1 00:00:02,936 --> 00:00:09,943 ♬~ 2 00:00:16,950 --> 00:00:22,289 (歓声) 3 00:00:22,289 --> 00:00:30,597 1945年8月。 終戦に沸き立つ アジアの人々です。 4 00:00:37,304 --> 00:00:40,974 武装解除される日本軍です。 5 00:00:40,974 --> 00:00:45,312 日本が掲げた大東亜共栄圏が崩壊。 6 00:00:45,312 --> 00:00:49,983 アジアに権力の空白が生まれました。 7 00:00:49,983 --> 00:00:57,858 ♬~ 8 00:00:57,858 --> 00:01:03,931 祖国の独立を目指して 戦ってきた指導者たち。 9 00:01:03,931 --> 00:01:07,234 中国の毛沢東。 10 00:01:09,603 --> 00:01:13,907 ベトナムのホー・チ・ミン。 11 00:01:15,475 --> 00:01:18,779 インドのガンジー。 12 00:01:18,779 --> 00:01:21,815 アジアは 強力な指導者の下で➡ 13 00:01:21,815 --> 00:01:26,119 独立への第一歩を 歩み始めたのです。 14 00:01:26,119 --> 00:01:31,291 「祖国統一は 私たちの永遠なる夢です。➡ 15 00:01:31,291 --> 00:01:36,964 私たちは 外国の言葉ではなく 私たち自身の言葉で➡ 16 00:01:36,964 --> 00:01:41,668 これから 歴史を語らなければいけません」。 17 00:01:44,304 --> 00:01:50,644 20世紀 列強諸国による 植民地支配からの解放を➡ 18 00:01:50,644 --> 00:01:54,314 アジアの人々は待ち望んでいました。 19 00:01:54,314 --> 00:01:56,984 「映像の世紀」 第6集は➡ 20 00:01:56,984 --> 00:02:04,791 アジアの各国が独立するまでに歩んだ 苦難の道を描きます。 21 00:02:04,791 --> 00:03:34,481 ♬~ 22 00:03:36,283 --> 00:03:41,154 インドの港町 ボンベイにそびえ立つ… 23 00:03:41,154 --> 00:03:46,927 大英帝国の国王を迎えるために 造られました。 24 00:03:46,927 --> 00:03:52,299 1911年 この門を 初めてくぐったのは➡ 25 00:03:52,299 --> 00:03:57,003 大英帝国の国王 ジョージ5世でした。 26 00:03:58,638 --> 00:04:01,541 これは その時の映像です。 27 00:04:01,541 --> 00:04:04,244 先頭を歩くのが… 28 00:04:04,244 --> 00:04:08,915 自らが インドの皇帝である事を 宣言するため➡ 29 00:04:08,915 --> 00:04:12,219 インドにやって来ました。 30 00:04:17,924 --> 00:04:23,263 ジョージ5世の訪問を祝い 行われた記念式典。 31 00:04:23,263 --> 00:04:30,971 インド各地を治めていた マハラジャなど およそ10万人が参列しました。 32 00:04:36,276 --> 00:04:42,582 中央の台座に腰掛けているのが ジョージ5世です。 33 00:04:44,618 --> 00:04:47,287 出席したマハラジャから➡ 34 00:04:47,287 --> 00:04:51,992 次々に貢ぎ物が献上されました。 35 00:04:54,161 --> 00:04:57,297 多くのインド人が この日➡ 36 00:04:57,297 --> 00:05:02,135 大英帝国の権威を 見せつけられたのです。 37 00:05:02,135 --> 00:05:07,574 「私が国王である事を知らしめる この歴史的な日➡ 38 00:05:07,574 --> 00:05:12,913 私は インドの民と共にある事を まことに喜ばしく思う。➡ 39 00:05:12,913 --> 00:05:17,250 私はインドの平和と安定を強く望み➡ 40 00:05:17,250 --> 00:05:22,589 インドに与えられた権利と特権を 守る事を ここに約束する。➡ 41 00:05:22,589 --> 00:05:27,928 神よ 我がインドの民を守りたまえ」。 42 00:05:27,928 --> 00:05:36,937 ♬~ 43 00:05:36,937 --> 00:05:42,809 これは 国王の命を受けて インドを 統治していた イギリス人の総督が➡ 44 00:05:42,809 --> 00:05:46,947 虎狩りに出かけた時の映像です。 45 00:05:46,947 --> 00:05:57,123 ♬~ 46 00:05:57,123 --> 00:06:00,026 イギリスの植民地支配は➡ 47 00:06:00,026 --> 00:06:03,730 アフリカにも及んでいました。 48 00:06:07,567 --> 00:06:13,373 これは 現在の南アフリカ共和国に 残されていた映像です。 49 00:06:13,373 --> 00:06:18,578 イギリス貴族に ヒョウの毛皮が献上されています。 50 00:06:18,578 --> 00:06:27,254 ♬~ 51 00:06:27,254 --> 00:06:32,926 この時代 南アフリカで 弁護士として活動していたのが➡ 52 00:06:32,926 --> 00:06:36,596 若き日のガンジーでした。 53 00:06:36,596 --> 00:06:43,603 この国での体験が ガンジーの人生を大きく変えたのです。 54 00:06:46,606 --> 00:06:50,277 当時のアフリカの植民地。 55 00:06:50,277 --> 00:06:57,284 ガンジーの目には イギリスの支配下で 苦しむ人々の姿が映りました。 56 00:06:59,619 --> 00:07:04,891 ガンジーは 南アフリカで 汽車の旅をしていた時の体験を➡ 57 00:07:04,891 --> 00:07:08,762 次のように回想しています。 58 00:07:08,762 --> 00:07:13,233 「私は ジロジロ見られていた。➡ 59 00:07:13,233 --> 00:07:17,103 駅員は 私が有色人種である事を 確かめると➡ 60 00:07:17,103 --> 00:07:19,105 『ちょっと来い。➡ 61 00:07:19,105 --> 00:07:24,244 お前は貨物車の方へ移るんだ』と どなりつけた。➡ 62 00:07:24,244 --> 00:07:28,114 私は 1等車の切符を持っていると 抗議した。➡ 63 00:07:28,114 --> 00:07:32,118 『駄目だ。 お前は客車から出ていけ』。➡ 64 00:07:32,118 --> 00:07:35,255 駅員は 無理やり私の腕をつかみ➡ 65 00:07:35,255 --> 00:07:38,925 荷物もろとも 客車から放り出した。➡ 66 00:07:38,925 --> 00:07:42,595 身にしみるような 厳しい寒さだった。➡ 67 00:07:42,595 --> 00:07:47,300 私は腰掛けたまま 震えていた」。 68 00:07:51,271 --> 00:07:54,774 ガンジーは 後に この体験が➡ 69 00:07:54,774 --> 00:08:00,981 私の独立運動の原点となったと 語っています。 70 00:08:04,884 --> 00:08:12,192 20世紀初頭 インドシナは 当時のフランスの植民地でした。 71 00:08:13,893 --> 00:08:22,235 ベトナム人が フランス人の総督に宛てた 抗議の手紙が残されていました。 72 00:08:22,235 --> 00:08:27,073 「フランス人は 我々 ベトナム人を常に嫌悪し➡ 73 00:08:27,073 --> 00:08:29,976 我々を野蛮人とさえも 考えていない。➡ 74 00:08:29,976 --> 00:08:33,847 犬や豚同然と考えているのだ。➡ 75 00:08:33,847 --> 00:08:40,253 一方 ベトナム人は フランス人を あたかも雷のごとく恐れている。➡ 76 00:08:40,253 --> 00:08:42,756 フランス人に道で会った時も➡ 77 00:08:42,756 --> 00:08:45,258 蹴られたり 殴られたりしないよう➡ 78 00:08:45,258 --> 00:08:49,262 ただただ 逃げ出すばかりである」。 79 00:08:55,268 --> 00:09:03,076 ベトナムの子どもたちに お菓子をばらまく フランスの貴婦人。 80 00:09:03,076 --> 00:09:08,214 この時期 ベトナム人は令状なしに逮捕され➡ 81 00:09:08,214 --> 00:09:12,919 裁判なしに投獄されていました。 82 00:09:16,089 --> 00:09:23,797 日本は 19世紀末には 既に 朝鮮半島に進出していました。 83 00:09:27,567 --> 00:09:31,438 この映像は 1908年か9年➡ 84 00:09:31,438 --> 00:09:35,742 大磯の伊藤博文の別荘で 撮影されたものです。 85 00:09:35,742 --> 00:09:39,612 画面中央の 髭を蓄えた人物が… 86 00:09:39,612 --> 00:09:43,817 彼の前に立つ 少年が… 87 00:09:48,087 --> 00:09:56,296 伊藤博文は 皇太子の後見役となり 彼を日本に留学させました。 88 00:10:01,634 --> 00:10:09,142 韓国が日本に併合されたのは 1910年の事でした。 