 488 00:52:41,291 --> 00:52:49,166 ♬~ 489 00:52:49,166 --> 00:52:54,638 移民の大国 アメリカ。 20世紀初めの10年間は➡ 490 00:52:54,638 --> 00:52:58,976 アメリカに 最も多くの移民が 押し寄せた時期でした。 491 00:52:58,976 --> 00:53:01,578 その数 800万人。 492 00:53:01,578 --> 00:53:09,253 主に イタリア ポーランド ロシアなどの ヨーロッパからの人たちでした。 493 00:53:09,253 --> 00:53:19,596 ♬~ 494 00:53:19,596 --> 00:53:23,934 若きチャップリンが アメリカに やって来たのは このころです。 495 00:53:23,934 --> 00:53:26,837 「イギリスでは ミュージックホールの役者としても➡ 496 00:53:26,837 --> 00:53:29,606 もう 先が見えている。 アメリカなら➡ 497 00:53:29,606 --> 00:53:34,311 未来があるかもしれない」と 夢を抱いて。 498 00:53:36,280 --> 00:53:38,949 「これが あの冒険心と困惑と➡ 499 00:53:38,949 --> 00:53:43,620 いささかの恐怖を持って 憧れていたニューヨークでした。➡ 500 00:53:43,620 --> 00:53:47,958 ニューヨークは 何よりも まず 大企業の街でした。➡ 501 00:53:47,958 --> 00:53:52,629 見上げるような摩天楼。 街を行く人は 他人の都合など➡ 502 00:53:52,629 --> 00:53:55,299 ほとんど考慮に入れていない ように見えたのです。➡ 503 00:53:55,299 --> 00:53:59,169 愛想よくしたり 丁寧な口をきいたりする事など➡ 504 00:53:59,169 --> 00:54:03,107 まるで 人間としての弱さと 考えているかのように➡ 505 00:54:03,107 --> 00:54:07,578 無表情に 澄まし込んでいるんです。➡ 506 00:54:07,578 --> 00:54:12,916 アメリカ人というのは エネルギッシュな夢に 取りつかれた楽天家であり➡ 507 00:54:12,916 --> 00:54:15,586 挫折を知らない冒険家である。➡ 508 00:54:15,586 --> 00:54:18,255 いつも 素早い大もうけを ねらっている。➡ 509 00:54:18,255 --> 00:54:23,927 成功しろ! 出世しろ! 裏をかけ! 商売変えろ!➡ 510 00:54:23,927 --> 00:54:27,598 こうした態度も 次第に➡ 511 00:54:27,598 --> 00:54:32,269 私の心を明るくしてくれるように なりました。➡ 512 00:54:32,269 --> 00:54:38,142 『そうだ。 どうなろうと アメリカで頑張ろう』➡ 513 00:54:38,142 --> 00:54:41,445 私は 決心しました」。 514 00:54:46,617 --> 00:54:51,922 ここは マンハッタン南部にある移民街です。 515 00:54:56,293 --> 00:55:00,564 「私が アメリカに来たのは この国では 道に➡ 516 00:55:00,564 --> 00:55:03,901 黄金が敷き詰められていると 聞いたからでした。➡ 517 00:55:03,901 --> 00:55:08,238 しかし ここに着いて 3つの事を知りました。➡ 518 00:55:08,238 --> 00:55:14,111 まず第1に 道には黄金など 敷かれてはいないという事。➡ 519 00:55:14,111 --> 00:55:19,850 次に そもそも 道は 全く舗装されてさえいない事。➡ 520 00:55:19,850 --> 00:55:24,588 そして 最後に気付いたのは この道を舗装する役目は➡ 521 00:55:24,588 --> 00:55:29,893 私に課せられているのだ という事でした」。 522 00:55:38,101 --> 00:55:43,407 移民の労働力 豊かな資源に 支えられて アメリカは➡ 523 00:55:43,407 --> 00:55:48,111 20世紀をリードする 巨大な国家への 道を歩み始めていました。 524 00:55:48,111 --> 00:55:52,950 その大きなきっかけとなったのが 1908年の➡ 525 00:55:52,950 --> 00:55:57,821 フォードT型車の発表でした。 