#002 我平凡な少年なり① 一目惚れなんてまやかしだと思う。喧嘩のしないカップルも完璧なハッピーエンドも純愛もすべてまやかしだ。何故僕がそんな極端な考えに至ったのかというと、それは今僕が手にしている一冊の少女漫画にある。タイトルは『イケメン君と私のラブコメ大戦争』。恋愛って戦争なのかよ。 「ゆう。おっはーようっ」 僕の肩を小突く人影。僕が振り向く先には赤色がかった茶髪の少女が満面の笑みで立っている。同じクラスメートの東雲(しののめ)茜(あかね)だ。 茜は僕が持っていた少女漫画に目を向けた。 「あ、読んでくれた?」 この少女漫画は元々茜が貸した物だ。とにかくおすすめという強い押しに負けて読む羽目になった。 「残念だけど、僕には合わなかったかな」 「えー、うそー」 「なんていうか、こういう恋愛? 見てるこっちが恥ずかしくなるっていうか」 「そういうのがいいんじゃない」 「というかこの主人公一目惚れとか言ってたけど、結局イケメン君の顔で好きになっただけだよね? ただの面食いじゃん」 「イケメンは女の子基本好きだから」 「それ言っちゃ終わり」 僕は茜に漫画を返した。次巻も勧められたが、流石に断った。学校の鐘が鳴ると、お互い席に座る。遅れて教室に担任の先生が入ってきてホームルームが始まった。 「ここ最近不審者が徘徊しているようなので気をつけるように。じゃあ次に――」 僕はあくびをかみ殺しながら担任の先生の話を聴いていた。 やや寝不足気味だ。昨夜は茜に勧められた漫画を読んで寝るのが遅くなった。甘酸っぱいシーンが目に入るたびにページをめくる速度が遅くなる。 読みながら、ふと思った。 こんな恋愛、現実にあるわけない。 というか、漫画のような出来事は基本的に現実には起こり得ない。 街角で運命の人とぶつかることもないし、空から女の子が降ってくることもないし、一目惚れもないし、ラブコメ的なイベントはやってこない。どこまで言っても架空の出来事だ。 たった十六年間、平凡な人生を送ってきた、と人生を語るような言い方は出来ないけど、きっとこれからも何事もない、されど割と気に入っている日々が続くのだろう、と。その日まで本気で思っていた。 「今日は転校生を紹介する。おーい、入ってきていいぞー」 転校生、という単語に僕は意識を戻した。この時期に転校だなんて珍しい。なんとなく興味をそそられた。 教室の扉が開き、転校生は入ってきた。 「――」 誰かが息を呑んだ。あるいは、僕か。 教室に入ってきたのは一人の少女だった。背中まで伸びる藍色の髪に、透き通った青の瞳。整った面差し。いわゆる、美少女だ。 大事なことなのでもう一度言う。美少女である。 「神凪空音です。よろしくおねがいします」 神凪さんはそう言って頭をわずかに下げた。 僕は彼女の姿に目を奪われていた。心臓の音がやけに聞こえる。 なるほど、訂正しなくてはならない。 一目惚れはまやかしではなかった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 昼休みになると、神凪さんの机の周りには大勢のクラスメートが集まっていた。 「大人気だなぁ、神凪さん」 「そうだねー」 僕の悪友、相模(さがみ)良太(りょうた)の言葉に適当に返した。良太は短髪に整った顔立ちをしたイケメン君だ。 「ああいう美少女が転校する、ってあり得るんだな」 「……いや、ほんと」 僕は本音混じりに呟く。つい先程まで一目惚れの存在すら否定した僕が一目惚れをしてしまった事実に頭を抱えたい気分だった。きっといっときの感情に過ぎない。そう思い込もうとしている。 「ゆう、見すぎだぜ」 「え?」 僕は慌てて目を逸らす。 良太を見ると人の悪い笑みを浮かべている。こういう表情をするとき、良からぬことを考えている。 「ゆう、もしかして惚れたん?」 「……まさか」 「嘘下手だなぁ」 良太はくすくすと楽しそうに笑う。 「いや違うってっ」 「ムキになっちゃあ認めてるようなもんだって」 良太は僕の肩をぽんぽん叩く。 「お前も人並みの感情を持っているようで良かったよ。