89 00:10:20,954 --> 00:10:24,624 ヨーロッパ列強が始めた この戦争に➡ 90 00:10:24,624 --> 00:10:29,963 アジアから 多くの若者が駆り出されました。 91 00:10:29,963 --> 00:10:35,835 これは フランスの港に到着した ベトナムからの兵士たちです。 92 00:10:35,835 --> 00:10:41,541 当時 パリの小さな新聞に こんな記事が載っていました。 93 00:10:43,510 --> 00:10:48,648 「ベトナムから 10万人近くの若者が海を渡り➡ 94 00:10:48,648 --> 00:10:50,984 戦場へと連れていかれた。➡ 95 00:10:50,984 --> 00:10:55,855 フランス人は これを優雅にも 兄弟の貢献と呼ぶ。➡ 96 00:10:55,855 --> 00:11:01,094 しかし ベトナムにとって それは血と汗を流しながら➡ 97 00:11:01,094 --> 00:11:04,130 寄生虫を 太らせているようなものだ。➡ 98 00:11:04,130 --> 00:11:08,268 フランスの植民地支配によって 潤うのは➡ 99 00:11:08,268 --> 00:11:15,141 うそつき政治家や ずる賢い アヘンの密売人だけである」。 100 00:11:15,141 --> 00:11:19,279 この記事を書いた 阮愛国は➡ 101 00:11:19,279 --> 00:11:22,182 後のベトナム独立運動の指導者➡ 102 00:11:22,182 --> 00:11:25,485 ホー・チ・ミンです。 103 00:11:32,625 --> 00:11:37,497 アメリカ大統領 ウィルソンは 民族自立を提唱。 104 00:11:37,497 --> 00:11:42,202 アジアの植民地に 独立への期待を与えました。 105 00:11:45,205 --> 00:11:48,174 ホー・チ・ミンの回想録には➡ 106 00:11:48,174 --> 00:11:51,311 彼は この時 ウィルソン大統領に➡ 107 00:11:51,311 --> 00:11:57,817 ベトナムの解放を求める直訴状を 渡そうとしたと記されています。 108 00:11:59,986 --> 00:12:04,257 しかし 名も知れぬ ベトナムの一青年が➡ 109 00:12:04,257 --> 00:12:09,562 アメリカ大統領に近づけるはずも ありませんでした。 110 00:12:14,601 --> 00:12:20,273 1920年代 中国には 多くの列強が➡ 111 00:12:20,273 --> 00:12:25,612 利権の獲得を巡って しのぎを削っていました。 112 00:12:25,612 --> 00:12:31,317 租界と呼ばれた 欧米人の居住区の跡です。 113 00:12:32,952 --> 00:12:37,624 治外法権によって 守られていました。 114 00:12:37,624 --> 00:12:44,297 ♬~ 115 00:12:44,297 --> 00:12:49,002 当時の上海のジャズクラブです。 116 00:12:51,971 --> 00:12:56,309 イギリス フランス アメリカ ロシアなど➡ 117 00:12:56,309 --> 00:13:02,615 上海は さまざまな 欧米文化が入り乱れる都でした。 118 00:13:06,119 --> 00:13:10,823 上海は 中国でありながら 中国ではない➡ 119 00:13:10,823 --> 00:13:15,528 当時 東洋のパリと 呼ばれていました。 120 00:13:23,269 --> 00:13:25,772 これらの映像の多くは➡ 121 00:13:25,772 --> 00:13:29,976 欧米人によって 撮影されたものです。 122 00:13:35,281 --> 00:13:39,619 租界の中にあった遊園地です。 123 00:13:39,619 --> 00:13:42,955 子どもが乗っている 回転ブランコを回すのは➡ 124 00:13:42,955 --> 00:13:48,261 雇われた中国人労働者 クーリーの仕事でした。 125 00:13:52,298 --> 00:13:57,637 こうした 一部の使用人を除いて 公園や社交場には➡ 126 00:13:57,637 --> 00:14:03,342 中国人は 一切 入る事を許されませんでした。 127 00:14:09,582 --> 00:14:14,454 この時代の中国人をとらえた 映像の多くには➡ 128 00:14:14,454 --> 00:14:20,760 外国の支配下に置かれた 民衆の表情が映し出されています。 129 00:14:24,130 --> 00:14:28,601 こうした祖国の惨状を見かねて 立ち上がったのが➡ 130 00:14:28,601 --> 00:14:31,938 革命の父 孫文でした。 131 00:14:31,938 --> 00:14:39,112 孫文は 民主 民権 民生 いわゆる 三民主義を説き➡ 132 00:14:39,112 --> 00:14:46,285 外国支配からの脱却と民族自立を 民衆に強く訴えました。 133 00:14:46,285 --> 00:14:52,959 「列強は今 虎視眈々と 中国を分割しようとしている。➡ 134 00:14:52,959 --> 00:14:56,829 しかし 民衆はといえば 無知蒙昧で➡ 135 00:14:56,829 --> 00:15:00,767 祖国の将来の事など 全く考えていない。➡ 136 00:15:00,767 --> 00:15:06,906 だから 我が国は大国であるにも かかわらず 列強にひれ伏し➡ 137 00:15:06,906 --> 00:15:10,243 外国人たちに バカにされるのである。➡ 138 00:15:10,243 --> 00:15:14,914 我々は 今こそ 立ち上がらなくてはならない。➡ 139 00:15:14,914 --> 00:15:20,586 国民を苦しみから救い 国家の滅亡を防ぐのだ。➡ 140 00:15:20,586 --> 00:15:25,591 子孫を 外国の奴隷としてはならない」。 141 00:15:50,583 --> 00:15:58,624 1917年 ロシア革命直後のモスクワです。 142 00:15:58,624 --> 00:16:04,230 ロシア革命によって 植民地下にある アジアの国々に➡ 143 00:16:04,230 --> 00:16:08,100 独立の気運が高まりました。 144 00:16:08,100 --> 00:16:14,574 革命を成し遂げたレーニンが 亡くなったのは 1924年。 145 00:16:14,574 --> 00:16:18,077 ホー・チ・ミンが 初めて映像に登場するのは➡ 146 00:16:18,077 --> 00:16:21,280 この時期の事です。 147 00:16:22,915 --> 00:16:28,921 白いワイシャツの人物が… 148 00:16:31,924 --> 00:16:37,263 ホー・チ・ミンは 世界に共産主義を 広めようと結成された➡ 149 00:16:37,263 --> 00:16:40,166 コミンテルンに参加しました。 150 00:16:40,166 --> 00:16:47,874 これは 1925年 会議で演説するホー・チ・ミンです。 151 00:16:50,276 --> 00:16:53,179 コミンテルンの身分証明書。 152 00:16:53,179 --> 00:16:58,951 ホー・チ・ミンは 以後 秘密工作員として アジア各地に潜伏。 153 00:16:58,951 --> 00:17:02,655 地下活動を続けます。 154 00:17:08,227 --> 00:17:12,899 中国の広州です。 155 00:17:12,899 --> 00:17:19,071 1924年 孫文は コミンテルンから顧問団を招き➡ 156 00:17:19,071 --> 00:17:24,577 革命戦士を育てる 軍事学校を作りました。 157 00:17:29,382 --> 00:17:33,886 これは 開校式当日の映像です。 158 00:17:39,592 --> 00:17:43,462 まだ 銃の撃ち方すら 知らない兵士たち。 159 00:17:43,462 --> 00:17:48,668 そのほとんどが 農村出身の青年でした。 160 00:17:55,942 --> 00:18:00,947 この学校の校長に選ばれたのが… 161 00:18:02,548 --> 00:18:08,220 蔣介石が映像に登場するのは この時期からです。 162 00:18:08,220 --> 00:18:14,527 政治部主任には 弱冠26歳の周恩来。 163 00:18:16,095 --> 00:18:22,234 孫文は 誕生したばかりの 共産党勢力も 革命軍に結集。 164 00:18:22,234 --> 00:18:29,241 あの毛沢東もまた 入学試験の 面接官を務めていました。 165 00:18:32,878 --> 00:18:38,784 孫文は 開校式で 次のような訓辞を述べています。 166 00:18:38,784 --> 00:18:43,255 「ロシア革命が 見事に成功したにもかかわらず➡ 167 00:18:43,255 --> 00:18:47,593 中国革命は いまだに 名ばかりの革命にすぎない。➡ 168 00:18:47,593 --> 00:18:49,528 なぜだろうか?➡ 169 00:18:49,528 --> 00:18:52,264 それは 強い革命軍がないからだ。➡ 170 00:18:52,264 --> 00:18:57,136 強い革命軍があってこそ 革命は成功するのだ。➡ 171 00:18:57,136 --> 00:19:03,542 諸君 君たちは将来 必ずや革命軍の中核となるのだ。➡ 172 00:19:03,542 --> 00:19:07,413 革命の精神とは 死を恐れない事である。