526 00:55:57,821 --> 00:56:01,558 フォード・システムと呼ばれる 大量生産方式は➡ 527 00:56:01,558 --> 00:56:05,896 20世紀の生産革命となります。 528 00:56:05,896 --> 00:56:10,767 ♬~ 529 00:56:10,767 --> 00:56:13,570 このころになると 映画も発達し➡ 530 00:56:13,570 --> 00:56:19,910 全米で 毎日500万人が 映画館に通ったといわれます。 531 00:56:19,910 --> 00:56:21,845 ♬~ 532 00:56:21,845 --> 00:56:25,782 俳優という職業が生まれたのも この時代でした。 533 00:56:25,782 --> 00:56:30,254 ハリウッドが誕生する数年前の事です。 534 00:56:30,254 --> 00:56:40,264 ♬~ 535 00:56:40,264 --> 00:56:45,135 特殊撮影による映画が多く作られ 人気を博しました。 536 00:56:45,135 --> 00:56:50,607 「プリンセス・ニコチン」という この映画も 当時の代表作の一つです。 537 00:56:50,607 --> 00:56:56,280 少女の後ろに 合成のスクリーンが かすかに見えています。 538 00:56:56,280 --> 00:57:00,984 ♬~ 539 00:57:02,886 --> 00:57:10,894 1907年。 世界一周航海に出かける 16隻のアメリカ艦隊です。 540 00:57:14,498 --> 00:57:18,235 強いアメリカを世界に示す デモンストレーションであり➡ 541 00:57:18,235 --> 00:57:22,906 とりわけ ロシアを破って 対外進出をねらう日本と➡ 542 00:57:22,906 --> 00:57:29,579 軍備拡張を続けるドイツを けん制する事も その目的でした。 543 00:57:29,579 --> 00:57:33,917 時の大統領 セオドア・ルーズベルトの 演説には 早くも➡ 544 00:57:33,917 --> 00:57:41,591 その後の 世界における アメリカの立場が明瞭に現れています。 545 00:57:41,591 --> 00:57:46,263 「合衆国が いささかでも 領土を渇望しているとか➡ 546 00:57:46,263 --> 00:57:49,166 西半球の ほかの国々に対して➡ 547 00:57:49,166 --> 00:57:54,604 何らかの計画を抱いている というのは 事実ではない。➡ 548 00:57:54,604 --> 00:58:01,211 しかし 文明社会の絆を 傷つけるような 無能力国家は➡ 549 00:58:01,211 --> 00:58:06,083 アメリカであれ ほかのいずこであれ 最終的には➡ 550 00:58:06,083 --> 00:58:13,223 どこかの文明国による干渉を 受けざるをえないだろう。➡ 551 00:58:13,223 --> 00:58:16,126 モンロー主義を信奉する 合衆国としては➡ 552 00:58:16,126 --> 00:58:19,896 そのような 無能力な国家に対しては➡ 553 00:58:19,896 --> 00:58:21,832 ためらいつつではあるが➡ 554 00:58:21,832 --> 00:58:26,136 国際警察力の行使を 余儀なくされるだろう」。 555 00:58:29,239 --> 00:58:39,883 ♬~ 556 00:58:39,883 --> 00:58:45,255 1913年。 ロマノフ王朝の治世300年を祝う➡ 557 00:58:45,255 --> 00:58:48,558 盛大な式典が行われました。 558 00:58:50,927 --> 00:58:56,600 血の日曜日事件に始まった 政情不安 日露戦争の敗北。 559 00:58:56,600 --> 00:59:01,204 帝政ロシアの不名誉な評判を 払拭するためにも➡ 560 00:59:01,204 --> 00:59:06,910 ロマノフ家が その威信を懸けた 華やかなセレモニーでした。 561 00:59:10,213 --> 00:59:12,549 この行列の中には➡ 562 00:59:12,549 --> 00:59:15,886 やがて ロシア革命で ことごとく処刑される➡ 563 00:59:15,886 --> 00:59:20,590 ニコライ皇帝一家が そろって 映し出されています。 564 00:59:23,560 --> 00:59:30,267 ニコライ2世と妻。 それに息子で皇太子のアレクセイ。 565 00:59:35,572 --> 00:59:38,909 続くのは 4人の王女。 