1 00:00:02,202 --> 00:00:09,910 ♬~ 2 00:00:18,952 --> 00:00:22,289 明治30年の東京。 3 00:00:22,289 --> 00:00:25,192 日本橋から銀座にかけての 通りではないかと➡ 4 00:00:25,192 --> 00:00:28,629 いわれています。 明治維新で➡ 5 00:00:28,629 --> 00:00:33,967 江戸から 東京と名を変えて およそ30年。 人力車は➡ 6 00:00:33,967 --> 00:00:38,839 舶来の馬車をヒントに 明治の初めに 日本人が発明したもので➡ 7 00:00:38,839 --> 00:00:41,842 当時 流行の乗り物でした。 8 00:00:43,977 --> 00:00:47,848 同じ年の京都。 画面の左端に➡ 9 00:00:47,848 --> 00:00:52,553 四條小橋と書いてあるのが 読み取れます。 10 00:00:55,322 --> 00:01:01,128 当時の歌舞伎俳優 市川左団次です。 11 00:01:01,128 --> 00:01:06,833 ムービーカメラの前に立つのは 初めての事でした。 12 00:01:11,271 --> 00:01:15,142 動く映像は 1895年➡ 13 00:01:15,142 --> 00:01:20,948 フランスのリュミエール兄弟によって 初めて パリで上映されました。 14 00:01:20,948 --> 00:01:26,286 その2年後から 日本は映像に登場します。 15 00:01:26,286 --> 00:01:29,957 そして これらの映像を通して 海外の人々は➡ 16 00:01:29,957 --> 00:01:35,662 遠い東洋の国であった日本を 初めて目にしたのです。 17 00:01:37,831 --> 00:01:40,600 映画が誕生した直後から➡ 18 00:01:40,600 --> 00:01:47,307 日本は 世界各国のカメラマンによって 動く映像に映されてきました。 19 00:01:47,307 --> 00:01:52,980 その映像には 極東の小国と 見られていた明治以来の日本が➡ 20 00:01:52,980 --> 00:01:59,319 世界の舞台に 本格的に登場する姿が 記録されています。 21 00:01:59,319 --> 00:02:01,254 ♬~ 22 00:02:01,254 --> 00:02:07,761 さまざまな風俗 戦争 敗戦 そして 戦後の復興。 23 00:02:07,761 --> 00:02:14,401 「映像の世紀」 最終回の今日は 明治の末から 戦後の復興まで➡ 24 00:02:14,401 --> 00:02:21,174 映像によって海外に伝えられた 日本の姿を描きます。 25 00:02:21,174 --> 00:03:49,463 ♬~ 26 00:03:52,632 --> 00:03:56,970 横浜と並ぶ 日本の玄関 神戸港。 27 00:03:56,970 --> 00:04:03,577 明治34年 アメリカのカメラマンが 船の上から撮影した映像です。 28 00:04:03,577 --> 00:04:08,915 当時 日本は ヨーロッパから 船で1か月余りの旅でした。 29 00:04:08,915 --> 00:04:15,789 東京の新橋駅。 明治の初め イギリス人技術者によって➡ 30 00:04:15,789 --> 00:04:21,261 日本で最初に造られた 鉄道の始発駅です。 31 00:04:21,261 --> 00:04:27,601 東京市内では レールの上を 鉄道馬車が走っていました。 32 00:04:27,601 --> 00:04:32,472 モダンな街として誕生した 銀座煉瓦街です。 33 00:04:32,472 --> 00:04:38,178 ガス灯が並び 歩道が 初めて造られました。 34 00:04:41,948 --> 00:04:45,652 こちらは横浜です。 35 00:04:48,822 --> 00:04:52,425 文学者として 日本を世界に紹介した➡ 36 00:04:52,425 --> 00:04:57,264 イギリス人 ラフカディオ・ハーン 後の小泉八雲は➡ 37 00:04:57,264 --> 00:05:03,570 日本に上陸した その日 横浜の印象を こう記しています。 38 00:05:03,570 --> 00:05:09,442 「何もかもが言いようもなく愉快で 目新しくて たまらない。➡ 39 00:05:09,442 --> 00:05:15,248 はるか極東の この国に 自分は 今 本当にいるのだ。➡ 40 00:05:15,248 --> 00:05:18,919 人力車というやつに乗っている 私の目の前では➡ 41 00:05:18,919 --> 00:05:26,593 車屋のかぶっている笠が ヒョコヒョコと 上下に踊りながら駆けていく。➡ 42 00:05:26,593 --> 00:05:30,931 青い屋根を載せた小さな家並み 青いのれん➡ 43 00:05:30,931 --> 00:05:36,603 青い着物を着て 始終 にこついている小さな人たち。➡ 44 00:05:36,603 --> 00:05:40,273 私を さも 物見高そうに 眺めていく その目には➡ 45 00:05:40,273 --> 00:05:47,280 敵意などは少しもない。 大抵 にこやかに ほほ笑んでいる」。 46 00:05:49,950 --> 00:05:54,120 これは 明治時代に撮影された相撲です。 47 00:05:54,120 --> 00:05:57,958 文明開化の時代 力士の髷姿は➡ 48 00:05:57,958 --> 00:06:03,230 古い時代の遺物とする意見も 出されました。 49 00:06:03,230 --> 00:06:08,568 梅ヶ谷。 明治末期の 相撲の黄金時代を作った➡ 50 00:06:08,568 --> 00:06:12,439 第20代横綱です。 51 00:06:12,439 --> 00:06:17,911 そして こちらが 第19代横綱 常陸山。 52 00:06:17,911 --> 00:06:24,618 常陸山は 水戸藩の武家出身の 力士として知られていました。 53 00:06:29,256 --> 00:06:31,591 子どもたちが遊ぶ ゴムまりは➡ 54 00:06:31,591 --> 00:06:36,296 明治の初め ヨーロッパから入ってきたものです。 55 00:06:39,466 --> 00:06:43,203 このころ あるカナダ人の新聞記者は➡ 56 00:06:43,203 --> 00:06:46,139 200年余りも鎖国を続けた日本が➡ 57 00:06:46,139 --> 00:06:52,879 急速に西洋化した事に 驚きを示しています。 58 00:06:52,879 --> 00:06:58,285 「僅か30年前 この人々は まだ若い武士で➡ 59 00:06:58,285 --> 00:07:02,722 異様な鎧兜姿であった。 そして 家には➡ 60 00:07:02,722 --> 00:07:07,560 夫の帰りを じっと座って待つ しとやかな妻がいた。➡ 61 00:07:07,560 --> 00:07:13,233 しかし 今日では 夫は 商店や会社や工場で➡ 62 00:07:13,233 --> 00:07:18,571 15ペンスの賃金のために 一日10時間も働いている。➡ 63 00:07:18,571 --> 00:07:23,910 妻の中にさえ 工場で 忙しく働いている者もいる。➡ 64 00:07:23,910 --> 00:07:27,580 僅か30年ばかりの間の 素早い変わりようは➡ 65 00:07:27,580 --> 00:07:32,919 まさに奇跡である。 考えれば考えるほど➡ 66 00:07:32,919 --> 00:07:37,223 この奇跡が 偉大なものに思えてくる」。 67 00:07:59,612 --> 00:08:05,885 絵画や映画 パリ万国博などで 日本の文化に触れた欧米では➡ 68 00:08:05,885 --> 00:08:12,559 その新鮮さから 日本への関心が高まりました。 69 00:08:12,559 --> 00:08:18,264 欧米では 日本を題材にした映画が 盛んに作られました。 70 00:08:20,433 --> 00:08:26,573 「ゲイシャ・ガールズ」と題する この映画は アメリカで撮影 上映されたもので➡ 71 00:08:26,573 --> 00:08:30,877 踊っているのは 小柄な白人です。 72 00:08:33,913 --> 00:08:36,816 これは フランスで作られた映画で➡ 73 00:08:36,816 --> 00:08:40,520 手品師が ちょんまげをつけています。 74 00:08:43,590 --> 00:08:50,463 このフランスの映画は 白黒フィルムに 手作業で着色した カラー作品です。 75 00:08:50,463 --> 00:08:52,599 当時 フランスには➡ 76 00:08:52,599 --> 00:08:57,937 日本をテーマにした映画を専門に作る 映画会社まで登場します。 77 00:08:57,937 --> 00:09:02,208 撮影は パリ郊外に作られた セットで行われ➡ 78 00:09:02,208 --> 00:09:07,514 演じているのは パリに住んでいた日本人です。 79 00:09:10,550 --> 00:09:15,889 これは 日露戦争を再現した アメリカの映画です。 80 00:09:15,889 --> 00:09:19,759 明治37年。 日露戦争が勃発すると➡ 81 00:09:19,759 --> 00:09:23,229 欧米では こうした映画が 次々と製作され➡ 82 00:09:23,229 --> 00:09:27,233 記録的なヒットとなりました。 83 00:09:29,102 --> 00:09:31,571 この日露戦争をきっかけに➡ 84 00:09:31,571 --> 00:09:37,877 日本は 世界の表舞台に 登場するようになります。 85 00:09:40,914 --> 00:09:47,253 これは「遼陽の英雄」と題する アメリカの再現映画です。 86 00:09:47,253 --> 00:09:51,591 日本人の青年が徴兵され 神社に お参りをし➡ 87 00:09:51,591 --> 00:09:56,463 日露戦争で活躍する姿を 描いたものです。 