➡ 173 00:19:07,413 --> 00:19:13,719 中国4億人の民を救う事が 諸君の使命なのである」。 174 00:19:18,891 --> 00:19:23,763 孫文の言葉が そのまま歌詞となった校歌。 175 00:19:23,763 --> 00:19:30,236 台湾では この歌を国歌として 今もなお 受け継いでいます。 176 00:19:30,236 --> 00:19:40,246 ♬~ 177 00:19:40,246 --> 00:19:44,750 校長の蔣介石は たとえ ワラジ履きでも➡ 178 00:19:44,750 --> 00:19:48,921 不屈の精神で敵に立ち向かう事を 教えました。 179 00:19:48,921 --> 00:19:53,793 ワラジ精神。 生徒たちは 蔣介石の教えを➡ 180 00:19:53,793 --> 00:19:57,096 当時 そう呼んでいました。 181 00:20:02,268 --> 00:20:08,607 実は この学校には インドシナの 青年たちの姿もありました。 182 00:20:08,607 --> 00:20:14,280 彼らを送り込んだのは あのホー・チ・ミンでした。 183 00:20:14,280 --> 00:20:18,951 ホー・チ・ミンは コミンテルンの 軍事顧問団の通訳として➡ 184 00:20:18,951 --> 00:20:22,254 広州に来ていたのです。 185 00:20:27,626 --> 00:20:32,498 列車に同乗する孫文と蔣介石。 186 00:20:32,498 --> 00:20:34,800 「強い革命軍なくして➡ 187 00:20:34,800 --> 00:20:36,736 革命はならず」。 188 00:20:36,736 --> 00:20:39,438 この軍官学校の卒業生は➡ 189 00:20:39,438 --> 00:20:45,244 後の国民党軍の主力部隊に なっていきました。 190 00:21:09,935 --> 00:21:13,606 多宗教国家 インド。 191 00:21:13,606 --> 00:21:19,945 これは インドの最大宗派 ヒンズー教の祭りです。 192 00:21:19,945 --> 00:21:26,418 この国の命運を担って 南アフリカから ガンジーが帰国したのは➡ 193 00:21:26,418 --> 00:21:30,623 1915年の事でした。 194 00:21:30,623 --> 00:21:35,294 ガンジーは 南アフリカで人権闘争を始め➡ 195 00:21:35,294 --> 00:21:39,632 その活動は インドの人々にも 知れ渡っていました。 196 00:21:39,632 --> 00:21:46,639 人は 彼の事を 偉大な魂 マハトマと呼びました。 197 00:21:50,643 --> 00:21:58,317 この映像からは ガンジーの唱えた 独立闘争の姿を見る事ができます。 198 00:21:58,317 --> 00:22:03,589 イギリス人が作った壁を 突破しようとする丸腰の民衆。 199 00:22:03,589 --> 00:22:05,524 しかし よく見ると➡ 200 00:22:05,524 --> 00:22:08,928 民衆は たとえ殴られても 蹴られても➡ 201 00:22:08,928 --> 00:22:11,597 一切の抵抗を示しません。 202 00:22:11,597 --> 00:22:17,469 これが ガンジーが説いた 非暴力闘争です。 203 00:22:17,469 --> 00:22:22,241 「非暴力は 暴力の不正に対して➡ 204 00:22:22,241 --> 00:22:25,611 真理を代表する力です。➡ 205 00:22:25,611 --> 00:22:30,482 非暴力は 純潔な生活の泉として➡ 206 00:22:30,482 --> 00:22:34,954 こんこんと湧き出る魂の力です。➡ 207 00:22:34,954 --> 00:22:37,289 私は インドが弱いから➡ 208 00:22:37,289 --> 00:22:40,626 非暴力を説いているのでは ありません。➡ 209 00:22:40,626 --> 00:22:46,298 ただ インドが 暴力を振りかざす ヨーロッパのやり方を➡ 210 00:22:46,298 --> 00:22:49,969 まねるべきではないと 思うのです。➡ 211 00:22:49,969 --> 00:22:54,306 剣を手にした時 インドは もはや➡ 212 00:22:54,306 --> 00:23:00,312 私の心の誇りでは なくなるでしょう」。 213 00:23:01,914 --> 00:23:06,919 ガンジーには 大きな課題が残されていました。 214 00:23:11,257 --> 00:23:15,928 ヒンズー教に次ぐ宗派 イスラム教。 215 00:23:15,928 --> 00:23:21,800 この全く異なる2つの宗教を いかに取りまとめていくか。 216 00:23:21,800 --> 00:23:24,937 ガンジーは 宗教を問わず➡ 217 00:23:24,937 --> 00:23:31,944 インドの人であれば 誰にでも分かる 独立闘争のシンボルを掲げました。 218 00:23:33,612 --> 00:23:39,952 それが インド古来から伝わる 糸車でした。 219 00:23:39,952 --> 00:23:42,788 ガンジーは かつてのように➡ 220 00:23:42,788 --> 00:23:49,295 インド人が自らの手で糸を紡ぐ事を 呼びかけたのです。 221 00:23:49,295 --> 00:23:54,633 「インドの命運は 糸車に懸かっています。➡ 222 00:23:54,633 --> 00:23:59,305 イギリスの綿製品が インドに流れ込むようになって以来➡ 223 00:23:59,305 --> 00:24:02,908 人々は糸車をしまい込みました。➡ 224 00:24:02,908 --> 00:24:07,780 それが インドから 繁栄を奪い去ったのです。➡ 225 00:24:07,780 --> 00:24:11,250 糸車は インド人の暮らしにとって➡ 226 00:24:11,250 --> 00:24:16,588 空気や水と同様に 欠かせないものだったはずです。➡ 227 00:24:16,588 --> 00:24:20,259 どうぞ ホコリをかぶった糸車を 取り出して➡ 228 00:24:20,259 --> 00:24:23,162 インドの糸を紡いで下さい。➡ 229 00:24:23,162 --> 00:24:30,169 イスラム教徒も ヒンズー教徒も みんなで糸を紡いで下さい」。 230 00:24:31,870 --> 00:24:36,809 インドの人々は イギリスへの抵抗の気持ちを込めて➡ 231 00:24:36,809 --> 00:24:41,647 一斉に糸を紡ぎ始めました。 232 00:24:41,647 --> 00:24:47,486 ガンジーが独立運動のシンボルとして 作った インドの国旗。 233 00:24:47,486 --> 00:24:52,958 3つの色は ヒンズー イスラム そして そのほかの宗教を示し➡ 234 00:24:52,958 --> 00:24:57,262 その中央に 糸車が描かれました。 235 00:25:04,903 --> 00:25:12,578 運動は 全てのイギリス製品の ボイコット運動に発展しました。 236 00:25:12,578 --> 00:25:22,888 ♬~ 237 00:25:31,930 --> 00:25:38,604 ガンジーは 1930年 新たな運動を始めました。 238 00:25:38,604 --> 00:25:42,274 386キロに及ぶ行進。 239 00:25:42,274 --> 00:25:45,177 78人で始まった この行進は➡ 240 00:25:45,177 --> 00:25:49,148 やがて 数千人に膨らんでいきました。 241 00:25:49,148 --> 00:25:53,152 これが 塩の行進です。 242 00:25:56,822 --> 00:26:02,561 イギリスへの抗議行動として 海から塩を採る人々。 243 00:26:02,561 --> 00:26:06,432 当時 イギリスは塩の専売制を敷き➡ 244 00:26:06,432 --> 00:26:11,904 インド人が塩を作る事を 禁止していたのです。 245 00:26:11,904 --> 00:26:20,212 ガンジーは この塩を 糸車に続く 非暴力闘争のシンボルとしました。 246 00:26:21,914 --> 00:26:25,584 警官に追い立てられる インドの群衆。 247 00:26:25,584 --> 00:26:31,590 しかし 盛り上がった運動を 鎮める事はできません。 248 00:26:34,259 --> 00:26:38,597 イギリスは 運動を停止する事を条件に➡ 249 00:26:38,597 --> 00:26:43,469 ロンドンで インドの要求についての 会議を開く事を発表。 250 00:26:43,469 --> 00:26:49,174 その席に ガンジーを招く事を約束しました。 251 00:26:51,610 --> 00:26:56,782 イギリスへ旅立つ直前 アメリカのニュース映画社が➡ 252 00:26:56,782 --> 00:27:02,588 初めて ガンジーの独占インタビューを 撮影しています。 253 00:27:43,595 --> 00:27:52,304 1931年8月。 ガンジーが イギリスへ旅立つ時の映像です。 254 00:27:53,939 --> 00:28:02,548 どこまで イギリスに独立を迫れるのか 世界が注目していました。 255 00:28:02,548 --> 00:28:06,418 ガンジーは イギリスへ向かう 船の上でも➡ 256 00:28:06,418 --> 00:28:11,723 毎日 欠かさず 糸を紡ぎ続けました。 