1 00:00:34,380 --> 00:00:38,080 <今日とても 「神出鬼没の 怪賊云々」というような 2 00:00:38,080 --> 00:00:41,450 三段抜きの大見出しで 相もかわらず書き立てています。 3 00:00:41,450 --> 00:00:44,470 しかし 私は そうした記事には もう なれっこになっていて 4 00:00:44,470 --> 00:00:46,160 別に興味を ひかれませんでしたが 5 00:00:46,160 --> 00:00:49,190 その記事の下の方に 小さい見出しで 6 00:00:49,190 --> 00:00:51,550 「××××氏襲わる」という 7 00:00:51,550 --> 00:00:54,240 十二 三行の記事を発見して 非常に驚きました。 8 00:00:54,240 --> 00:00:56,600 と云いますのは その××××氏は 9 00:00:56,600 --> 00:00:58,950 かくいう 私の伯父だったからです。 10 00:00:58,950 --> 00:01:00,980 記事が簡単で よく分りませんけれど 11 00:01:00,980 --> 00:01:04,340 なんでも 娘の富美子が 賊に誘拐され 12 00:01:04,340 --> 00:01:07,040 その身代金として 一万円を奪われた 13 00:01:07,040 --> 00:01:10,400 ということらしいのです。 14 00:01:10,400 --> 00:01:14,110 そこで 私は早速 荷物をまとめて帰京しました。 15 00:01:14,110 --> 00:01:17,810 ようすを聞きますと 驚いたことには 16 00:01:17,810 --> 00:01:20,510 事件は まだ解決していないのでした。 17 00:01:20,510 --> 00:01:23,530 身代金は 賊の要求どおり 渡したにもかかわらず 18 00:01:23,530 --> 00:01:29,930 肝心の娘が いまだに 帰って来ないというのです。 19 00:01:29,930 --> 00:01:33,300 ここで ちょっと 当時の 「黒手組」のやり口を 20 00:01:33,300 --> 00:01:35,660 説明しておく必要が あるようです。 21 00:01:35,660 --> 00:01:39,360 彼らは きまったように まず 犠牲者の子女を誘拐し 22 00:01:39,360 --> 00:01:42,730 それを人質にして 巨額の身代金を要求するのです。 23 00:01:42,730 --> 00:01:46,090 脅迫状には いつ 何日の何時に どこそこへ 24 00:01:46,090 --> 00:01:48,790 金 何万円を持参せよと くわしい指定があって 25 00:01:48,790 --> 00:01:53,490 その場所には 「黒手組」の首領が ちゃんと待ち構えています。 26 00:01:53,490 --> 00:01:55,520 又 被害者が あらかじめ警察に届け出て 27 00:01:55,520 --> 00:01:59,220 身代金を手渡す場所に 刑事などを 張り込ませておきますと 28 00:01:59,220 --> 00:02:00,570 どうして察知するのか 29 00:02:00,570 --> 00:02:05,280 彼らは 決して そこへ やって来ません。 30 00:02:05,280 --> 00:02:06,970 思うに こんどの黒手組事件は 31 00:02:06,970 --> 00:02:10,000 よくある不良青年の 気まぐれなどではなくて 32 00:02:10,000 --> 00:02:11,690 非常に頭の鋭い 33 00:02:11,690 --> 00:02:17,400 しかも きわめて豪胆な連中の 仕業に相違ありません。 34 00:02:17,400 --> 00:02:19,760 賊のやり方は うわさにたがわず 実に 巧妙をきわめていて 35 00:02:19,760 --> 00:02:25,760 なんとなく 妖怪じみた すごいところさえあるのです> 36 00:02:28,180 --> 00:02:30,870 <彼なれば この事件にも 37 00:02:30,870 --> 00:02:35,590 なんとか 眼鼻を つけてくれるかも知れません。 38 00:02:35,590 --> 00:02:38,620 間もなく 明智と私とは 39 00:02:38,620 --> 00:02:40,970 伯父の邸の 数寄を凝らした応接間で 40 00:02:40,970 --> 00:02:43,330 伯父と対座していました。 41 00:02:43,330 --> 00:02:46,700 伯母や書生の牧田なども 出て来て 話に加わりました。 42 00:02:46,700 --> 00:02:49,730 この牧田というのは 身代金手交の当日 43 00:02:49,730 --> 00:02:53,090 伯父の護衛役として 現場へ同行した男なので 44 00:02:53,090 --> 00:02:56,800 参考のために 伯父に呼ばれたのでした> 45 00:02:56,800 --> 00:03:01,170 事の起こりは さよう 今日から6日前 46 00:03:01,170 --> 00:03:03,870 つまり 13日でした。 47 00:03:03,870 --> 00:03:06,900 その日の ちょうど昼頃 娘の富美が 48 00:03:06,900 --> 00:03:08,590 ちょっと友達の所までと言って 49 00:03:08,590 --> 00:03:13,970 着替えをして 家を出たまま 晩になっても帰らない。 50 00:03:13,970 --> 00:03:17,680 我々はじめ 黒手組のうわさに 脅かされている際でしたから 51 00:03:17,680 --> 00:03:23,390 まず この家内が 心配を始めましてね。 52 00:03:23,390 --> 00:03:25,080 分かっているだけの 友達の所へは 53 00:03:25,080 --> 00:03:27,780 すっかり 電話をかけさせてみたが 54 00:03:27,780 --> 00:03:30,810 どこへも寄っていない。 55 00:03:30,810 --> 00:03:33,500 それから 書生や出入りの者などを 駆り集めて 56 00:03:33,500 --> 00:03:36,530 八方 捜索に尽くしました。 57 00:03:36,530 --> 00:03:40,910 その晩は とうとう 我々はじめ 一睡もせずでしたよ。 58 00:03:40,910 --> 00:03:43,260 (明智)ちょっと お話し中ですが 59 00:03:43,260 --> 00:03:45,960 その時 お嬢さんが お出ましになるところを 60 00:03:45,960 --> 00:03:49,660 実際に見られた方が ありましたでしょうか? 61 00:03:49,660 --> 00:03:52,690 それはもう 女どもや書生などが 62 00:03:52,690 --> 00:03:58,410 確かに見たのだそうで ございます。 