566 00:59:38,909 --> 00:59:40,844 最後に やって来るのが➡ 567 00:59:40,844 --> 00:59:46,149 長い間 その生死を巡って 話題になった アナスターシャです。 568 00:59:52,255 --> 00:59:57,928 日露戦争のさなかに生まれた アレクセイは 病気がちな少年でした。 569 00:59:57,928 --> 01:00:04,935 ニコライ夫妻の関心は このころ 常に アレクセイの健康にありました。 570 01:00:09,539 --> 01:00:13,944 皇帝の家臣までが 王位継承者のアレクセイを➡ 571 01:00:13,944 --> 01:00:19,950 いかに大切に扱っていたのかが 読み取れる映像です。 572 01:00:31,294 --> 01:00:35,298 グリゴリー・ラスプーチン。 573 01:00:37,634 --> 01:00:42,439 病弱な皇太子 アレクセイを気遣う ニコライ一家。 574 01:00:42,439 --> 01:00:48,245 伝説的な呪術家 ラスプーチンは この家族に 影のごとく寄り添い➡ 575 01:00:48,245 --> 01:00:53,250 権力を欲しいままにしたと いわれています。 576 01:00:59,656 --> 01:01:03,527 ニコライ2世の アレクセイに対する溺愛ぶりは➡ 577 01:01:03,527 --> 01:01:09,266 公式行事の映像にも現れ始めます。 軍隊の閲兵などでも➡ 578 01:01:09,266 --> 01:01:14,971 皇帝は 常に アレクセイを そばに置いています。 579 01:01:20,610 --> 01:01:23,280 ニコライの日記には➡ 580 01:01:23,280 --> 01:01:29,152 アレクセイとラスプーチンの名前が しばしば 登場しています。 581 01:01:29,152 --> 01:01:33,290 「午後7時に グリゴリーがやって来て しばらく➡ 582 01:01:33,290 --> 01:01:39,629 妻とアレクセイの そばにいた。 私とも話をした。➡ 583 01:01:39,629 --> 01:01:42,532 グリゴリーが去って 間もなくの事である。➡ 584 01:01:42,532 --> 01:01:47,504 我が息子 アレクセイの腕の痛みが うそのように消え始め➡ 585 01:01:47,504 --> 01:01:53,209 やがて 彼は落ち着いて 寝入ってしまった」。 586 01:01:57,180 --> 01:02:01,251 この映像は フランスの代表的な映画会社である➡ 587 01:02:01,251 --> 01:02:04,588 パテ社の倉庫に 保管されていました。 588 01:02:04,588 --> 01:02:12,929 1913年のニコライ2世と それに従う軍人たちです。 589 01:02:12,929 --> 01:02:16,800 パテ社で 古いフィルムを扱っている担当者は➡ 590 01:02:16,800 --> 01:02:21,605 ニコライの 1人置いて 左にいる 黒服の異様な男が➡ 591 01:02:21,605 --> 01:02:28,945 ラスプーチンではないかと示唆しました。 しかし こうして拡大しても➡ 592 01:02:28,945 --> 01:02:32,282 この男が 果たして ラスプーチンであるかどうか➡ 593 01:02:32,282 --> 01:02:35,619 断定は できません。 594 01:02:35,619 --> 01:02:47,964 ♬~ 595 01:02:47,964 --> 01:02:51,635 動く映像が発明されて 20年も たたないうちに➡ 596 01:02:51,635 --> 01:02:53,970 カメラマンも また 大衆も➡ 597 01:02:53,970 --> 01:02:58,642 好奇心をそそる刺激的な映像を 求め始めます。 598 01:02:58,642 --> 01:03:01,911 奇妙な映像が登場するのです。 599 01:03:01,911 --> 01:03:19,929 ♬~ 600 01:03:19,929 --> 01:03:26,269 エッフェル塔の展望台の柵の上に 1人の男が立ちました。 601 01:03:26,269 --> 01:03:30,940 ♬~ 602 01:03:30,940 --> 01:03:35,278 自分の作ったマントを羽代わりに 飛び降りようとしています。 603 01:03:35,278 --> 01:03:38,615 足元にいる2人は いわば 興業師で➡ 604 01:03:38,615 --> 01:03:42,952 この男に金を払って 奇抜なショーを演出しました。 