257 00:28:20,566 --> 00:28:25,904 1925年の北京です。 258 00:28:25,904 --> 00:28:31,209 この年 革命の父 孫文が亡くなりました。 259 00:28:34,613 --> 00:28:38,083 孫文は 倒れる直前まで➡ 260 00:28:38,083 --> 00:28:40,986 中国の実力者が一堂に会する➡ 261 00:28:40,986 --> 00:28:46,592 国民会議の開催を訴えていました。 262 00:28:46,592 --> 00:28:50,929 これは 北京に向かう 孫文夫妻です。 263 00:28:50,929 --> 00:28:56,935 孫文が ガンに倒れたのは この直後の事でした。 264 00:28:59,605 --> 00:29:05,877 志半ばにして 59歳で この世を去った孫文。 265 00:29:05,877 --> 00:29:11,216 孫文が 後の指導者に託した 遺言です。 266 00:29:11,216 --> 00:29:15,887 「力を国民革命に致す事 およそ40年。➡ 267 00:29:15,887 --> 00:29:21,226 その目的は 中国の自由 平等を求むるにあり。➡ 268 00:29:21,226 --> 00:29:25,097 40年の経験を積みて 深く知る。➡ 269 00:29:25,097 --> 00:29:28,100 この目的に到達せんと欲すれば➡ 270 00:29:28,100 --> 00:29:34,573 必ず すべからく民衆を喚起し 共同奮闘すべき事。➡ 271 00:29:34,573 --> 00:29:38,910 現在 革命なお いまだ成らず。➡ 272 00:29:38,910 --> 00:29:42,581 およそ我が同志は 三民主義を全うし➡ 273 00:29:42,581 --> 00:29:49,287 継続して努力に努め もって貫徹を求めよ」。 274 00:29:53,592 --> 00:30:01,466 孫文の死によって 中国の運動は 新たな局面を迎えました。 275 00:30:01,466 --> 00:30:05,203 共産党の指導で始まったストライキが➡ 276 00:30:05,203 --> 00:30:10,208 やがて 外国人を追い出す運動へと 発展しました。 277 00:30:11,943 --> 00:30:20,285 これは 租界地の返還を求めて イギリス領事館に押し寄せる民衆です。 278 00:30:20,285 --> 00:30:31,296 ♬~ 279 00:30:31,296 --> 00:30:35,967 孫文の国民党を受け継いだ… 280 00:30:35,967 --> 00:30:40,439 彼の目には 急速に力をつけた共産党が➡ 281 00:30:40,439 --> 00:30:46,978 自らの権力を脅かす存在に 映っていました。 282 00:30:46,978 --> 00:30:50,649 共産党員の一斉検挙。 283 00:30:50,649 --> 00:30:56,354 蔣介石は 共産党のせん滅を指令しました。 284 00:31:09,401 --> 00:31:18,210 1927年4月。 国民党による 共産党員の処刑です。 285 00:31:19,945 --> 00:31:24,616 孫文が一つに束ねたはずの 革命運動。 286 00:31:24,616 --> 00:31:30,922 しかし この時 国民党と共産党が決裂しました。 287 00:31:33,625 --> 00:31:38,964 国民党は 中国各地へと逃亡する 共産党員を➡ 288 00:31:38,964 --> 00:31:43,301 執ように追い続けました。 289 00:31:43,301 --> 00:31:57,015 ♬~ 290 00:31:58,650 --> 00:32:02,521 1931年9月。 291 00:32:02,521 --> 00:32:09,828 ロンドンでの会議に招かれたガンジーは 熱烈な歓迎を受けていました。 292 00:32:12,197 --> 00:32:15,767 窓から身を乗り出して 手を振っているのは➡ 293 00:32:15,767 --> 00:32:18,270 喜劇王 チャップリンです。 294 00:32:18,270 --> 00:32:20,772 ガンジーと会見したチャップリンは➡ 295 00:32:20,772 --> 00:32:23,809 彼の揺るぎない信念に 圧倒されたと➡ 296 00:32:23,809 --> 00:32:27,813 後に回想しています。 297 00:32:31,950 --> 00:32:35,787 時のイギリス首相… 298 00:32:35,787 --> 00:32:42,561 彼は ガンジーに対抗する秘策を 用意していました。 299 00:32:42,561 --> 00:32:45,964 イギリスは ガンジーのほかに➡ 300 00:32:45,964 --> 00:32:53,672 インドの少数宗派を含め 87人もの 代表者を招待していたのです。 301 00:32:55,307 --> 00:33:03,615 ガンジーは 会議では 87分の1の 存在にすぎませんでした。 302 00:33:07,252 --> 00:33:11,256 会議が行われた… 303 00:33:11,256 --> 00:33:17,762 しかし 会議を撮影した映像は ありません。 304 00:33:19,764 --> 00:33:26,271 これは 会議後に撮影された マクドナルド首相の演説です。 305 00:33:26,271 --> 00:33:32,277 それは ガンジーに対する 事実上の勝利宣言でした。 306 00:33:59,971 --> 00:34:06,244 会議の席上 あくまで 完全自治を訴えたガンジーは孤立し➡ 307 00:34:06,244 --> 00:34:10,949 全く相手にされませんでした。 308 00:34:12,584 --> 00:34:20,926 更に イギリスは インド総督に 帰国後の ガンジーを逮捕するよう命じました。 309 00:34:20,926 --> 00:34:29,234 罪状は 不当に国民をあおりたて 反乱を起こした罪でした。 310 00:34:36,942 --> 00:34:42,280 ガンジーは この後 政治の一線から姿を消し➡ 311 00:34:42,280 --> 00:34:44,950 再び政治の舞台に現れるのは➡ 312 00:34:44,950 --> 00:34:51,957 第二次大戦中 インドに独立の機会が訪れた時です。 313 00:34:58,964 --> 00:35:03,802 1935年4月。 314 00:35:03,802 --> 00:35:09,574 満州国皇帝 溥儀が 日本を訪れた時の映像です。 315 00:35:09,574 --> 00:35:14,379 昭和天皇自らが 東京駅に出迎えました。 316 00:35:20,919 --> 00:35:23,588 1930年代は➡ 317 00:35:23,588 --> 00:35:25,624 日本が大陸への勢力を➡ 318 00:35:25,624 --> 00:35:29,427 拡大していった時代でした。 319 00:35:32,931 --> 00:35:36,267 この時代 多くの日本人が➡ 320 00:35:36,267 --> 00:35:39,270 満州へと移り住みました。 321 00:35:39,270 --> 00:35:43,575 当時の満州 奉天です。 322 00:35:45,410 --> 00:35:49,614 日本人を乗せた人力車が 入っていく門には➡ 323 00:35:49,614 --> 00:35:54,919 「日本亭」「カフェー 彼ノ女」と 書かれています。 324 00:35:59,624 --> 00:36:07,232 日本と変わらない祭りの風景。 これらの映像は 1930年代➡ 325 00:36:07,232 --> 00:36:12,937 日本人によって撮影された 大連です。 326 00:36:19,377 --> 00:36:23,081 満州の映画スター 李香蘭。 327 00:36:23,081 --> 00:36:29,587 彼女が銀幕の世界に登場するのも この時代の事でした。 328 00:36:31,790 --> 00:36:37,262 南満州鉄道。 この鉄道の建設に➡ 329 00:36:37,262 --> 00:36:43,134 朝鮮半島や中国から 多くの人々が 労働者として駆り出されました。 330 00:36:43,134 --> 00:36:46,604 この時代は 軍部が暴走し➡ 331 00:36:46,604 --> 00:36:52,310 日本が 世界から孤立していく 時代でもありました。 332 00:36:53,945 --> 00:37:00,118 「満蒙は 我が国の発展のためには 最も重要な戦略拠点であり➡ 333 00:37:00,118 --> 00:37:04,556 それを確保する事は アジアの平和につながる。➡ 334 00:37:04,556 --> 00:37:08,893 満蒙の農業生産は 我が国の食糧問題を解決し➡ 335 00:37:08,893 --> 00:37:14,566 鉄 石炭などの資源は 我が国の重工業の基礎を固める。➡ 336 00:37:14,566 --> 00:37:19,237 満蒙を我が領土とする以外に 道はない。➡ 337 00:37:19,237 --> 00:37:24,242 それは 正義なのである」。 338 00:37:43,261 --> 00:37:47,599 黄土大地が広がる中国の延安。 339 00:37:47,599 --> 00:37:50,935 蔣介石の攻撃から逃れた 共産党は➡ 340 00:37:50,935 --> 00:37:55,240 この地に 根拠地を 構えようとしていました。 341 00:37:56,808 --> 00:38:02,514 その頂点にいたのが 毛沢東でした。 