88 00:09:56,463 --> 00:09:58,465 この映画は 人気を博し➡ 89 00:09:58,465 --> 00:10:02,469 最も高いランクの値段で 配給されました。 90 00:10:04,604 --> 00:10:09,943 これは 日露戦争の舞台となった 中国東北部 いわゆる 満州で➡ 91 00:10:09,943 --> 00:10:15,615 日本軍に同行した イギリス人が 撮影した 実写フィルムです。 92 00:10:15,615 --> 00:10:22,288 山の向こう側は 極東ロシア艦隊の根拠地 旅順です。 93 00:10:22,288 --> 00:10:27,627 日本とロシアは 満州と朝鮮半島での 権益を巡って戦い➡ 94 00:10:27,627 --> 00:10:33,633 特に 203高地では 大きな犠牲を出しました。 95 00:10:36,302 --> 00:10:41,975 極東の小国 日本と ヨーロッパの大国 ロシアとの戦いに➡ 96 00:10:41,975 --> 00:10:44,878 世界が注目しました。 97 00:10:44,878 --> 00:10:50,984 当時の代表的なイギリスの新聞は こう伝えています。 98 00:10:50,984 --> 00:10:57,323 「日本人は 西洋の学問の成果を 全て集めた。 そして➡ 99 00:10:57,323 --> 00:11:02,595 西洋の成果を応用し 組み合わせて 使いこなしている。➡ 100 00:11:02,595 --> 00:11:06,466 この民族は 我々の育んだ複雑な文明を➡ 101 00:11:06,466 --> 00:11:11,604 僅か1世代余りのうちに 習得したのだ。➡ 102 00:11:11,604 --> 00:11:16,476 ロシア軍は ロシア人最高の武威を 発揮している。➡ 103 00:11:16,476 --> 00:11:22,248 しかし それを攻撃する日本人は もっと偉大と言わざるをえない。➡ 104 00:11:22,248 --> 00:11:29,789 粘り強さ 機転 すばらしい勇気 厳しい状況への知的な対応。➡ 105 00:11:29,789 --> 00:11:33,293 今 世界中が興奮している。➡ 106 00:11:33,293 --> 00:11:38,164 日本人は 誇り高い西洋人と並び立つ 列強である事を➡ 107 00:11:38,164 --> 00:11:41,467 世界に示したのだ」。 108 00:11:43,636 --> 00:11:50,510 明治38年。 旅順の戦いに勝利した 日本軍は 降伏したロシア軍と➡ 109 00:11:50,510 --> 00:11:55,982 旅順北西の水師営で 会談を行いました。 110 00:11:55,982 --> 00:12:01,254 これは 会談を終えた直後の ロシア軍司令官 ステッセル。 111 00:12:01,254 --> 00:12:06,125 そして 日本軍司令官 乃木希典です。 112 00:12:06,125 --> 00:12:12,832 この映像は 日本軍の勝利を 世界に伝えるものとなりました。 113 00:12:19,606 --> 00:12:22,508 陸軍大将 乃木希典は➡ 114 00:12:22,508 --> 00:12:28,815 大国 ロシアを破った名将として 世界に名を知られました。 115 00:12:31,951 --> 00:12:34,287 日本の勝利のニュースは➡ 116 00:12:34,287 --> 00:12:38,625 欧米列強の植民地となっていた アジアに衝撃を与え➡ 117 00:12:38,625 --> 00:12:42,962 民族的自覚を高める きっかけとなりました。 118 00:12:42,962 --> 00:12:49,135 当時 イギリスに留学していた 後のインド初代首相 ネルーは➡ 119 00:12:49,135 --> 00:12:53,439 日露戦争を こう回想しています。 120 00:12:53,439 --> 00:13:00,580 「日本の勝利は 私を熱狂させた。 私は 新しいニュースを見るため➡ 121 00:13:00,580 --> 00:13:05,251 毎日 新聞を待ち焦がれた。 どんなに感激した事か。➡ 122 00:13:05,251 --> 00:13:09,255 どんなに たくさんの アジアの少年少女 そして 大人が➡ 123 00:13:09,255 --> 00:13:12,592 同じ感激を体験した事か。➡ 124 00:13:12,592 --> 00:13:17,463 ヨーロッパの強国 ロシアは アジアの国 日本に敗れた。➡ 125 00:13:17,463 --> 00:13:23,603 だとすれば アジアは ヨーロッパを 打ち破る事ができるはずだ。➡ 126 00:13:23,603 --> 00:13:29,308 アジア人のアジアという声が 沸き起こったのである」。 127 00:13:32,278 --> 00:13:38,151 2年間の戦いの末 日本とロシアは アメリカの仲介で➡ 128 00:13:38,151 --> 00:13:41,788 講和を結ぶ事になりました。 129 00:13:41,788 --> 00:13:47,660 これは アメリカのポーツマスで開かれた 講和会議に出席した➡ 130 00:13:47,660 --> 00:13:51,164 日本全権団です。 131 00:13:53,800 --> 00:13:56,636 日本の勝利のニュースに➡ 132 00:13:56,636 --> 00:14:03,743 時のドイツ皇帝 ウィルヘルム2世は 不安を抱き こう語っています。 133 00:14:03,743 --> 00:14:10,917 「世界に 人類の運命を決する 大きな危機が近づいている。➡ 134 00:14:10,917 --> 00:14:16,255 その第1回の戦争は 我ら白色人種のロシア人と➡ 135 00:14:16,255 --> 00:14:21,127 有色人種 日本人との間で 戦われた。➡ 136 00:14:21,127 --> 00:14:28,401 白色人種は 不幸にして敗れた。 日本人は 白人を憎んでいる。➡ 137 00:14:28,401 --> 00:14:33,239 白人が悪魔を憎むように 憎んでいる。➡ 138 00:14:33,239 --> 00:14:35,274 しかし 我らにとって➡ 139 00:14:35,274 --> 00:14:38,611 日本そのものが 危険な訳ではない。➡ 140 00:14:38,611 --> 00:14:44,951 統一されたアジアのリーダーに 日本がなる事が危険なのである。➡ 141 00:14:44,951 --> 00:14:48,621 日本による 中国の統一。➡ 142 00:14:48,621 --> 00:14:55,328 それが 世界に脅威を与える 最も不吉な事である」。 143 00:14:59,298 --> 00:15:04,070 こうして 世界が 不安と期待を持って見つめる中➡ 144 00:15:04,070 --> 00:15:10,276 日本は 欧米列強と肩を並べる事を 目指していきます。 145 00:15:17,917 --> 00:15:22,789 20世紀初頭の朝鮮半島です。 146 00:15:22,789 --> 00:15:29,262 日清戦争後 大韓帝国 韓国に 圧力を加えていた日本は➡ 147 00:15:29,262 --> 00:15:34,934 日露戦争の勝利によって ロシアから 韓国への指導 監督権を得ると➡ 148 00:15:34,934 --> 00:15:41,641 韓国を保護国として 統監府を置きました。 149 00:15:43,609 --> 00:15:50,116 これは 明治41年 韓国の初代統監 伊藤博文の➡ 150 00:15:50,116 --> 00:15:54,787 大磯の別荘で撮影された映像です。 151 00:15:54,787 --> 00:15:59,292 先頭を歩く少年は 韓国の皇太子 イ・ウン。 152 00:15:59,292 --> 00:16:02,562 後ろを歩くのが 伊藤博文です。 153 00:16:02,562 --> 00:16:06,899 伊藤博文は イ・ウンを日本に留学させ➡ 154 00:16:06,899 --> 00:16:12,605 徹底的な日本式の教育を 受けさせていました。 155 00:16:16,576 --> 00:16:21,447 しかし このころ 日本は 韓国の軍隊を解散させるなど➡ 156 00:16:21,447 --> 00:16:25,251 内政への干渉を強めていました。 157 00:16:25,251 --> 00:16:30,122 それに対して 韓国では 反日武装闘争が頻発するなど➡ 158 00:16:30,122 --> 00:16:34,827 日本に対する不満が 高まっていたのです。 159 00:16:41,267 --> 00:16:45,137 皇太子との映像が撮影された 翌年。 160 00:16:45,137 --> 00:16:51,277 伊藤博文は 満州視察の途中 ハルビンで暗殺されます。 161 00:16:51,277 --> 00:16:58,150 これは 暗殺の直後 ロシアのカメラマンが撮影した映像です。 162 00:16:58,150 --> 00:17:01,554 画面左側の連行される人物が➡ 163 00:17:01,554 --> 00:17:03,890 ピストルを撃った韓国の青年➡ 164 00:17:03,890 --> 00:17:08,761 アン・ジュングンです。 翌年 アン・ジュングンは➡ 165 00:17:08,761 --> 00:17:12,231 日本による裁判で 絞首刑とされましたが➡ 166 00:17:12,231 --> 00:17:18,237 以来 韓国では 独立運動の 英雄として 名を残します。 167 00:17:20,106 --> 00:17:22,575 一方 伊藤博文は➡ 168 00:17:22,575 --> 00:17:29,282 明治の新政府を作り上げた 功労者として 国葬とされました。 169 00:17:30,917 --> 00:17:36,389 この国葬の翌年 日本政府は韓国を併合。 170 00:17:36,389 --> 00:17:42,895 第二次大戦の終了まで 朝鮮半島を支配する事になります。 171 00:17:49,268 --> 00:17:53,940 日本の支配下で 京城と改称された ソウルを➡ 172 00:17:53,940 --> 00:17:57,276 日本人が映したホームムービーです。 