605 01:03:42,952 --> 01:03:47,824 既に 金を受け取ってしまった男は もう 後には引けません。 606 01:03:47,824 --> 01:03:55,131 カメラマンたちは エッフェル塔の上と下で 衝撃的瞬間を待ち構えていました。 607 01:04:09,112 --> 01:04:13,917 このショーは 男の即死で幕を閉じました。 608 01:04:13,917 --> 01:04:24,627 ♬~ 609 01:04:28,465 --> 01:04:32,268 この映像は 第一次世界大戦の 引き金となった➡ 610 01:04:32,268 --> 01:04:39,275 サラエボ事件の当日に撮影され 今に残る唯一の映像です。 611 01:04:41,611 --> 01:04:48,952 1914年6月28日。 数時間後には 暗殺される運命にある➡ 612 01:04:48,952 --> 01:04:52,822 オーストリア皇太子 フェルディナンド大公夫妻が➡ 613 01:04:52,822 --> 01:04:57,827 サラエボの市庁舎に 到着したところです。 614 01:05:03,466 --> 01:05:07,070 この映像には 不可思議な動きをする人物が➡ 615 01:05:07,070 --> 01:05:10,573 映っています。 616 01:05:17,580 --> 01:05:22,252 皇太子夫妻が去ったあと 運転手が やおら 車を降りて➡ 617 01:05:22,252 --> 01:05:26,923 乗ってきた自動車を 点検するような動きをします。 618 01:05:26,923 --> 01:05:29,592 カメラは 定位置に据えられて➡ 619 01:05:29,592 --> 01:05:32,262 運転手を追う事が できません。 620 01:05:32,262 --> 01:05:34,597 しかし この映像には➡ 621 01:05:34,597 --> 01:05:39,469 暗殺事件のあった一日の経緯が 秘められているのです。 622 01:05:39,469 --> 01:05:47,610 ♬~ 623 01:05:47,610 --> 01:05:52,282 当時 オーストリアを治めていた ウィーンのハプスブルク家は➡ 624 01:05:52,282 --> 01:05:56,152 民族紛争で混乱する バルカン半島を征服し➡ 625 01:05:56,152 --> 01:06:02,091 ゲルマン民族の手で統一しようと していました。 626 01:06:02,091 --> 01:06:10,567 この人物が ハプスブルク家悲劇の皇太子 フランツ・フェルディナンドです。 627 01:06:10,567 --> 01:06:17,907 ♬~ 628 01:06:17,907 --> 01:06:25,582 フェルディナンドと鹿狩りを共にするのは ドイツ皇帝 ウィルヘルム2世です。 629 01:06:25,582 --> 01:06:29,252 ♬~ 630 01:06:29,252 --> 01:06:31,588 ウィルヘルム率いる ドイツ帝国は➡ 631 01:06:31,588 --> 01:06:34,924 オーストリアのバルカン政策を 後押しする事によって➡ 632 01:06:34,924 --> 01:06:40,230 自らの覇権の拡大を ねらっていました。 633 01:06:44,601 --> 01:06:47,937 ドイツとオーストリアは 友好国でしたが➡ 634 01:06:47,937 --> 01:06:51,274 王位継承者である 肝心のフェルディナンドが➡ 635 01:06:51,274 --> 01:06:53,209 ドイツを嫌っていたため➡ 636 01:06:53,209 --> 01:06:55,945 ウィルヘルムは 彼の歓心を買おうと➡ 637 01:06:55,945 --> 01:07:01,551 時折 プライベートな接触を持っていたと いわれます。 638 01:07:01,551 --> 01:07:05,421 ♬~ 639 01:07:05,421 --> 01:07:07,891 20世紀に入ってから➡ 640 01:07:07,891 --> 01:07:12,228 ドイツは ひたすら 軍備拡張を進めています。 641 01:07:12,228 --> 01:07:18,101 いつでも オーストリアと行動を共にする 用意は出来ていました。 642 01:07:18,101 --> 01:07:25,241 ♬~ 643 01:07:25,241 --> 01:07:29,112 フェルディナンド夫妻が訪れたサラエボは➡ 644 01:07:29,112 --> 01:07:35,885 6年前に オーストリアが併合した ボスニア・ヘルツェゴビナの州都ですが➡ 645 01:07:35,885 --> 01:07:41,591 民族独立を唱える いくつもの 暗殺団が潜伏していました。 