342 00:38:07,886 --> 00:38:11,556 1930年代の後半。 343 00:38:11,556 --> 00:38:17,896 毛沢東は 共産党の指導者としての 不動の地位を築いていました。 344 00:38:17,896 --> 00:38:24,202 彼が映像に登場するのは この延安時代からです。 345 00:38:28,239 --> 00:38:32,076 これは 当時の延安の様子です。 346 00:38:32,076 --> 00:38:37,248 共産党は この地で 自給自足の生活をしていました。 347 00:38:37,248 --> 00:38:43,955 毛沢東は この時 既に 独自の 革命理論を展開していたのです。 348 00:38:45,590 --> 00:38:51,930 「革命とは 客を招いて ごちそうする事でもなければ➡ 349 00:38:51,930 --> 00:38:58,803 文章を練ったり 絵を描いたり 刺繍をしたりする事でもない。➡ 350 00:38:58,803 --> 00:39:05,577 そんな お上品で おっとりとした みやびやかなものではない。➡ 351 00:39:05,577 --> 00:39:08,413 革命とは暴力である。➡ 352 00:39:08,413 --> 00:39:16,421 一つの階級が 他の階級を打ち倒す 激烈な行動なのである」。 353 00:39:20,892 --> 00:39:25,763 毛沢東の隣に座っている女性は 江青です。 354 00:39:25,763 --> 00:39:28,633 上海の映画女優だった 彼女は➡ 355 00:39:28,633 --> 00:39:33,137 延安で毛沢東の妻と なりました。 356 00:39:37,442 --> 00:39:45,149 これは 1937年 第二次上海事変の映像です。 357 00:39:47,919 --> 00:39:50,388 この2か月後➡ 358 00:39:50,388 --> 00:39:55,760 毛沢東は 敵対していた蔣介石と 抗日統一戦線を組み➡ 359 00:39:55,760 --> 00:39:59,097 日本に対抗しました。 360 00:39:59,097 --> 00:40:01,933 毛沢東は この翌年➡ 361 00:40:01,933 --> 00:40:06,738 日中戦争についての論文を 発表しました。 362 00:40:08,406 --> 00:40:13,244 「日本は今 世界有数の強国であり➡ 363 00:40:13,244 --> 00:40:17,949 その軍事力は 我が国よりも はるかに勝っている。➡ 364 00:40:17,949 --> 00:40:23,288 しかし 中国にあって 日本にはないものがある。➡ 365 00:40:23,288 --> 00:40:28,960 長期戦に備えられるだけの 広大な国土と ばく大な人口。➡ 366 00:40:28,960 --> 00:40:31,296 そして 正義である。➡ 367 00:40:31,296 --> 00:40:36,167 従って この戦争は 3つの段階をたどる。➡ 368 00:40:36,167 --> 00:40:38,970 第1段階。➡ 369 00:40:38,970 --> 00:40:45,843 日本は 奥地まで攻め入ってくるが 経済的に行き詰まるだろう。➡ 370 00:40:45,843 --> 00:40:52,517 第2段階。 日本は 傀儡政権を作って対抗するが➡ 371 00:40:52,517 --> 00:40:57,655 我が方のゲリラ戦によって 消耗するであろう。➡ 372 00:40:57,655 --> 00:41:01,259 そして 第3段階。➡ 373 00:41:01,259 --> 00:41:07,131 十分に力を蓄えた我が方は 日本を追い出し➡ 374 00:41:07,131 --> 00:41:12,437 戦争は終わるであろう」。 375 00:41:14,772 --> 00:41:24,482 日中戦争が長引く中 1941年12月 太平洋戦争が始まりました。 376 00:41:24,482 --> 00:41:28,619 この映像は 1944年➡ 377 00:41:28,619 --> 00:41:33,925 アメリカの視察団が 延安を訪れた時の映像です。 378 00:41:35,493 --> 00:41:43,801 毛沢東のねらいは アメリカからの 武器援助を取り付ける事でした。 379 00:41:45,803 --> 00:41:51,442 アメリカにとってもまた 徐々に力を蓄えていた毛沢東は➡ 380 00:41:51,442 --> 00:41:56,247 無視できない存在と なっていました。 381 00:42:00,585 --> 00:42:04,922 日本への本土空襲が 始まっていた時期➡ 382 00:42:04,922 --> 00:42:11,929 毛沢東は着々と 共産党の基盤を固めていたのです。 383 00:42:20,271 --> 00:42:24,609 一方 日本は 太平洋戦争が始まると➡ 384 00:42:24,609 --> 00:42:30,815 東南アジアの各国を 次々と占領していきました。 385 00:42:33,317 --> 00:42:39,624 これは 1943年 日本が作った国策映画です。 386 00:42:39,624 --> 00:42:42,293 時の首相 東条英機が➡ 387 00:42:42,293 --> 00:42:46,631 インドネシアのジャカルタを 訪問した時の映像です。 388 00:42:46,631 --> 00:42:54,505 日本は 支配国 オランダを追い出した 正義の国として描かれています。 389 00:42:54,505 --> 00:42:59,143 天皇陛下 万歳! (一同)万歳! 390 00:42:59,143 --> 00:43:06,951 万歳三唱をする この人物 インドネシアの指導者 スカルノです。 391 00:43:08,586 --> 00:43:14,926 スカルノは 後に回想録で 次のように語っています。 392 00:43:14,926 --> 00:43:19,597 「私は 日本を利用できると 考えていた。➡ 393 00:43:19,597 --> 00:43:23,935 黙っていても ボロをまとっていた 我々 インドネシア人が➡ 394 00:43:23,935 --> 00:43:30,274 日本軍のおかげで 勇敢な兵士に 変えてもらえるからだ。➡ 395 00:43:30,274 --> 00:43:32,944 いかに敵を待ち伏せるか。➡ 396 00:43:32,944 --> 00:43:35,780 いかに這った姿勢で 銃を撃つか。➡ 397 00:43:35,780 --> 00:43:42,653 ガソリンを満たした ヤシの殻から どうやって手榴弾を作るか。➡ 398 00:43:42,653 --> 00:43:48,459 全て 日本軍が教えてくれるのだ」。 399 00:43:53,297 --> 00:43:56,100 これも 戦争末期➡ 400 00:43:56,100 --> 00:44:00,805 日本によって作られた 国策映画です。 401 00:44:02,940 --> 00:44:05,376 訓練を受けているのは➡ 402 00:44:05,376 --> 00:44:10,081 朝鮮半島から徴用された 若者たちです。 403 00:44:11,749 --> 00:44:17,922 彼らの多くが 激戦地となった 中国大陸や太平洋諸島へと➡ 404 00:44:17,922 --> 00:44:21,225 送り込まれました。 405 00:44:26,597 --> 00:44:30,902 中国国境に近い山岳地帯です。 406 00:44:32,470 --> 00:44:35,773 この険しい山の洞窟から➡ 407 00:44:35,773 --> 00:44:40,578 日本軍の動きを見つめる 人物がいました。 408 00:44:42,647 --> 00:44:49,954 1941年 ホー・チ・ミンは 長い海外での潜伏活動を終え➡ 409 00:44:49,954 --> 00:44:55,960 30年ぶりに 祖国 ベトナムに戻ってきました。 410 00:45:00,231 --> 00:45:06,938 中国で学んだ太極拳を 若者たちに教える… 411 00:45:08,573 --> 00:45:12,243 太平洋戦争の間 ホー・チ・ミンは➡ 412 00:45:12,243 --> 00:45:15,246 祖国の現状に不満を持つ 若者たちと➡ 413 00:45:15,246 --> 00:45:20,051 このジャングルで 共同生活をしていました。 414 00:45:21,919 --> 00:45:23,955 これらの映像の多くは➡ 415 00:45:23,955 --> 00:45:28,759 ソ連のカメラマンによって 撮影されたものです。 416 00:45:34,265 --> 00:45:39,136 ホー・チ・ミンは 地下活動で学んだ ゲリラ戦術などを➡ 417 00:45:39,136 --> 00:45:43,441 若い兵士たちに教えていました。 418 00:45:49,413 --> 00:45:53,117 ホー・チ・ミンが ベトナム独立同盟➡ 419 00:45:53,117 --> 00:45:58,623 いわゆる ベトミンを結成したのは この時期の事でした。 420 00:45:58,623 --> 00:46:01,058 こうして ホー・チ・ミンは➡ 421 00:46:01,058 --> 00:46:06,264 ひそかに 独立の機会を 待ち続けていたのです。 422 00:46:07,832 --> 00:46:14,905 「フランスは卑怯にも 我々の祖国を日本に引き渡した。➡ 423 00:46:14,905 --> 00:46:20,077 我が人民は これまで フランスという 海賊に水牛のように仕え➡ 424 00:46:20,077 --> 00:46:24,582 今度は 日本という海賊の 奴隷になった。