173 00:17:57,276 --> 00:18:01,881 朝鮮半島で 民族独立運動が高まる中➡ 174 00:18:01,881 --> 00:18:05,751 当時 掲載を禁じられた 「東亜日報」の社説は➡ 175 00:18:05,751 --> 00:18:08,754 次のように訴えています。 176 00:18:12,224 --> 00:18:14,560 「見よ この事実を。➡ 177 00:18:14,560 --> 00:18:19,432 鉄道が 日本人の手中にあり 銀行が 日本人の手中にあり➡ 178 00:18:19,432 --> 00:18:23,235 政権が また 日本人の手中にあり➡ 179 00:18:23,235 --> 00:18:29,909 産業開発の知識と技能と資本が 日本人の手中にある。➡ 180 00:18:29,909 --> 00:18:33,579 ただただ 朝鮮人に残されているのは➡ 181 00:18:33,579 --> 00:18:38,918 労働力と土地だけである。 しかし その土地も また➡ 182 00:18:38,918 --> 00:18:42,788 次々と日本人の手に 渡りつつある。➡ 183 00:18:42,788 --> 00:18:47,927 朝鮮の経済政策は 朝鮮人のために行うべきであり➡ 184 00:18:47,927 --> 00:18:52,932 日本人のために行っては ならないのだ」。 185 00:19:15,087 --> 00:19:20,393 日露戦争から7年後 大正時代が始まりました。 186 00:19:22,561 --> 00:19:24,897 イギリスの「タイムズ」紙は➡ 187 00:19:24,897 --> 00:19:30,569 大正天皇は 広大な征服地と 強力な陸軍を持つ国家を➡ 188 00:19:30,569 --> 00:19:33,906 明治天皇から引き継いだと 伝えています。 189 00:19:33,906 --> 00:19:38,577 大正時代 日本は 国際連盟の常任理事国として➡ 190 00:19:38,577 --> 00:19:43,883 五大国の一つに数えられるまでに なっていました。 191 00:19:47,586 --> 00:19:50,923 大正4年。 サンフランシスコで➡ 192 00:19:50,923 --> 00:19:55,928 パナマ太平洋万国博覧会が 開かれました。 193 00:19:58,798 --> 00:20:02,535 「美しい日本」を キャッチフレーズにした 日本は➡ 194 00:20:02,535 --> 00:20:08,541 欧米各国に並ぶ 大規模な展示を行いました。 195 00:20:11,243 --> 00:20:13,946 大仏。 196 00:20:18,617 --> 00:20:21,520 日本庭園。 197 00:20:21,520 --> 00:20:24,957 また 相撲も紹介されましたが➡ 198 00:20:24,957 --> 00:20:28,828 婦人の前で肌を見せるのは 礼儀を欠くとして➡ 199 00:20:28,828 --> 00:20:32,531 下ばきを着けています。 200 00:20:39,305 --> 00:20:43,175 大正6年。 ロシア革命が勃発。 201 00:20:43,175 --> 00:20:50,015 翌年 各国は 革命に干渉するため シベリアに出兵しました。 202 00:20:50,015 --> 00:20:54,653 日本は 7万人を超す 兵士を派遣し➡ 203 00:20:54,653 --> 00:21:00,459 日露戦争の戦費に近い ばく大な費用を費やしました。 204 00:21:00,459 --> 00:21:05,598 出兵が始まった当初 シベリアを 取材した アメリカの新聞記者は➡ 205 00:21:05,598 --> 00:21:09,468 次のように報告をしています。 206 00:21:09,468 --> 00:21:14,607 「まず 気が付いたのは シベリアにいる日本軍の兵力は➡ 207 00:21:14,607 --> 00:21:17,510 ほかの連合国軍を 全て合わせたよりも➡ 208 00:21:17,510 --> 00:21:20,279 数倍大きい事だった。➡ 209 00:21:20,279 --> 00:21:23,949 どの都市にも 日本の兵士が配置されていた。➡ 210 00:21:23,949 --> 00:21:28,621 シベリアのアムール鉄道でも 満州の東清鉄道でも➡ 211 00:21:28,621 --> 00:21:31,524 全ての駅に 日本の国旗が翻り➡ 212 00:21:31,524 --> 00:21:36,795 どの公共の建物にも 日本人の歩哨が立っていた。➡ 213 00:21:36,795 --> 00:21:42,301 合衆国および連合国は 日本が協定を破って➡ 214 00:21:42,301 --> 00:21:46,639 約束の10倍もの軍を シベリアに 送り込んだ事を直ちに知ったが➡ 215 00:21:46,639 --> 00:21:50,309 何の抗議もしなかった。 最初のうちは➡ 216 00:21:50,309 --> 00:21:55,181 日本の軍司令部を 敬意を持って 支持し続けたのだ。➡ 217 00:21:55,181 --> 00:21:57,449 それは なぜか?➡ 218 00:21:57,449 --> 00:22:03,589 連合国は ロシアで共産勢力が広がる事に 深い懸念を抱き➡ 219 00:22:03,589 --> 00:22:07,927 日本軍が 共産主義勢力を打ち破る事に➡ 220 00:22:07,927 --> 00:22:10,930 大きな期待を 寄せていたからである」。 221 00:22:14,266 --> 00:22:19,138 日本は 各国が撤兵したあとも 引き続き シベリアに駐留し➡ 222 00:22:19,138 --> 00:22:22,608 シベリアに対する 野心があるものとして➡ 223 00:22:22,608 --> 00:22:27,913 後に 国際的に 激しい非難を浴びました。 224 00:22:30,482 --> 00:22:33,953 これは イギリスのニュース映画で➡ 225 00:22:33,953 --> 00:22:39,825 大正10年 皇太子 裕仁親王が ヨーロッパ5か国への旅で➡ 226 00:22:39,825 --> 00:22:44,964 イギリスを訪問した時の様子を 伝えるものです。 227 00:22:44,964 --> 00:22:47,633 皇太子は この時 二十歳。 228 00:22:47,633 --> 00:22:50,536 日本の皇太子が 海外を訪問するのは➡ 229 00:22:50,536 --> 00:22:54,506 歴史上 初めての事でした。 230 00:22:54,506 --> 00:22:59,645 日本は 第一次世界大戦で 連合国側に立って参戦し➡ 231 00:22:59,645 --> 00:23:07,753 イギリスでは 同盟国の皇太子として 大歓迎を受けました。 232 00:23:07,753 --> 00:23:12,091 当時 イギリスの新聞は 皇太子の訪問について➡ 233 00:23:12,091 --> 00:23:15,594 次のように記しています。 234 00:23:15,594 --> 00:23:19,932 「プリンス 裕仁の外遊は 日本の歴史上➡ 235 00:23:19,932 --> 00:23:24,603 最も記念すべき出来事の 一つとなるであろう。➡ 236 00:23:24,603 --> 00:23:29,942 日本国内では 皇位継承者が 海外へ出るなどという事は➡ 237 00:23:29,942 --> 00:23:33,812 とんでもない事とされ 日本の保守層の一部は➡ 238 00:23:33,812 --> 00:23:36,615 いきりたって 抗議の声を上げた。➡ 239 00:23:36,615 --> 00:23:42,288 しかし 我々 イギリス人としては 今回の訪問を歓迎している。➡ 240 00:23:42,288 --> 00:23:47,126 なぜなら 日本が明治となる前の 鎖国政策を➡ 241 00:23:47,126 --> 00:23:51,964 完全に捨て去ったと 考えられるからだ。➡ 242 00:23:51,964 --> 00:23:55,000 我々 西欧諸国の考えを取り入れ➡ 243 00:23:55,000 --> 00:23:58,837 新しい時代を開いた 明治天皇の教えを➡ 244 00:23:58,837 --> 00:24:04,143 皇太子は 忠実に実行しているのである」。 245 00:24:08,914 --> 00:24:11,583 日清戦争の結果➡ 246 00:24:11,583 --> 00:24:17,456 最初の植民地として 日本が領有していた台湾です。 247 00:24:17,456 --> 00:24:23,595 これは ヨーロッパのカメラマンが 大正10年ごろに撮影したもので➡ 248 00:24:23,595 --> 00:24:28,467 台湾総督が台湾を視察する様子を 記録しています。 249 00:24:28,467 --> 00:24:34,606 台湾には 日本統治下で高砂族と 呼ばれた先住民をはじめ➡ 250 00:24:34,606 --> 00:24:38,911 多くの民族が暮らしていました。 251 00:24:44,283 --> 00:24:48,954 これは アメリカのニュースカメラマンが 撮影したもので➡ 252 00:24:48,954 --> 00:24:56,829 先住民に 日本式の農業を教える 日本人警察官です。 253 00:24:56,829 --> 00:25:01,600 これは 先住民の子どものための 学校です。 254 00:25:01,600 --> 00:25:09,408 教師は警官が務める事が多く 日本語教育が行われていました。 255 00:25:15,381 --> 00:25:20,919 これは 大正12年 摂政 裕仁親王の➡ 256 00:25:20,919 --> 00:25:25,624 台湾行啓の準備を 記録したものです。 257 00:25:32,398 --> 00:25:38,103 台湾の先住民 高砂族が 日本人の指導の下➡ 258 00:25:38,103 --> 00:25:43,275 歓迎の踊りを披露する 練習をしています。 259 00:25:43,275 --> 00:25:47,146 おじぎなど 細かく手順が決められ➡ 260 00:25:47,146 --> 00:25:52,451 リハーサルが繰り返される様子が 記録されています。 