646 01:07:43,593 --> 01:07:46,262 事件の当日は快晴。 647 01:07:46,262 --> 01:07:51,568 パレードは 何事もなく進むかに 見えました。 648 01:07:54,938 --> 01:07:57,607 午前10時ごろの事です。 649 01:07:57,607 --> 01:08:02,211 市庁舎で行われる歓迎行事に 向かう 夫妻のパレードに➡ 650 01:08:02,211 --> 01:08:05,548 暗殺団の手榴弾が投げられました。 651 01:08:05,548 --> 01:08:10,219 爆弾は 周囲の人や随員に 被害を与えますが➡ 652 01:08:10,219 --> 01:08:16,926 フェルディナンド夫妻は 難を逃れ そのまま 市庁舎に向かいました。 653 01:08:25,768 --> 01:08:28,905 市庁舎に到着した自動車の この映像は➡ 654 01:08:28,905 --> 01:08:35,578 未遂に終わったテロの すぐ後に 撮影されたものだったのです。 655 01:08:35,578 --> 01:08:41,284 そういえば フェルディナンド夫妻が 何やら話し込んでいます。 656 01:08:53,930 --> 01:08:57,800 運転手の行動は テロの爆弾のために出来た➡ 657 01:08:57,800 --> 01:09:02,505 車の傷を調べようとしたもの だったのです。 658 01:09:06,209 --> 01:09:09,879 (銃声) 659 01:09:09,879 --> 01:09:11,814 フェルディナンド夫妻は このあとも➡ 660 01:09:11,814 --> 01:09:15,551 予定を変更する事なく 市庁舎を出発し➡ 661 01:09:15,551 --> 01:09:20,223 再び テロに遭遇。 凶弾に倒れてしまいます。 662 01:09:20,223 --> 01:09:25,094 犯人は 黒い手という名前の 暗殺団の一味である➡ 663 01:09:25,094 --> 01:09:29,232 セルビア人でした。 664 01:09:29,232 --> 01:09:36,105 この弾痕が 世界を戦争の時代に 巻き込んでいったのです。 665 01:09:36,105 --> 01:09:47,917 ♬~ 666 01:09:47,917 --> 01:09:54,257 オーストリアは フェルディナンドの死を口実に セルビア併合を宣言し➡ 667 01:09:54,257 --> 01:09:57,160 ドイツも それに加担します。 668 01:09:57,160 --> 01:10:02,131 それに対して ロシアが セルビアの独立を支持。 669 01:10:02,131 --> 01:10:07,270 ここに ドイツ ロシア間に戦争が勃発します。 670 01:10:07,270 --> 01:10:12,141 程なく 世界各国が 連合国として ロシアに味方し➡ 671 01:10:12,141 --> 01:10:18,147 第一次世界大戦の火蓋が 切られるのです。 672 01:10:20,817 --> 01:10:31,294 ♬~ 673 01:10:31,294 --> 01:11:01,257 ♬~ 674 01:11:01,257 --> 01:11:06,596 ドイツ皇帝 ウィルヘルム2世が 出征する兵士に向けた言葉が➡ 675 01:11:06,596 --> 01:11:09,298 録音に残されています。 676 01:11:31,621 --> 01:11:57,313 ♬~ 677 01:11:57,313 --> 01:12:01,918 20世紀初頭の世界。 フィルムに収められた映像は➡ 678 01:12:01,918 --> 01:12:06,789 世界の王朝の末期の姿を 記録していました。 679 01:12:06,789 --> 01:12:10,259 ♬~ 680 01:12:10,259 --> 01:12:14,130 第一次世界大戦に至るまでの さまざまな映像は➡ 681 01:12:14,130 --> 01:12:17,934 この時代が 戦争という嵐を前にした➡ 682 01:12:17,934 --> 01:12:22,605 つかの間の時であった事を 物語っています。 683 01:12:22,605 --> 01:12:27,276 激動の20世紀が始まるのは これからです。 684 01:12:27,276 --> 01:13:56,265 ♬~