➡ 425 00:46:24,582 --> 00:46:30,454 ベトナムの2,000万の人民は このような事に我慢できない。➡ 426 00:46:30,454 --> 00:46:35,593 革命の闘士よ 蜂起の旗を高く掲げよ。➡ 427 00:46:35,593 --> 00:46:40,898 祖国の聖なる呼びかけが 今 響き渡る」。 428 00:46:42,466 --> 00:46:46,270 (玉音放送)「苦難は固より 尋常にあらず。➡ 429 00:46:46,270 --> 00:46:51,776 爾臣民の衷情も 朕善く之を知る。➡ 430 00:46:51,776 --> 00:46:58,649 然れども 朕は時運の趨く所 堪え難きを堪え…」。 431 00:46:58,649 --> 00:47:07,558 1945年8月。 第二次世界大戦が終結しました。 432 00:47:07,558 --> 00:47:14,732 (玉音放送)「国体を護持し得て 忠良なる爾臣民の…」。 433 00:47:14,732 --> 00:47:20,905 終戦後 中国で裁判にかけられた 日本軍の将校です。 434 00:47:20,905 --> 00:47:28,612 これは 彼らが中国民衆の目前で 銃殺された時の映像です。 435 00:47:34,251 --> 00:47:40,124 アジアには 連合軍が 次々と進駐してきました。 436 00:47:40,124 --> 00:47:45,429 かつて アジアを植民地とした 欧米列強の軍隊です。 437 00:47:52,603 --> 00:47:58,476 終戦直後 ベトナムのホー・チ・ミンは 独立宣言をします。 438 00:47:58,476 --> 00:48:02,713 しかし かつての支配国 フランスが上陸。 439 00:48:02,713 --> 00:48:07,218 ホー・チ・ミンは 再び苦境に立たされました。 440 00:48:09,887 --> 00:48:17,628 インドの独立闘争は 最も過激なものとなっていました。 441 00:48:17,628 --> 00:48:21,232 この運動の先頭に 立っていたのが➡ 442 00:48:21,232 --> 00:48:26,570 ガンジーに代わって ヒンズー教徒の指導者に成長した… 443 00:48:26,570 --> 00:48:33,878 しかし ネルーの前には インドの 宿命的な問題が噴出しました。 444 00:48:36,580 --> 00:48:40,251 イスラム教徒の指導者 ジンナー。 445 00:48:40,251 --> 00:48:43,087 ジンナーは ヒンズー教徒によって➡ 446 00:48:43,087 --> 00:48:47,258 インドが乗っ取られようとしていると 激しく反発。 447 00:48:47,258 --> 00:48:52,563 イスラム教徒独自の国家創設を 訴えました。 448 00:49:00,538 --> 00:49:05,342 中国では 戦後の覇権を 一体 誰が握るのか➡ 449 00:49:05,342 --> 00:49:08,846 世界が注目していました。 450 00:49:12,116 --> 00:49:15,553 国民党総裁 蔣介石。 451 00:49:15,553 --> 00:49:20,558 8年ぶりに 上海に戻ってきた時の映像です。 452 00:49:22,226 --> 00:49:27,097 蔣介石は この時 連合国首脳から➡ 453 00:49:27,097 --> 00:49:32,236 中国の指導者として 唯一 認められていた人物でした。 454 00:49:32,236 --> 00:49:38,375 これに対し 延安にいた毛沢東は 猛然と反発しました。 455 00:49:38,375 --> 00:49:41,745 「蔣介石は 戦争の間➡ 456 00:49:41,745 --> 00:49:46,584 山の中に引きこもって 何一つ してこなかったというのに➡ 457 00:49:46,584 --> 00:49:49,920 今になって英雄を気取っている。➡ 458 00:49:49,920 --> 00:49:53,791 彼は今 勝利者という甘い果実を➡ 459 00:49:53,791 --> 00:49:58,796 独り占めにしようと しているのだ」。 460 00:50:03,467 --> 00:50:10,774 1946年 共産党と国民党の間に 内戦が勃発。 461 00:50:12,610 --> 00:50:19,917 大戦が終わっても 中国では戦火が続く事になります。 462 00:50:40,638 --> 00:50:45,309 1946年 フランス。 463 00:50:45,309 --> 00:50:49,647 祖国 ベトナムの命運を担った ホー・チ・ミンが➡ 464 00:50:49,647 --> 00:50:54,351 独立交渉のために パリに降り立ちました。 465 00:50:57,521 --> 00:51:02,593 これは ホー・チ・ミンが フランスの市民に行った演説です。 466 00:51:02,593 --> 00:51:06,897 流暢なフランス語で話しています。 467 00:51:23,614 --> 00:51:27,117 しかし フランスにとって ホー・チ・ミンは➡ 468 00:51:27,117 --> 00:51:32,923 しょせん 植民地の代表に すぎませんでした。 469 00:51:32,923 --> 00:51:34,992 この時 パリでは➡ 470 00:51:34,992 --> 00:51:40,130 ヨーロッパの戦後処理を巡る 平和会議が開かれていました。 471 00:51:40,130 --> 00:51:48,339 それは フランスにとって 国益を 大きく左右する重要な会議でした。 472 00:51:52,309 --> 00:51:59,183 ホー・チ・ミンは 会議の間 ヨーロッパ各地の 名所を案内されるばかりでした。 473 00:51:59,183 --> 00:52:03,887 これらの映像は その時のホー・チ・ミンです。 474 00:52:08,592 --> 00:52:11,495 独立交渉が始まるまで➡ 475 00:52:11,495 --> 00:52:17,201 ホー・チ・ミンは 1か月間 待たなければならなかったのです。 476 00:52:21,772 --> 00:52:27,578 独立交渉が行われた パリ郊外のフォンテンブロー城。 477 00:52:27,578 --> 00:52:29,513 ホー・チ・ミンは協定書に➡ 478 00:52:29,513 --> 00:52:33,951 独立の2文字を入れる事を 強く主張しました。 479 00:52:33,951 --> 00:52:37,621 しかし フランスは これを拒否。 480 00:52:37,621 --> 00:52:42,626 交渉は 決裂に終わりました。 481 00:52:45,295 --> 00:52:51,635 パリを離れ ベトナムに帰る時のホー・チ・ミンです。 482 00:52:51,635 --> 00:52:54,138 パリでの3か月➡ 483 00:52:54,138 --> 00:53:00,344 何ら具体的な成果もなく 帰国の途につきました。 484 00:53:05,783 --> 00:53:09,586 ホー・チ・ミンが帰国して2か月後➡ 485 00:53:09,586 --> 00:53:14,925 フランスとベトナムの全面戦争が 始まりました。 486 00:53:14,925 --> 00:53:21,932 物量に勝るフランス軍。 ベトミンとの力の差は歴然でした。 487 00:53:23,600 --> 00:53:29,940 これは フランス軍が ベトナムの首都 ハノイに入った時の映像です。 488 00:53:29,940 --> 00:53:35,245 次々に ベトナムが制圧下に置かれました。 489 00:53:38,949 --> 00:53:46,290 ハノイを離れ 再び ジャングルに身を隠す ホー・チ・ミンです。 490 00:53:46,290 --> 00:53:50,627 当時のベトミン兵士は 戦闘経験のない➡ 491 00:53:50,627 --> 00:53:54,631 文字どおり はだしの軍隊でした。 492 00:53:58,302 --> 00:54:02,172 ホー・チ・ミンには ゲリラ戦以外に➡ 493 00:54:02,172 --> 00:54:06,477 抵抗の道は 残されていませんでした。 494 00:54:11,849 --> 00:54:14,251 「ゲリラ戦とは➡ 495 00:54:14,251 --> 00:54:18,589 まず 敵を精神的に 追い詰める事から始まる。➡ 496 00:54:18,589 --> 00:54:24,394 平穏に食事をする事も そして 眠る事もできないように➡ 497 00:54:24,394 --> 00:54:28,098 昼夜を問わず 攻撃を仕掛けるのだ。➡ 498 00:54:28,098 --> 00:54:31,135 敵に休息を与えてはならない。➡ 499 00:54:31,135 --> 00:54:35,272 どこにいても地雷を踏み 狙い撃ちされる。➡ 500 00:54:35,272 --> 00:54:38,609 そんな恐怖感を 敵に植え付けるのだ。➡ 501 00:54:38,609 --> 00:54:44,114 そうすれば 敵は やがて疲れ果て 最後には死滅する。➡ 502 00:54:44,114 --> 00:54:47,951 インドシナに送り込まれてくる フランスの兵士は➡ 503 00:54:47,951 --> 00:54:54,124 やがて 本国の家族に宛てる手紙に こう書くようになるだろう。➡ 504 00:54:54,124 --> 00:54:59,429 ベトナムでは ありとあらゆる洞窟 ありとあらゆる茂み➡ 505 00:54:59,429 --> 00:55:01,431 ありとあらゆる沼地➡ 506 00:55:01,431 --> 00:55:06,136 どこにいても 死が待ち受けていると」。 