63 00:03:58,410 --> 00:04:00,770 それからあとは 一切不明なのですね。 64 00:04:00,770 --> 00:04:03,800 ここは ご存じのとおり さみしい屋敷町で 65 00:04:03,800 --> 00:04:06,840 近所の人といっても そう出歩かないようだし 66 00:04:06,840 --> 00:04:10,540 それは 随分 訪ね回ってみたのですが 67 00:04:10,540 --> 00:04:15,250 誰ひとり 娘を見かけた者がないのです。 68 00:04:15,250 --> 00:04:17,950 その翌日の昼過ぎでした。 69 00:04:17,950 --> 00:04:21,650 心配していた黒手組の脅迫状が 舞い込んだのです。 70 00:04:21,650 --> 00:04:25,690 脅迫状は 警察へ持っていって 今 ありませんが 71 00:04:25,690 --> 00:04:28,690 文句は… 72 00:04:37,810 --> 00:04:43,810 「もし 警察へ訴えたりすれば 人質の命はないものと思え」。 73 00:04:45,560 --> 00:04:48,920 ざっとまあ こんなものでした。 74 00:04:48,920 --> 00:04:51,280 その脅迫状を警察で調べた結果 75 00:04:51,280 --> 00:04:54,310 何か 手がかりでも 見つかりませんでしたか? 76 00:04:54,310 --> 00:04:58,010 それがね まるで 手がかりがないというのです。 77 00:04:58,010 --> 00:05:01,370 警視庁には そういう事を調べる設備は 78 00:05:01,370 --> 00:05:04,750 よく ととのっていますから まず間違いはありますまい。 79 00:05:04,750 --> 00:05:09,120 で 消印は どこの局に なっていましたでしょう? 80 00:05:09,120 --> 00:05:11,470 いや 消印はありません。 81 00:05:11,470 --> 00:05:13,840 というのは 郵便で送ったのではなく 82 00:05:13,840 --> 00:05:18,550 誰かが 表の郵便受け箱へ 投げ込んでいったらしいのです。 83 00:05:18,550 --> 00:05:21,920 それを箱から お出しになったのは どなたでしょう? 84 00:05:21,920 --> 00:05:27,640 私です。 郵便物は全て 私が取りまとめて 85 00:05:27,640 --> 00:05:31,340 奥様の所へ 差し出しますんで 86 00:05:31,340 --> 00:05:36,050 13日の午後の 第1回の配達の分を 取り出した中に 87 00:05:36,050 --> 00:05:39,760 その脅迫状が交じっておりました。 88 00:05:39,760 --> 00:05:44,140 で それから どうなさいました? 89 00:05:44,140 --> 00:05:47,840 わしは よほど 警察沙汰に してやろうかと思いましたが 90 00:05:47,840 --> 00:05:52,220 娘の命を取ると言われては そうもなりかねる。 91 00:05:52,220 --> 00:05:55,590 かわいい娘には代えられぬと 観念して 92 00:05:55,590 --> 00:06:00,300 残念だが 1万円出す事にしました。 93 00:06:00,300 --> 00:06:02,990 わしは 少し早めに用意をして 94 00:06:02,990 --> 00:06:07,700 百円札で 1万円 白紙に包んだのを懐中し 95 00:06:07,700 --> 00:06:10,740 脅迫状には 「必ず一人で 来るように」とありましたが 96 00:06:10,740 --> 00:06:15,450 もしもの場合の護衛役として この牧田を連れて 97 00:06:15,450 --> 00:06:18,140 あの寂しい場所へ 出かけました。 98 00:06:18,140 --> 00:06:21,840 ご承知のとおり 一本松の周りは 一帯の灌木林で 99 00:06:21,840 --> 00:06:23,860 かなり気味が悪い。 100 00:06:23,860 --> 00:06:28,240 が わしは じっと辛抱して そこに立っていました。 101 00:06:28,240 --> 00:06:30,610 さあ 30分も待ったでしょうかな。 102 00:06:30,610 --> 00:06:34,980 牧田 お前は あの間 どうしていたっけなあ? 103 00:06:34,980 --> 00:06:40,710 はあ ご主人の所から10間ぐらいも ありましたかと思いますが 104 00:06:40,710 --> 00:06:46,420 じ~っと ご主人の懐中電灯の光を 見つめておりました。 105 00:06:46,420 --> 00:06:50,120 で 賊は どの方角から参りました? 106 00:06:50,120 --> 00:06:54,170 賊は 原っぱの方から来たようです。 107 00:06:54,170 --> 00:06:55,520 どんな風をしていました? 108 00:06:55,520 --> 00:07:03,260 いや~ よくは 分からなかったが 頭から足の先まで 真っ黒で 109 00:07:03,260 --> 00:07:06,630 非常に背の高い男だった事だけは 間違いない。 110 00:07:06,630 --> 00:07:10,330 わしは これで 5尺5寸あるのですが 111 00:07:10,330 --> 00:07:16,050 その男は わしよりも 2~3寸も高かったようです。 112 00:07:16,050 --> 00:07:19,760 何か言いましたか? だんまりですよ。 113 00:07:19,760 --> 00:07:24,470 わしの前まで来ると 一方の手に ピストルを差し向けながら 114 00:07:24,470 --> 00:07:26,500 もう一方の手を ぐっと突き出したもんです。 115 00:07:26,500 --> 00:07:30,870 で わしも無言で 金の包みを手渡ししました。 116 00:07:30,870 --> 00:07:34,580 そして 娘の事を言おうとして 口をききかけると 117 00:07:34,580 --> 00:07:39,280 賊のやつ やにわに 人さし指を口の前に立てて 118 00:07:39,280 --> 00:07:40,970 「シ~ッ」と言うのです。 119 00:07:40,970 --> 00:07:44,330 わしは 黙ってろという 合図だと思って 120 00:07:44,330 --> 00:07:45,680 何も言いませんでした。 