261 00:26:00,559 --> 00:26:06,432 大正12年。 関東大震災が 京浜地帯を襲いました。 262 00:26:06,432 --> 00:26:10,569 マグニチュード7.9の大地震が発生。 263 00:26:10,569 --> 00:26:15,908 地震に伴う火災によって 東京 横浜の大部分が廃虚と化し➡ 264 00:26:15,908 --> 00:26:22,114 死者 行方不明者は 14万人以上に上りました。 265 00:26:23,649 --> 00:26:30,456 これは 関東大震災を伝える イギリスのニュース映画です。 266 00:26:30,456 --> 00:26:35,260 戒厳令のもと カメラマンは カメラを布にくるんで➡ 267 00:26:35,260 --> 00:26:39,064 隠し撮りをしています。 268 00:26:41,767 --> 00:26:47,639 これは 東京の築地を 車で走りながら撮影したもので➡ 269 00:26:47,639 --> 00:26:51,143 画面の奥が銀座です。 270 00:26:52,945 --> 00:26:58,283 この映像は「世界史的な大事件」と 字幕を付けられ➡ 271 00:26:58,283 --> 00:27:02,287 各国で上映されました。 272 00:27:03,889 --> 00:27:07,759 壊滅した横浜の港です。 273 00:27:07,759 --> 00:27:12,564 あるアメリカの新聞は 横浜に作った欧米の文化が➡ 274 00:27:12,564 --> 00:27:17,569 一瞬にして破壊されたと 伝えています。 275 00:27:22,574 --> 00:27:26,245 あるアメリカ人の新聞記者は➡ 276 00:27:26,245 --> 00:27:29,748 関東大震災での 日本人の態度について➡ 277 00:27:29,748 --> 00:27:33,919 次のように書き記しています。 278 00:27:33,919 --> 00:27:38,090 「このような大災害に対して 東京が➡ 279 00:27:38,090 --> 00:27:42,928 秩序正しく整然としている事は 実に驚くばかりです。➡ 280 00:27:42,928 --> 00:27:47,266 警官は ひたすら 市民の救護に 全力を尽くしています。➡ 281 00:27:47,266 --> 00:27:52,604 ほとんど 警察がない状態なのに 忌まわしい行動もありません。➡ 282 00:27:52,604 --> 00:27:55,274 親を失い 子に別れ➡ 283 00:27:55,274 --> 00:27:58,944 兄弟が行方不明になった 幾十万の人々が➡ 284 00:27:58,944 --> 00:28:01,847 どこへ行っても 涙一つ浮かべずに➡ 285 00:28:01,847 --> 00:28:05,551 着々と 後始末に取りかかっています。➡ 286 00:28:05,551 --> 00:28:09,888 この 規律正しい日本人に対する 敬服の念を➡ 287 00:28:09,888 --> 00:28:13,225 新たにせずにはいられません」。 288 00:28:13,225 --> 00:28:18,096 しかし 実際には 震災に伴うパニックの中で➡ 289 00:28:18,096 --> 00:28:23,869 多数の朝鮮人が 日本人によって 殺される事件が起こりました。 290 00:28:23,869 --> 00:28:28,240 「朝鮮人が 放火 略奪 暴行している」などの➡ 291 00:28:28,240 --> 00:28:31,543 流言飛語が きっかけでした。 292 00:28:35,013 --> 00:28:39,251 アメリカ西海岸には 明治初め以来➡ 293 00:28:39,251 --> 00:28:43,088 多数の日本人が移民として 渡っていました。 294 00:28:43,088 --> 00:28:46,124 これは 園芸業を営む日本人が➡ 295 00:28:46,124 --> 00:28:49,861 アメリカでの成功を 日本に伝えるために撮った➡ 296 00:28:49,861 --> 00:28:53,098 ホームムービーです。 297 00:28:53,098 --> 00:28:55,934 しかし このころ アメリカでは➡ 298 00:28:55,934 --> 00:29:02,207 日本人移民は 安い賃金で働き アメリカ人の仕事を奪うとして➡ 299 00:29:02,207 --> 00:29:06,211 移民排斥運動が起きていました。 300 00:29:06,211 --> 00:29:10,082 カリフォルニア日本人排斥連盟は➡ 301 00:29:10,082 --> 00:29:14,353 国務省へ 陳情書を提出しています。 302 00:29:14,353 --> 00:29:18,557 「日本人の移民は 祖国の生活を守り➡ 303 00:29:18,557 --> 00:29:20,892 天皇への忠誠を誓い続け➡ 304 00:29:20,892 --> 00:29:25,564 アメリカ国家へ 忠誠を尽くそうとしない。➡ 305 00:29:25,564 --> 00:29:30,068 日本人の移民は アメリカに同化する事ができない。➡ 306 00:29:30,068 --> 00:29:32,904 アメリカ生まれの者でさえも➡ 307 00:29:32,904 --> 00:29:36,775 アメリカ市民としての義務を 果たそうとはしない。➡ 308 00:29:36,775 --> 00:29:43,382 アメリカにとって危険な存在なのだ。 このような外国人が➡ 309 00:29:43,382 --> 00:29:47,252 異常なほど たくさんの子どもを 産んでいる。➡ 310 00:29:47,252 --> 00:29:53,392 勤勉で 低い生活水準に耐え 楽しみにお金をかける事もなく➡ 311 00:29:53,392 --> 00:29:56,928 長時間 働く意欲がある。➡ 312 00:29:56,928 --> 00:30:03,268 お互いに助け合い 団結する その力は 異常なほどである。➡ 313 00:30:03,268 --> 00:30:11,009 日本人は アメリカ大陸に 大和民族を 繁栄させようと決意している」。 314 00:30:11,009 --> 00:30:16,281 大正13年。 日本から アメリカへの移民は➡ 315 00:30:16,281 --> 00:30:21,286 実質上 完全に禁止されました。 316 00:30:42,808 --> 00:30:45,143 昭和3年。 317 00:30:45,143 --> 00:30:50,949 昭和天皇の即位を祝う式典が 全国各地で行われました。 318 00:30:50,949 --> 00:30:54,653 即位の御大典のもようは 日本で初めて➡ 319 00:30:54,653 --> 00:30:58,523 全国向けのラジオ中継として 伝えられました。 320 00:30:58,523 --> 00:31:03,462 政府は ラジオの全国中継網の整備を 急ピッチで進め➡ 321 00:31:03,462 --> 00:31:11,103 実況放送は 満州 朝鮮半島 台湾などへも伝えられました。 322 00:31:11,103 --> 00:31:15,607 「ただいまは ちょうど二重橋の上を➡ 323 00:31:15,607 --> 00:31:17,943 お進みになっております。➡ 324 00:31:17,943 --> 00:31:23,749 はるかに この御もようを 拝しまするに➡ 325 00:31:23,749 --> 00:31:30,522 金モールの肩章をつけ 正装致しましたる騎馬の警部が➡ 326 00:31:30,522 --> 00:31:36,228 2名 その先頭を承っております」。 327 00:31:38,964 --> 00:31:45,437 昭和に入ると 音のついたフィルムが 登場し 海外のカメラマンは➡ 328 00:31:45,437 --> 00:31:50,942 何気ない日常の暮らしや風俗も 記録しています。 329 00:31:52,644 --> 00:31:56,982 浅草のお土産に…。 これ よく回るの。 330 00:31:56,982 --> 00:32:00,685 よく回りますから。 それ 1つ 頂戴。 331 00:32:03,789 --> 00:32:05,791 1…。 2…。3…。 332 00:32:05,791 --> 00:32:09,094 4…。5…。 6…。7…。 333 00:32:20,205 --> 00:32:24,209 アウト! アウト! セーフ! セーフ! 334 00:32:29,781 --> 00:32:35,954 昭和の初め流行した 洋風酒場 カフェー。 335 00:32:35,954 --> 00:32:49,134 ♬~ 336 00:32:49,134 --> 00:32:55,307 こうした風俗について 桂離宮など 日本の文化を世界に紹介した➡ 337 00:32:55,307 --> 00:33:01,913 ドイツの建築家 ブルーノ・タウトは こう述べています。 338 00:33:01,913 --> 00:33:07,586 「ハイカラ カフェー レビュー ビアホール ダンスホール。➡ 339 00:33:07,586 --> 00:33:10,388 華麗なネオンサインの あらゆる渦の中に➡ 340 00:33:10,388 --> 00:33:13,592 不思議な世界が広がっている。➡ 341 00:33:13,592 --> 00:33:17,262 あの幻想的な ちんどん屋や その滑稽な音楽は➡ 342 00:33:17,262 --> 00:33:21,933 ヨーロッパ人にとっては 大きな魅力である。➡ 343 00:33:21,933 --> 00:33:26,605 しかし これは本当に愉快だから やっている事なのか?➡ 344 00:33:26,605 --> 00:33:31,276 それとも 日本人は自分の不幸で 他人を傷つけまいとして➡ 345 00:33:31,276 --> 00:33:34,179 微笑する事があるが あれと同じで➡ 346 00:33:34,179 --> 00:33:39,618 そこには 何か悲しみが あるのではなかろうか?➡ 347 00:33:39,618 --> 00:33:45,490 西洋のダンスを踊る娘たちは 全く気の毒に見える。