いつぶりだ?」 「……初めてだけど」 「おー」 良太は目を見開き驚いていた。 いちいち反応が大袈裟だ。 「なーに話してるの?」 そこで茜が会話に加わってくる。僕は良太を口止めしようとしたが、それは叶わなかった。 「ゆうが転校生に一目惚れだそうだ。ちょろいやつだろ?」 「えー、うそだー」 茜はからかうように僕を見た。 「……いや、」 僕は茜から目を逸らす。それ自体がまるで肯定の意を示すように。茜にも伝わったようだ。 「え、まじで?」 茜にしては珍しく素っ頓狂な声が出ていた。 「ゆう、やめときなよ。ほら、キャビアだって食べる前までは高級品で美味しそうに思えるけど、実際食べてみるとしょっぱすぎない? って感じるのと一緒。身の丈を考えよう」 「なんという分かりづらい例え」 良太が鋭く突っ込んだ。 「だから違うって」 僕の健闘は虚しく、結局僕の意見を聞いてもらえることはなかった。学校が終わるまでも何度か良太と茜にからかいの言葉を貰いながらも学校を出た。 僕は学校から少し離れたところでため息をついた。 今日は色んな意味で濃密な時間だった気がする。どっと疲れた気分だ。 「あ、今日新刊の日だっけ」 僕は帰り道から逆方向の道に歩き出す。本屋は駅前から少し離れた場所にある。 本屋に到着して、お目当ての新刊を探す。が、あっさり見つかった。新刊コーナーに置かれていたのだ。 「御城(みなしろ)湊(みなと)先生、随分人気になったなぁ」 僕は新刊コーナーを見ながら呟いた。新刊のタイトルは『王の塔』。毎回あらすじが無く、導入部分で世界観を伝えてくる。その表現法が好きだった。御城湊先生の作品は処女作から全巻揃えている。昔はこれほど有名ではなかった。それがマイナーなコアなファンという一種の誇りみたいに思えて。 ただの自己満足に過ぎないけど、複雑な気分だ。僕は新刊を手に取る。立ち読みはしない主義なのだけど、その日はページをめくっていた。 ――汝、勇気以外の全てを捨てろ。 最初の冒頭。先のわからない展開だ。僕は次にページをめくる。 話を進めてみると、現代日本を舞台にしたバトル物だった。主人公は街の中で密かに暗躍している戦場に巻き込まれる形で戦いに参加していき、頂点に存在するという王を倒すという物語だ。御城湊先生にしては珍しい題材だった。それでも妙に惹き込まれる。そうやって次から次へとページをめくっていると時間を忘れてしまう。 ごほんっ、という店員の咳払いで意識が戻る。店員が嫌そうな顔を全開に見せていた。 僕は慌てて新刊を持ってレジに行く。本を買い、本屋を出ると空は闇色に染まろうとしていた。 しまった。読書に集中しすぎた。 反省しつつ、きっとその反省が活かされることはないのだろうな、と思う。 僕は夜の帰路を歩く。人数も少なくなっている。学生服は目立っていたかもしれない。 「――?」 不意に、何かが見えた。 僕は足を止めた。そこは街の裏路地だった。街頭は差し掛かっておらず、視線の先には闇がある。何か光るものを見た気がした。と、思っていたら人影が見えた。 「えっと、気のせいだよね?」 目を凝らしていると闇にも慣れてくる。少しずつぼんやりとしていた輪郭がはっきりとしてきた。人影は二人いた。二人は向かい合うように立っていた。 「何して……――!」 僕は衝撃を受けた。二人のうち奥にいた人影。その人影は大きなサバイバルナイフを握っていた。僕は混乱した。どうすればいい? 警察に連絡? いや、それだともう一人の人影が。 サバイバルナイフを持った人影が襲いかかろうとしていた。 その時にはもう僕は走り出していた。買った新刊も投げ出して、ただひたすら人影に向かって走った。 何か意味があったわけではない。自然と体が動いていた。 既のところで間に合い、僕は襲われていた人影が横に押した。サバイバルナイフは振るわれていた。けど、空振りに終わるはず。 「――え?」 押された方から驚いた声を聞いた。 サバイバルナイフは僕の方に向かっていた。僕は回避する暇もなく、身体に斜め一閃に斬られた。 血が、弾けるように、吹いた。