121 00:07:45,680 --> 00:07:48,040 賊は ピストルを わしの方に向けたまま 122 00:07:48,040 --> 00:07:51,070 後じさりに だんだん遠ざかっていって 123 00:07:51,070 --> 00:07:53,770 林の中に 見えなくなってしまったのです。 124 00:07:53,770 --> 00:07:56,800 わしは しばらく 身動きもできないで 125 00:07:56,800 --> 00:08:00,500 立ちすくんでいましたが そうしていても際限がないので 126 00:08:00,500 --> 00:08:04,200 後ろの方を振り向いて 小声で 牧田を呼びました。 127 00:08:04,200 --> 00:08:06,890 すると 牧田は茂みから ごそごそ出てきて…。 128 00:08:06,890 --> 00:08:09,250 もう行きましたか? 129 00:08:09,250 --> 00:08:10,610 (伯父)…と びくびくもので聞くのです。 130 00:08:10,610 --> 00:08:15,980 牧田さんの隠れていた所からも 賊の姿は見えましたか? 131 00:08:15,980 --> 00:08:20,700 はあ 姿は見えませんでしたが 何か こう 132 00:08:20,700 --> 00:08:23,740 賊の足音のようなものを 聞いたと思いますので。 133 00:08:23,740 --> 00:08:26,090 それから どうしました? 134 00:08:26,090 --> 00:08:29,110 で わしは もう帰ろうと言うと 135 00:08:29,110 --> 00:08:32,820 牧田が 賊の足跡を 調べてみようと言うのです。 136 00:08:32,820 --> 00:08:34,850 つまり 後になって 警察に教えてやれば 137 00:08:34,850 --> 00:08:38,550 非常な手がかりになるだろう という意見でね。 138 00:08:38,550 --> 00:08:42,240 そうだったね 牧田。 はあ。 139 00:08:42,240 --> 00:08:43,940 足跡は見つかりましたか? 140 00:08:43,940 --> 00:08:48,650 それがね 賊の足跡というものが ないのです。 141 00:08:48,650 --> 00:08:51,680 昨日も 刑事が調べに行ったそうですが 142 00:08:51,680 --> 00:08:56,390 さみしい場所で その後 人も通らなかったと見え 143 00:08:56,390 --> 00:09:00,090 わしたち 両人の足跡は ちゃんと残っているのに 144 00:09:00,090 --> 00:09:04,090 そのほかの足跡は 一つもないという事でした。 145 00:09:07,160 --> 00:09:12,160 <私は最初 伯父から 話を 聞いた時にも思ったことですが…> 146 00:09:15,920 --> 00:09:18,620 <それは 実に一種 不気味な事実でした> 147 00:09:18,620 --> 00:09:23,320 ところで 近頃 お嬢さんの所へ 148 00:09:23,320 --> 00:09:26,020 何か 疑わしい 手紙のようなものでも 149 00:09:26,020 --> 00:09:28,370 参っていないでしょうか? 150 00:09:28,370 --> 00:09:30,740 私どもでは 娘の所へ参りました手紙類は 151 00:09:30,740 --> 00:09:35,440 必ず一度 私が目を 通すようにしておりますので 152 00:09:35,440 --> 00:09:40,160 怪しいものがあれば じきに 分かるはずでございますが 153 00:09:40,160 --> 00:09:45,890 さようでございますね 近頃は 別段 これといって…。 154 00:09:45,890 --> 00:09:50,260 いや ごくつまらないような事でも 結構です。 155 00:09:50,260 --> 00:09:54,970 どうかお気付きの点を ご遠慮なく お話し願いたいのですが。 156 00:09:54,970 --> 00:09:58,010 でも…。 ともかく お話しなすってみて下さい。 157 00:09:58,010 --> 00:10:02,380 そういうところに 往々 思わぬ手がかりがあるものです。 158 00:10:02,380 --> 00:10:06,090 どうか。 では 申し上げますが 159 00:10:06,090 --> 00:10:09,800 一月ばかり前から 娘の所へ 160 00:10:09,800 --> 00:10:13,830 私どもの一向 聞き覚えのない お名前の方から 161 00:10:13,830 --> 00:10:17,200 ちょくちょく 葉書が参るのでございますよ。 162 00:10:17,200 --> 00:10:20,570 いつでしたか 一度 私は娘に 163 00:10:20,570 --> 00:10:23,260 これは 学校時代のお友達ですか? 164 00:10:23,260 --> 00:10:26,960 って 聞いてみた事が ございましたが 娘は…。 165 00:10:26,960 --> 00:10:29,320 ええ。 166 00:10:29,320 --> 00:10:31,340 と答えは致しましたものの どうやら 167 00:10:31,340 --> 00:10:34,710 何か隠している 様子なのでございます。 168 00:10:34,710 --> 00:10:37,060 もうそんな ささいな事は 169 00:10:37,060 --> 00:10:39,410 すっかり 忘れておりましたのですが 170 00:10:39,410 --> 00:10:43,450 お言葉で ふと思い出した事がございます。 171 00:10:43,450 --> 00:10:46,830 と申しますのは 娘が かどわかされます 172 00:10:46,830 --> 00:10:52,550 ちょうど前日に その変な葉書が 参っているのでございますよ。 173 00:10:52,550 --> 00:10:56,930 では それを一度 拝見願えませんでしょうか。 174 00:10:56,930 --> 00:11:00,930 (伯母)よろしゅうございます。 175 00:11:01,650 --> 00:11:04,000 <そうして 伯母は 問題の葉書というのを 176 00:11:04,000 --> 00:11:06,360 探し出して来ました。 177 00:11:06,360 --> 00:11:09,380 見ると 日附は 伯母のいった通り 十二日で 178 00:11:09,380 --> 00:11:10,730 差出人は匿名なのでしょう 179 00:11:10,730 --> 00:11:14,090 ただ 「やよい」となっています。 180 00:11:14,090 --> 00:11:17,120 私も その葉書を手に取って 充分 吟味してみましたが 181 00:11:17,120 --> 00:11:20,490 なんの変てつもない 如何にも少女らしい 182 00:11:20,490 --> 00:11:22,520 要でもない文句を 並べたものに過ぎません。 