➡ 348 00:33:45,490 --> 00:33:49,961 彼女らは ワルツを踊り ステップを踏んではいるが➡ 349 00:33:49,961 --> 00:33:52,864 五体の中には 祖先の血と一緒になって➡ 350 00:33:52,864 --> 00:33:57,702 全く異なったリズムが 流れているのである。➡ 351 00:33:57,702 --> 00:34:02,240 外観は朗らかで いかなる場合も 微笑していながら➡ 352 00:34:02,240 --> 00:34:07,379 その裏には 哀愁と深い感傷を抱いている。➡ 353 00:34:07,379 --> 00:34:12,083 これが独自の文化を持ち それを独自に表現している➡ 354 00:34:12,083 --> 00:34:15,287 日本の姿である」。 355 00:34:17,589 --> 00:34:24,462 昭和の初め フランス人がカメラに収めた 花見の風景です。 356 00:34:24,462 --> 00:34:29,100 ♬~ 357 00:34:29,100 --> 00:34:31,136 このころ 日本では➡ 358 00:34:31,136 --> 00:34:35,273 犬養 毅首相が暗殺された 五・一五事件をはじめ➡ 359 00:34:35,273 --> 00:34:39,611 テロが相次いでいました。 360 00:34:39,611 --> 00:34:43,615 ♬~ 361 00:34:45,784 --> 00:34:51,957 日露戦争によって 日本が租借権を得た 満州の大連。 362 00:34:51,957 --> 00:35:00,231 以来 日本は 20年余りをかけ 大連を満州の玄関港としました。 363 00:35:00,231 --> 00:35:03,234 大連は 放射状に道路が造られ➡ 364 00:35:03,234 --> 00:35:07,372 街の中心部には 洋風の建物が立ち並ぶ➡ 365 00:35:07,372 --> 00:35:12,577 国際色豊かな街として 知られました。 366 00:35:15,246 --> 00:35:19,951 日本は 満州に海外投資の 半分以上をつぎ込むなど➡ 367 00:35:19,951 --> 00:35:22,587 国運を懸けていました。 368 00:35:22,587 --> 00:35:29,894 そして 新しい国家 満州国の樹立を図るのです。 369 00:35:31,930 --> 00:35:36,601 満州国の建国に 深く関わる事になるのが➡ 370 00:35:36,601 --> 00:35:40,271 清朝最後の皇帝 溥儀でした。 371 00:35:40,271 --> 00:35:45,610 これは 大正13年 日本公使館に身を寄せていた溥儀。 372 00:35:45,610 --> 00:35:48,646 そして 溥儀の正室 婉容を➡ 373 00:35:48,646 --> 00:35:54,319 日本の新聞社が撮影した 映像です。 374 00:35:54,319 --> 00:36:00,558 中国では 清朝が倒れたあと 軍閥の勢力争いが続き➡ 375 00:36:00,558 --> 00:36:07,332 溥儀は北京の紫禁城から追放され 日本公使館へ避難していたのです。 376 00:36:07,332 --> 00:36:14,239 溥儀は このころ抱いていた思いを 次のように回想しています。 377 00:36:14,239 --> 00:36:17,742 「日本公使館に 住むようになってから➡ 378 00:36:17,742 --> 00:36:22,914 私は 何度も 深夜に自転車で 紫禁城のほとりまで行った。➡ 379 00:36:22,914 --> 00:36:28,086 城壁の輪郭を見つめながら 離れて間もない宮殿を思い➡ 380 00:36:28,086 --> 00:36:30,989 思わず 胸が熱くなった。➡ 381 00:36:30,989 --> 00:36:36,761 私の目には涙があふれ 心の中で固く誓った。➡ 382 00:36:36,761 --> 00:36:40,265 いつの日か 必ず 君主として➡ 383 00:36:40,265 --> 00:36:44,135 ここに もう一度 戻ってくるのだと。➡ 384 00:36:44,135 --> 00:36:47,138 ツァイチェン また会おうと 低くつぶやいて➡ 385 00:36:47,138 --> 00:36:51,776 自転車に飛び乗り 飛ぶように駆けた。➡ 386 00:36:51,776 --> 00:36:57,949 公使館にいた3か月の間 私の野心は 日夜成長した。➡ 387 00:36:57,949 --> 00:37:00,852 今のように じっとしていては 駄目だ。➡ 388 00:37:00,852 --> 00:37:06,357 前からの考えが またしても 私の心に浮かんだ。➡ 389 00:37:06,357 --> 00:37:11,863 私は 日本へ 出ていかねばならない」。 390 00:37:15,066 --> 00:37:20,238 溥儀は このあと 天津の日本租界へ移り➡ 391 00:37:20,238 --> 00:37:27,245 清朝復活を目指して 日本陸軍との 接触を深めていきました。 392 00:37:33,251 --> 00:37:37,922 昭和6年。 日本軍は満州の柳条湖で➡ 393 00:37:37,922 --> 00:37:43,595 南満州鉄道が爆破された事を口実に 軍事行動を開始。 394 00:37:43,595 --> 00:37:47,398 中国東北部のほぼ全域を 占領しました。 395 00:37:47,398 --> 00:37:50,401 いわゆる 満州事変です。 396 00:37:52,103 --> 00:37:57,909 この日本の行動に対し 中国からの 提訴を受けた国際連盟は➡ 397 00:37:57,909 --> 00:38:01,780 調査団を派遣しました。 398 00:38:01,780 --> 00:38:07,218 調査団の団長 イギリスのリットン卿です。 399 00:38:07,218 --> 00:38:10,889 これらの映像は リットン調査団の調査のもようを➡ 400 00:38:10,889 --> 00:38:18,196 日本の国策会社 南満州鉄道 映画部が記録したものです。 401 00:38:21,533 --> 00:38:24,235 日本は その軍事行動を➡ 402 00:38:24,235 --> 00:38:31,376 満州での権益を守るための 自衛の行動だと主張しました。 403 00:38:31,376 --> 00:38:36,080 調査団は 3か月余りにわたる調査の結果➡ 404 00:38:36,080 --> 00:38:40,385 日本の軍事行動は 正当な自衛措置ではないと➡ 405 00:38:40,385 --> 00:38:43,588 結論づけました。 406 00:38:51,396 --> 00:38:58,269 「我々調査団は 日本側から 『満州は日本の生命線である』と➡ 407 00:38:58,269 --> 00:39:01,206 繰り返し言われてきた。➡ 408 00:39:01,206 --> 00:39:07,345 そして 日本は日露戦争において 2年間の戦いを繰り広げ➡ 409 00:39:07,345 --> 00:39:11,883 幾十万もの命を犠牲にし ばく大な費用を費やして➡ 410 00:39:11,883 --> 00:39:18,556 満州での権益を手に入れたという。 日本独自の問題に➡ 411 00:39:18,556 --> 00:39:24,362 外国が干渉する事は 非常に微妙な 問題であるとも言われた。➡ 412 00:39:24,362 --> 00:39:28,900 我々は これらの事は 全て承知の上である。➡ 413 00:39:28,900 --> 00:39:32,370 しかし 日本の外相に言いたいのは➡ 414 00:39:32,370 --> 00:39:36,908 世界が もっと大きな犠牲を払い 守り続けてきた➡ 415 00:39:36,908 --> 00:39:39,577 秩序があるという事だ。➡ 416 00:39:39,577 --> 00:39:43,248 国際連盟によって作られた この秩序こそ➡ 417 00:39:43,248 --> 00:39:48,553 現代文明における 生命線なのである」。 418 00:39:55,593 --> 00:39:58,496 一方 日本は昭和7年➡ 419 00:39:58,496 --> 00:40:02,767 リットン調査団が満州に入る およそ2か月前➡ 420 00:40:02,767 --> 00:40:09,941 清朝最後の皇帝 溥儀を執政とする 満州国を建国します。 421 00:40:09,941 --> 00:40:15,613 翌年 日本は国際連盟を脱退。 これをきっかけに➡ 422 00:40:15,613 --> 00:40:21,619 日本は国際的に孤立化の道を 歩み始めます。 423 00:40:24,789 --> 00:40:31,429 ♬~ 424 00:40:31,429 --> 00:40:37,135 昭和6年。 霞ヶ浦に着いた リンドバーグ夫妻。 425 00:40:37,135 --> 00:40:43,641 ワシントンから 80時間をかけて 飛行機で到着しました。 426 00:40:45,643 --> 00:40:51,816 日本橋で 好物の天ぷらに舌鼓を打つ 喜劇王 チャップリン。 427 00:40:51,816 --> 00:40:55,987 映画「モダン・タイムス」で共演した女優➡ 428 00:40:55,987 --> 00:41:00,692 ポーレット・ゴダードと共に 来日しました。 429 00:41:04,595 --> 00:41:11,769 昭和9年 ベーブ・ルースをはじめとする アメリカ大リーグが来日。 430 00:41:11,769 --> 00:41:16,974 これをきっかけに 日本でも プロ野球が始まりました。 431 00:41:19,277 --> 00:41:24,949 昭和12年春。 来日した奇跡の人 ヘレン・ケラー。 432 00:41:24,949 --> 00:41:31,255 宿泊先のホテルの庭で 満開の桜に触れます。 433 00:41:59,450 --> 00:42:04,088 昭和12年。 盧溝橋における 日中両軍の衝突は➡ 434 00:42:04,088 --> 00:42:11,596 全面戦争へと発展。 戦火は 上海 南京へと広がっていきます。 