507 00:55:07,905 --> 00:55:12,743 ベトナムへと向かうフランス軍です。 508 00:55:12,743 --> 00:55:20,450 およそ20万人もの若い兵士が 次々に戦場に送り込まれました。 509 00:55:22,085 --> 00:55:24,121 ちょうど そのころ➡ 510 00:55:24,121 --> 00:55:27,891 多くのアジア諸国が 独立を果たしていました。 511 00:55:27,891 --> 00:55:30,594 これは インドネシアのスカルノが➡ 512 00:55:30,594 --> 00:55:35,933 初代大統領に 就任した時の映像です。 513 00:55:35,933 --> 00:55:39,269 しかし アジア諸国の多くは➡ 514 00:55:39,269 --> 00:55:44,141 大国の後ろ盾に支えられての 独立でした。 515 00:55:44,141 --> 00:56:02,893 ♬~ 516 00:56:02,893 --> 00:56:10,601 ♬~ 517 00:56:34,825 --> 00:56:39,096 1947年 インドでは➡ 518 00:56:39,096 --> 00:56:45,302 ヒンズー教徒とイスラム教徒の間で 激しい暴動が起こっていました。 519 00:56:49,273 --> 00:56:53,944 暴動を鎮圧するために出動した イギリス軍です。 520 00:56:53,944 --> 00:56:57,814 しかし インド各地に 次々と飛び火する暴動を➡ 521 00:56:57,814 --> 00:57:02,052 食い止める事はできませんでした。 522 00:57:02,052 --> 00:57:05,722 イギリスにとって インドの混乱は➡ 523 00:57:05,722 --> 00:57:10,527 もはや 手に負えないものと なっていたのです。 524 00:57:13,463 --> 00:57:20,570 イギリスは ついに インドからの撤退を決意しました。 525 00:57:20,570 --> 00:57:28,278 300年にわたる植民地支配に 終止符が打たれました。 526 00:57:36,753 --> 00:57:39,790 ヒンズー教とイスラム教。 527 00:57:39,790 --> 00:57:46,763 両派の調停役として ガンジーが 再び政界に戻ってきました。 528 00:57:46,763 --> 00:57:53,637 ガンジーは両派の代表者を訪ね 宗教融和を説得して歩いたのです。 529 00:57:53,637 --> 00:58:00,877 これは イスラム教徒の指導者 ジンナーを訪れた時のガンジーです。 530 00:58:00,877 --> 00:58:09,219 「宗教は人と神 また 人と人を結び付けるものです。➡ 531 00:58:09,219 --> 00:58:14,091 ヒンズーとイスラムの問題は 損得の問題ではありません。➡ 532 00:58:14,091 --> 00:58:17,561 愛と信頼の問題なのです。➡ 533 00:58:17,561 --> 00:58:21,898 ヒンズーとイスラムが インドの2つの目であるなら➡ 534 00:58:21,898 --> 00:58:25,736 争いや もめ事は 起きないはずです。➡ 535 00:58:25,736 --> 00:58:28,372 片方の目が もう一方の目より➡ 536 00:58:28,372 --> 00:58:32,242 優れているなどとは 言えないでしょう。➡ 537 00:58:32,242 --> 00:58:39,116 どうして 人が 宗教の名において 戦う必要がありましょうか」。 538 00:58:39,116 --> 00:58:46,623 ガンジーの説得にもかかわらず インドは 分離独立の道を選びました。 539 00:58:48,392 --> 00:58:58,201 1947年8月。 イスラム教徒は ジンナーを 首班とするパキスタンを建国しました。 540 00:59:02,706 --> 00:59:05,208 これは その翌日➡ 541 00:59:05,208 --> 00:59:10,080 ネルーが インドの首相の座に 就いた時の映像です。 542 00:59:10,080 --> 00:59:15,852 独立を祝うデリーに ガンジーの姿はありませんでした。 543 00:59:15,852 --> 00:59:18,722 ネルーは 分離独立について➡ 544 00:59:18,722 --> 00:59:22,893 イギリスの高官に 次のように語っています。 545 00:59:22,893 --> 00:59:28,565 「ガンジーは あくまで インドを 引き裂いてはならないという。➡ 546 00:59:28,565 --> 00:59:33,437 しかし イスラム教徒は 我々が どんな妥協を示しても➡ 547 00:59:33,437 --> 00:59:38,909 自分たちの国家をつくるといって その立場を譲らない。➡ 548 00:59:38,909 --> 00:59:42,245 インド各地で起きている 血まみれの惨劇は➡ 549 00:59:42,245 --> 00:59:45,248 エスカレートしていくばかりである。➡ 550 00:59:45,248 --> 00:59:48,585 インドは頭痛から解放されるために➡ 551 00:59:48,585 --> 00:59:52,923 あえて 頭を 切り落とさなくてはならない。➡ 552 00:59:52,923 --> 00:59:58,261 もはや ガンジーのような中道の立場は 非現実的である。➡ 553 00:59:58,261 --> 01:00:00,197 残念ではあるが➡ 554 01:00:00,197 --> 01:00:06,503 ガンジーは今 政治の中心から それてしまっている」。 555 01:00:08,271 --> 01:00:13,944 ガンジーは 分離独立後も 暴動が続く地方を巡り➡ 556 01:00:13,944 --> 01:00:19,282 宗教融和を説く旅を 続けていました。 557 01:00:19,282 --> 01:00:26,957 ガンジーにとって インド統一は 捨てきれない悲願だったのです。 558 01:00:26,957 --> 01:00:30,293 しかし ガンジーの前には➡ 559 01:00:30,293 --> 01:00:32,796 一人の力では どうする事もできない➡ 560 01:00:32,796 --> 01:00:36,299 厳しい現実がありました。 561 01:00:37,968 --> 01:00:43,640 これは 分離独立によって生じた 難民の映像です。 562 01:00:43,640 --> 01:00:49,980 ヒンズー教徒は インドへ。 イスラム教徒は パキスタンへ。 563 01:00:49,980 --> 01:00:55,986 難民の数は 1,500万人に上りました。 564 01:00:57,654 --> 01:01:00,924 (銃声) 565 01:01:00,924 --> 01:01:05,595 1948年1月30日。 566 01:01:05,595 --> 01:01:11,601 ガンジーの暗殺を伝えるニュースが 世界に流れました。 567 01:01:31,288 --> 01:01:36,626 ガンジーを暗殺したのは ヒンズー教徒の過激派青年。 568 01:01:36,626 --> 01:01:38,562 彼は 逮捕後も➡ 569 01:01:38,562 --> 01:01:44,067 ガンジーは イスラム教徒の肩を持つ 裏切り者だと主張しました。 570 01:01:45,802 --> 01:01:54,611 1948年1月。 マハトマ ガンジーの葬儀です。 571 01:01:56,513 --> 01:02:00,917 ガンジーは 分離独立が決まった直後➡ 572 01:02:00,917 --> 01:02:05,222 次のように側近に語っています。 573 01:02:09,593 --> 01:02:16,099 「暗闇の中で苦悩しているのは 私だけなのでしょうか。➡ 574 01:02:16,099 --> 01:02:21,972 インドとパキスタンが分離独立すれば 平和が戻ってくると➡ 575 01:02:21,972 --> 01:02:25,408 皆は考えているのでしょう。➡ 576 01:02:25,408 --> 01:02:29,279 私は全く孤立してしまいました。➡ 577 01:02:29,279 --> 01:02:33,116 しかし 何と言われようとも➡ 578 01:02:33,116 --> 01:02:37,954 私は 自分の思ったとおりを 語らなければなりません。➡ 579 01:02:37,954 --> 01:02:41,825 インドの分裂は間違っています。➡ 580 01:02:41,825 --> 01:02:47,297 このような独立の行く末は 闇に包まれる事でしょう。➡ 581 01:02:47,297 --> 01:02:53,003 私には はっきりと見えるのです」。 582 01:03:01,811 --> 01:03:11,921 1949年 中国では共産党と国民党の 宿命の対決の決着がつきました。 583 01:03:11,921 --> 01:03:19,796 これは 毛沢東率いる共産党軍が 北京に入城した時の映像です。 584 01:03:19,796 --> 01:03:25,935 一方 共産党に追われて敗走する 国民党軍の兵士。 585 01:03:25,935 --> 01:03:32,809 敗北を決定的にしたのが アメリカの援助打ち切りでした。 586 01:03:32,809 --> 01:03:39,816 後ろ盾を失った蔣介石は 台湾へと逃亡しました。 587 01:03:42,952 --> 01:03:47,624 これは 上海を脱出する欧米人です。 588 01:03:47,624 --> 01:03:54,331 中国に住みついた欧米人の多くが 祖国へと戻っていきました。 589 01:03:55,965 --> 01:04:01,971 中国から 外国支配の影が消えました。 