183 00:11:22,520 --> 00:11:25,200 ところが 明智は何を思ったのか 184 00:11:25,200 --> 00:11:27,230 さも一大事という調子で その葉書を 185 00:11:27,230 --> 00:11:30,600 しばらく拝借して行きたい というではありませんか。 186 00:11:30,600 --> 00:11:34,300 もちろん 拒むべき事でもなく 伯父は 即座に承諾しましたが 187 00:11:34,300 --> 00:11:39,300 私には 明智の考えが ちっとも わからないのです> 188 00:11:42,720 --> 00:11:46,420 <その翌日 ちょっと 煙草屋の お内儀さんに 声をかけて 189 00:11:46,420 --> 00:11:49,790 いきなり 明智の部屋への階段を 上がろうとしますと…> 190 00:11:49,790 --> 00:11:52,150 あら 今日は いらっしゃいませんよ。 191 00:11:52,150 --> 00:11:55,850 珍しく 朝早くから どっかへ お出かけになりましたの。 192 00:11:55,850 --> 00:11:59,890 <さてはもう 活動を始めたかしら。 それにしても 朝寝坊の彼が 193 00:11:59,890 --> 00:12:02,240 こんな早くから 外出するというのは 194 00:12:02,240 --> 00:12:03,940 余り 例のないことだと思いながら 195 00:12:03,940 --> 00:12:09,310 少し間をおいて 二度も三度も 明智を訪問したことです。 196 00:12:09,310 --> 00:12:15,050 ところが 何度行って見ても 彼は帰っていないのです。 197 00:12:15,050 --> 00:12:20,770 私は 少々 心配になって来ました。 198 00:12:20,770 --> 00:12:25,470 私は一応 伯父の耳に 入れておく方がいいと 199 00:12:25,470 --> 00:12:27,170 思いましたので 事情を話しますと…> 200 00:12:27,170 --> 00:12:28,520 それは大変だ。 201 00:12:28,520 --> 00:12:32,890 <明智までも 賊の虜になって しまったのではあるまいか。 202 00:12:32,890 --> 00:12:35,240 もしや そんなことがあったら 203 00:12:35,240 --> 00:12:38,280 明智の親許に対しても 何とも申しわけがないとあって 204 00:12:38,280 --> 00:12:40,630 伯父を始め 騒ぎ出すという始末です。 205 00:12:40,630 --> 00:12:42,980 私は 明智に限って 206 00:12:42,980 --> 00:12:45,340 万々 へまな真似はしまいと 信じていましたが 207 00:12:45,340 --> 00:12:49,380 こう周囲で騒がれては 心配しないわけにはいきません。 208 00:12:49,380 --> 00:12:55,380 ところが その日の午後になって 一通の電報が配達されました> 209 00:13:00,160 --> 00:13:06,160 ハッハッハッハッ。 やった やったな。 210 00:13:06,900 --> 00:13:11,610 <そうして待ちかねた私たちの前に 明智の ニコニコ顔が現れたのは 211 00:13:11,610 --> 00:13:15,610 もう日暮れ時分でした> 212 00:13:17,000 --> 00:13:21,710 非常に残念ですが 何も お話しできないのです。 213 00:13:21,710 --> 00:13:24,070 いくら私が無謀でも 214 00:13:24,070 --> 00:13:28,430 単身で あの凶賊を 逮捕する事などできません。 215 00:13:28,430 --> 00:13:31,140 私は いろいろ考えた結果 ごく穏やかに 216 00:13:31,140 --> 00:13:34,490 お嬢さんを取り戻す 工夫をしたのです。 217 00:13:34,490 --> 00:13:37,870 つまり 賊の方から のしをつけて 返上させるといった方法ですね。 218 00:13:37,870 --> 00:13:40,230 すなわち 黒手組の方では 219 00:13:40,230 --> 00:13:42,920 お嬢さんも 身代金の1万円も 返す事。 220 00:13:42,920 --> 00:13:46,620 そして将来とも お宅に対しては 絶対に手出しをしない事。 221 00:13:46,620 --> 00:13:51,340 私の方では 黒手組に関しては 一切 口外しない事。 222 00:13:51,340 --> 00:13:55,040 そして将来とも 黒手組逮捕の 助力など絶対にせぬ事。 223 00:13:55,040 --> 00:13:57,730 こういうのです。 224 00:13:57,730 --> 00:14:00,760 私としては お宅の損害を回復しさえすれば 225 00:14:00,760 --> 00:14:04,460 それで役目が済むのですから 226 00:14:04,460 --> 00:14:08,170 下手にやって 「虻蜂取らず」に 終わるよりはと思って 227 00:14:08,170 --> 00:14:11,870 賊の申し出を承知して 帰ったような次第です。 228 00:14:11,870 --> 00:14:14,570 そういう訳ですから どうか お嬢さんにも 229 00:14:14,570 --> 00:14:22,310 黒手組については 一切 お尋ね下さいませんように。 230 00:14:22,310 --> 00:14:29,720 で これが 例の1万円です。 確かに お渡しします。 231 00:14:29,720 --> 00:14:34,430 いや~ もう あんたは全く 娘の命の親です。 232 00:14:34,430 --> 00:14:36,450 わしは ここで誓っときます。 233 00:14:36,450 --> 00:14:39,820 将来とも あんたのお頼みなら どんな無理な事でも 234 00:14:39,820 --> 00:14:42,850 きっと承知するという事をね。 235 00:14:42,850 --> 00:14:45,550 どうです? さしあたり 何か 236 00:14:45,550 --> 00:14:48,580 お望み下さる事でも ありませんかな? 237 00:14:48,580 --> 00:14:52,280 それは ありがたいですね。 例えば どうでしょう? 238 00:14:52,280 --> 00:14:54,970 私の友人の ある男が 239 00:14:54,970 --> 00:14:57,330 お嬢さんに 大変 焦がれているのですが 240 00:14:57,330 --> 00:15:00,360 その男に お嬢さんを頂戴する 241 00:15:00,360 --> 00:15:03,050 というような望みでも 構いませんでしょうか? 