435 00:42:14,265 --> 00:42:16,200 満州事変以後➡ 436 00:42:16,200 --> 00:42:20,938 列強が権益を持つ中国で 繰り返された 数々の戦闘は➡ 437 00:42:20,938 --> 00:42:24,609 アメリカを中心に 海外の注目を集め➡ 438 00:42:24,609 --> 00:42:29,614 ニュース映画によって 次々と伝えられています。 439 00:42:31,949 --> 00:42:38,956 これは アメリカのニュースリポーターが 上海から アメリカへ伝えたニュースです。 440 00:43:08,786 --> 00:43:16,093 昭和12年12月13日。 日本軍は 南京に入城。 441 00:43:16,093 --> 00:43:20,932 これは 南京陥落を伝える アメリカのニュース映画で➡ 442 00:43:20,932 --> 00:43:28,239 当時 独占取材した映像として アメリカで上映されたものです。 443 00:44:11,749 --> 00:44:17,255 日本国民が いわゆる 南京大虐殺について知るのは➡ 444 00:44:17,255 --> 00:44:23,261 戦後 東京裁判で 問題とされてからの事でした。 445 00:44:30,601 --> 00:44:35,940 日中の全面戦争が始まった頃 アメリカのニュース映画社は➡ 446 00:44:35,940 --> 00:44:40,811 日本を経済的な脅威として描くものを 数多く製作し➡ 447 00:44:40,811 --> 00:44:45,516 反日感情を あらわにしています。 448 00:44:52,490 --> 00:44:57,295 「アラスカ サケ戦争」と題する この短編映画は➡ 449 00:44:57,295 --> 00:45:02,099 日本の漁船が アメリカの近海に 出没して取ったサケを➡ 450 00:45:02,099 --> 00:45:04,101 ゲイシャサーモンと名付けて➡ 451 00:45:04,101 --> 00:45:07,738 アメリカに 不当に安い値段で 売りつけていると➡ 452 00:45:07,738 --> 00:45:11,742 日本を非難しています。 453 00:45:43,641 --> 00:45:46,477 当時の ニュース映画からは➡ 454 00:45:46,477 --> 00:45:52,283 アメリカが 日本に対する不信感を 強めていた事が分かります。 455 00:45:52,283 --> 00:45:54,952 昭和11年。 456 00:45:54,952 --> 00:46:02,226 アメリカの代表的な経済雑誌は 日本特集号を出しています。 457 00:46:02,226 --> 00:46:08,099 「日本人は列強諸国のプライドを外交で 傷つけるだけでは飽き足らず➡ 458 00:46:08,099 --> 00:46:11,736 その懐にまで 手を伸ばしてきた。➡ 459 00:46:11,736 --> 00:46:14,572 いろいろな条件を考えれば➡ 460 00:46:14,572 --> 00:46:18,376 日本には工業国になる力は なかった。➡ 461 00:46:18,376 --> 00:46:21,746 何か仕掛けがあったのは 明らかだ。➡ 462 00:46:21,746 --> 00:46:25,916 日本は 我々から 産業革命を輸入し➡ 463 00:46:25,916 --> 00:46:29,787 すんなりと取り入れてしまった。 それは まるで➡ 464 00:46:29,787 --> 00:46:34,392 国民に 標準サイズの既製服でも 着せるかのようであった。➡ 465 00:46:34,392 --> 00:46:36,460 その結果 得られたのが➡ 466 00:46:36,460 --> 00:46:41,599 欧米の資本家が舌を巻くほどの 産業の効率性である。➡ 467 00:46:41,599 --> 00:46:48,272 ドイツにビールを売り アメリカ在郷軍人会に 星条旗を売るほどであった。➡ 468 00:46:48,272 --> 00:46:53,611 こうなると 現在 日本以外の国で とられている産業政策は➡ 469 00:46:53,611 --> 00:46:57,948 資本主義であれ 国家主義であれ 共産主義であれ➡ 470 00:46:57,948 --> 00:47:03,220 全てが 面倒で役立たずなものに 思われてくる。➡ 471 00:47:03,220 --> 00:47:10,227 日本の産業制度は ほかのどんな 産業制度とも似ていないのだ」。 472 00:47:14,231 --> 00:47:19,570 この後 中国を巡る アメリカと日本との対立は深まり➡ 473 00:47:19,570 --> 00:47:23,574 ついに 両国は衝突します。 474 00:47:26,744 --> 00:47:33,918 昭和16年12月8日。 日本軍は ハワイの真珠湾を奇襲。 475 00:47:33,918 --> 00:47:40,257 日本は 日中戦争が長期化する中 解決を求めて南方へ進出。 476 00:47:40,257 --> 00:47:45,930 それに反発したアメリカが 経済制裁を 行うなど 緊張が高まり➡ 477 00:47:45,930 --> 00:47:49,934 ついに 開戦に至ったのです。 478 00:47:51,602 --> 00:47:55,940 「顧みれば 我らは今日まで➡ 479 00:47:55,940 --> 00:48:00,211 隠忍自重との最大限を➡ 480 00:48:00,211 --> 00:48:02,213 重ねたのでありまするが➡ 481 00:48:02,213 --> 00:48:10,221 敵の挑戦を受け 自存自衛を全うするため➡ 482 00:48:10,221 --> 00:48:16,927 断固として立ち上がるの やむなきに至ったのであります」。 483 00:48:48,759 --> 00:48:53,097 開戦から3か月後 アメリカ政府は➡ 484 00:48:53,097 --> 00:48:57,935 太平洋沿岸に住む日系人の 強制退去を決定。 485 00:48:57,935 --> 00:49:02,706 11万人を超える日系人を 強制収容しました。 486 00:49:02,706 --> 00:49:04,642 しかし この措置に➡ 487 00:49:04,642 --> 00:49:09,580 アメリカの雑誌「ニューズウィーク」は 懸念を表明しました。 488 00:49:09,580 --> 00:49:15,219 「日本は アジア人のためのアジア というスローガンを揚げ➡ 489 00:49:15,219 --> 00:49:19,557 今度の戦いを 人種の戦いに しようとしている。➡ 490 00:49:19,557 --> 00:49:24,895 一方 我々連合国側は アジア諸国の支持を得るためには➡ 491 00:49:24,895 --> 00:49:31,235 白人と有色人種の戦いを前面に 押し出す訳にはいかない。➡ 492 00:49:31,235 --> 00:49:34,138 従って 連合国側のスローガンは➡ 493 00:49:34,138 --> 00:49:39,910 デモクラシーと平等でなければならない。 ところが アメリカは➡ 494 00:49:39,910 --> 00:49:45,583 まさに このプロパガンダを 自ら否定しているのである。➡ 495 00:49:45,583 --> 00:49:49,453 全ての日系人は 太平洋沿岸の軍事地帯から➡ 496 00:49:49,453 --> 00:49:52,456 移動させられる事になったのに 対し➡ 497 00:49:52,456 --> 00:49:56,594 同じ敵国でありながら ドイツ系やイタリア系のアメリカ人は➡ 498 00:49:56,594 --> 00:49:59,396 そのような規制は受けていない。➡ 499 00:49:59,396 --> 00:50:04,602 日系人だけが 強制収容されたのである」。 500 00:50:08,606 --> 00:50:12,776 アメリカ軍通信隊のスタジオです。 501 00:50:12,776 --> 00:50:16,280 太平洋戦争が始まると アメリカ軍は➡ 502 00:50:16,280 --> 00:50:23,988 兵士の士気の高揚と教育を目的に 数多くの映画を製作しています。 503 00:50:30,294 --> 00:50:33,964 これは 日本人が どのような国民であるか➡ 504 00:50:33,964 --> 00:50:39,270 兵士を教育するために作られた 1時間の映画です。 505 00:50:40,838 --> 00:50:48,145 製作したのは ハリウッドの映画監督 フランク・キャプラです。 506 00:51:03,127 --> 00:51:05,963 戦時中に作られた この映画は➡ 507 00:51:05,963 --> 00:51:11,402 敵国 日本への誇張や 一方的な偏見を含んでいますが➡ 508 00:51:11,402 --> 00:51:17,908 当時のアメリカの 日本に対する見方を うかがう事ができます。 509 00:52:22,773 --> 00:52:27,945 日本は 戦いの初期の段階で 勝利を収めたものの➡ 510 00:52:27,945 --> 00:52:35,252 次第に アメリカの圧倒的な物量の前に 追い詰められていきます。 511 00:52:38,956 --> 00:52:45,429 昭和18年。 戦況が悪化する中 東条英機首相は➡ 512 00:52:45,429 --> 00:52:51,635 アジア5か国の首脳を集めて 東京で 大東亜会議を開催しました。 513 00:52:51,635 --> 00:52:56,440 日本は アジア各国の団結を訴えたのです。 514 00:52:56,440 --> 00:53:03,580 この会議には インドの独立運動家 チャンドラ・ボースも参加しました。 515 00:53:03,580 --> 00:53:07,751 インドを脱出し 日本政府の庇護のもと➡ 516 00:53:07,751 --> 00:53:11,088 イギリスからの独立を目指していた ボースは➡ 517 00:53:11,088 --> 00:53:14,758 この会議に先立って 日本との協力について➡ 518 00:53:14,758 --> 00:53:19,396 次のような声明を発表しています。 