590 01:04:27,764 --> 01:04:32,936 ベトナムの戦いは 8年目に突入していました。 591 01:04:32,936 --> 01:04:38,108 四方を険しい山に囲まれた盆地 ディエンビエンフーです。 592 01:04:38,108 --> 01:04:43,613 ここが 勝敗を決する舞台となりました。 593 01:04:43,613 --> 01:04:50,954 フランス軍史上最大といわれる ディエンビエンフーの空輸作戦です。 594 01:04:50,954 --> 01:04:55,291 フランスは この地に大要塞を築き➡ 595 01:04:55,291 --> 01:05:00,296 一気に ベトミンを壊滅させる事を ねらっていました。 596 01:05:03,900 --> 01:05:08,571 これに対し 山頂に持ち上げられる大砲。 597 01:05:08,571 --> 01:05:13,877 これが フランスに挑む ベトミンの作戦でした。 598 01:05:18,248 --> 01:05:24,954 ベトミンは 中国から 大量の武器援助を受けていました。 599 01:05:26,923 --> 01:05:32,929 フランス軍には想像だにできない 人海戦術でした。 600 01:05:35,598 --> 01:05:39,469 昼夜を問わず続けられた 作業によって➡ 601 01:05:39,469 --> 01:05:43,773 ベトミンの攻撃態勢が整いました。 602 01:05:46,943 --> 01:05:52,749 この時 フランスの要塞を 熱心に視察する人物がいました。 603 01:05:52,749 --> 01:05:56,419 当時 アメリカの副大統領だったニクソン。 604 01:05:56,419 --> 01:06:00,290 アメリカは アジアの共産化に 脅威を感じ➡ 605 01:06:00,290 --> 01:06:03,560 フランスへの全面支援を約束。 606 01:06:03,560 --> 01:06:10,266 フランスは 1年半で ベトミンを 全滅させる事を宣言しました。 607 01:06:14,571 --> 01:06:22,445 ホー・チ・ミンが 攻撃命令を発したのは 1954年3月の事でした。 608 01:06:22,445 --> 01:06:34,257 ♬~ 609 01:06:34,257 --> 01:06:40,930 思いも寄らぬ山頂からの攻撃に フランス軍は 防戦一方となりました。 610 01:06:40,930 --> 01:06:45,935 要塞を守っていた フランス軍兵士の証言です。 611 01:06:49,606 --> 01:06:53,109 「戦いは まさに悪夢だった。➡ 612 01:06:53,109 --> 01:06:56,613 腰まで泥水につかった塹壕の中➡ 613 01:06:56,613 --> 01:06:59,415 我々は 今すぐにでも 攻め込んできそうな➡ 614 01:06:59,415 --> 01:07:02,418 ベトミンを待ち受けていた。➡ 615 01:07:02,418 --> 01:07:05,555 彼らは いつも同じやり方だ。➡ 616 01:07:05,555 --> 01:07:10,426 まず 若い兵士が爆弾を抱えたまま 突っ込んでくる。➡ 617 01:07:10,426 --> 01:07:13,296 続いて 手榴弾の嵐の中を➡ 618 01:07:13,296 --> 01:07:17,901 狂気に満ちた兵士たちが ナタを持って襲いかかる。➡ 619 01:07:17,901 --> 01:07:23,706 そして 最後に ベテランの兵士たちが 機関銃を乱射する。➡ 620 01:07:23,706 --> 01:07:27,577 ベトミンの攻撃は絶え間なく続いた。➡ 621 01:07:27,577 --> 01:07:32,916 我々は死を待つ事しか できなかった」。 622 01:07:32,916 --> 01:07:43,927 ♬~ 623 01:07:43,927 --> 01:07:47,597 56日間にわたる死闘。 624 01:07:47,597 --> 01:07:52,902 ベトミンは ついに ディエンビエンフーを攻め落としました。 625 01:07:54,470 --> 01:08:00,209 アジアの植民地が 支配国に正面から挑み勝利した➡ 626 01:08:00,209 --> 01:08:03,713 最初の戦いでした。 627 01:08:10,820 --> 01:08:14,557 ハノイを凱旋するベトミン。 628 01:08:14,557 --> 01:08:21,431 しかし 統一を目前に 新たな敵 アメリカが現れました。 629 01:08:21,431 --> 01:08:25,568 「共産主義勢力 ベトミンが 戦争に勝ち➡ 630 01:08:25,568 --> 01:08:28,905 インドシナが赤く染まるような事になれば➡ 631 01:08:28,905 --> 01:08:32,575 やがて 周辺地域も 共産主義者に 侵略され➡ 632 01:08:32,575 --> 01:08:35,478 真っ赤に染まっていくに 違いない。➡ 633 01:08:35,478 --> 01:08:40,917 ソ連や中国は 東南アジア全域の支配を もくろんでいる。➡ 634 01:08:40,917 --> 01:08:43,586 我々 自由主義陣営は➡ 635 01:08:43,586 --> 01:08:48,257 このような共産主義の横暴を 決して許してはならない。➡ 636 01:08:48,257 --> 01:08:51,160 今 対抗措置をとらなければ➡ 637 01:08:51,160 --> 01:08:55,131 数年後には もっと恐ろしい結果を招く。➡ 638 01:08:55,131 --> 01:08:57,600 平和を勝ち取るために今➡ 639 01:08:57,600 --> 01:09:03,606 アメリカは あえて危険を 冒さなければならないのだ」。 640 01:09:08,544 --> 01:09:13,049 第二次世界大戦の終結から10年。 641 01:09:13,049 --> 01:09:16,352 フランスから独立を勝ち得た ベトナムには➡ 642 01:09:16,352 --> 01:09:21,858 後に アメリカが 介入してくる事になります。 643 01:09:32,368 --> 01:09:37,206 1955年 インドネシアのバンドンに➡ 644 01:09:37,206 --> 01:09:44,113 初めて アジア アフリカ諸国の 指導者たちが一堂に会しました。 645 01:09:44,113 --> 01:09:48,251 既に冷戦の時代に入っていた この時➡ 646 01:09:48,251 --> 01:09:51,754 彼らは 東西陣営のいずれにも 属さない➡ 647 01:09:51,754 --> 01:09:56,592 第三勢力として結集する事を 約束しました。 648 01:09:56,592 --> 01:10:01,764 インドの首相 ネルーが 会議の最終日に行った演説です。 649 01:10:01,764 --> 01:10:05,935 「アジアはもう 受け身ではありません。➡ 650 01:10:05,935 --> 01:10:10,273 黙って 人の言う事を 聞いたりもしません。➡ 651 01:10:10,273 --> 01:10:15,611 今日のアジアは 力強い活気に あふれているのです。➡ 652 01:10:15,611 --> 01:10:19,282 我々は今更 アジアを支配した国に➡ 653 01:10:19,282 --> 01:10:22,952 憎悪の念を抱くつもりは ありません。➡ 654 01:10:22,952 --> 01:10:26,622 これから先は 兄弟として席を並べたい。➡ 655 01:10:26,622 --> 01:10:29,525 そう願っているだけなのです。➡ 656 01:10:29,525 --> 01:10:35,965 今でも 世界が自分の言いなりに なると思っている大国の論理。➡ 657 01:10:35,965 --> 01:10:39,836 アジアは これを断固否定します。➡ 658 01:10:39,836 --> 01:10:45,975 アジアの民は 我々にふさわしい 輝かしい未来を➡ 659 01:10:45,975 --> 01:10:51,647 自らの手で 切り開いて いかなければならないのです」。 660 01:10:51,647 --> 01:11:00,923 ♬~ 661 01:11:00,923 --> 01:11:06,262 大国の論理を拒否した バンドン会議。 662 01:11:06,262 --> 01:11:12,935 しかし その後も アジアは 戦火の絶えない時が続きます。 663 01:11:12,935 --> 01:11:20,643 フランスが去ったベトナムは アメリカとの 泥沼の戦争に巻き込まれました。 664 01:11:23,279 --> 01:11:27,283 ホー・チ・ミンは祖国統一を見ないまま➡ 665 01:11:27,283 --> 01:11:33,089 ベトナム戦争のさなか この世を去りました。 666 01:11:38,127 --> 01:11:45,334 インドは 2度にわたる パキスタンとの全面戦争を行いました。 667 01:11:47,837 --> 01:11:52,441 最後まで宗教融和を説いた ガンジーの夢は➡ 668 01:11:52,441 --> 01:11:58,648 果たされぬまま 宗教対立は 今も続いています。 669 01:12:00,183 --> 01:12:04,754 中国に吹き荒れた 文化大革命。 670 01:12:04,754 --> 01:12:09,592 毛沢東は 終わる事のない権力闘争の中で➡ 671 01:12:09,592 --> 01:12:13,930 その生涯を閉じたのです。 672 01:12:13,930 --> 01:13:53,930 ♬~