242 00:15:03,050 --> 00:15:07,770 ハッハッハッハッ あんたも なかなか隅に置けない。 243 00:15:07,770 --> 00:15:11,810 いや~ あんたが 先の人物さえ保証して下さりゃ 244 00:15:11,810 --> 00:15:15,520 娘を差し上げまいものでも ありませんよ。 245 00:15:15,520 --> 00:15:21,230 その友人は… 246 00:15:21,230 --> 00:15:25,950 クリスチャンなんですが この点は どうでしょう? 247 00:15:25,950 --> 00:15:30,670 よろしい。 わしは 一体 耶蘇教は大嫌いですが 248 00:15:30,670 --> 00:15:34,360 ほかならん あんたのお頼みとあれば 249 00:15:34,360 --> 00:15:37,390 ひとつ 考えてみましょう。 250 00:15:37,390 --> 00:15:38,750 いや~ ありがとう。 251 00:15:38,750 --> 00:15:42,440 きっと いつか お願いにあがりますよ。 252 00:15:42,440 --> 00:15:49,860 どうか 今のお言葉を お忘れないように願います。 253 00:15:49,860 --> 00:15:53,560 <このひとくさりの会話は ちょっと妙な感じのものでした。 254 00:15:53,560 --> 00:15:56,250 座興と見れば そうとも考えられますが 255 00:15:56,250 --> 00:16:02,310 真剣な話と思えば 又 そうらしくもあるのです。 256 00:16:02,310 --> 00:16:05,000 伯父は 明智を玄関まで送り出して 257 00:16:05,000 --> 00:16:08,710 お礼の寸志だと云いながら 彼が辞退するのも聞かないで 258 00:16:08,710 --> 00:16:12,710 無理に 二千円の金包みを 明智の懐へ押し込みました> 259 00:16:18,130 --> 00:16:20,490 今度の事件の出発点はね 260 00:16:20,490 --> 00:16:25,490 あの 足跡のなかった という事実だよ。 261 00:16:27,220 --> 00:16:30,930 あれには少なくとも 6つの可能な場合がある。 262 00:16:30,930 --> 00:16:33,960 第一は 伯父さんや刑事が 263 00:16:33,960 --> 00:16:37,320 賊の足跡を見落としたという解釈。 264 00:16:37,320 --> 00:16:41,030 第二は 賊が何かに ぶら下がるか それとも綱渡りでもするか 265 00:16:41,030 --> 00:16:43,050 とにかく 足跡のつかぬ方法で 266 00:16:43,050 --> 00:16:44,740 現場へ やってきたという解釈。 267 00:16:44,740 --> 00:16:47,770 第三は 伯父さんか牧田かが 268 00:16:47,770 --> 00:16:51,460 賊の足跡を ふみ消してしまった という解釈。 269 00:16:51,460 --> 00:16:53,830 第四は 偶然 賊の履物と 270 00:16:53,830 --> 00:16:56,190 伯父さん または 牧田の履物と 271 00:16:56,190 --> 00:16:57,540 同じだったという解釈。 272 00:16:57,540 --> 00:17:01,910 それから 第五は 賊が現場へこなかった。 273 00:17:01,910 --> 00:17:06,620 つまり伯父さんが何かの必要から 一人芝居を演じたのだという解釈。 274 00:17:06,620 --> 00:17:08,650 第六は 牧田と賊とが 275 00:17:08,650 --> 00:17:14,360 同一人物だったという 解釈。 この6つだ。 276 00:17:14,360 --> 00:17:16,730 僕は ともかく現場を 調べてみる必要を感じたので 277 00:17:16,730 --> 00:17:19,760 あの翌朝 早速 T原へ行ってみた。 278 00:17:19,760 --> 00:17:23,450 警察の連中は 大変な見落としを やっていたのだよ。 279 00:17:23,450 --> 00:17:26,480 というのは 地面に たくさん 何だか こう 280 00:17:26,480 --> 00:17:27,840 とがったもので 突いたような跡があるんだ。 281 00:17:27,840 --> 00:17:30,870 もっとも それは 伯父さんたちの 足跡の下に隠れていて 282 00:17:30,870 --> 00:17:33,560 ちょっと見たんでは 分からないのだがね。 283 00:17:33,560 --> 00:17:36,590 僕は それを見て いろいろ 想像を巡らしているうちに 284 00:17:36,590 --> 00:17:39,280 ふと ある事を思い出した。 285 00:17:39,280 --> 00:17:43,660 天来の妙音とでもいうか 実に すばらしい考えなんだよ。 286 00:17:43,660 --> 00:17:48,040 それはね 書生の牧田が 小さな体に似合わない 287 00:17:48,040 --> 00:17:51,400 太い黒メリンスの へこ帯を 288 00:17:51,400 --> 00:17:54,420 大きな結び目を こしらえて 締めているだろう。 289 00:17:54,420 --> 00:17:56,790 後ろから見ると ちょっと滑稽な感じを与えるね。 290 00:17:56,790 --> 00:18:00,500 僕は 偶然 あれを覚えていたんだ。 これでもう 僕には 291 00:18:00,500 --> 00:18:06,890 何もかも分かってしまったような 気がしたよ。 292 00:18:06,890 --> 00:18:09,590 で 結局 どうなんだい? 293 00:18:09,590 --> 00:18:12,620 つまりね さっき言った6つの解釈のうち 294 00:18:12,620 --> 00:18:16,320 第三と第六とが 当たっているんだ。 295 00:18:16,320 --> 00:18:20,020 言いかえると 書生の牧田と賊とが 296 00:18:20,020 --> 00:18:22,370 同一人物だったのさ。 297 00:18:22,370 --> 00:18:24,740 牧田だって? それは不合理だよ。 298 00:18:24,740 --> 00:18:27,770 あんな愚かな それに正直者で通っている男が。 299 00:18:27,770 --> 00:18:31,460 第一 伯父は 賊が大男の彼よりも 300 00:18:31,460 --> 00:18:34,490 2~3寸も 背が高かったと言っている。 