519 00:53:19,396 --> 00:53:25,602 「日本こそ 19世紀にアジアを襲った 欧米の侵略を食い止めんとした➡ 520 00:53:25,602 --> 00:53:31,942 アジアにおける最初の強国であった。 アジアが復活するには➡ 521 00:53:31,942 --> 00:53:36,814 現在においても 強力な日本が必要である。➡ 522 00:53:36,814 --> 00:53:39,817 中国との紛争が 勃発した事によって➡ 523 00:53:39,817 --> 00:53:45,122 確かに日本に対する インド人の感情は少し悪くなった。➡ 524 00:53:45,122 --> 00:53:50,627 しかし 大東亜戦争が始まり 事態は根本的に変化した。➡ 525 00:53:50,627 --> 00:53:53,964 なぜならば 今日 日本は➡ 526 00:53:53,964 --> 00:53:58,836 インドの敵 イギリスを相手に 戦っているからである。➡ 527 00:53:58,836 --> 00:54:01,772 インドの民衆は ただ一筋に➡ 528 00:54:01,772 --> 00:54:06,243 イギリス支配から解放される事を 熱望している。 つまり➡ 529 00:54:06,243 --> 00:54:14,952 インドの独立を支援してくれるものは 当然 全て インドの友なのである」。 530 00:54:19,256 --> 00:54:23,093 これは 日本の映画会社が製作し➡ 531 00:54:23,093 --> 00:54:26,764 インドネシアで上映した ニュース映画です。 532 00:54:26,764 --> 00:54:32,569 太平洋戦争が始まると 日本は オランダの支配下にあったインドネシアを➡ 533 00:54:32,569 --> 00:54:38,942 植民地支配から解放するとして 占領し 軍政下に置いていました。 534 00:54:38,942 --> 00:54:45,249 これは 東条英機首相の インドネシア訪問を特集したものです。 535 00:55:09,940 --> 00:55:13,777 日本の軍政が続くと インドネシアの人々は➡ 536 00:55:13,777 --> 00:55:17,247 日本を オランダに代わる支配者と 見るようになり➡ 537 00:55:17,247 --> 00:55:22,252 次第に 反日感情が高まっていきました。 538 00:55:23,921 --> 00:55:29,393 「日本の占領が始まった頃 日本は インドネシアに対して➡ 539 00:55:29,393 --> 00:55:32,763 兄のように親密な態度を 見せていました。➡ 540 00:55:32,763 --> 00:55:37,601 しかし 新聞に日本軍勝利の記事が 少なくなるにつれ➡ 541 00:55:37,601 --> 00:55:40,938 日本は 弟の私たち インドネシアに向けて➡ 542 00:55:40,938 --> 00:55:44,608 いらだちを爆発させるように なりました。➡ 543 00:55:44,608 --> 00:55:47,511 バカヤローと ビンタが 頻繁に飛び出すようになり➡ 544 00:55:47,511 --> 00:55:52,282 憲兵隊は傍若無人に なっていったのです。➡ 545 00:55:52,282 --> 00:55:56,153 主人である日本が バカヤローの原住民を➡ 546 00:55:56,153 --> 00:56:01,558 監視しなければならないという 態度に変わっていきました」。 547 00:56:01,558 --> 00:56:05,229 この映画には インドネシア人が➡ 548 00:56:05,229 --> 00:56:11,034 日本の軍人にだけ おじぎをする様子が 映されています。 549 00:56:11,034 --> 00:56:18,575 このころ インド独立運動の指導者 ガンジーは こう述べています。 550 00:56:18,575 --> 00:56:25,249 「私は あなた方 日本人に悪意を 持っている訳ではありません。➡ 551 00:56:25,249 --> 00:56:29,920 あなた方 日本人は アジア人のアジアという➡ 552 00:56:29,920 --> 00:56:32,823 崇高な希望を 持っていました。➡ 553 00:56:32,823 --> 00:56:37,794 しかし 今では それも 帝国主義の野望にすぎません。➡ 554 00:56:37,794 --> 00:56:41,098 そして その野望を実現できずに➡ 555 00:56:41,098 --> 00:56:47,604 アジアを解体する張本人と なってしまうかもしれません。➡ 556 00:56:47,604 --> 00:56:51,275 世界の列強と肩を並べたい というのが➡ 557 00:56:51,275 --> 00:56:57,147 あなた方 日本人の野望でした。 しかし 中国を侵略したり➡ 558 00:56:57,147 --> 00:57:00,550 ドイツやイタリアと 同盟を結ぶ事によって➡ 559 00:57:00,550 --> 00:57:04,888 実現するものではないはずです。➡ 560 00:57:04,888 --> 00:57:09,760 あなた方は いかなる訴えにも 耳を傾けようとはなさらない。➡ 561 00:57:09,760 --> 00:57:15,532 ただ 剣にのみ 耳を貸す民族だと 聞いています。➡ 562 00:57:15,532 --> 00:57:20,237 それが 大きな誤解でありますように。➡ 563 00:57:20,237 --> 00:57:24,941 あなた方の友 ガンジーより」。 564 00:57:28,578 --> 00:57:31,615 昭和20年8月。 565 00:57:31,615 --> 00:57:36,753 アメリカは 広島と長崎に 原子爆弾を投下。 566 00:57:36,753 --> 00:57:43,961 日本は ポツダム宣言の受諾を決定。 戦争は終結しました。 567 00:58:01,345 --> 00:58:07,884 昭和20年8月30日午後2時。 厚木飛行場。 568 00:58:07,884 --> 00:58:15,559 連合国軍最高司令官 ダグラス・マッカーサーが到着しました。 569 00:58:15,559 --> 00:58:18,228 アメリカを中心とする 連合国軍の➡ 570 00:58:18,228 --> 00:58:24,034 7年近くに及ぶ 日本占領が始まりました。 571 00:58:25,969 --> 00:58:31,575 これは マッカーサーと行動を共にした イギリス人の従軍記者が➡ 572 00:58:31,575 --> 00:58:34,244 日本に到着した その日➡ 573 00:58:34,244 --> 00:58:39,916 厚木から横浜へ向かう道中を 撮影した プライベートフィルムです。 574 00:58:39,916 --> 00:58:45,255 この従軍記者は この時の印象を 書き残しています。 575 00:58:45,255 --> 00:58:49,593 「雲一つない よく晴れ渡った日だった。➡ 576 00:58:49,593 --> 00:58:54,264 すばらしい秋の訪れを 感じ始める頃だった。➡ 577 00:58:54,264 --> 00:58:59,136 横浜へ向かう途中 日本兵が沿道を護衛していた。➡ 578 00:58:59,136 --> 00:59:02,072 しかし 彼らは 私たちに背を向け➡ 579 00:59:02,072 --> 00:59:06,710 決して こちらを見ようとはしない。➡ 580 00:59:06,710 --> 00:59:09,746 水田の間を進んでいくと➡ 581 00:59:09,746 --> 00:59:13,884 青いパラソルを差した女性が 歩いていた。➡ 582 00:59:13,884 --> 00:59:19,222 我々が見た 最初の日本人女性だった。➡ 583 00:59:19,222 --> 00:59:23,226 しかし 彼女は好奇心に駆られて➡ 584 00:59:23,226 --> 00:59:28,231 我々に近づいてくるような事は しなかった。➡ 585 00:59:28,231 --> 00:59:32,736 ほかの日本人も 皆 恐怖に おののいていたのか➡ 586 00:59:32,736 --> 00:59:36,573 あるいは 占領される事を 恥じていたのか➡ 587 00:59:36,573 --> 00:59:40,444 家の中に 閉じこもったままだった」。 588 00:59:40,444 --> 00:59:59,596 ♬~ 589 00:59:59,596 --> 01:00:04,401 横浜沖に停泊した アメリカ太平洋艦隊の旗艦➡ 590 01:00:04,401 --> 01:00:07,270 戦艦 ミズーリです。 591 01:00:07,270 --> 01:00:13,777 9月2日。 ここで 降伏文書の調印が行われました。 592 01:00:13,777 --> 01:00:21,284 船の上には 江戸時代の末 鎖国を破ったペリーが日本に上陸した際➡ 593 01:00:21,284 --> 01:00:26,590 初めて掲げた星条旗が 用意されました。 594 01:00:32,629 --> 01:00:38,502 重光 葵全権ら 日本側代表団を迎えたマッカーサーは➡ 595 01:00:38,502 --> 01:00:42,806 次のように演説しました。 596 01:00:42,806 --> 01:00:50,547 「私たちは今 92年前の同胞 ペリー提督と同じ立場にいる。➡ 597 01:00:50,547 --> 01:00:56,653 ペリー提督の目的は 日本に 英知と進歩の時代をもたらし➡ 598 01:00:56,653 --> 01:01:00,524 世界の友情と貿易と通商に 向かって➡ 599 01:01:00,524 --> 01:01:04,461 孤立のベールを 取り払う事であった。➡ 600 01:01:04,461 --> 01:01:08,265 しかし 恐ろしい事に 日本は開国によって➡ 601 01:01:08,265 --> 01:01:14,604 西洋の科学から得た知識を利用し 迷信と武力に訴える事によって➡ 602 01:01:14,604 --> 01:01:18,942 言論の自由 更には 思想の自由までも➡ 603 01:01:18,942 --> 01:01:23,413 否定したのである。 私の目的は➡ 604 01:01:23,413 --> 01:01:30,620 再び 日本民族のエネルギーと才能を 建設的な面に向ける事だ。