301 00:18:34,490 --> 00:18:37,190 そうすると 5尺7~8寸はあったはずだ。 302 00:18:37,190 --> 00:18:39,550 ところが 牧田は反対に あんな ちっぽけな男じゃないか。 303 00:18:39,550 --> 00:18:43,930 反対も こう極端になると ちょっと疑ってみる必要があるよ。 304 00:18:43,930 --> 00:18:46,620 一方は 日本人としては珍しい大男で 305 00:18:46,620 --> 00:18:50,320 一方は 奇形に近い小男だね。 306 00:18:50,320 --> 00:18:56,050 これは いかにも鮮やかな対照だ。 惜しい事に 少し鮮やかすぎたよ。 307 00:18:56,050 --> 00:18:59,750 もし牧田が もう少し短い竹馬を使ったら 308 00:18:59,750 --> 00:19:02,440 かえって 僕は 迷わされたかもしれない。 309 00:19:02,440 --> 00:19:05,470 ハハハハ 分かるだろう? 310 00:19:05,470 --> 00:19:08,840 彼はね 竹馬を短くしたようなものを 311 00:19:08,840 --> 00:19:12,210 あらかじめ 現場に隠しておいて それを手で持つ代わりに 312 00:19:12,210 --> 00:19:15,240 両足に縛りつけて 用を弁じたんだよ。 313 00:19:15,240 --> 00:19:16,590 そして 賊の役目を務めたあとで 314 00:19:16,590 --> 00:19:19,950 今度は 竹馬の跡を消すために 315 00:19:19,950 --> 00:19:24,330 賊の足跡を 調べ回ったりなんかしたのさ。 316 00:19:24,330 --> 00:19:25,680 そんな 子供だましみたいな事を 317 00:19:25,680 --> 00:19:29,040 どうして 伯父が 看破できなかったのだろう? 318 00:19:29,040 --> 00:19:34,430 それが 例のメリンスの へこ帯なんだ。 実に うまい考えだろう? 319 00:19:34,430 --> 00:19:39,820 あの大幅の黒いメリンスを グルグルと 頭から足の先まで巻きつけりゃ 320 00:19:39,820 --> 00:19:43,530 牧田の小さな体ぐらい 訳なく隠れてしまうからね。 321 00:19:43,530 --> 00:19:45,550 それじゃ あの牧田が 322 00:19:45,550 --> 00:19:48,910 黒手組の手先を務めていたとでも 言うのかい? 323 00:19:48,910 --> 00:19:51,940 どうも おかしいね。 黒手…。 324 00:19:51,940 --> 00:19:57,320 おや? まだ そんな事を考えているのか。 325 00:19:57,320 --> 00:20:02,040 君にも似合わない。 ちと今日は 頭が鈍っているようだね。 326 00:20:02,040 --> 00:20:05,070 伯父さんにしろ 警察にしろ 果ては 君までも 327 00:20:05,070 --> 00:20:08,780 すっかり 黒手組恐怖症に 取っつかれているんだからね。 328 00:20:08,780 --> 00:20:11,810 まあ 時節柄 無理もない話だけれど 329 00:20:11,810 --> 00:20:14,840 もし君が いつものように 冷静でいたら 330 00:20:14,840 --> 00:20:17,190 なにも僕を待つまでもなく 331 00:20:17,190 --> 00:20:22,580 君の手で 十分 今度の事件は 解決できただろうよ。 332 00:20:22,580 --> 00:20:30,320 これには 黒手組なんて まるで関係ないんだ。 333 00:20:30,320 --> 00:20:32,680 じゃあ さっき君は 黒手組と約束したなんて 334 00:20:32,680 --> 00:20:35,040 なぜ あんな でたらめを言ったのだい? 335 00:20:35,040 --> 00:20:38,740 第一 分からないのは もし 牧田の仕業とすれば 336 00:20:38,740 --> 00:20:41,100 彼を 黙って放っておくのも 変じゃないか。 337 00:20:41,100 --> 00:20:44,800 それから牧田は あんな男で 富美子を誘拐したり 338 00:20:44,800 --> 00:20:47,490 それを数日の間も 隠しておいたりする力が 339 00:20:47,490 --> 00:20:49,520 ありそうにも思われぬし。 340 00:20:49,520 --> 00:20:53,890 現に 富美子が家を出た日には 彼は終日 伯父の邸にいて 341 00:20:53,890 --> 00:20:57,260 一歩も 外へ出なかった というではないか。 342 00:20:57,260 --> 00:20:58,610 一体 牧田みたいな男に 343 00:20:58,610 --> 00:21:01,640 こんな大仕事が できるものだろうか。 344 00:21:01,640 --> 00:21:06,340 それから…。 疑問百出の態だね。 345 00:21:06,340 --> 00:21:10,730 だがね もし君が この葉書の 暗号文を解いていたら 346 00:21:10,730 --> 00:21:16,440 少なくとも これが暗号文だ という事を 看破していたら 347 00:21:16,440 --> 00:21:20,150 そんなに 不思議がらないで済んだろうよ。 348 00:21:20,150 --> 00:21:22,170 この暗号文がなかったら 349 00:21:22,170 --> 00:21:25,210 僕は とても牧田を疑う気には なれなかったに相違ない。 350 00:21:25,210 --> 00:21:27,900 しかも これが暗号文だと 351 00:21:27,900 --> 00:21:30,590 最初から ハッキリ 分かっていたのではない。 352 00:21:30,590 --> 00:21:33,290 ただ疑ってみたんだ。 353 00:21:33,290 --> 00:21:38,000 疑った訳はね この葉書が 富美子さんの いなくなる 354 00:21:38,000 --> 00:21:43,720 ちょうど前日に来ていた事。 355 00:21:43,720 --> 00:21:50,450 手跡が うまく まねてはあるが どうやら男らしい事。 356 00:21:50,450 --> 00:21:52,470 富美子さんが これについて聞かれた時 357 00:21:52,470 --> 00:21:54,830 妙なそぶりを 示した事などもあったが 358 00:21:54,830 --> 00:21:58,830 それよりもね これを見たまえ。 359 00:22:00,900 --> 00:22:03,590 まるで 原稿用紙へでも書いたように 360 00:22:03,590 --> 00:22:06,960 各行18字詰めに 実に きれいに書いてある。 361 00:22:06,960 --> 00:22:11,960 が ここへ 横に ず~っと線を引いてみるんだ。 362 00:22:14,700 --> 00:22:18,400 この線に沿って ずっと横に目を通してみたまえ。 363 00:22:18,400 --> 00:22:21,420 どの列も半分ぐらい 仮名が交じっているだろう? 364 00:22:21,420 --> 00:22:23,110 ところが たった一つの例外がある。 365 00:22:23,110 --> 00:22:24,800 それは この一番初めの線に沿った 366 00:22:24,800 --> 00:22:27,830 各行の第1字目だ。 漢字ばかりじゃないか。 367 00:22:27,830 --> 00:22:30,530 これは どうも 偶然にしては変だ。 368 00:22:30,530 --> 00:22:34,230 僕は ふと2字だけ 抹消した文字のあるのに気付いた。 369 00:22:34,230 --> 00:22:36,590 こんなに きれいに書いた 文章の中に 370 00:22:36,590 --> 00:22:39,280 汚い消しがあるのは ちょっと変だからね。 371 00:22:39,280 --> 00:22:42,310 しかも それが 2つとも第2字目なんだ。 372 00:22:42,310 --> 00:22:43,990 僕は 自分の経験で知っているが 373 00:22:43,990 --> 00:22:47,020 日本語で暗号文を作る時 最も困るのは 374 00:22:47,020 --> 00:22:49,720 濁音 半濁音の始末だよ。 375 00:22:49,720 --> 00:22:53,760 でね 抹消文字は その上に位する漢字の 376 00:22:53,760 --> 00:22:56,780 濁音を示すための 細工じゃないかと考えたんだ。 377 00:22:56,780 --> 00:22:59,480 果たして そうだとすると この漢字は 378 00:22:59,480 --> 00:23:02,520 おのおの1字ずつの仮名を 代表するものでなければならない。 379 00:23:02,520 --> 00:23:05,540 つまり これは 漢字の字画がキーなんだよ。 380 00:23:05,540 --> 00:23:09,240 それも 偏と旁を別々に勘定するんだ。 381 00:23:09,240 --> 00:23:12,950 例えば 「好」は 偏が3画で 旁が3画だから 382 00:23:12,950 --> 00:23:15,300 3 3という 組み合わせになる。 383 00:23:15,300 --> 00:23:17,670 で それを表にしてみると こうだ。 384 00:23:17,670 --> 00:23:20,020 この数字を見ると 385 00:23:20,020 --> 00:23:22,720 偏の方は11まで 旁の方は4までしかない。 386 00:23:22,720 --> 00:23:26,410 これが 何かの数に符合しやしないか。 387 00:23:26,410 --> 00:23:28,780 偏の画の数は 子音の順序を示し 388 00:23:28,780 --> 00:23:33,480 旁の画の数は母音の順序を 示すものと仮定するのだ。 389 00:23:33,480 --> 00:23:35,510 すると 「一」は1画で旁がないから 390 00:23:35,510 --> 00:23:38,880 ア行の第1字目 すなわち「ア」となり 391 00:23:38,880 --> 00:23:41,230 「好」は 偏が3画だから サ行で 392 00:23:41,230 --> 00:23:44,260 旁が3画だから 第3字目の「ス」だ。 393 00:23:44,260 --> 00:23:47,260 こうして 当てはめていくと… 394 00:23:51,670 --> 00:23:54,360 さて 年頃の 女の所へ 395 00:23:54,360 --> 00:23:56,720 暗号文で 時間と場所を知らせてくる。 396 00:23:56,720 --> 00:23:59,410 しかも それが どうやら男の手跡らしい。 397 00:23:59,410 --> 00:24:02,440 この場合 ほかに考え方があるだろうか。 398 00:24:02,440 --> 00:24:05,470 あいびきの打ち合わせと 見るほかにはね。 399 00:24:05,470 --> 00:24:09,170 そうなると 事件は 黒手組らしく なくなってくるじゃないか。 400 00:24:09,170 --> 00:24:12,200 少なくとも 黒手組を捜索する前に 401 00:24:12,200 --> 00:24:14,900 一応 この葉書の差出人を 取り調べてみる必要があるだろう。 402 00:24:14,900 --> 00:24:17,260 ところが 葉書の主は 403 00:24:17,260 --> 00:24:20,280 富美子さんのほかに 知っている者がない。 404 00:24:20,280 --> 00:24:21,970 ちょっと難関だね。 しかし ひとたび これを 405 00:24:21,970 --> 00:24:24,670 牧田の行為と 結び付けて考えてみると 406 00:24:24,670 --> 00:24:28,030 疑問は釈然として氷解するのだよ。 407 00:24:28,030 --> 00:24:31,740 というのは もし 富美子さんが 自分で家出をしたものとすれば 408 00:24:31,740 --> 00:24:37,800 両親の所へ 詫状(あるいは 書き置きと書いて遺書)の 409 00:24:37,800 --> 00:24:41,160 一本ぐらい よこしても よさそうなものじゃないか。 410 00:24:41,160 --> 00:24:44,190 この点と 牧田が 郵便物を取りまとめる役目だ 411 00:24:44,190 --> 00:24:48,570 という事と結び付けると ちょっと面白い筋書きができるよ。 412 00:24:48,570 --> 00:24:51,600 つまり こうだ。 牧田が どうかして 413 00:24:51,600 --> 00:24:53,960 富美子さんの恋を 感づいていたとする。 414 00:24:53,960 --> 00:24:57,320 で 彼は富美子さんからの手紙を 握り潰して 415 00:24:57,320 --> 00:25:00,020 そのかわりに 手製の黒手組の脅迫状を 416 00:25:00,020 --> 00:25:04,050 伯母さんの所へ 差し出したという順序だ。 417 00:25:04,050 --> 00:25:08,770 (ため息) 驚いた。 だが…。 418 00:25:08,770 --> 00:25:13,480 まあ 待ちたまえ。 419 00:25:13,480 --> 00:25:14,840 僕は 現場を調べると 420 00:25:14,840 --> 00:25:17,530 その足で 伯父さんの邸の門前へ行って 421 00:25:17,530 --> 00:25:21,220 牧田の出てくるのを 待ち伏せしていた。 