➡ 605 01:01:30,620 --> 01:01:34,291 私たちの指導によって この国は➡ 606 01:01:34,291 --> 01:01:37,193 現在の惨めな状態から 立ち上がり➡ 607 01:01:37,193 --> 01:01:42,198 尊厳に満ちた地位を 獲得する事ができる」。 608 01:01:45,902 --> 01:01:49,773 これは 昭和22年冬➡ 609 01:01:49,773 --> 01:01:55,579 広島で 昭和天皇の巡幸を待つ 人々です。 610 01:01:59,983 --> 01:02:05,789 連合国軍 最高司令官 総司令部 いわゆる GHQの➡ 611 01:02:05,789 --> 01:02:08,391 民主化政策が進む中で➡ 612 01:02:08,391 --> 01:02:16,900 昭和21年1月 昭和天皇は 自ら「人間宣言」を行いました。 613 01:02:18,602 --> 01:02:23,473 そして 天皇は 戦禍で荒廃した国内を巡幸し➡ 614 01:02:23,473 --> 01:02:29,946 国民を直接 慰め励ましました。 615 01:02:29,946 --> 01:02:39,256 広島では 爆心地を望む歓迎式場に 5万人の市民が集まりました。 616 01:02:43,426 --> 01:02:50,634 アメリカ軍が撮影した 終戦直後の 大阪か京都と思われます。 617 01:02:50,634 --> 01:02:54,304 敗戦の混乱の中 配給が行き届かず➡ 618 01:02:54,304 --> 01:02:59,309 深刻な食糧不足が 起こっていた頃です。 619 01:03:02,912 --> 01:03:12,622 昭和21年5月。 極東国際軍事裁判 いわゆる 東京裁判が開廷。 620 01:03:12,622 --> 01:03:17,927 この裁判は「平和と人道に 対する罪」を犯したとして➡ 621 01:03:17,927 --> 01:03:21,798 日本の戦争指導者を 裁くものでした。 622 01:03:21,798 --> 01:03:24,267 しかし 裁判の冒頭➡ 623 01:03:24,267 --> 01:03:28,271 戦争そのものを罪として 問う事が できるかどうかが➡ 624 01:03:28,271 --> 01:03:31,041 議論となりました。 625 01:03:31,041 --> 01:03:34,778 アメリカ人の首席検察官 キーナンは➡ 626 01:03:34,778 --> 01:03:41,284 日本を侵略国として裁く事は 正当であると主張します。 627 01:04:20,924 --> 01:04:26,262 一方 アメリカの陸軍少佐の ブレークニー弁護人は➡ 628 01:04:26,262 --> 01:04:30,967 戦争は合法的であると反論します。 629 01:05:19,482 --> 01:05:25,088 しかし 弁護側の動議は 裁判官により却下され➡ 630 01:05:25,088 --> 01:05:28,925 2年後 16人に終身禁錮➡ 631 01:05:28,925 --> 01:05:35,231 東条英機ら7人に 絞首刑の判決が下されました。 632 01:05:40,937 --> 01:05:45,608 昭和25年。 朝鮮戦争が勃発。 633 01:05:45,608 --> 01:05:50,113 この朝鮮戦争の前後 日本を取り上げたニュースにも➡ 634 01:05:50,113 --> 01:05:55,618 冷戦を背景にした 米ソの対立が 明瞭に表れています。 635 01:05:58,822 --> 01:06:01,057 このアメリカのニュース映画は➡ 636 01:06:01,057 --> 01:06:04,894 ソ連の抑留から解放され 帰国した日本兵が➡ 637 01:06:04,894 --> 01:06:07,931 共産主義の手先となっている として➡ 638 01:06:07,931 --> 01:06:13,136 ソ連に対する あからさまな 警戒感を表しています。 639 01:07:03,086 --> 01:07:05,555 ソ連側のニュースでは➡ 640 01:07:05,555 --> 01:07:09,359 アメリカは 日本の民主的自由を 押し潰し➡ 641 01:07:09,359 --> 01:07:13,229 日本を アメリカの軍事的拠点に 変えようとしていると➡ 642 01:07:13,229 --> 01:07:17,033 アメリカを非難しています。 643 01:07:36,753 --> 01:07:40,390 朝鮮戦争が起こると GHQは➡ 644 01:07:40,390 --> 01:07:43,927 日本に警察予備隊の設置を 指令します。 645 01:07:43,927 --> 01:07:50,600 東西対立の中 アメリカは 対日占領政策を大きく転換。 646 01:07:50,600 --> 01:07:58,274 日本が アジアで 資本主義陣営の 一翼を担う事を期待したのです。 647 01:07:58,274 --> 01:08:03,112 この政策の転換を唱えた 国務省の高官 ジョージ・ケナンは➡ 648 01:08:03,112 --> 01:08:06,082 こう語っています。 649 01:08:06,082 --> 01:08:10,853 「共産主義の圧力から 日本を 防衛しようとするならば➡ 650 01:08:10,853 --> 01:08:18,061 アメリカの支援は必要不可欠だ。 しかし 対ソ封じ込めの努力を➡ 651 01:08:18,061 --> 01:08:23,232 アメリカが単独で負担し続ける事は 賢明とは言えない。➡ 652 01:08:23,232 --> 01:08:28,571 それぞれの国で 重荷を負担する必要があった。➡ 653 01:08:28,571 --> 01:08:34,077 アジアで 最大の可能性をはらんだ 舞台は日本である。➡ 654 01:08:34,077 --> 01:08:40,249 日本は アジアにおける 最大の工業地域の中核である。➡ 655 01:08:40,249 --> 01:08:43,086 この日本の復興こそ➡ 656 01:08:43,086 --> 01:08:47,590 東アジアの安定のためには 欠く事ができない。➡ 657 01:08:47,590 --> 01:08:50,927 この国を 共産主義の圏外に置いておき➡ 658 01:08:50,927 --> 01:08:54,597 その巨大な金の力を アメリカのために➡ 659 01:08:54,597 --> 01:08:59,902 フルに活用する事が 是非とも必要であった」。 660 01:09:03,206 --> 01:09:10,947 アジアの共産化の動きに アメリカは 日本との講和を急ぎました。 661 01:09:10,947 --> 01:09:17,353 アメリカを中心とする国々と 早期に 講和を結ぶ事を主張したのが➡ 662 01:09:17,353 --> 01:09:22,859 時の内閣総理大臣 吉田 茂でした。 663 01:09:27,730 --> 01:09:31,067 それに対して 中立を唱え➡ 664 01:09:31,067 --> 01:09:35,571 ソ連を含む 参戦国全体と 講和を結ぶべきだとする➡ 665 01:09:35,571 --> 01:09:40,376 全面講和論が わき起こります。 666 01:09:40,376 --> 01:09:49,118 昭和26年9月4日。 サンフランシスコで 対日講和会議が開幕。 667 01:09:49,118 --> 01:09:55,858 これは アメリカのテレビ局が放送した 対日講和会議のもようです。 668 01:09:55,858 --> 01:10:01,664 東西対立の中 日本との講和は アメリカ国民の関心を呼び➡ 669 01:10:01,664 --> 01:10:06,869 初の 全米向けのテレビ中継となりました。 670 01:10:25,855 --> 01:10:28,758 ジャパン。 671 01:10:28,758 --> 01:10:31,627 (拍手) 672 01:10:31,627 --> 01:10:36,499 日本全権の吉田首相は ソ連など3か国を除く➡ 673 01:10:36,499 --> 01:10:40,636 48か国との講和条約に署名。 674 01:10:40,636 --> 01:10:43,673 実質上 アメリカを中心とする➡ 675 01:10:43,673 --> 01:10:48,177 資本主義陣営との 講和となりました。 676 01:10:51,280 --> 01:10:54,650 講和条約の調印と同じ日➡ 677 01:10:54,650 --> 01:10:59,322 吉田首相は 日米安全保障条約にも調印。 678 01:10:59,322 --> 01:11:04,761 これは 引き続き アメリカ軍が 日本国内に駐留する事を➡ 679 01:11:04,761 --> 01:11:07,964 認めるものでした。 680 01:11:13,402 --> 01:11:18,241 昭和27年4月28日。 681 01:11:18,241 --> 01:11:24,046 対日講和条約と日米安保条約が 発効。 682 01:11:24,046 --> 01:11:29,285 その直後 行われた いわゆる 血のメーデーです。 683 01:11:29,285 --> 01:11:31,621 条約への不満を背景に➡ 684 01:11:31,621 --> 01:11:37,293 デモ隊と警官隊が 激しく正面衝突しました。 685 01:11:37,293 --> 01:11:43,633 日本国内では その後も 革新勢力と 時の政府の間で➡ 686 01:11:43,633 --> 01:11:50,339 安全保障を巡る激しい論争が 展開されていきます。 687 01:11:52,141 --> 01:11:57,313 講和条約発効の翌年 昭和28年。 688 01:11:57,313 --> 01:12:01,083 日本でも テレビ放送が開始されました。 689 01:12:01,083 --> 01:12:04,587 テレビ時代の幕開けです。 690 01:12:06,255 --> 01:12:08,925 その後の日本の姿は➡ 691 01:12:08,925 --> 01:12:15,598 ブラウン管を通して 世界に伝えられる事になります。 692 01:12:15,598 --> 01:13:57,300 ♬~