422 00:25:21,220 --> 00:25:23,590 そして 彼が使いにでも 行くらしいふうで出てきたのを 423 00:25:23,590 --> 00:25:28,290 うまく ごまかして このカフェーへ連れ込んだ。 424 00:25:28,290 --> 00:25:29,990 僕は 彼が正直者だった事は 425 00:25:29,990 --> 00:25:32,340 初めから 君と同様に認めていたので 426 00:25:32,340 --> 00:25:33,690 今度の事件の裏には 427 00:25:33,690 --> 00:25:37,730 何か深い事情が潜んでいるに 相違ないと にらんでいた。 428 00:25:37,730 --> 00:25:42,110 でね 絶対に 他言しないし 品によっては 429 00:25:42,110 --> 00:25:45,140 相談相手になってやるからと 安心させて 430 00:25:45,140 --> 00:25:47,830 とうとう白状させてしまったのだ。 431 00:25:47,830 --> 00:25:51,530 君は多分 服部時雄という男を 知っているだろう? 432 00:25:51,530 --> 00:25:54,230 キリスト教信者だという理由で 富美子さんに対する 433 00:25:54,230 --> 00:25:56,580 結婚の申し込みを 拒絶されたばかりでなく 434 00:25:56,580 --> 00:25:59,610 伯父さんの所へのお出入りまで 止められてしまった 435 00:25:59,610 --> 00:26:01,970 あの気の毒な 服部君をね。 436 00:26:01,970 --> 00:26:03,650 親というものは バカなもので 437 00:26:03,650 --> 00:26:06,340 さすがの伯父さんも 富美子さんと服部君とが 438 00:26:06,340 --> 00:26:09,370 とうから 恋仲だった事に 気付かなかったのだよ。 439 00:26:09,370 --> 00:26:10,730 また 富美子さんも富美子さんだ。 440 00:26:10,730 --> 00:26:14,420 なにも家出までしないでも かわいい娘の事だ。 441 00:26:14,420 --> 00:26:15,780 いかに 宗教上の偏見があったって 442 00:26:15,780 --> 00:26:20,480 できてしまったものを 今更無理に 引き離す伯父さんでもあるまいに。 443 00:26:20,480 --> 00:26:21,840 そこは 娘心の浅はかというやつだ。 444 00:26:21,840 --> 00:26:25,200 それとも 案外 家出をして脅かしたら 445 00:26:25,200 --> 00:26:26,550 頑固な伯父さんも 折れるだろうという 446 00:26:26,550 --> 00:26:28,900 横着な考えだったかも しれないが 447 00:26:28,900 --> 00:26:30,920 いずれにしても 2人は 手に手を取って 448 00:26:30,920 --> 00:26:35,300 服部君の田舎の友人の所へ 駆け落ちと しゃれたのさ。 449 00:26:35,300 --> 00:26:36,650 無論 そこから 度々 手紙を出したんだそうだ。 450 00:26:36,650 --> 00:26:40,020 それを 牧田のやつ 一つ漏らさず 握り潰していたんだね。 451 00:26:40,020 --> 00:26:42,370 僕は 千葉へ出張して 452 00:26:42,370 --> 00:26:44,730 家では 黒手組騒動が持ち上がって いるのも知らないで 453 00:26:44,730 --> 00:26:47,090 ひたすら 甘い恋に酔っている2人を 454 00:26:47,090 --> 00:26:49,440 一晩かかって口説いたものだよ。 455 00:26:49,440 --> 00:26:52,470 あんまり 感心した役目じゃなかったがね。 456 00:26:52,470 --> 00:26:53,820 で 結局 きっと 2人が一緒になれるように 457 00:26:53,820 --> 00:26:57,530 取り計らうという約束で やっと引き離して連れてきたのさ。 458 00:26:57,530 --> 00:27:00,560 だが その約束も どうやら果たせそうだよ。 459 00:27:00,560 --> 00:27:04,260 今日の伯父さんの口ぶりではね。 460 00:27:04,260 --> 00:27:07,630 ところで 今度は 牧田の方の問題だが 461 00:27:07,630 --> 00:27:12,340 これも やっぱり女出入りなのだ。 462 00:27:12,340 --> 00:27:18,340 かわいそうに 先生 涙を ぽろぽろ こぼしていたっけ。 463 00:27:20,080 --> 00:27:24,460 あんな男にも恋はあるんだね。 464 00:27:24,460 --> 00:27:29,170 相手が何者かは知らないが 恐らく 商売人か何かに 465 00:27:29,170 --> 00:27:30,860 うまく持ちかけられたとでも いうのだろう。 466 00:27:30,860 --> 00:27:34,570 ともかく その女を手に入れるために 467 00:27:34,570 --> 00:27:37,930 まとまった金が入り用だったのだ。 468 00:27:37,930 --> 00:27:42,650 そして聞けば 富美子さんが 帰ってこないうちに 469 00:27:42,650 --> 00:27:48,360 出奔するつもりでいたんだそうだ。 470 00:27:48,360 --> 00:27:54,080 僕は つくづく恋の威力を感じた。 471 00:27:54,080 --> 00:27:59,820 あの愚かしい男に こんな巧妙な トリックを考え出させたのも 472 00:27:59,820 --> 00:28:05,820 全く 恋なればこそだよ。 473 00:28:08,580 --> 00:28:11,930 すっかり コーヒーが冷えてしまった。 474 00:28:11,930 --> 00:28:13,930 じゃあ もう帰ろうか。 475 00:28:16,310 --> 00:28:21,020 これをね ついでの時に 牧田君にやってくれたまえ。 476 00:28:21,020 --> 00:28:24,050 婚資にと言ってね。 477 00:28:24,050 --> 00:28:30,790 君 あれは かわいそうな男だよ。 478 00:28:30,790 --> 00:28:32,790 分かった。 479 00:28:34,500 --> 00:28:37,530 人生は面白いね。 480 00:28:37,530 --> 00:28:43,530 この俺が 今日は 二組の恋人の 月下氷人を務めた訳だからね。